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第十八話 真夜中の談話

 キャスが立ち去ってしまってから、ステラは一人で大人しく番をしていた。

 勢いの弱まってきた火に木の枝を何本か足して薪にしてやると、その向こう側で寝ていたフィリアが身動きする。先程交代し、その後キャスとの会話を挟んでいるが、それでも然して時間が経ったとは言い難い。目が覚めるにしても、少々早いような気がした。

「眠れませんか?」

 極々小さな声で、炎の向こうに声をかけてみる。

 フィリアがゆっくりと身を起こした。どうやら、本当に目が覚めていたらしい。

「おはようございます。まだ、先程交代してから殆ど時間が経っていませんけど」

「ええ……。どうしても、普段からよく眠れなくて」

 この台詞は、彼女の顔にある異様な隈を見れば納得できる。暗闇の中、焚火の明かりに照らされるその容姿は、ぞっとするような美しさだ。

 フィリアは脱いだ外套のかかった両膝を抱え、目の前の炎に視線を落としていた。

「それは…………、どうしてか、聞いても大丈夫ですか?」

 ステラは多少迷ったものの、思い切って彼女に対し、その理由を問うてみる。普段であれば尋ねなかったのかもしれないが、今回は、少しでも彼女のことを知るべく努力してみるべきだろう。それに、只管火を挟んで沈黙したままというのも、おかしな話だ。

 問いかけに対する答えは中々訪れなかったが、それでも辛抱強く待ってみると、フィリアからぽつぽつとした様子の声が発せられる。

「知ってるんですよね、ミセリアのこと」

「………………はい」

 お互いにここまで敢えて明確には触れてこなかった点を話題に出され、一時躊躇いを余儀なくされるが、ステラは粛々と頷いて答えた。

 火のはぜる音だけが聞こえてくる。

「死んじゃったあの娘を生き返らせたころからだったかな。一人で、あの娘を連れて旅に出て、冒険者なんて慣れないことをしながら暮らして…………。不安とか、心配とか、色んなことを頭に抱えてくうちに、気付いたら、こんなふうになってた」

 決してこちらを見ることなく、フィリアは炎だけを見つめていた。言葉使いの変化は意図してのものか。

「ねえ、あの娘を見て、どんなふうに思った?」

 相手の視線が上がる。

「…………驚きました」

 ミセリアの胸が剣に貫かれた時を思いだしながら、正直な感想を口にした。

「それだけ?」

「はい」

「気持ち悪いとか、悍ましいとか、そんなふうには思わなかったの?」

 窺うような眼差しだ。遥かに年下である自分に対し、恐れるような、怯えるような、卑屈なような、そんな眼差し。

「思いませんでしたよ?」

 そんなフィリアに向かって、ステラはあくまで他意のないことを示そうと、柔らかく、それでいて真直ぐに告げた。

「もう、死んだはずの娘なのよ? それを無理に蘇らせて、何十年経っても、子供の姿のまま……。これから先もそうだし、私が死んだ後だって、あの娘はあの姿のまま」

 視線を火に戻しながら、訥々と語られる。彼女の魔法の詳細な性質など知らないが、術者であるフィリアがいなくなったとしても、ミセリアにかけられた魔法は持続するようだ。或いは魔法が持続すると表現するより、魔法をかけた結果として現在のあの状態になっているだけで、別段魔法が作用し続けているということとは違うのかもしれない。

 子供の姿のまま生き続けることを当人はどのように感じているのだろう。フィリアの台詞を聞いて、そんな疑問が頭に浮かぶ。

「……後悔してるんですか?」

「ううん」

 ゆるゆると首が振られた。

「後悔はないの。ただ、不安。周りから見れば、さっき言ったようなことを思われても仕方のない状態だって、自覚はあるから」

 ステラ自身が抱くミセリアの現状への感想は、別段肯定的でも否定的でもないところにあった。それでも、フィリアの言う通りだとは分かる。一般的な感覚の人物からすれば、子供の身形のまま永久に動き続ける屍など、良い気持ちではないはずだ。

 先程の問い掛けは、彼女自身がそのように罵られるのを恐れるが故に生じたものだったのかもしれない。

「彼女は、どうしてあんなふうに?」

 聞くまでもない質問かもしれなかったし、聞いてはならない質問かもしれないと自覚しつつ、ステラは尋ねた。

 直後、フィリアが抱えていた膝に面を埋めてしまう。

 やはり、聞くべきではなかっただろうか。だが、容易に問いを引っ込めてしまっては何も知ることができない。

 彼女がその態勢を崩してくれるまで、ステラは待った。

 やがてフィリアの顔が僅かに持ち上げられ、辛うじてその表情が窺える角度に。

「ねえ、あなたの暮らしてた里って、どんな所だった?」

 返ってきたのはこちらに対する問い掛け。それを受けて、己の育った故郷のことを思い返す。あの場所を飛び出してからどのくらいだったか。色々あった気がしているが、振り返ってみると、期間自体は然程長くなかった。

 思い返されるのは酷く心地の悪い思い出ばかり。

「エルフにとっては、悪くない場所だったと思います」

 相手もハーフエルフだというのだから、この答えだけで、凡その感情は伝わるだろう。

「わたしにとっては………………。父は早くに亡くなってしまって、一人で育ててくれた母には悪いですけど、良い思い出がありません」

 どこかが締めつけられる感触を覚えながら、言いきった。

「そういうものよね……」

 フィリアも似たようなものらしく、小さな声で答えられる。

 その後、短いため息。

「私の所はね、父がエルフで、母が人間だった。どうしてあの二人が一緒になって、里で暮らしてたのかは知らないけど。あなたと同じで、周りからはあまり良く思われてなかったわ。それに……父も、あまり良い人じゃなかった」

 ステラの場合、母親との間にこれといって問題はなかったが、フィリアの場合はより一層、事情が複雑なようだ。

「父がそんなだったから、母は私だけでも遠ざけようと思ったのでしょうね。結構、早い時期から結婚を薦められて…………。断りきれずに、結局、殆ど言われるままに結婚しちゃったわ」

 口調からして、その結婚に対しても、良い印象はないのだろうか。

 フィリアの独白は続く。

「それで、母が薦めてきた人間の男の人と、里の外で暮らすようになったのだけど……」

 一旦、言葉が切られた。肩の動きから深呼吸したことが窺える。

「結局、その人も父とそう変わらなくて。家にいた頃と同じで、毎日罵詈雑言浴びせられて、機嫌の悪い時には暴力もあったし、その上、父とは違って、私たちは夫婦だったから……」

 膝を抱えるフィリアの手に、ぎゅっと力が入っていた。

「今になって考えれば馬鹿な話だけど、そんな状態でも、当時の私には、自力で何とかする勇気なんてなかった。だから、じっと我慢して夫婦生活を送っていったわ。そのうち、ミセリアが生まれてね」

 殆ど俯き加減だったフィリアの顔が、膝がしらの上に横向きで乗せられる。語調からも力が抜けていて、それ以前の記憶に対するものとは全く違う感情を抱いていることが見てとれた。単純に良い記憶という訳でないというのも同時に伝わってくる、力のない表情と声音であったが、きっと彼女の、純粋な苦痛のみであった人生が変わった瞬間だったのだろう。

「あの人があの娘を可愛がったのは、やっぱり初めのうちだけで、直ぐに邪険にするようになって。大変だったな…………。それでも頑張って子育てしてたら、意外と元気な娘に育ってね。私には結構懐いてくれてたし」

 ほんの少しだけ、口元に笑み。

「だからこそ、あの日、事故であの娘が死んだ時には、心臓が止まる思いだった」

 ここからが、先程投げかけた問いの答えのようだ。

「本当に、どこにでもあるような詰まらない事故よ。他の子供たちと遊んでる最中に、崩れてきた資材の下敷きになって、あの娘は死んだ」

 純粋に、不運な事故である。

「普通ならそのまま悲しんで、それで終わるのでしょうけど…………、私には、あの娘を呼び戻す力があった。だから………………………………。ねえ、もしあなたが私の立場だったら、どうしたと思う?」

 ここまで静かに語ってきたフィリアから、唐突に難題を出された。結婚をしたこともなければ、勿論子供を持った経験もないステラからすると、想像でしか答えようがない。

「……分かりません」

 実際、自分の子供が死んだとして、今のミセリアのような形で蘇らせることを選ぶだろうか。自身亡きあとになっても、子供の姿のまま、永遠に生きながらえさせることになると知りながら。

「気を使わなくてもいいのに。きっと、普通は死者を蘇らせたりなんてしないんでしょうね」

「そうでしょうか? 目の前にその手段があったら、そうする人もいると思います」

「………………まあ、私にしかできないことだし、考えても仕方ないわね。とにかく、私はあの娘を失いたくなくて、周囲の人たちから隠れてあの娘を呼び戻したの。そのことを他人に知られる訳にいかなかったから、直ぐにあの娘を連れて旅に出て」

 溜息が聞こえてくる。

「それからは、特に目的もなく旅を続けて、今に至るわ。戦闘の経験なんて碌にないまま、いきなり子供連れでの放浪生活は大変だったけど」

 フィリアの説明が終わった。

 ステラは何を告げるべきか悩む。同じハーフエルフとして共感できる部分もあるかと思っていたが、どうやら目の前の人物が辿ってきた道程というのは、自分が味わってきたもの以上に過酷であったらしい。

「ねえ、今度はあなたのことを聞いてもいいかしら」

「わたしの、ですか?」

 迷っている間に、顔を上げたフィリアから先に声がかけられる。

「ええ、私たちの身の上ばかり話すのもなんでしょ? 同じような生まれなんだし、私もあなたがどういうふうにして、今に至るのか、聞いてみたいの」

 何を語るべきであろう。彼女の生い立ちに比べれば、自身のそれには特筆するほどのことがないような気もしてくる。キャスのことまで独断で喋ってしまうのであれば別であるが、後は精々、フィリアが結婚を選んだのと異なって、ほぼ無計画に家を飛び出してきたことくらい。

「そんなに特別なことはありませんよ?」

「構わないわよ。ただ、私以外のハーフエルフが、どういう生き方を選んだのかな、って興味があるだけだから」

 自身のことを語りきったからか、膝の上に顎を乗せ、こちらを見つめられる。

 だが、答えようと頭の中を整理してみても、やはり大した話にはなりそうになかった。

「わたしは……先ほど言ったように、人間だった父はわたしが小さい頃に亡くなって、わたし自身は年老いた父と、エルフである母との間に生まれました」

 父親が亡くなったのは、自分が五歳くらいのことだったろうか。白髪頭に、しわの寄った顔を覚えている。人間の年寄ならば普通のことだが、エルフの集うあの場所では大層目立っていた。

「里で過ごしている間、周りからは老人との間に生まれた子として、からかわれたり、蔑まれたり。それに、わたしはフィリアさんと違って他のエルフに比べて容姿でも大きく劣っていましたから、そのことでも」

「それは……」

 思い出しても、気分の悪い日々である。むしろ、里を出て新たな世界での暮らし心地を知った今となっては、嫌な印象は増しているかもしれない。

「母はわたしを庇ってくれていましたけど、結局は、これからもこんな暮らしが続くのかと思うと、耐えられなくなって………………。今から大体三月ほど前に、黙って里を飛び出してしまったんです」

 母に話せば、恐らくは止められていただろう。その制止を振り切る自信がなかったからこそ、敢えて何も告げることなく行動に踏み切ったのだ。碌な知識や計画もなく、持てるだけの荷物を持ち、真っ暗な中で家の扉を潜ったあの夜を鮮明に覚えている。

「それから少しの間、一人きりで、どこに行っていいのかも分からずに、彷徨いました」

 僅か一月ほどの期間であったが、向かうべきところもなくいたずらに方々へ歩き回っていたあの時間は、本当に暗いものだ。

「その後、ある人たちに出会って、仲間に入れてもらえたのですが……」

 脳裏ではあの赤髪の大男が思い出される。初めて他人から仲間に誘われて、不安で一杯ながらも、思い切って頷いてみたのだったか。その決断が良かったのか悪かったのかは、振り返ってみても判別が難しい。

「それは、今一緒にいる彼とは別な人?」

「はい。………………その人たちとは、袂を分かってしまって。一人になったわたしに彼が声をかけてくれて、今みたいに二人で旅するようになりました」

「そう」

 人狼を巡る一件のことまでは、話すべきだろうか。ステラにとっても話しにくいところのある事柄であるし、キャスも、そのことは敢えて話していなかったので今触れるべきではないのかもしれない。必ずしもフィリアと今後の行動を共にすると決まったわけではないのだから、現段階で明かしてしまうには、些か以上に致命的な秘密である。下手をすれば、今度はこちらが彼女を生かして帰すわけにいかなくなってしまうのだから。

 一通り話し終わったが、果たして、フィリアにはどのように映ったのか。

「まだ、里を出てからそんなに経ってないのね。どうかしら、外の世界は」

「最近になってから、色んな事が楽しく感じられるようになりました。最初こそ悩むことも多かったですけど、今は、里を出てきてよかったと思ってます」

 答えると何故か長い沈黙が生まれて、そこから次にフィリアが口を開くまで、随分とかかった。

「凄いのね」

 炎に目線を落としながら、呟かれる。何を以ってそのように評されたのかは分からない。

 少し火が弱まっている気がして、小枝をそこにくべてやった。

「そうでしょうか。わたし自身は、助けられてばかりですよ?」

 故郷にいた時には母に、そして、かつての一行と袂を分かってからはキャスに。自分自身は周りに誰もいなければ、一人で途方に暮れるばかりの存在だ。

「それでも、あなたは自分から、行動できたんじゃない……」

 斜め下を見つめながら、どこか自嘲的な声音。その理由が何なのかは、先程語られた彼女の過去から想像出来る気がした。

 恐らく彼女は自身の生き方について、後悔を負っているのだ。

 そこまで話して、ステラはふと思い出し、ミセリアの方に視線をやった。それなりに話し込んでしまったが、そういえば、彼女の方は目を覚ましてしまったりしていないだろうか。

「え?」

 外套をかけて寝ているはずの彼女に目を向けると、違和感を覚える。その正体について思考を巡らせて、身にかけている布の色合いがいつの間にか入れ替わっていると気が付いた。隣にいるフィリアのそれと違う。

「どうかしたかしら?」

 ステラの挙げた声にフィリアが反応。

「いえ……」

 目を凝らして見ているうちに、その布がそもそも、外套でないことまで分かってくる。

 不審に思って立ち上がり、寝ている彼女の枕元に向かって確認すると、それは衣服だった。前にミセリアが町中で着ていた物と、それから何故か、キャスのと思しき一着。

 それらをそっとどかしたステラは目を瞠る。キャスの分とミセリアの分の荷物を詰め込んで膨らませてあったのだ。例の帽子も、一緒に置き去りにされてある。

 当然、隣にいたフィリアもそれに気が付いた。

 お互い全く気付かないうちに、彼女はこの場から姿を消していたようだ。

「……キャスさんの後について行ったのかもしれません」

 この状況であれば、その可能性が高いように思える。他に向かうところもないはずであるが、一体、あの少女はどういった考えでこの場から離れることにしたのか。

 隣では、フィリアが驚愕して固まっていた。

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