第十話 見送り
町から出発したステラたちだったが、その道中の空気は決して思わしいものではなかったように感じている。少しでもフィリアとの距離を近づけることが出来ればとステラとミセリアが努力をしてみても、明らかに向こうとの間に壁があるのだ。相手はこちらと相容れるつもりなど全くないようだと、早くも試みの達成に困難を覚えてしまう。
その上、キャスが今回の一件にあまり関与しようとしていないことも、時間が経つにつれて浮き彫りになって来ていた。普段よりも口数少なく、フィリアからも常に一番遠い位置で歩いている。
もっとも、理由は不明ながら、フィリアの方も彼に対しては特別に避けている様子があったので仕方のない面もあるのかもしれない。
気持ち優先でミセリアの頼みごとを引き受けたのは良いが、正直、ここからどのようにすべきなのか分からなくなっていた。
そんなことを悩みながらステラが何をしているのかと言えば、他の三人が寝ている間の見張りと火の番だ。交代まではまだしばらく時間がある。場所は街道を少しばかり外れた岩場の影。
空では数えきれない星々と満月から一日たった後の月が輝いていて、傍で寝ている彼と落ち着いて眺めることができる中で、最も大きいものなのだな、などとぼんやり考える。
目の前で燃えいている火も彼が熾したもので、フィリア側に対する歩み寄りか、異能の力に関して軽い説明を施し、彼自身の秘密の一端を明かしていた。人狼の方に触れることはなかったが。
ふと、隣で寝ている人物が身動ぎする。目が覚めたのか、むくりと起き上がった。
「まだ、交代までは時間がありますよ?」
「うん。ちょっと、目が覚めちゃって」
キャスが一つあくびをする。
「二人は……寝てるか」
彼は火を挟んだ向こう側へ視線をやっていた。
「ええ。少し前に、フィリアさんと交代したばかりですし」
二人は小声で言葉を交わす。
親子の方を揃って見ながら、暫くお互いに黙ったままだった。
「ごめんね。今回、僕はあんまり役に立ちそうにないや」
おもむろに、そんなことを告げられる。
「いえ、わたしがやりたがったことですし、それにフィリアさんも、その……、あまり、キャスさんのことが得意ではなさそうですから」
直接言っていいものなのか悩んだが、見ている限りフィリアの様子は、まさしくそんな感じだ。何かをする前から相手に苦手意識を持たれているのでは、近づいて打ち解けるのも難しいだろう。とりわけ今は、この依頼が終わるまでという期限付きなのだ。
「何かしたわけじゃないはずなんだけどね……」
隣を見れば、彼は苦笑いだった。
「仕方ないから、大人しく引っ込んでおくよ」
「では、その分までわたしが」
「……………………でも、最後まで話が拗れたときは、僕に任せてもらうね」
キャスの言葉に冗談めかして答えるが、何か声を一層低めた返答がなされる。一変して真面目な、というよりも深刻な表情で、何故か少しばかり不安な気持ちにさせられた。
「どうするつもりなんですか?」
尋ねずにいられなくて、率直に質問する。
「秘密。最後の手段かな」
しかしながら、答えてもらうことはできないようだ。
キャスの視線が親子から、彼方へと移される。それはこれから四人で向かう方角と少しばかり外れた方向だった。
「ところで、本題があるんだけど」
本題。その言葉にステラは首を傾げる。たった今、目の前の親子とのことを話して、それとは別に告げることがあるという。一体それが何であるのか、彼女にも心当たりがなかった。ただ、目が覚めたと態々起き上がって喋り始めたのにも理由があったのかと思うばかり。
「これから向かう先にも関係ある話だけど、ほら、例のドラゴンの話」
「ああ、その話ですか」
出てきた単語から、用件に察しがついた。以前に見てほしいと頼んだ依頼を、そう言えば彼は出発前に見ていたはずだ。
やはり断られるだろうか。それならそれで、自分たちの実力が足りないのならば仕方ない。
「色々確認してみたんだけど、あれが町に現れたのって…………僕のせいなんだ」
「え?」
「森で友達と暮らしてる間に、遊び半分でちょっかいかけちゃってね。一応、僕らが勝ったんだけど、負傷した相手に逃げられて……」
てっきり断られるのかと思えば、中々理解の追い付かない内容が語られる。ドラゴンが町に現れたのが自分のせいというのもそうだが、「遊び半分でちょっかい」というのも訳が分からない。何をどうすればそんなことになるというのだ。
「ええと、よく分からないのですが」
「誘われたんだよ。近くにドラゴンがいるから、見に行ってみないかって。自分と二人がかりならきっと何とかなるって言ってね。僕も面白そうだからってそれに乗っちゃって……。まさか、こんな形で他人を巻き込むとは思わなかったな」
依頼に関してキャスに頼み込んだ自分が言うことではないが、物見遊山でドラゴンに臨み、その上で撃退するとは、正直かなり常軌を逸した話ではないか。話では例の人狼も穏やかな人物と聞いていたし、キャスだって同様だが、そんな二人がそのような凶行に及んだというのも意外であり、想像が難しい。ただ、実力的には、確かにあの怪物と目の前の異能の彼が組んだのならば、何を為しても不思議でないとは納得できていた。
「そう、ですか……」
もっとも、感想には困る情報である。そのために被害に遭った町民らには同情を禁じ得ないが、かと言って当の二人の責任には関心ない。あれだけ人里から離れた場所での戦いがこんなところに波及するなど、思いもしないだろう。
「…………呆れた?」
「別に…………いえ、すみません。多少は」
こちらの反応を窺いながらの問い掛けに、普通はそのような行動を実行しないという意味で、流石に肯定の返事をせざるを得ない。
「そっか。そうだよね」
「あの、軽蔑してるとかじゃないんですよ? 現実離れしてるなっていうだけで」
彼は呟きながら焚火に視線を落としてしまい、率直な返答に少し落ち込んでいるようだった。そのため、ステラも思わず慰めの言葉をかける。
すると、彼は何も答えることなく、少しばかり笑みを浮かべていた。作り笑いではない笑顔だ。
「で、そのドラゴンがいる場所と、今向かってる場所って、結構近いよね」
話が本筋に戻ったらしい。
彼の台詞の通り、現在ステラたち四人が向かっている場所は、ドラゴンが巣食うようになった町から割と近い位置にある。目的は、人がいなくなった町の周囲に、魔物が増えすぎないための討伐。要は間引きだ。元来はあの町を拠点に行われていたであろう依頼で、これが未だに求められているのは、少なくとも表面上は町の奪還を諦めていないことの表れである。
もっとも、ドラゴンの居場所から近いとあって、引き受けようとする者の数は大きく減ってしまっているそうだ。
「……もしかして、あの依頼を受けてきたんですか?」
彼の行動が発端となった事件で、現場がほど近いことに言及。ひょっとしたら、自分たち三人があれこれと相談している間に手続きでも済ませていたのかもと思い至る。
「いや、そういう訳じゃないんだけど………………。まあ、内容的には近いっていうか」
言い出し辛そうにしながらも言葉が続けられていき、一拍置いて、思い切った様子で本題という名の、彼からのお願いがなされた。
「ごめん。ちょっとだけ、行ってきても良いかな」
「……つまり、お一人でドラゴンに?」
この場を自分一人に放り投げ、単身でドラゴンの所に向かいたいと望まれる。
「………………」
何かを答えようとするが、告げるべき答えが出てこない。傍らからは微妙に逸らされた視線が向けられていた。
別段、ミセリアたちのことを自分が受け持つのは構わない。率先して向こうからの申し出を引き受けたのはこちらであるのもそうだが、フィリアとの距離を考えればキャスが彼女に行動を起こしていくのも効果的とは思えないし、最終的には彼自身も打つ手を考えてあるという。
同じく、危険であるからと止めるつもりもない。依頼自体は自身が誘ったものであるし、以前にも戦っている彼が力量差を省みずに単身で挑むと言いだすとも思い難いから、勝算自体は十分あると思ってよいはずだ。
何より、依頼であろうとなかろうと、彼がやろうとしていることが成功すれば町一つ分の人々が救われる。
ただ、感情的に面白く思っていない自分がいることも、ステラは自覚していた。
「お願い。どうしても、あの時の冒険に決着をつけたいんだ」
しかしながら、駄目押しのように彼から頭まで下げられてしまえば、最早彼女の性格上、断る術はないと言ってよい。
「駄目じゃないですけど……」
むしろ、思い出に決着をつけたいというのならば積極的に行かせてやりたいとまで心変わりもしているのだが、如何せん、蔑ろにされているようにも感じてしまっている。
「分かりました。絶対、生きて帰ってきて下さい」
結果、溜息を一つ、あからさまについてみせた後に承諾してみせるのだった。
「……ありがとう」
キャスが礼と共に立ち上がる。
「今直ぐ出発を?」
まだ真夜中だ。
「うん。早めに戻ってくるためにもね」
決着をつけて、こちらの一件にも間に合うように戻ってくるつもりではあるらしい。
「お気をつけて」
「ああ、その前に、もう一個だけ」
思い出したように、彼がこちらに向けてしゃがみ込んでくる。
「速めに戻って来れるように、目印があると助かるんだ」
「目印?」
依頼地については彼も把握しているため、こちらがどこにいるのかも凡そは見当がつくだろうが、それを詳細に把握できるためのものを求められても、ステラにはこれといって思い浮かばなかった。
「ほら、人魚たちを追いかけた時みたいにさ」
この台詞を受け、成る程と納得。あの時は彼女らの身体の一部と異能の力を以って消息を突き止めていたので、同じようにこちらの「目印」が欲しいということだったようだ。
身体の一部を渡すというのも、何かむず痒いような、おかしな気分である。
「ええと、何を渡せば?」
どの程度の代物が必要なのだろう。
「髪が少しあれば」
「分かりました」
その程度で済むならば、特に問題もない。ステラは自身が持ち歩いている短剣の一つを取り出し、そこで少し考えてから、キャスの方を見た。「髪が少し」と言っても、具体的な量が分からない。本当に極短い量を一、二本渡しても持っておくのが大変であろうし、紛失するのが落ちである。
故郷を出てから二月、三月。それなりに伸びてきた己の赤髪を弄りながら、思い切って相手に委ねてしまうことにした。
「必要な分、切って下さい」
手に持っていた短剣を、ずいと押し付ける。
「え」
引き攣った様な顔が見えた気がしたが、構うことなく目を閉じた。
「そ、それじゃあ……」
左側の髪が一房、掬い分けられるのを感じる。それから、切り取られる感触。割と根元近くから、まとまった量を取られたようだ。自分から要求しておいて、いざ味わうと、酷く気恥ずかしい感触だった。
目を開ければ、相手の手の中に自身の髪の毛の束がある。
「はい」
短剣を返され、髪は結んで束ねられた後、仕舞われていく。
これで、彼は迷うことなく自分の所に帰って来られるわけだ。
「頑張って下さい。勝算はあるんですよね?」
「勿論。じゃあ、今度こそ、行ってくる」
彼は再び立ち上がって、ステラが見送る中、夜の闇の中に消えていった。




