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第十一話 満月に備えて

 あれがミセリアの母親か。それが、その姿を見つけた時のキャスの感想だった。既に着替えてしまっているが、以前のミセリアを彷彿とさせるような格好である。手に持っている杖はどう見ても魔道具だ。

「あれ……」

 視線を以って、二人にもその存在を教えてやる。

「どうなの?」

「お母さんだ……」

 予想通りではあったようだが、当のミセリアは一瞬しか母親の方を見ず、それきり動き出す様子がない。

「行かないの?」

「行くけど、…………何て言って戻ろうかなって」

 どうやら今更になって戻り辛さを感じているようで、黙って飛び出してきた家出娘然りとした反応だった。帽子の角度を利用し、相手側から顔を見られない状態を保っている。そんなことをしてみても、視線が逸れることなく注がれている以上、正体は半ば悟られているのだろうに。

 背中を押す意味と、それから悪戯半分で、キャスはその帽子を取り上げた。

「あっ、ちょっと!」

 顔を公にしてやれば、件の人物もいよいよ確信したらしく、こちらに歩み寄り出すのが見えた。ミセリアの方もそれに気付いているのか、慌てて帽子を奪還した上で、こちらの身体を間に挟む形で姿を隠そうとしている。どう考えても子供特有の無駄な足掻きで、可笑しさに小さく笑い声をあげてしまった。

「ミセリア」

 声音も、顔立ちも、酷く綺麗な女性だ。金の髪と瞳をしていて、少しやつれた面と、とても濃い隈が印象的。病んだ美しさ、とでも評するべきであろうか。

「ひ、久しぶり」

 こちらの背後から身を出して、その娘が挨拶する。

「…………この方たちは?」

 数日振りの再会のはずだが、子供が戻ってきた安堵よりも怒りが先に立っているのか、その声音は幾分か冷たい気がした。

「えと、前の町にいたときに知り合って、ここまで一緒に連れてきてもらったの」

「それだけ?」

 随分と刺々しい問い返し方である。

「………………うん」

「それならいいの………………あの、娘がお世話になったみたいで」

 ミセリアからの返答を聞き届け、自身とステラに向き直った時にはその冷たさはなくなっていた。

「いえ、わたしたちも元からここへ来るつもりだったので」

 対応はステラが率先して引き受けてくれる。

「そうですか。それで、お礼というか、お金の話なのですが……」

「………………うん、丁度纏まったお金が入ったばかりだし、僕は別に受け取らなくても構わないけど」

 金の話を振られると、彼女の視線がこちらを向いて、キャスは少し考えてからそのように答えた。短い期間ながらも楽しく過ごせたと思っているし、最後に金を受け取って終わりにするよりも、このまま別れた方が良いだろう。多分、ステラも同意してくれるはずだ。

「わたしも、一緒に行動してて楽しかったですし、別にお礼は構いませんよ」

「ですが…………、すみません、お言葉に甘えさせていただきます。本当に有難うございました。それでは、失礼します」

 期待した通りの言葉が彼女から告げられて、ミセリアの母もそのまま引き下がってくれた。ただし、そこに付け加えられていた別れの台詞には、流石にあっさりとし過ぎた印象は否めない。少しばかりの寂しさを感じてしまう。

「……じゃあね、二人とも」

 背中に手を添えられ促されたミセリアも、普段より精彩を欠いた声音だ。

「う、うん、またどこかで」

「元気でね」

 二人してそれに答えると、本当にそのまま親子は立ち去ってしまった。

 極短時間ではあるが、角を曲がって見えなくなるまで、ステラと共に黙ってその後ろ姿を見送る。

 呆気ないようだが、迷子を親元に送り届けただけの事と考えれば、こんなものなのかもしれない。

「何か、急だったね」

 これから母親探しだと決め込んでみれば、その場で目的が達成されてしまった。

「仕方ありませんよ。きっと、物凄く心配していたのでしょうし、早く二人になって安心したかったのでしょう」

 別な町で逸れてしまったことも合わせて考えれば、ステラの言う通りなのかもしれない。

「さて、どうしようか」

 するべきことが、これと言ってなくなってしまっている。反面、したいこととしては、休息であろうか。疲れているし、眠りたいのだ。しかしながら今寝てしまうと、今度はおかしな時間に起きてしまうという問題がある。

「それでしたら、出来れば夜まで寝させて欲しいのですけれど……」

 ステラの要望は概ねキャスの願望と一致していた。

「いいけど、夜まで?」

 その時間までと指定する意図が、彼には思い当たらない。

 ところが聞き返してみれば、ステラの方も何故か不思議そうな目になって、瞬きが一つなされていた。

「…………あの、まさかキャスさん、今夜が満月だって忘れてません?」

 どうやら、満月であることが何か関係しているらしい。

「いや、知ってるけど……………………………………あっ」

 暫く考え込んで、酷く重要なことを失念していたことに気が付く。そして、その拍子に思わず声を上げてしまった。

 如何にも今思い出しましたと言わんばかりの反応を示してしまったと、彼は悔やむ。放っておけば大勢の人を巻き込む危険な事柄であり、自ら進んで人狼となった自身が最も気をつけなければならないであろうそれを、うっかり忘れていたなどとは出来れば知られたくなかったのだ。これではまるで、周囲の人たちの命や安全など、全く気にかけていないようではないか。

「うん、別に忘れてたわけじゃないんだけど、その…………よろしくね?」

 必死に言い訳を頭の中で組み立てようとしながら言葉を紡いでみたが、出てきたのは単に彼女を頼るだけの台詞だった。あの村を出て一緒に旅をするようになってから、満月の晩の対処については二人で話し合っており、彼女の結界の強力さを頼みにして夜明けまで閉じ込めてもらうということで纏まっていたのである。

 苦し紛れにすらならなかったこちらの対応を受けた彼女の反応を心配するが、予想外の珍しい反応が返された。相手は口元に手を当てて、何故か笑いを堪えているようだ。ついには背中を向けられてしまう。声が漏れ聞こえてくるので、依然として笑われているらしい。

 正直、どういう理由で何を笑われているのか把握しきれていない身としては、中々に不安である。とりわけ、先ほどまではもっと否定的な反応を心配していたのだ。

「任せて下さい。一晩中、きちんと見てて差し上げますから」

 時間を置いてから再び向き直った彼女は、平素のような笑顔に戻って、そう言ってくれた。

「ありがとう。……それと、軽蔑した?」

 その表情に絆されたのか、内心の不安を素直に打ち明けることも、無理なくできてしまう。

「大丈夫ですよ。そんなこと、絶対ありえませんから。ほら、行きましょう?」

 言葉自体もそうだが、様子からして、本当に然して悪いようには思われていないようだと分かり、胸を撫で下ろした。

「……よかった」

 小さく呟いてから、ステラの後について今夜の宿を探しに行く。

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