第七話 見舞い
翌朝、目を覚ましたキャスの視界一杯に天井が広がっていた。宿の一室で寝たのだから当たり前だ。昨日は野宿ではない。寝ぼけた頭にそう言い聞かせる。
そういえば隣にミセリアが寝ているのだった。それを思い出して、顔をそちらへと向けてみる。もう起きているだろうか。
「おはよー。お腹見えてるよ」
「うん、おはよう」
彼女は先に目を覚ましていたようで、ベッドの上で身体ごとこちらを向いて横になっていた。
指摘に従い、寝ている間にへその上まで捲れてしまっていた服の裾を直す。
「よく眠れた?」
「うん」
「あたしは夜中に一回目が覚めちゃった」
「そうなんだ」
「普段はそういうことあんまりないんだけどねえ。何でだろ?」
尋ねられたところで分かるはずもない。恐らく偶然だ。
「そういう日もあるんじゃない?」
「そうかも」
ミセリアが体勢を仰向けに戻し、キャスもまた視線を天井に戻した。
暫しの間、二人して何を話すこともなく、寝起きのぼうっとした頭で天井を眺める時間を過ごす。
「お母さん達、もう起きてるかな?」
「どうだろうね。部屋まで行ってみる?」
「んぅー……もう少しゴロゴロしてる」
「じゃあ、そうしよっか」
隣からミセリアが寝返りを打つ音が聞こえてきて、文字通りゴロゴロしているらしいその様子に笑みが浮かぶ。
「お母さん、良くなってるかな?」
言われて、昨日、フィリアの体調が芳しくなかったことを思い出した。
「大丈夫なんじゃない? 食欲はなかったみたいだけど、そこまで辛そうな感じでもなかったし」
「……そうだよね」
「良くなってなかったら、ゆっくり休んでもらえばいいんだからさ。別に、今はこうして町中にいるんだもの」
これが町中から離れた場所での話であれば困っていただろうが、今であれば台詞の通り、体調を崩したとしてもゆっくりと静養してもらえばよいだけの話。
ミセリアからの返事はなく、また静かな時間が戻ってくる。
そのうち微睡みまでやって来て、折角だから二度寝も悪くないかとそれに身を委ねながら寛いだ。
「おきてるー?」
隣の彼女も同じように眠くなってきているのか、気の抜けた小声である。
「うん」
短くしょぼくれた声音での応答。
用があったわけではないらしく、そのまま何か話しかけられるでもない。キャスも気にすることなく引き続き眠りの縁を漂う。
どのくらいの時間が経ったのか、不意に部屋の扉が叩かれた。
「ぼくがでる」
まだ起きているのか分からないミセリアに対してそう告げ、キャスは身を起こして裸足のまま扉へ。
開けると、そこにはステラが立っていた。
「おはようございます」
「うん、おはよう」
穏やかに挨拶を交わしながら廊下の方まで軽く視線で確認したが、フィリアの姿はない。
「ミセリアは、まだ寝てますか?」
「おきてるよー……、おはよー」
ステラの台詞に合わせて部屋の奥から眠たげな声。
「フィリアさんは?」
それに構わず、キャスは気になったことを問いかける。彼女が一人でこちらの部屋まで来たということに、先程のミセリアとのやり取りを思い出してしまったのだ。まだ、具合が良くなっていないのだろうか。
「それが、まだ調子が良くなっていないみたいで」
「そっか……」
それならそれで仕方ない。予定通り、ゆっくりと休んでもらおう。なんなら、自分達も彼女が良くなるまで観光するのを待って大人しくしていてもよい。
「気にせずに三人で食事に行ってくるよう言われたのですけど、一先ずキャスさんとミセリアにお伝えしようと思って」
「……どうする?」
振り返ってベッドのミセリアに問いかけると、彼女はむくりと身を起こす。
「先にお母さんの様子見に行ってからでいい?」
「いいけど、僕も行った方がいいのかな」
「うん、一緒に行こ」
「分かった。じゃあ、ちょっと待ってて」
「はい」
ステラに断りを入れ、キャスとミセリアは身支度を整える。尤も、ただ朝食を取りに行くだけなのであまり大した準備もない。靴を履いて財布を持ち、剣はどうしようか考えて一応身につける。
全て終えてミセリアの方を確認すると彼女は先に準備を終えていた。自分とは違い、武器の類を身に付ける気はないらしい。普通の少女としての出で立ちだ。
「お待たせ」
「じゃ、まずはお母さんの所だね」
「では、行きましょうか」
部屋を出て、ステラとミセリアを先頭にしてフィリアの元へと向かう。彼女らの部屋は少し離れた位置にあった。
ステラがそっと扉を開けて中に入り、それに続いて室内へ。
キャスの視界に入ったフィリアはベッドの上で身を起こし、こちらを見ていた。手には何かを握っている様子だが、掌の中に隠されてしまって確認し損なう。
「あら、どうかしたのかしら?」
「食事の前に、フィリアさんの様子を確認したかったみたいで」
「……そうなの。あまり心配しなくてよかったのに」
そう告げて彼女は視線を伏せる。その容貌とも相俟って何とも儚げな姿。いつもは後ろで纏めている髪を下ろしているのもその印象を強めていた。
ミセリアが近寄って行ってフィリアのベッドに乗り上げる。
「大丈夫なの?」
「ええ、そこまで酷くはないわよ」
「なんか昨日も似たような台詞を聞いた気がする」
「……でも、本当にそこまで酷くはないから」
少し気不味そうにしながらフィリアは答える。
そんなやり取りを見つつ、突っ立って眺めているのもどうかと思ってキャスは手近な椅子に腰掛けた。
「あの…………、すみません、ご迷惑をおかけして」
着席したところでフィリアから申し訳無さそうな声。
「いえ、別に迷惑じゃありませんから。どの道、暫くこの町でゆっくりするつもりだったんですし」
そう答えるが、どうにも相手の表情は優れなかった。
少しだけ、変な空気と共に室内が静になる。
「そういえば、キャスってお母さんが髪を下ろしてるの見るの、初めてじゃない?」
「うん、そうだけど……」
恐らく場の雰囲気をどうにかしようと思ったのだろう。ミセリアが思い付いたように明るい声を上げた。しかしながら、あまり意図の読めない質問だったので歯切れの悪い返事をしてしまう。
「どう? いっつもより、更に美人に見えるでしょ」
「ああ…………そうだね、うん」
言われた通り、そのように見えなくもない。少なくとも普段と印象が違っていて、新鮮ではあった。
「惚れちゃった?」
「いや、別にそういうことは」
些か突拍子のない冗談に笑ってしまう一方で、ミセリアの台詞と共にフィリアがさっと顔を背けるのが目に入る。
確かに、フィリアはこれまでに見たことがない程の美人だ。だが、流石にそれだけで惚れられる相手かといえば難しい。外見が若いので年齢は問題にならないし、最早殺意を向けられたことも気にしていない反面、個人的に良い関係を築けているわけでもなく、何より一児の母という印象が強かった。
キャスにとってのフィリアとは、そんなところだ。
「……キャスさんも、やっぱり綺麗な方のほうが好きなのですか?」
すると、ここまで黙って様子を見守っていたステラから尋ねられる。何ということもない問いかけのようで、何故かいつもより真っ直ぐに見つめられている気がした。
「えっと……」
そんなことはない。そう答えようとして言葉に詰まる。それは嘘だと、瞬時に自覚してしまったから。
美人の方が好きだというのは事実だった。
「まあ、綺麗な人の方が、好きになりやすいとは思うよ。どうしても目は惹かれるし」
「やっぱ男の人ってそうなんだねー」
「うん」
少なくともキャスにとっては、女性の見目の良さはとても大事な要素である。ただ、見た目についても美しさだけが尺度ではない。
「でも、綺麗な人と凄く綺麗な人だったら、好みの方が大事かも……」
美人という意味ではフィリアに及ばないが、それでもキャスにとって、外見上の好みは故郷の姉の方が上だ。
「好み、ですか?」
「説明は難しいけどね」
「そうですか……」
ステラは不思議そうな表情をしつつも一応納得したようだった。
「……よく分かんないね!」
「えっと……、そうね」
少し考える素振りを見せてからのミセリアの溌剌とした声に、ステラは苦笑しながら頷いていた。
「ところでフィリアさん、朝食も取らないんですか?」
理解を得られなかったところで、話題を変えてフィリアに話しかける。彼女は昨夜も何も口にしていないはず。流石に何も食べないままでは、体調も中々良くならないのではないだろうか。
「……はい。どうしても、食欲がなくて」
「でも、昨日から何も食べてないでしょうし……。帰りに皆で何か、食べやすそうな物でも買ってきましょうか」
ちらりと横目でステラの方を伺うと、黙って頷き返される。
「……お願いします」
「はい」
「美味しそうなの探してくるからね」
「ええ、お願い」
ミセリアがフィリアのベッドから降りる。
「じゃ、そろそろご飯食べに行こっか」
「そうだね。二人は、何か食べたいのとかある?」
頷いて椅子から立ち上がりつつ、ステラとミセリアに尋ねた。
「そうですね……。この町にも着いたばかりですし、あちこち歩いてみながら決めませんか?」
「あたしも、それが良いな。昨日は適当に近くのお店で済ませちゃったし」
「分かった。それじゃあ、そうしよう」
話が纏まる。
「では、行ってきます」
「お土産待っててねー」
「行ってらっしゃい」
ステラとミセリアがフィリアと出掛けの挨拶を交わし、キャスは適当に軽く頭を下げて済ませた。それから部屋の扉に向かう。
途中、フィリアの方にもう一度視線を向けてちょっとした確認。その手の中に何を握っていたのか気になっていたので、掌が開いてはいないかと考えたのだ。
そして、期待通りに彼女が何を持っていたのか確かめられた。
そこにあったのは歪んだ指輪。以前の戦いで、キャスが破損させた品である。
何とも言えない気持ちになりながら部屋を出るのだった。




