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第二十話 眠れぬ夜

 目が覚めて、フィリアは閉じていた瞼を開けた。周囲は依然として暗く、体感的にも然して眠れた感じがしないので、いつものように直ぐ目が覚めてしまったのだろう。

 目覚めたままの体勢から見える景色を、ぼんやりと眺めた。視界一面の夜空。それを見つめながら、ここに至るまでを何となく振り返る。

 他人とまともにかかわり合うことなど久しくなかったからか、あまり上手くは振る舞えていなかったように思えた。元々人付き合いなどは不得手な性質だったが、それにしても悪化している気がする。特にキャスに関しては一際苦手で、理由は恐らく、父親と元旦那、そして過去に言い寄ってきた男たち。フィリアは男性というものに、良い印象が全くない。

 とは言え、娘との約束だ。ここできちんと振る舞っておかなければ、ミセリアを納得させるのは困難になるだろう。彼らの口を封じて秘密を保ったとしても、彼女との間に修復できない溝を作ってしまうというのは、何としても避けたいことだった。もっとも、あの二人を斬った時点で多少の亀裂は覚悟しなければならないのかもしれないが。

 都合の悪い決断が差し迫っているのを自覚し、陰鬱な気持ちに。フィリアは空を見上げているのが嫌になって、身体ごと横を向いた。視界の半分が地上に代わる。

 するとその時、声がかけられた。

「眠れませんか?」

 ステラの声だ。聞いて、はっとする。先程彼女と見張りを交代したのは自分であるが、そこに起きている人物がいることなど、すっかり意識から外れていた。

 一瞬、寝たふりをしてしまおうかと思うが、声をかけてきたのがステラだったことを考えて、起き上がることにする。他二人が寝ているのなら、今は二人きり。自身に似た出自を持つ彼女とならば、少しは話してみても良いと思えた。

「おはようございます。まだ、先程交代してから殆ど時間が経っていませんけど」

 こちらの感覚通り、やはり今日も殆ど眠れていなかったようである。

「ええ……。どうしても、普段からよく眠れなくて」

 短時間であっても寝起きの怠さは存在し、フィリアは力の入らない声で返答してから、目の前にあった炎に視線をやった。キャスが着けた炎である。

 真偽のほどは甚だ怪しいが、彼には魔法とは異なる力が備わっているそうだ。実際、目の前で再現すると言われた時には、薪が独りでに集まりだして、そこにいきなり炎が熾っていた。その間、誰かが魔法を使っていた様子もなかったので、一応真実と考えた方が良いのかもしれないが、胡散臭いことこの上ない。そんなものが本当に存在し得るのだろうか。

 ミセリアがやたらと面白がって喜んでいたのが、印象に残っている。

「それは…………、どうしてか、聞いても大丈夫ですか?」

 引き締まらない頭で火のはぜる音に耳を傾けていると、躊躇いがちな声音で問いかけられた。

 問いかけを受けたフィリアは、その答えを自身の中で探す。「いつからか」と聞かれたのであれば、恐らく旅を始めたあたりから。だが、「どうしてか」と問われると、答えはとても不明瞭だ。思い浮かぶところとしては、やはりミセリア絡み。しかしながら、一つの言葉にはっきりと纏められるほどには、その正体を自覚しきれていない。

 答えられず、答える気にもなれず。

「知ってるんですよね、ミセリアのこと」

「………………はい」

「死んじゃったあの娘を生き返らせたころからだったかな。一人で、あの娘を連れて旅に出て、冒険者なんて慣れないことをしながら暮らして…………。不安とか、心配とか、色んなことを頭に抱えてくうちに、気付いたら、こんなふうになってた」

 結局、漠然とした内容の回答になってしまった。言い終えてから、己の中にあるものを手探りで言葉にしていくことに集中しているうちに、口調が砕けたものに変わっていたことに気付く。だが、年下の女の子相手ならばこれでも良いかと、意図してこのまま喋ることに決めた。

「ねえ、あの娘を見て、どんなふうに思った?」

 ミセリアのことを口にした勢いで、ずっと気にかかっていたことも尋ねてしまう。蘇った死者というものを、目の前の彼女はどのように受け止めただろうか。否、むしろ本当に知りたいのは、死んだ娘を呼び戻した自分自身が、果たしてどのように見えているものなのかだ。

 自ら尋ねたものの、答えを聞くのに、少し勇気がいる。

 それでもどうせならば真実の感想を知りたいと、フィリアは視線をステラの方に向けた。

「…………驚きました」

「それだけ?」

「はい」

「気持ち悪いとか、悍ましいとか、そんなふうには思わなかったの?」

「思いませんでしたよ?」

「もう、死んだはずの娘なのよ? それを無理に蘇らせて、何十年経っても、子供の姿のまま……。これから先もそうだし、私が死んだ後だって、あの娘はあの姿のまま」

 相手の答えも声音も、とても優しい調子のもの。それに対して自身が口にしているのは、ひょっとしたら、彼女の口から告げられるのではないかと、どこかで怯えていたものであろうか。

「……後悔してるんですか?」

「ううん」

 悔いるところがないことについては、即答できた。

「後悔はないの。ただ、不安。周りから見れば、さっき言ったようなことを思われても仕方のない状態だって、自覚はあるから」

 そこまで話してしまって、一息。

「彼女は、どうしてあんなふうに?」

 次に来た質問が、これだった。一番触れられたくなかった話題に、反射的に顔を膝に埋め、相手の視界から隠れてしまう。ミセリアの存在を否定しなかった彼女に対し、そこまで気にする必要はないというのが理屈なのだとは思うが、フィリアにとってそれは自身の愚かしさや弱さを象徴するような、秘匿したい事柄だった。

 瞼に力を籠め続けること暫く。その間、ステラは何も言わずに待っていた。急かす様子のない反面、引き下がらないというのは、それなりに答えを求められているということ。

 フィリアは少しだけ面を上げて、相手の顔を見る。

 最初に出会った際にも思った記憶があるが、見ていて非常に優しげな印象を与える女性だ。同じハーフエルフであっても、やつれて暗い印象しか与えない容貌に至った自分とは、随分な違い。比べて劣等感を覚えそうになる反面、見つめて安心感も覚える。

 ミセリアを蘇らせるまでの物語を、試しに話してみようか。ついでに、彼女自身のことも聞いてみたい。思考はそんなところに行きつく。

「ねえ、あなたの暮らしてた里って、どんな所だった?」

「エルフにとっては、悪くない場所だったと思います」

 若干遠回しな表現であるが、つまりエルフならざるものにとっては良くないということだ。そのあたりは、自分と同じか。

「わたしにとっては………………。父は早くに亡くなってしまって、一人で育ててくれた母には悪いですけど、良い思い出がありません」

 ハーフエルフにとってのエルフの里というのは、そのようなものだろう。

「そういうものよね……」

 思わずため息が出た。

「私の所はね、父がエルフで、母が人間だった。どうしてあの二人が一緒になって、里で暮らしてたのかは知らないけど。あなたと同じで、周りからはあまり良く思われてなかったわ。それに……父も、あまり良い人じゃなかった」

 気位が高く、短気で暴力的。家の中で唯一のエルフである父がその調子であったため、混血の自身のみならず、一家そろって里の中では孤立気味であった。

「父がそんなだったから、母は私だけでも遠ざけようと思ったのでしょうね。結構、早い時期から結婚を薦められて…………。断りきれずに、結局、殆ど言われるままに結婚しちゃったわ」

 結婚の決まった当時は、碌に知らない相手と結婚することへの不安や抵抗感もあったが、どこか「これで解放される」という気持ちだった記憶がる。もっとも、結果的には更なる地獄の始まりに過ぎなかった。

「それで、母が薦めてきた人間の男の人と、里の外で暮らすようになったのだけど……」

 確か、里に嫁いでくる前の縁を頼ったと言っていたはずだ。

「結局、その人も父とそう変わらなくて。家にいた頃と同じで、毎日罵詈雑言浴びせられて、機嫌の悪い時には暴力もあったし、その上、父とは違って、私たちは夫婦だったから……」

 その時には夫婦だからと諦めていたが、時間が経つごとに、思い出すのが苦痛になってきている。父母の下でエルフに囲まれて暮らしていた時期も苦痛そのものだったが、最も思い出したくないのはミセリアが生まれる前の、夫婦二人きりで過ごした数年間だ。

「今になって考えれば馬鹿な話だけど、そんな状態でも、当時の私には、自力で何とかする勇気なんてなかった。だから、じっと我慢して夫婦生活を送っていったわ。そのうち、ミセリアが生まれてね」

 己の人生が僅かにでも上向いた瞬間があったとするならば、間違いなくミセリアを身ごもった、この時である。

「あの人があの娘を可愛がったのは、やっぱり初めのうちだけで、直ぐに邪険にするようになって。大変だったな…………。それでも頑張って子育てしてたら、意外と元気な娘に育ってね。私には結構懐いてくれてたし」

 自分に似ず明るい娘だったし、今となっては小生意気な面が強いお転婆だが、昔はもっと素直でもあった。もっとも、別段、元気な分には構わない。

「だからこそ、あの日、事故であの娘が死んだ時には、心臓が止まる思いだった」

 ある日の、急な出来事だった。事故など、そのようなものだろうが、それでも普段通りの日常の中で、不意にその報せがやってきた瞬間のことはよく覚えている。

「本当に、どこにでもあるような詰まらない事故よ。他の子供たちと遊んでる最中に、崩れてきた資材の下敷きになって、あの娘は死んだ」

 娘の死体を目にするなど、今でも耐えがたい経験だ。

「普通ならそのまま悲しんで、それで終わるのでしょうけど…………、私には、あの娘を呼び戻す力があった。だから………………………………。ねえ、もしあなたが私の立場だったら、どうしたと思う?」

「……分かりません」

 答えと共に目が逸らされ、それが彼女の本音を現してように思えた。深く考えずに聞いてしまったが、気を使わせてしまったらしい。

「気を使わなくてもいいのに。きっと、普通は死者を蘇らせたりなんてしないんでしょうね」

「そうでしょうか? 目の前にその手段があったら、そうする人もいると思います」

 どちらであろうか。フィリア自身はもう一度会いたいという一念だけで、他には何も考える余裕などなかった。ただ、その結果として陥っていた境遇を思い返せば、普通に暮らしている人たちは、自身のような決断には至らないのではと思える。

 口元に、卑屈なものが現れていると自覚できた。

「………………まあ、私にしかできないことだし、考えても仕方ないわね。とにかく、私はあの娘を失いたくなくて、周囲の人たちから隠れてあの娘を呼び戻したの。そのことを他人に知られる訳にいかなかったから、直ぐにあの娘を連れて旅に出て」

 殆ど着の身着のまま、確か、家の中にあった金と、金になりそうなものをありったけ持ち出したはずだ。旦那はさぞかし怒ったのだと予想がつく。彼の人の怒りなどお構いなしに行動したのは、あれが最初で最後だった。それだけ必死だったのである。

「それからは、特に目的もなく旅を続けて、今に至るわ。戦闘の経験なんて碌にないまま、いきなり子供連れでの放浪生活は大変だったけど」

 半分はエルフの血が流れていたからか、魔法の才能には恵まれていたのだ。それこそ、ただの主婦として暮らしていた身であっても、いきなり死んだミセリアを呼び戻せるくらいに。その才能に頼ることで、これまで生き繋いでこれたのである。

 心身ともに幼い娘との二人旅はかつてない程に心細かったが、この時期からの記憶は、最早思い返しても嫌な気持ちになることはない。

 ステラからの質問に始まり、全て話し終えてみると、それを大人しく聞いてくれていた彼女は、今になっても殊更こちらに否定的な表情はしていなかった。ミセリアを蘇らせるまでのことを他人に話したのは初めてのことであるが、本来ならば当然否定されるものと思っていたそれらを、彼女は否定することなく聞き届けてくれたのである。それがとてもありがたく思えた。

「ねえ、今度はあなたのことを聞いてもいいかしら」

 自身のことを話しきれて、フィリアはステラのことを尋ねてみる。

「わたしの、ですか?」

「ええ、私たちの身の上ばかり話すのもなんでしょ? 同じような生まれなんだし、私もあなたがどういうふうにして、今に至るのか、聞いてみたいの」

 自分は追い詰められることで漸く、己を取り巻いていた環境から飛び出すことができたのであるが、彼女はどのようにしてその故郷を飛び出すことを決心したのだろうか。

「そんなに特別なことはありませんよ?」

「構わないわよ。ただ、私以外のハーフエルフが、どういう生き方を選んだのかな、って興味があるだけだから」

 抱えている膝の上に顎を乗せ、のんびりと話を聞く姿勢を取った。

「わたしは……先ほど言ったように、人間だった父はわたしが小さい頃に亡くなって、わたし自身は年老いた父と、エルフである母との間に生まれました」

 老人の子。エルフたちは人間の見せる外見的にあからさまな老いを嫌悪する傾向にあるが、その老いの最たる存在が同属との間に作った子供ともなれば、彼らの神経に触ったことだろう。

「里で過ごしている間、周りからは老人との間に生まれた子として、からかわれたり、蔑まれたり。それに、わたしはフィリアさんと違って他のエルフに比べて容姿でも大きく劣っていましたから、そのことでも」

「それは……」

 容姿。そういった部分もあり得たのだ。失礼ながら、ステラのそれは美しさの面において言えば、確かにエルフたちからは劣っていた。自身の場合は逆に整いすぎていて、生意気だと攻撃の的にされてしまったが。

「母はわたしを庇ってくれていましたけど、結局は、これからもこんな暮らしが続くのかと思うと、耐えられなくなって………………。今から大体三月ほど前に、黙って里を飛び出してしまったんです。それから少しの間、一人きりで、どこに行っていいのかも分からずに、彷徨いました。その後、ある人たちに出会って、仲間に入れてもらえたのですが……」

 ステラが言い淀む。表情も、決して優れたものではない。そして、台詞の中にあった「ある人たち」という言葉。

「それは、今一緒にいる彼とは別な人?」

「はい。………………その人たちとは、袂を分かってしまって。一人になったわたしに彼が声をかけてくれて、今みたいに二人で旅するようになりました」

「そう」

 かなり穏やかな人柄を有しているように思えるが、それでも最初の仲間とは上手くいかなかったという。

「まだ、里を出てからそんなに経ってないのね。どうかしら、外の世界は」

「最近になってから、色んな事が楽しく感じられるようになりました。最初こそ悩むことも多かったですけど、今は、里を出てきてよかったと思ってます」

 同じハーフエルフといえど、それは自分と大きく異なることだ。自ら一人で広い世界に飛びだす決断を下し、そして新たに出会った世界を楽しんでいる。追い詰められて漸く旅立ち、今尚只管うろうろと彷徨うだけの自身と比べてしまうと、その差に思わず笑ってしまいそうになった。

「凄いのね」

 自分よりずっと、逞しいではないか。遥かに年下の少女を、フィリアは素直にほめたたえる。

「そうでしょうか。わたし自身は、助けられてばかりですよ?」

「それでも、あなたは自分から、行動できたんじゃない……」

 もし、自分が結婚を迫られたあの時、もしくはそれよりもずっと前に彼女のような決断が出来ていたのならば、どのような未来が待っていたのか。そんなことを、無意味にも考えた。

 こちらが卑屈とも取れる発言をしてしまったせいか、それから場が静まり返ってしまう。

「え?」

 前触れもなく、ステラが驚いた声を上げた。

「どうかしたかしら?」

「いえ……」

 彼女は立ち上がって歩きだし、こちらの隣で寝ているミセリアの下で立ち止まる。そして、フィリアもその頃には違和感に気付いていた。娘が、普段と違う服にすっぽりと包まって寝ているのだ。

 ステラが静かにその布を持ち上げると、そこにはミセリアの荷物と、追加で謎の荷物。

 まるで気付かないうちに、隣から娘が消えている。ここ最近は良く続いていた出来事だが、今この時にまで姿を消したことに、フィリアは心底驚いていた。

「……キャスさんの後について行ったのかもしれません」

 次いでステラから、何かが告げられる。「ついて行った」とは、どういうことか。同時に目の前の謎の荷物が、彼の所持していた物であることを認識した。

 自分が先ほど眠りに就いた時、あの男はどこで寝ていたのだったか。フィリアは記憶を手繰っていき、ステラの隣、自身と炎を挟んだ反対側であったと思い出す。つまり、目覚めてから彼のいなくなった空間がしっかりと視界に入っていたというのに、自分は全く気が付いていなかったのだ。原因は多分、荷物を含めて、そこにいた痕跡が根こそぎなくなっていたからだと思いたい。後は、寝起きでうっかりしていたのだ。

 寝ている間にこの場の半数が消えていたというのには、流石に驚いたどころの話ではないが。

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