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第二十二話 暴力

 手の中で赤い髪の毛の束を弄びながら、キャスはミセリアと並んで歩いていた。赤髪を通してステラの居場所も把握している。先頃は人狼化した己の毛の触り心地を褒められたが、彼もまた女の髪の手触りの良さというものを思い知っているところだ。

 ステラまでの距離はあと少しといった程度で、現在進んでいるのは木々がまばらで背の高い草が生い茂る空間。横にいるミセリアなど、草の背丈が胸のあたりまで来ていて歩き辛そうである。

「大丈夫?」

「平気。それより、お母さんたちは?」

「もうちょっとだよ」

 気のせいか、彼女たちの元に向かうにつれ、ミセリアの元気が目減りしている気がしていた。もしかしたら、母親のことを心配しているのかもしれない。

「向こうのこと、やっぱり不安かな?」

「……………………依頼のことは、心配してないけどね」

 つまり、ステラとフィリアの間柄がどのような形に落ち着いたかについては、心配なのだと示している。

「上手くいってると良いな」

「本当の所、もし失敗したら、どうするつもりなの」

 「失敗」とは、フィリアが当初の目論見通りにこちらへ危害を加えに来た場合のこと。実際、本当にフィリアと自分たちが争いになったとして、彼女はどのように動くつもりなのだろうか。ここまで有耶無耶にしてきた点だった。

「ごめん。それは、その時になってみないと分かんないや。お母さんの身が危なくなるようなら、加勢はすると思う。キャスは? 何か、考えがあるみたいだったけど」

「一応ね。そっちが本気で、今のフィリアさんを変えてほしいと思ってるなら試すよ?」

「どんな方法?」

「手荒い方法」

 簡潔に答えて、相手に首を傾げられる。

「強制的にこっちの言うことを聞くようにする方法さ」

「何それ、止めてよ」

「でも、もしあの人が僕らとの戦いを選んでくるなら、そうでもしないと変えられないんじゃないかな。どうせ、そのうち限界が来るって思ってるんだよね?」

「そうだけど」

 濁した説明をされて、ミセリアは難しい顔になっていた。強制的に言うことを聞かせる方法と言われれば、例え現状のフィリアを変えたいと考えていたとしても、それは不安になるだろう。

 キャスがそれでも説明しようとしないのは、その方法が本当に忌避すべき内容であり、尚且つミセリアから事前に否を示されるのを避けるためだった。

「こっちも異能のことまで教えたんだし、ここまで来たら上手くいってもらわないと困るんだ」

 だからこそ、こちらが取ろうとしている手段をミセリアに突っぱねられたくはないのである。本心で止めるつもりがないので、今彼女から拒否をされたとしても、自身の中で余計に気が咎めるだけにしかならないのだ。

「覚悟はしてたけど、不安すぎるなあ」

 呟きが聞こえる。

「仕方ないって。ほら、そろそろ二人が見えるはずだよ」

 話している間に、ステラの居場所との距離もいよいよ詰まっていた。

 前方に目を凝らしながら、黙って共に歩き進む。

「ああ」

 最初に小さく何かの姿が見え始め、近づくごとにその光景が鮮明になっていき、どのような状況が生じているのか判明したところでキャスは声を上げた。

 結界を張ったステラを魔物たちが取り囲み、フィリアは結界の外側で魔物に襲われることなく立っている。或いは、襲われることなくどころか、魔物と一緒になって囲んでいると表現するべきか。

 分かりやすく、決別したのが見てとれる状態だった。

 ちらりとミセリアを窺うと、すっかり俯いてしまっている。

「上手くいかなかったみたいだね」

 ミセリアの秘密を知って尚、友好的に接していたはずのステラを拒んだフィリアの決断は、キャスにとっては少々意外。人狼という危険な秘密を抱えている身として、それを承知で好意的でいてくれる相手の有難みというのは知っているつもりだったので、どちらかといえば、比較的上手くいくのではないかという気持ちがどこかにあったのだ。

 同属であり、人柄も良い彼女でも信用できなかったのか、それとも単に、頑なだったのか。

 フィリアとの距離が徐々に短くなっていく。

「ミセリア」

 相手の第一声は極々落ち着いた声音。こちらには目もくれず、自身の娘のみを見つめていた。

「こっちにいらっしゃい」

 母の呼びかけにどのような反応を示すのか、キャスは暫し傍らのミセリアの様子を黙って窺う。彼方のフィリアも同様だ。結局、少女が何かしらの答えを示すことはないままであった。ただ、黙って俯いている

 彼女まで敵に回るという展開はなさそうだ。

「じゃあ、僕に任せてもらうから」

 隣にだけ聞こえる声で囁き、キャスは一歩前に出た。するとそれに応じるように、ステラを取り囲んでいた魔物のうち五体程が、フィリアを庇うように間に入ってくる。恐らく魔物たちは死体だ。

「どうしても、戦わなければ済みませんか?」

 屍の壁越しに、最後の交渉として声をかける。

「ええ。申し訳ないのだけれど、私たちのことは誰にも知られる訳にはいかないの」

 彼女の声は、先程より幾分硬さの入ったものだった。

 続いて、ステラの方を一瞥する。

「彼女を返してもらえるのなら、こっちも大人しく引き下がって、何一つ口外しないと約束しますけど」

「駄目よ。信用できないわ」

「そうですか」

 静かな佇まいでこちらを真直ぐに見据える彼女の姿からは、信用できないという弱々しさよりも、娘を確実に守るため、徹底しようとする覚悟を感じた。分かりきったことであるが、ここで自分が言葉を重ねたところで意味をなさないだろう。

 ならば、実力行使に移るだけだ。

「ごめん。もう少し、そこで待ってて」

 戦いを始める前に、黙って自分たちのやり取りを聞き届けていたステラへと声をかけた。

「……………………はい」

 少々の間を置いて返事がなされ、聞き届けてから、キャスはフィリアとそれを守る魔物たちへ向けてゆっくりと歩き出す。決して気構えた様子など見せず、こちらの方が圧倒的に優位であるのだと示さんばかりに、無防備且つ堂々と。

 死体らとの間合いが半分ほどまで縮まったのを機に、人狼化。これについてこの場にいる面子の中、唯一全く知らなかったのだろうフィリアが、その瞬間に目を瞠る。そして怪物へと姿を変えたことを契機に、キャスは魔物たちへ向けて突っ込んだ。

 戦いの火ぶたが切って落とされる。

 だが、それは彼にとってこの上なくぬるい戦いだった。ある意味では、これまでで最も人狼の力の恩恵を感じた一戦と言えるのかもしれない。

 安直に敵の目の前まで接近し、腕を振るう。それだけで魔物の太く長い首が半ばから切断された。所詮、人狼に比べれば肉体的にも遥かに低次元な下等生物なのだ。

 魔物側が攻撃を仕掛けてきた際も、予知に映る爪や牙をすべて躱しきる程度は造作もなかったし、その牙や爪へ向けて反対にこちらから攻撃を当て、砕いてみせるのも容易であった。

 そうやって破壊していくうちに、魔物の死体たちは頭部を砕いたり、首を切断してしまえば再びただの死体として静かになることも判明する。ただ、首を切断した死体と異なり、頭を砕いただけの死体はフィリアにすぐさま再利用されていた。彼女にも、起こせる死体とそうでない死体の基準があるようだ。

 最初の五体の首を胴体から刎ね飛ばし終わった頃には、残りの魔物たちとフィリアもこちらへの攻撃に加わっていた。もっとも、程度の知れた攻め手が増えたところで、まるで問題にならない。

 魔物たちの攻撃は依然として当たる気配がなく、フィリアが放ってくる氷の矢も、回避することは勿論、腕を振るえば容易に弾き飛ばすことができた。時には、飛来する攻撃を直接掴み取ってみせる。

 フィリア本人に一切手を出すことを避けたまま、十三体の死体全てを破壊し終えるのも直ぐだった。

 動く魔物がいなくなり、人外の姿をした者が自分一人になったところで、杖を構える相手に咆哮。

 彼女の顔は、酷く青ざめて引き攣っていた。

 キャスはそこで変身を解き、人の姿へと戻る。そして、無造作に歩いてフィリアへと近づいた。

 戦いはまだ、終わっていない。

 彼女が放つ氷の魔法を、今度は鞘から引き抜いた剣で弾き、彼はあくまでも真直ぐに進んだ。

 二発、三発と続け様に放たれた攻撃も、同じように対処する。

 彼は決して歩く速度を速めようとはしなかった。こちらとの力の差をいやらしく見せつけ、相手を追い込む目的があったから。

 ただ、間近となったこちらの姿に焦り、フィリアが後ろに下がろうとした時になって漸く、一気に間合いを詰める。それから攻撃の起点となっていた杖状の魔道具を、剣で半ばから切断。

 杖を失った相手だが、今度はこれまでそれを握っていたのとは逆の手、左手を前に伸ばしてくる。その人差し指にある指輪もまた魔道具だったようで、彼女の手元から炎が放たれた。勢いにも射程にも欠ける魔法だったが、どうやら炎熱には長けているらしい。後ろに下がって回避したキャスの元にも、その熱の一部が伝わってきた。

 炎は直ぐに消え去り、次の炎が放たれる前にと再度間合いを詰めにかかる。先程と同じように相手の左手が伸ばされたが、その手は剣の側面で叩いて振り払った。

 いよいよ、フィリアの顔が目の前という所まで距離は縮まる。魔物が全滅し、魔法も潰された状態で、彼女はとても追い詰められた表情になっていた。こちらに対する恐怖の感情が露わだ。

 相手に接近したキャスは、その腹部を左手で思い切り強打した。殴った拳に、軽くて柔らかな女性らしい感触を覚える。

 殴られたフィリアがうめき声をあげて崩れ落ちる傍ら、痛みのあまり注意を欠いている彼女の手を掴み、先程の指輪を取り上げた。

 奪い取った指輪はこちらの手の中で思い切り力をかけ、ひしゃげさせてから放り捨てる。

「さて、まだ何か隠してるのかな」

 眼下のフィリアへと、戦闘を継続させる気概があるのか確認するために問い掛けた。

 倒れ込んでいた体勢から蹴りが飛んできたので、どうやらまだ痛めつける必要があるらしい。

 敢えて大きく後ろに跳び下がって間合いを開けてやると、相手は懐から刃物を取り出した。今更短剣一本とも思えないので、恐らくあれも何かの魔道具だろうか。

 先程の一撃による苦痛からか、相手の呼吸は荒かった。

 その息遣いが強引に整えられると、次の一手。剣先が向けられると同時に魔法も発動されたようで、急速に辺りが霧に包まれ出し、あっという間に周囲の景色が覆い隠されてしまう。狙いは素直に、視界を塞いでの不意打ちか。

 透視を使って霧に妨げられずに相手の姿を確認するが、直ぐには見当たらない。移動したのであれば草を踏み鳴らす音も聞こえてくるはずだが、それもなかった。

 まさか本当に姿を消せるはずもないと、異能でさらに視界を強化し、誤魔化しを排除する。暗視を併用するようなものだ。フィリアの姿は簡単に発見できて、遠巻きにこちらの後ろへと回り込もうとしていた。先程見つけられなかったのは、ミセリアのように外套の魔法で姿を透明にしていたからのようである。袖の部分を使って、顔面部分も覆い隠していた。短剣は身体の背後に回してある。

 移動に伴う物音がしないのは、恐らくまた別な魔道具でも使っているからだ。随分と手札が多いではないか。彼女の攻め手を一つ一つ潰してくつもりだったが、いくつあるか分かったものではない。力の差は十分に見せられたはずであるし、このまま決着をつけてしまっても良いだろうと判断した。

 剣を鞘に戻し、キャスはこそこそと移動を続けるフィリアへと飛び掛かる。

「えっ」

 己の位置を把握されていたことに驚いて、相手が声を上げた。反射的に手にしている刃物もこちらへ向けられる。

 その短剣までも容易く取り上げ、フィリアを蹴り飛ばし、キャスは彼女に馬乗りになった。

 それから、残っている魔道具も取り上げてしまおうと、意を決して相手の身体に手を伸ばす。おかしな伏兵でも仕込んであったら厄介だ。先程の指輪のこともあるので、密着状態から使用する代物があってもおかしくない。

 彼女の両肩に手を置き、外套ごと衣服を引き裂く。これで衣類に仕込まれた魔法は用をなさないであろうし、仕舞っていた武器ごと取り上げることが出来た。破いた服は、彼女の手の届かない範囲に放り投げる。

 先ほどの拳打に続き、腹部を強烈に蹴り飛ばされてまともに動けなくなっている間に、フィリアの上半身は下着のみになっていた。まるでやましい目的があるかのように思える行為だが、魔法を使う相手を取り押さえるにあたっては妥当なやり口だ。身に着けた品のどれにどんな魔法が宿っているか、分かったものではないのだから。下着や下半身にまで手を伸ばさないのは、むしろ手抜きである。傍で見ているステラの存在が、頭に浮かんでしまったのだ。

 フィリアは畏怖しきった顔で、浅い呼吸をしながらこちらを見上げている。

「あなたが僕らを……せめて彼女だけでも信用してくれていれば、こんなことをしなくても済んだんですけどね」

 彼女は何も答えようとしなかったが、キャスとしてもそこは本題ではないので構わない。

「選択肢を、二つ差し上げます」

 そこで、一呼吸挟む。

「一つは」

 それを口にしようとしたところで、フィリアが動きを見せた。自身に馬乗りになっているキャスの腰にある、いつかステラに貰った銀の短剣に目をつけたのである。

 もっとも、短剣の柄目がけて伸ばされた彼女の手は、そこに達することなくキャスに掴み取られた。どうやら、この期に及んでも話を聞く気すらないようだ。

 反抗を見せたフィリアの目を覗き込むが、そこには恐怖と共に、強い拒絶の意思が表れている。もう少し、大人しくなってもらわなければならないのか。そんな気持ちで、キャスは仕方なく彼女に追い打ちをかけることにした。

 右腕を振り上げ、彼女の整った顔面を殴打する。これで何とか話を聞いてもらえるとよいのだが。

 そう考えていたキャスだったが、ここからのフィリアの反応は完全に予想外だった。

 殴られたフィリアの身体が小刻みに震えだしたかと思うと、出鱈目な拒絶の言葉を喚きながら号泣を始めたのである。

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