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第九話 緩やかな始まり

 ステラはミセリアたちと合流するため、キャスと共に歩いていた。まだ早朝であるがその業務の性質上、一日中ギルドは開いているらしい。様々な依頼や成果が持ち込まれ、それらを一手に処理する場所であるから、いずれの時間であっても閉鎖してしまうと不都合が生じるのだそうだ。

「あの娘は、上手く連れてこれるでしょうか」

 彼女が自分の母親をきちんと説得できていなければ、こちらが何をすることもなく終わってしまう。そうなってしまわないか気がかりで、答えなど相手も分かりようがないと承知しつつも、傍らのキャスに話を振った。

「どうだろう……。いきなり口封じなんて発想に出る相手が、説得に応じるかどうか。まあ、本人が誰も信用しないでずっと二人きりっていうのに限界を感じてれば多少は考えてもらいやすいだろうけど、その辺についても分からないし」

 彼は幾分か懐疑的であるようだ。

「傍で見ているミセリアは、そう思ってるみたいですけど」

 この頼みごとをした彼女は母親である人物の様子に限界を感じているそうだが、果たして当人がその自覚をしてるのかは別問題だろう。

「………………それに、こういう秘密を抱えた上で他人を信用するっていうのは、かなり思い切りも必要だろうしね」

 少しの間を置いて、こちらの言葉に答えるのではなく、何やら意味のあり気な呟きが聞こえてくる。横目に窺ってみると何やら相手の視線は斜め上で、どういった感情がそこにあるのかは読み取れそうになかった。

 それから暫くの間、互いが無言になってしまった傍らで、ステラはこの発言の意味を考える。

 周囲の人通りは疎らで、朝の空気は清々しい。

 何故だか、二人分の足音に意識が行ってしまっていた。

「キャスさんは、あの二人にご自身の秘密を話してしまって、問題ありませんか?」

 ようやく思い当たったのは、そんなこと。仮に試みが上手くいって行動を共にするようになってしまえば、異能や人狼のことを全く隠しておくのは難しいはずだ。ミセリアの方ばかり心配して承諾の返答をしてしまったが、多分に思慮を欠いた行動だったのではと不安になっていく。

「それは構わないよ」

 ところが、別段と淀みのない様子で否定された。

「ただ…………」

 言葉が続けられようとしていたが、中々その先が告げられる様子がない。

「あの、やっぱりわたしが勝手に判断してしまって」

「いや、違うんだ。単に、こっちの問題。友達の事とか、ちょっと思い出しちゃって」

「友達の?」

「ほら、前に話した、あの森に住んでた彼だよ」

 キャスが人狼の力を引き継いだ人物であり、また、彼が手ずから斬った人物が話題に挙げられた。確か、彼から聞いたところでは化物としての秘密を抱えながら人の中で暮らすことが嫌になり、あの森の奥深くで暮らしていたのだったか。

 あくまでも人々の中で暮らすミセリアたちや、人狼になっても特別気構えることなく旅を続けるキャスとはまた違った選択肢を選んだ人物だ。

「同じ怪物でも、人それぞれだなって」

 このキャスの台詞と同じことを、ステラも胸中で感じていた。

「そうかもしれませんね」

 さらに暫く進んで、二人は目的の場所に辿り着く。

 中に入るが、件の親子はまだ来ていないらしい。

「まだみたいだね。後から来るにせよ、来ないにせよ」

「暫く待ってみましょう?」

「うん」

 とはいえ、こんな場所でただ人を待っているというのも手持無沙汰である。待っている間、以前話しておいた依頼でも一緒に見に行こうかと思い立った。ドラゴンに町を奪われたという依頼だ。

 高額な報酬に目が眩んだわけではないが、大勢の人が故郷を取り戻したがっているとなれば、多少の無謀を承知で何かしてあげられないかと思ってしまったのである。無論、流石に自分一人で勝てる相手とも思えないが、傍らの彼が共に取り組んでくれれば、倒せないまでも出来ることはあるかも知れないと、そんなふうに考えていた。

 しかしながら、待ち人が訪れる方が先になってしまったようである。

 背後で駆け寄ってくる足音がした。

 振り向けば相変わらずの帽子姿に、元の旅人衣装へと戻った少女がいる。さらにその向こうを見れば彼女の母親もいて、どうやら上手く連れて来ることができたようだ。

 ここからは、こちらの役割の始まりである。

「おはよう、二人とも」

 背後から明るい声がかけられた。走ってきた分、彼女の方が到着が早い。

「あら、おはようミセリア」

「……ああ、おはよう」

 二人揃って彼女に答える。

「その格好に戻したのね」

 胸の真ん中には縫い目があって、背中側にも同じようなものがあるはずだが、あまり目立ってはいない。

「あたしは嫌だったの。でもね、お母さんが無理矢理着替えさせてきて……」

「いい加減な格好で連れてく訳にもいかないだろうし、仕方ないって」

「でもなあ、幾らなんでも胸の真ん中に穴が開いた服って……」

「ちゃんと縫ってあるんだし、我慢我慢」

 服のことを指摘すると、何やらご機嫌斜めなことが見受けられる。

「あ、おはようございます」

 話しているうちに彼女の母もそこまで来ていて、ステラは一先ずそちらに挨拶した。これから信頼を勝ち取らなければならない相手であり、この時点からどのような反応が返ってくるものなのか、少しばかり気を張ってしまっているのが自覚できる。

「……おはようございます。昨日は、何かまた、娘がお世話になったそうですが」

 こちらが秘密を知ってしまったことは発覚しているはずだが、表面的には普通の母親の対応だ。ただし、その美しさを残しつつもやつれた面差しは、普通の母親の程度を明らかに超えていた。相変わらず、隈が異常に濃い。声音と合わせても、雰囲気の暗さは否めないものがある。

「はい。町を歩いてる間に声をかけられて、『遊びに来た』って。すみません。本当なら早めに帰した方が良かったのでしょうけど、つい日が暮れるまでいさせてしまいました」

 周囲には他の人たちもいる環境であるしと、普通の子供を預かった体での返答。

「こちらこそ、気付いたら勝手にどこかに行ってしまっていて」

「じゃ、約束通りお母さんも連れてきたし、早速どんな依頼を受けるか決めよう!」

 ミセリアの所業に話題が移ると、殊更に明るい様子の声が彼女から上げられた。当人はこちらに背を向けて、そそくさと歩き出そうとしている。子供の悪さとして謝られるのが恥ずかしいのだろうか。

「待ちなさい」

 「ええ」と答えてその背に続こうとしたところ、制止の言葉がかかって、小さな肩が掴まれる。

「何?」

 振り返ったミセリアが、笑顔で問い返していた。

「あなた、何か私に説明することがあるでしょ?」

 台詞からして、ミセリアとその母との間で何か話しに違う事態が起きているらしい。

「あたしがお母さんを説得するから、一緒に依頼に行こうって誘っておいたの。……準備良いでしょ」

 既に自分たちと話がついていたことを説明していなかったと窺えるが、だとしたら彼女はどんな説得によって母親をこの場へと連れてきたのか、謎である。

「あの、娘とはどんな約束を?」

「自分が説得してお母さんを連れてくるから、四人で依頼に行きたいって」

 問い掛けられ、ステラは話せる部分だけで説明を果たした。まさか、心変わりを誘発するためなどと直接告げる訳にもいくまい。

「どうして変な誤魔化しなんかするの」

 再びミセリアへと追及が始まる。

「だって、あたしが最初から勝手に全部決めてきたって知ってたら、お説教長くなるかなって……」

「…………この分のお説教は、また後でね」

「はいはい、それまでに忘れておいてね。それじゃ、気を取り直して行こう!」

 きっと、普段からこの親子はこんな調子なのだろう。そう分かる一幕で、見ている身としては微笑ましい光景だ。

「うん、行こっか」

 今度こそ、ミセリアの音頭にステラも頷くことができた。

「いや、まだお互い名乗ってもいないんだけど」

 ところがこれまで黙っていた彼に背後から呼び止められてしまい、しかもうっかりと意識から外れていた事柄を見事に指摘されている。まるで先ほどのミセリアのようで、些か恥ずかしい。

「キャスと言います。どうぞよろしく」

「あ、はい。……………………あの、フィリアです」

 淀みなく名乗りへとつなげたキャスに対し、フィリアと名乗った彼女の様子はおずおずとしたものだ。

「わたしはステラです。聞いているとは思いますが、そちらと同じ、ハーフエルフです」

 後半部分はいくらか声を落としつつ、ステラも名と素性を相手に明かす。

 すると、フィリアが勢いよくミセリアへと視線を移し、しかもその眼つきが穏やかでないのが明らかに見てとれるものだったので、彼女は驚いた。何か問題のある発言だったろうかと省みるが、これほどの反応になる理由は思い当たらない。

「え、何? 何か不味かった?」

 これまでの確信的な行動と異なり、娘の方も分かっていないらしく、あからさまな作り笑顔などなしで純粋に相手を見上げていた。

「あなたね……いえ、何でもないわ」

 フィリアは眼を瞑って、軽く首を振りつつ、小さな声でそう告げる。

「不味かったか……、ごめんね」

 ミセリアの反応も、今回は真摯に悪びれているのが伝わってくるものだ。

「気にしなくていいのよ。私だって何も言っていなかったし」

「あの、わたしもハーフエルフですから、そんなに身構えなくても……」

「え、ああ」

 何とか取り成そうと声をかければ、はたとした様子をされる。

「すみません。同じ生まれの方に会うのは初めてで」

「わたしもエルフに囲まれて育ちましたけど、やっぱり、大変ですよね」

「ええ、本当に……。それでは、行きましょうか」

 察するに、自分以上にハーフエルフとしての苦労を重ねた故の反応なのかもしれなかった。

「行こー」

 三度目にしてようやく、ミセリアを先頭に歩き出す。

「若干難しいのでも良いよね?」

 彼女が振り返って最後尾にいたキャスに問い掛けた。

「僕は何でもいいよ。他の二人に任せる」

「えー、もっとちゃんと選ぼうよ」

 聞こえてきた答えは如何にもつれないもので、不満そうなミセリアの声に、ステラも内心で同調してしまう。出来ればそろそろ、一緒に依頼を選んだりなどもしてみたいのだ。

「いやでも、この前は僕の勝手で依頼とって来ちゃったし……。あ、そうだ。今のうちにこの前言ってたやつを確認してこようかな」

「構いませんけど、本当に何でもいいんですか?」

 自分が見てほしいと言った依頼を挙げられてしまった手前、「構いません」とは答えるが、出来れば一緒に来てもらいたかった。

「うん、三人で好きなように決めてくれて構わないよ。それじゃ、ちょっと外すね」

「はい」

 仕方なく、彼を送り出す。フィリアとのことに関しても、こちらに大部分を任せるつもりだろうか。

 気のせいか、今回の件に関して彼はどこか消極的であるように思えてしまい、少しばかり心細い気分だ。

「分かってないなあ」

 傍らのミセリアから聞こえる呟きに、頷いてしまいたい。

「それじゃあ、気を取り直していきましょうか。これまでお二人が受けてきた依頼なども、聞いてみたいですし」

 立ち去る背中から視線を外して、フィリアの方に向き直った。

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