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第十二話 真相を知って

 荷物を下ろして腰かけると、やはりそのまま横になってしまいたい誘惑に襲われるのは否めないようだ。場所は宿の一室で、ベッドの上。一人ならあまり利用しない程度には上等な部屋だった。

「キャスさんは、夜までどうしてます?」

 彼女はこのまま休むのだろうが、自分まで寝てしまうのは危険である。寝過ごしてしまったら、取り返しがつかない。

 何とはなしに靴が脱がれて露わになる目の前の彼女の素足を眺めながら、夜まで何をしていようか考えた。

「寝過ごしたらいけないし、起きてるつもりだけど…………、うん、夕方までその辺を歩いてこようかな」

 確実に起きていることを優先するなら、動き続けておくのが良策と思える。疲れてはいるが腹も減っているので、食べ歩きでもしているのが無難かもしれない。疲労の主な部分は足腰というより頭なので苦痛にはならないはずだ。

「別に、お疲れでしたら、ここにいて下さっても気にしませんよ?」

 自分がいては気になるのではないかと思っていたが、ステラからこの場に残るという選択肢を与えられる。その場合、特にすることこそないものの一応は休めるし、隣の寝顔を好きなだけ眺めていられるという口外し難い特典も得られるだろう。捨てがたい誘惑だった。

「……それじゃあ、ここにいる」

 腰の剣を外し、靴も脱ぎ捨てて楽な格好に。ベッドの頭の方に背を預けて座り、全身から力を抜いた。

 隣を見れば、ステラは既に寝る体勢だ。

 話しかける訳にもいかないため、そのまま無言の時間が始まる。

 何の物音もしない、静まり返った部屋の中、彼は外から聞こえてくる喧騒に耳を傾けていた。

 二人して口も利かず、寛ぎきった状態で、静かな場所から表の慌ただしい様子を感じるというのも悪くない気分だ。とても居心地が良い。

「そういえば、ミセリアの事なのですけど」

 意識がぼんやりとし始めていた頃に、ステラの声が聞こえて覚醒する。

「ああ、ちょっと変わった雰囲気の母親だったね」

 答えてから鼻と口で大きく息を吸い込んで、努めて意識をはっきりさせようと試みた。

「あのまま帰してしまってよかったのでしょうか? 本当は、少し気になってるんです」

「しょうがないって。あの二人がどんな理由で旅してるのか知らないけど」

 ステラはあの親子に対し、気になることがあるようだ。少しばかり頭を働かせて、思い出せたのは彼女が自分から親元を脱走していたのだということと、去り際にあまり元気がなかった気がしたこと、それから、気にかける程の事ではないと判断していた、母親の慌ただしい立ち去り方。

「………………それなのですけど、わたし、あの娘に教えてもらったんです」

「え?」

「ごめんなさい。自分が別れるまで、キャスさんには秘密にしておいて欲しいって頼まれてしまって。多分、何も知らないままで接してもらいたかったんだと思います」

 ステラにだけ、ミセリアはその理由とやらを話していたらしい。態々知られないようにしていたという辺り、あまり面白い内容ではなさそうである。

「……ってことは、今なら教えてくれるんだよね?」

「はい」

「よかった、仲間外れのままにされなくて」

 果たしてどのような真相が待っているのか、興味深い。

「それで、どんな秘密?」

 そして、予想の仕様もない答えが告げられる。

「彼女自身は二十年以上前に死んでいて、お母さんの魔法で蘇らされたそうです」

 蘇った死人。そんなことを聞かされた彼は、酷く反応に困ってしまった。ミセリアやステラの嘘や冗談とも思いたくないが、それでも現実には想像し難い話であり、隣から見えない方の片眉が釣り上がってしまう。

「…………普通の子供とは思ってなかったけど、死者蘇生? 個人が生まれ持った魔法だっていうなら有り得ない話じゃないけど……」

 加えてその性質如何によっては、先頃気にかけていたセイレーンの魔法が効かなかったことの説明も可能なのかもしれない。あくまで確率としては存在し得るというのも、否定することのできない話だ。

「厳密には蘇生と違うらしくて、ほとんど生きた人と同じでも、外見的な成長だけは一切ないと言ってました。それと…………わたしがセイレーンに苦戦している時にあの娘が加勢してくれて、相手の剣が胸の真ん中に刺さってしまったのですが、痛み以外は平気そうにしていましたし」

「セイレーン?」

「その……後をつけられていたようで。ごめんなさい」

 ステラがミセリアの正体を知ったのは、それが切欠だろうか。意図的にこちらにだけ教えなかったのとはまた事情が違うようである。

「別に、僕だってつけられていたのは気が付かなかったし」

 記憶を振り返っても、あの見通しの良い浜辺をどのように付いてきていたのか、キャスにも疑問だ。これと言ってステラを責める要素などありはしない。

「そうではなくて」

 だが、彼女が引け目を感じているのはもっと別な部分に関してのようだ。

「わたしが一人で倒さなければならなかったのに、あの娘に、普通なら死んでいたはずの怪我をさせてしまったのが不甲斐ないなって……」

 セイレーンにミセリアの胸の中央を貫かれてしまったことが引っかかっているらしい。確かに彼女の言い分によれば、ある意味、戦いの中で味方を死なせてしまったようなものだ。

 ただし、キャスにとっては、あまり気にするほどの事とも思えなかった。

「……そんなに気にしなくても、割って入ったのだってミセリアの意思なんだし、向こうは三十そこらの大人なんだから。先輩が年下の後輩に良いところを見せようとして失敗した、みたいなものだよ、きっと。……とは言っても、やっぱり目の前で誰かがそんなことになったら、落ち込むか」

 先ほどの二十年という言葉から計算すれば、彼女の年齢はそのくらいのはずだ。流石に「良いところを見せようとして」というのは半ば冗談であるが、あの性格からすれば、有り得なくもなさそうなのが可笑しなところである。ステラが苦戦していたというのは多分、攻めの方面においてのみであろうから、案外当たっていそうな気がした。

「そう思うことにしてみます。ただ、本当にそんな年齢なんだっていう実感は、未だに無いんですよね」

「分かる。結局、振る舞い自体が子供っぽかったからね」

 あれ自体は演技でも何でもないことは、二人とも何故か確信できているようである。

「言いすぎですよ」

 三人で行動していた時を思い出しながら、そろって笑った。

「でも、そっか。何となく、二人の旅の理由が分かった気がする。母親にとっても娘にとっても、誰かに知られたら不都合な秘密だもんね」

 死者を呼び戻す魔法に、呼び戻された死人。人に話すには憚られる要素だ。穏当な反応ばかりが返ってくることはないだろう。脅威という意味で人狼ほどではないだろうが、それ以外の部分で、大きく周囲の感情を揺さぶる存在であろうから。

「ええ。どうしてあげることも出来ませんけど、あんな様子の彼女とあのまま別れてしまったのが、心残りです」

 成る程。今の話と併せて考えると、あの去り際の様子もまた、どこか違った見え方になってくる。推測ではあるが、いつかの友人を森の奥へと引き籠らせた苦痛を、あの親子も味わっている最中ということなのだ。

「仕方ないさ。そういうのは本人たちの気の持ちようだから」

「……それだけで済む問題でしょうか?」

 何気なく本音で答えると、思いの外、相手の声音に変化があった。非常に珍しいことであるが、省みれば、確かに多少素っ気ないような意見に聞こえなくもないなと気が付く。

「……済むんじゃないかな? ミセリアだって、母親から離れて僕らの下にいる間は楽しそうだったし。あとは母親次第だよ。僕だって人狼っていう秘密を抱えながらこれからも旅をし続ける訳だけど…………………………」

 友人や己の事情に照らして、あの親子のことを考えた。彼は市井が嫌になれば、あっさりと森林に囲まれた一人暮らしに切り替えてのんびりと暮らしていたのであるし、自分に関しては他の面々が抱えているような痛苦は、今の段階では全く感じていない。もっとも、それは単に、不死となって日が浅い故からかもしれないが。

「キャスさんは、そういうのに窮屈さを感じたりしないんですか? それと、不安とか」

 丁度、ステラからも同じようなことを尋ねられた。

「僕の場合は見つかっても逃げ切る自信があるし、気持ちの面では………………うん、その……おかげさまで、前よりも、ずっと楽しく過ごさせてもらってるかな……」

 先行きに対する不安の少なさは、多分、彼女が人狼であることを知って尚、一緒にいてくれるからなのかもしれない。

 視界の端で、ステラがもぞもぞと動いているのが分かった。

「確かに、気の持ちようなのかもしれませんね……」

「これからも、付いてきてくれるんだよね?」

「はい。一緒に、色んなところを旅してみたいです」

「……うん。故郷より東側は行ったことがないから、僕はそっちに行ってみたいな」

「わたしはどこも新鮮ですから、お任せします」

 本当に故郷に帰った時にどうするのか。その答えは未だ出しかねていながらの約束だったが、それでも実現すれば大層楽しいのだろうなと、そう思える。

「時間は沢山あるんだし、いつかは大陸中を回りきれたりして」

 幾らなんでもそこまでは望めないだろうと理解しつつも、そんな理想を口走った。

「できたら素敵ですよね」

 エルフであっても時間が足りないであろう夢に、同意が示される。

「本当に、出来たらいいなぁ」

 キャスの呟くような台詞を最後に、室内は再び静かになった。いつしか、隣から寝息が聞こえ始める。

 彼は暫くの間はそれに聞き耳を立てていたのだが、時間が経つにつれて空腹感が強まったので、表に出ようとベッドを下りて靴を履き直した。剣までは必要ないかと判断して、財布だけを携えて部屋の外へ。

 まずは何を食べようかと通りの店を物色しながら歩いている最中、ミセリアの母親らしき人影を見かけはしたのだが、用もない上にミセリアもいなかったので、知らぬふりして別な方向に進路を変え、塩味の濃い魚料理を皮切りにした食べ歩きに精を出すのだった。



「まだ寝てる、かな?」

 静かに部屋の扉を開けながら、外から帰ってきたキャスは小さな声で尋ねる。返事がないため、未だに寝ているようだ。

 中に入ると、寝息が聞こえてきた。

「ええと……」

 時刻は既に夕暮れ時なので、そろそろ起きてもらわなければならないだろう。そう考えて彼はベッドの中のステラの下へ、こそこそ近づいていく。途中、必要もないので靴を脱ぎ棄てておいた。

 枕元に立って見下ろせば、綺麗な寝顔。相変わらず、どんな時も淑やかだ。

 その肩に向けて、キャスは手を伸ばした。

「あ、おはよう」

 触れると同時に相手の目が開く。しかし、暫く経っても返事がなく、相手はゆっくりと外に向けて視線を動かすのみ。それからこちらをじっと見つめてきて、その状態が少しばかり続いた。特に寝起きが悪かった経験もない彼女の珍しい反応を受け、キャスは怪訝になる。

 一先ず肩に乗っていた手を引っ込めようとしたら、それも引き留められた。がっしりと細く暖かい手に掴まれて、心臓が一つ跳びはねる。

「大丈夫?」

 先ほどからの不可解な行動は、ひょっとしたら寝ぼけているからだろうか。普段とはまるで違う時間帯に寝ていたことが影響しているかもしれない。

「……はい」

「ならいいんだけど、その、そろそろ夜だよ?」

「ええ」

 碌な答えも返されず、手も掴まれたままだ。珍しいことに、本当に寝起きが悪いようである。

「ああ、ごめんなさい。大分、寝ぼけてしまっていたみたいです」

 その態勢で待ってみると、ステラはこちらの手を解放し、急にそう言って起き上がった。しかしながら、眼つきや表情を見る限り、本当にはっきり覚醒したのかは怪しい。

「いや、まだ少しは時間があるから平気だけど……。珍しいね?」

「変な夢を見てしまって」

「夢?」

「言いたくないです」

 どんな夢を見たのかと尋ねると、ぴしゃりと撥ね退けられる。強めの拒絶というのもまた珍しく、その分だけ彼も動揺した。

「ご、ごめん。不躾に聞いて」

「いえ」

 やはり、普段とは大きく様子が違う。今日は寝起きが悪いようだ。

「えと、では、明日の朝までキャスさんにはわたしの結界に閉じ込められてもらいますね」

「うん、悪いけど、頼むね」

「お安いご用ですよ………………あなたのためなら」

 ふと、語尾に聞こえた言葉にキャスは固まってしまった。てっきり機嫌が悪いのかとまで思っていたのだが、それならばこの台詞はどのように解釈すればいいのだろうか。今のステラの頭の中がどうなっているのか、本気で知りたいと思ってしまう。まるで酷く想われているかのようだなと頭の片隅で感じてしまったのは、流石に考え過ぎと切り捨てた。

「さあ、こちらに立ってください」

 あれこれと悩んでいる間に、ベッドから立ち上がった彼女から両肩に手をかけて移動を促される。押されるかのように歩いて行った先で一人立たされ、振り返ってステラと向き合った。

「それじゃあ、結界を張って、音と…………ついでに光も遮断しておきましょうか」

「あまり、見られたい姿でもないしね」

「わたしは嫌いでもないのですが……、では、明日の朝に」

 告げられるとともに相手の手が向けられて、周囲は黒い壁に包まれ出す。球体状の結界だ。一つの部屋の中、これでお互いに一人きりである。結界の向こうの彼女がどうしているのか、異能でも使えば別であるが、窺うことも出来ない。

 ぺたぺたと黒いそれの不思議な感触で時間を潰しながら、キャスは日が沈みきるのを待つ。

 人狼としての暴走が始まる直前まで、彼は先程のステラの言動について考えあぐねるのだった。それこそ、自我を失って一晩暴れまわることへの緊張など、そっちのけで。

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