第二十四話 一段落
馬乗りになって殴りつけたフィリアが泣き出した後、キャスは完璧に対処法が分からなくなってしまった。当初意図していた脅迫も、まるで言葉の通じない状態と化した相手には意味をなさない。
困惑している間にステラとミセリアがやって来て、引き剥がされる。その際、彼はミセリアに無理矢理手を引かれて、彼女はステラに泣きわめく母親のことを頼んでいた。それからフィリアと大分離れた位置まで連れてこられ、事態が落ち着くまで二人して待つことになり、今に至る。
背後から聞こえ続ける泣き声は一向に止む気配がなく、それどころか最初のころよりも盛大な咽び泣きに変わっていた。泣かせたのは自分だが、戦いを仕掛けてきたのは向こうである。なのに、これではまるで悪者だ。
フィリアの号泣を離れた位置で背に受けながら、地面に座り込んだキャスは微妙な気分となっていた。
例えこちらに殺意を持って襲ってきた相手であっても、女性に延々と泣かれるのは気分が悪いようだ。
その娘であるミセリアは、母の元には向かわずにこの場で共に座り込んでいる。
「本当に行かなくていいの?」
「いいの。今はステラに面倒見てもらった方が、多分良いでしょ」
「別に、一緒にいても良いと思うけど」
「…………これだけ大泣きして、今更戦意もないと思うから、後は今のうちに出来るだけステラと打ち解けてもらわないと」
草むらに埋もれながら冷静に二人の方向を眺めている少女に問いかけると、これまた冷静に状況を見た意見が返された。確かにこれ以上この場でフィリアが何か仕掛けてくるとも思えないし、泣き終わった後はミセリア側の願いが通ることだろう。
つまり、自分との間に徹底的な亀裂が入った分、ステラとの信頼関係で帳尻を合わせるつもりなのだ。
「それにあたしまで向こう行ったら、一人だよ? 気まずくない?」
ふと、小首を傾げて見上げられる。
若干、答えを返すのに間が空いてしまった。相も変わらず、泣き声がはっきりとここまで聞こえてきている。
「そうかも」
彼女まであちらに行ってしまったら、尚のこと居心地悪い気分となるはずだ。
「それにしても、何やったの? 傍からはただ殴った様にしか見えなかったけど」
フィリアが泣き出した理由を問われる。しかしながら、その件はキャスにも全く心当たりがなかった。
「いや、ただ殴っただけだよ。話を聞いてもらわなきゃならなかったから、大人しくしてもらおうと思って」
「そのくらいであんな風に泣く人じゃないんだけどねえ……。何でだろ」
仮にも冒険者。それも、二十年以上も暴力の世界に身を置いてきた人物だ。追い詰められた状態で殴られた程度で、あのようになるのは不自然だった。加えて、こちらは剣を鞘に納め、あくまで交渉を持ちかけようとしていたのである。
それでも現実として、彼女は子供の様に大泣きしていた。
「それより、本当はどうやって決着つけるつもりだったの? 大分もったいぶってたけど、全部終わったんだし、そろそろ教えてよ」
「ああ、それ」
正直、取らずに済んだ手段のことを話すのは気が進まなかったが、仄めかしておいて黙ったままというのも悪いと考え、答えることにする。
「力の差を見せつけて、後は…………大人しく和解するか、人狼の力で無理矢理眷属にして言うことを聞かされるか、選んでもらおうかなって」
「うわっ、野蛮」
答えるとミセリアから声が上がったが、その顔は笑っていた。キャスとしてはその反応が意外である。自身の母親を化物に変えるつもりだったというのだから、もう少し難しい態度に変わると思っていたのだ。
「怒らないんだ」
「………………それも良いかもなって。あたしも不老不死にされたんだし」
清々しい表情で告げられるその台詞には、彼女の本当の所が秘められているのだろう。その具体的な感情までは推察しかねながらも、キャスにはそのように見えた。
今回のミセリアからの頼み事はその母のためという名目だったが、まだまだ、彼女がうちに抱える問題は尽きていないようである。
無言の間が訪れて、二人して彼方の泣き声に耳を傾けていた。
「これから、よろしくね」
不意に、ミセリアがそんな事を言う。
「うん、よろしく」
特に何かを考えることもせず、単にこれから行動を共にする仲間として、キャスもそれに答えた。
だが、相手はじっとこちらを見据えていて、その瞳には殊更特別な意図が見てとれる。
それに気付いた瞬間、キャスは先の挨拶に秘められている意味合いを悟った。
「長い付き合いになるといいね」
「大丈夫。あたしたち、結構気が合うって」
互いに年を食わぬ者同士、自分たちの関係性はどのようになっていくのだろうか。
フィリアの問題を解決してほしいという願いばかり気にかけていたが、この一件は自身にとっても、思っている以上に意味深いものになるのかもしれなかった。
「さて」
声を上げ、ミセリアが立ち上がる。
「中々終わんないみたいだし、先にあたしたちで、あいつらから剥ぎ取りしておこっか」
「そうだね」
キャスもそれに倣い、立ち上がって、二人で魔物の死体へ向かっていった。




