第十九話 決別
「仕方ありません、わたしたちだけで向かいましょう。キャスさんと合流してれば、きちんと戻って来れるはずですから」
「ええ、そうね」
「大丈夫ですよ。子供でもないんですし」
「子供…………。それもそうね。あんな姿だからか、どうしても、子ども扱いしてしまって」
ミセリアが姿を消していたことに気付いた二人は夜が明けてからもしばらくその場で待ってみたのだが、彼女は戻ってこなかった。そのような訳で、こんなやり取りを以って残る二人だけで目的地へと出発したのである。
因みに、フィリアには「大丈夫」と告げたものの、実際にキャスの後をつけていったのであれば即ちドラゴンと遭遇するということであり、その安否は相当に危ぶまれるが、ここで彼女にそれを教えたところで不安を煽るだけだ。ミセリアのことは信頼できる仲間に任せて、自身はこちらに集中する。
ステラとフィリアはあの二人が残していった荷物まで携えていた。もっとも、彼ら、特にキャスは荷物が極めて少ない部類であるため、負担にもならない。
「そろそろでしょうか?」
ステラが尋ねた。現在二人が歩いているのは未だに街道であるため、目的の獲物たちと出会うためにはどこかで道を離れる必要がある。そのあたりの判断は、冒険者としては熟練なフィリアに委ねるつもりだ。
「聞いた限りだと、この辺りで森の方に移動しておいた方が良いかもしれないわね。これ以上街道に沿って進むと、ドラゴンの縄張りに入りかねないでしょうし」
「……そうですね」
そのドラゴンの方に向かった二人は、今頃どうしているだろうか。ミセリアがどのような意図を以ってあちらに同行したのかは不明であるが、先ずは無事であることを祈るばかり。
「そういえば、この仕事を選んだ時にも平然としてたけど、あなた、流石に度胸があるのね」
街道から外れた方向へと進み始めると、フィリアがそんなことを言い出した。ステラは相手の言わんとすることが掴めずに首を捻る。
「どういうことですか?」
「ほら、普通なら、ドラゴンのいる所の近くなんて、近づきたがらないじゃない」
「度胸のあるつもりはありませんけど…………、あまり意識してませんでした」
ステラとしては自身が度胸のある方だとは思ったこともないのだが、フィリアからするとそんなふうに映るらしい。普通であれば、怖気づいて避けるようなことなのだろうか。これまで交流を持った冒険者はキャスを含めた、あの人狼の一件における二組くらいであるが、彼らを思い返すと、このくらいで怖気づきそうな印象はなかった。
「でも、そもそもが命懸けの職業なんですし」
「限度があるでしょう?」
「それもそうですね」
何か、ミセリアにも同様の台詞を言われたような記憶がある。確か、最初にドラゴンに関する張り紙を目にした時だったはずだ。或いは、己の結界魔法にそれなりの自信がある分だけ、感じ方の基準が他人とは大きく異なっているのかもしれない。
「フィリアさんは、冒険者になったばかりのころとか、どうだったんですか? 今は平気なんですよね?」
今、こうしてこの場に出向いているということは普通より危険に耐性があるということなのだろう。そんな彼女の、駆け出しのころが気にかかった。
「私だって、普段なら態々必要以上に危険な依頼なんて受けないわよ。ただ、今回は…………何となく、いつもと違うことをしてみる気になったから。それに、戦力にも余裕があるはずだったし」
「すみません。どうにも、自由な人で……」
フィリアの言葉を受けて、苦笑顔になってしまう。
「いいのよ、うちの娘もついて行っちゃったんだし。本当、いつまで経っても落ち着きがなくて」
互いに、連れの自由行動を謝り合った。
それから、一拍の間。
「最初のころは……特に危険そうなものは避けていたわね。あの頃だと、ミセリアもまだ本当に子供だったから」
「依頼を受けている間は、どうしていたんですか?」
「…………どうしようもなかったから、あの娘も一緒に連れていっていたわ。おかしな話だけど、昔の方が大人しくて落ち着きがあってね。私の戦い方も、あの娘を守りながら依頼をこなしていくのに相性が良かったの」
「どういった戦い方だったのか、聞いても?」
聞いていた限りでは、彼女は一介の母親から急に冒険者となったはずで、それがどのようにしていきなり子供を守りながら依頼をこなせたのか、興味が湧く。
「あなたも知ってるのでしょ、私の魔法」
「……ええ」
ミセリアをこの世に呼び戻した魔法のことだ。
「……あの娘くらいに起こしてしまうと、私が無理矢理言うことを聞かせたりは出来ないのだけれど、普通なら、好きなように死体を操れるの。だから、多少の魔物を狩る程度の仕事であれば何とでもなったわ。魔物でも獣でも、最初に数体倒すことが出来ればそこから幾らでも戦力を増やせるのだから」
さらに言えば、恐らくその「戦力」たちはミセリアが剣で胸を貫かれても平気だったように、不死性を持っているのだと予測できる。不死身の軍団を用い、数の力で攻めるようだ。
「でも、最初に一、二体倒すだけでも大変だったんじゃ」
「一応、魔法は得意だったし、手元に魔道具があったから、それで何とかなったわ。素人がいきなり命懸けの仕事に手探りで挑むのだから、確かに大変だったけど」
そのあたりは、エルフの血を半分であれど受け継いでいる者としての恩恵か。ステラ自身も結界の魔法には故郷にいた頃から大いに助けられてきたし、これがあるからこそ、戦いを生活の糧とする暮らしに踏み切ることができたと言って良いだろう。
「そのうちにミセリアが手伝うって言い出してね。私は反対したのだけど……。あんな身体になっても、見た目以外の部分は成長するみたいで。いつのまにか自分の魔法を使えるようになってて、私の持ってる魔道具なんかも使えるようになってたわ。それに接近戦の才能が多少あったみたいで、あの娘、結構強いのよ。…………………………いえ、親の欲目かしらね? 皆、平均的にどの程度使えるものなのかは、実はよく知らなくて。それに、武器を持って直接戦うのは、私自身は凄く苦手で」
「一度戦っているのを見ましたけど、強いと思いますよ。わたしが一人で苦戦していた時に、助けてもらいました」
「そう…………。ねえ、あなたの方はどうなの? 冒険者になってからは日が浅いにしても、その前の戦いの経験とか」
街道を外れた方角へ、時折草木をかき分けながら二人は進んでいた。そこまで木々が密集しているわけではないが、周囲の見渡しはあまり良くない。
「わたしは……お恥ずかしいですが、戦いはあまり得意ではないみたいで。里を出てから何度か戦う機会はあったのですけど、助けられてばかりです」
記憶を振り返ると、明確に己の手だけで掴んだ勝利というのはかなり少なかった。守りにばかり偏重せず、もう少し攻め手があれば、多少は役に立てるだろうか。
「そうなの? ミセリアから、守りは凄そうだったって聞いてるわよ」
「守りだけなら自信はあるのですけど、攻撃が……」
今の所、ステラの攻撃手段といえば、故郷から持ち出してきた何の変哲もない弓と短剣くらいである。それらの扱いも、人並み以上に優れたものではなかった。
「…………気を悪くさせたら悪いのだけど、今回の依頼、大丈夫なの?」
自身の力のほどを打ち明けていると、多少聞きづらそうに、フィリアから尋ねられる。どうやら、現在臨んでいる依頼においても、こちらの力が及ばないのではと危惧させてしまったらしい。
「いえ、今回のような相手なら問題ありません。別に、怖いのは数だけなんですよね?」
これから相手にする予定の魔物についてはある程度聞いているが、動きが一際速いわけでもなければ、身体が図抜けて頑丈という訳でもないことは確認してある。流石にそこらの魔物程度にこちらの結界は破れないので、その内側から相手を一方的に仕留めていくのも難しくないはずだ。敵は集団で行動し、そこから更に鳴き声で増援を呼ぶこともあるそうだが、それで個々の動きが変わるわけでもなければ力が増すわけでもない。通常であれば脅威であるはずの数の力は、ステラにしてみれば比較的相性の良い性質と言えた。
「ええ。囲まれないように、気をつけなくちゃね。先にこちらが見つけられれば、言うことなしなのだけれど」
不意を打てれば、確かに増援などは容易く防げそうである。
それから暫く、会話しながら二人は木々の間を進んで行った。話し声の他は自分たちの草をかき分けて進む足音くらい。
相変わらず、周囲は疎らな木々と背の高い草で覆われていた。時折、何本かの木がまとめて折られているのは、魔物の仕業だろうか。
「そろそろ、でしょうか?」
大分進んだのであるし、いい加減、目的の魔物が姿を見せても良いはずではないだろうか。そう思って、隣を進むフィリアへと尋ねる。
見ると、相手も眉を寄せて不審そうな表情だ。
「そうね。ギルド側の話だと、ドラゴンが町を奪ってからここ一月以上は誰もこの場所に向かってないそうだから、むしろ敵も早めに出てくるかと思ったのだけれど」
彼女は立ち止まり、周囲にある折れた木の一本に目を向ける。
「ここに来るまで、他の動物の姿だって碌に見かけられなかったし…………。もしかしたら、ドラゴンが現れた影響というのは、私たちが考えているより大きかったのかもしれないわね」
「縄張りから離れた場所でも、他の生き物が逃げ出したりするものなのですか?」
「分からないわ。ドラゴンが縄張りを移してくることなんて、滅多にあることでもないのだし」
立ち止まったまま、二人して考えこんでいた。下手をすれば、ここから先に進んでみたところで、目当ての魔物には出会えないかもしれない。それどころか、本当に魔物たちが居を移したというのであれば、進み続けた先で標的を狩ったところで、人里に迫るほどに増えないための間引きという今回の依頼の意義は既に存在しないということになってしまう。それが報酬に差障るわけではないが、自分の仕事が意味のないものだったとなれば、それは虚しい。
「どうしましょう?」
半ば進み続けるほかないことを承知しつつも、確認の意味を込めてステラは告げた。
幸いというべきか、その言葉尻にかぶさるようにして、遠くで声が鳴り渡る。狼の遠吠えのようであり、尚且つ遥かに甲高い鳴き声。魔物の鳴き声だ。
ステラは瞬時に己とフィリアを覆う結界を生じさせ、それから視線を行き来させて周囲を窺った。
「先にこちらが見つかったみたいね。それで、これはあなたの魔法?」
「はい。こちらから攻撃を飛ばす分には障害になりませんから、安心してください」
周囲を観察してみるが、魔物の姿は見つからない。
「…………それは便利ね」
「ところで、姿が見えませんけど、どうしたんでしょうか」
「仲間が集まるのをどこかで待っているのよ、多分。ドラゴンが来て他の動物たちがいなくなったというのなら、私たちは久しぶりの獲物に見えているのでしょうね。相当気が立っているはずだから気を付けて、という所なのでしょうけど、これなら心配は要らないかしら」
そう言いながら、フィリアはしげしげと指先だけを結界の外に出したり戻したりしていた。
「不思議な感じね、魔物に対して一方的に攻撃できるなんて」
「ええ」
口にこそ出さないが、結界の魔法は、ちょっとした自慢だ。
「あっ、来ましたね」
そうこうしている間に、魔物の方も姿を現した。深緑色の鱗をした連中が、二本の足で勢いよく駆けてくるのが目に入る。それも一つの方向からだけでなく、複数の方向から。どうやら既に囲まれているようだ。
「念のために聞くけど、これ、壊されたりしないわよね?」
敵の頭の位置は大体自分たちと同じか、少し高いくらい。体格で言えば遥かに大柄。そのような相手にいきなり包囲されると中々に威圧感がある。
「絶対に大丈夫です」
答えながら、ステラは弓を構えた。それから、相手が十分に接近しきるのを黙って待ち受ける。
ずっしりとした体重が生みだす足音が大きくなり、前足の爪の鋭さや、咢から覗く牙の姿が近づくにつれ鮮明に。最も早くに自分たちの下に到達しようとしていた一体へと、その喉元目がけてステラは第一矢を放つ。
喉に矢が刺さり、敵が怯む。高い位置にあった頭が下がり、脳天が狙い易い位置まで下りてきたところでもう一射。頭部に命中して、一体目の魔物が絶命した。
「あら、普通に凄いじゃない」
隣から感心したような声がかけられて、それと同時に視界の端に魔法が飛んでいくのが映る。別な魔物の頭部に突き刺さったそれをよく見ると、どうやら氷でできた矢であるらしかった。
「ありがとうございます」
一応、フィリアに向けて礼を返す。セイレーンにはまるで当たる気配のなかった攻撃だが、ただの魔物程度であればこの程度は容易かった。
手を休めることはせず、ステラも次の矢を構えて更なる獲物に狙いをつける。喉を狙って怯ませてからの頭部。同じ要領で、もう一体仕留めた。
片手間に隣の様子を窺っていると、フィリアは手に携えている杖を使って氷の矢を生み出しているようで、それは手元である程度の大きさに成長するなり、勢いよく敵の頭部に向かっていく。威力や速度のある分、こちらのように一旦怯ませて頭を狙いやすくする必要はないようで、一撃で頭部を砕いて絶命させていた。
これで自分たちが仕留めた敵の数は四体。見た限り、残るは十体ほどといったところ。
それらも同じような要領で、二人がかりで仕留めていった。二体ほどは仕留めるより先に結界まで辿り着かれてしまったが、当然、それで守りが破られる訳もなく、彼らは結界の手前で屍となっている。
「何だか、嫌にあっけなく終わりましたね」
それが、冒険者としての初仕事を終えてみてのステラの感想だった。
「あなたの結界のおかげで、普段より楽に終わったわ。ありがとう」
「いえ」
答えつつ、魔法を解除する。
周囲を見回し、改めて頭数を数えてみると、十三体。これだけあれば、依頼の達成には十分だった。
一仕事が終わり、集中を解いて、ステラは息を大きく吐き出す。
草木に満ちた空間に魔物たちの亡骸が転がる中、フィリアと二人きり。冒険者としての仕事という意味での目的は達成したが、果たして、本来の目的にはどれだけ意味を成しただろう。
全てが終わって、そんなことが頭を過ぎった。
自分なりに正面からフィリアに接してみたが、果たして、矛を収めてもらえるだけの信用を勝ち取れただろうか。まるっきり、分からない。
フィリアの方を見れば、俯き、仕留めた魔物の死体を見下ろしていた。
「他人と一緒に仕事をするなんて初めてだったけれど、案外、悪くないものなのね」
魔物たちの襲来が過ぎ去り、静けさの戻った空間。唐突に、静かな調子で、そんな言葉がかけられる。それを口にした相手の表情はここからでは窺えない。こちらに向けられているのは彼女の背中だ。
「そう思っていただけたのでしたら、幸いです」
台詞に反して不穏な空気を感じながら、ステラは答える。言葉面だけであればミセリアの願いの達成まではあと一歩のはずなのだが、どうしてか不安だった。
微動だにしないフィリアの背を窺いながら、時間が過ぎていく。
「あの、フィリアさん?」
一向にこちらを向かない彼女へ、ステラは声をかけた。
フィリアがゆっくりと振り返る。そこにあったのは儚げでありながら、卑屈な笑み。如何にも、疲れ切った女の笑みだった。
「何かしら?」
「いえ、何でも……………………………………、フィリアさん、もし良ければ、これからも、わたしたちと一緒に行動してみませんか? ミセリアも、それを望んでます」
切り出すならば、今だろうか。そんな気持ちで、この短い旅の本題をステラは切り出す。ミセリアの願いを除いても、今のフィリアの表情を見れば、放っておけない気持ちも生じている。一人きりで頑張り続けてきたという彼女の、疲弊の凝縮されたような笑顔を見てしまったから。
だが、芳しい返答は得られない。フィリアは目の前で、静かに、自嘲げな笑みで首を振っていた。
「ありがとう。でも、ごめんなさい」
彼女の手が、転がる死体に向けてかざされる。
死体が動き出した。最初はフィリアが直接に手を向けた一体から。それから次々に、周囲の死体まで。突き刺さっていたはずの氷の矢はいつの間にか消え失せ、動き出す最中に激しく損傷していた頭部が回復していく。
つまり、失敗。自分は受け入れられず、相手は当初の予定通りに、こちらを殺すために動き始めているのだ。起き上がる魔物の死体を見ながら、ステラは理解した。
死体たちが大きく鳴き声を上げながら襲い掛かって来て、ステラは結界を張ってそれに対応する。




