第八話 少女からの願い
「ごめん、お休み」
夜が明け、ステラが結界を解いたことによって解放されたキャスの第一声だ。球状の結界が消えるとともに床に叩きつけられて、台詞の直後には突っ伏してしまっていた。疲労が溜まっていた上に徹夜明けだった状態で、更に一晩中の人狼化は彼でも耐えかねる消耗らしい。流石にまだ完全な眠りに落ちているわけではないだろうが、ベッドまで這う気力は残っていないのだろう。
「ええと、ベッドまで運びますね」
このまま寝かせておくわけにもいかないため、ステラは僅かな苦笑と共に倒れ伏す彼へと手を伸ばした。
確か、以前の時のもこうやって運んであげたのだったか。抱え起こしながら、そんなことを思い出す。
丁寧にベッドの上に転がしてやると眼を瞑ったままの彼が何やら呻いて、礼を言おうとしているのが分かった。そのだらしなさが微笑ましくて、頬や口元に気持ちが現れていくのが自覚できる。
「それじゃあ、お休みなさい」
改めてその言葉を告げた。
そんな一幕があった後、彼女もまた睡眠を取る。昨日は夕方まで仮眠を取ったが、それも極短い時間だったのだ。当然、今はまた眠い。
別々のベッドで、並んで眠った。
そして、ある程度の時間が経過したころに再び目を覚ます。
起き上がって隣に視線を向けると、キャスはまだ寝ているようだった。
伸びをしたりして身体を解す。どのくらいの時間が経ったのか今一感覚的に分からずにいて、精々差し込む日の光から、昼のうちに起きることができたと理解できる程度だ。徹夜やおかしな時間での睡眠が原因かもしれない。
お腹すいたな。
いつから食べていないのか記憶を遡って、空腹にも納得がいく。昨日の時点から何も口にしていない。
何かを食べに行こうかとも思うが、それならば隣の彼にも一緒に来てほしいところだ。
「起きてますか?」
控えめな声をかけてみる。
返事は返ってこない。
寝顔を覗き込んで確認してみようかとも思ったが、それで起こしてしまう可能性も考え、ついでに昨日の日暮れ直前に寝ぼけて何やらおかしなことを口走ったのも思い起こされて、それは自重しておいた。彼が目を覚ました後にあの事を追及されたりしないか、考えるだけで心配だ。
暫くしても反応がないのを確認して、彼女は足音を立てないように気をつけながら部屋の外へ向かった。
「何か食べ物を買ってきますね」
聞いていないことを承知の上で、囁き声で戸口から断りを告げる。
宿の廊下を抜け、外へと出た。空を見上げて真昼時と分かる日の位置を確認し、目の前の通りに視線を戻して、どこで何を買ってこようか悩む。
結局、出来るだけ美味しいものを買ってきてあげようと、より人通りの多い方へと踏み出すことに決定した。人の多いところで繁盛している店を探せば、手堅く見つけられると考えたのだ。
ところが、彼女の行動を挫く存在が早々に姿を現した。
「見つけた!」
正面の人ごみの中から、大きめの帽子を被った女の子がやって来る。どう見てもミセリアだ。
「あれ、何してるの?」
どうやら今回も一人らしいことに、ステラは首を傾げる。昨日母親と再会して、もう別行動らしい。
「ええっと、色々あって。とにかく、ちょっと二人に話さなきゃならないことがあるの。キャスは?」
「まだ寝てるかな。大分疲れてたはずだから、暫く起きないと思うけど」
あの疲弊ぶりではそのはずだが、ミセリアの要件は急ぎのものだろうか。
「はあ? いつまで寝てるつもりなの。あれ、でも普段はそんな寝坊助じゃなかったし……」
最初、呆れたような反応を示されたものの、次には訝しげになってこちらを見上げてくる。普段のキャスは別段昼過ぎまで寝ているような性格でもないため、不思議に思っているらしかった。彼の人狼化のことまでは彼女も知らないのであるし、納得がいかないのも当然だ。
ところが、何故か不思議そうだったその表情は、次第に訳知り顔の頷きへと変わっていった。
「そっかあ。二人きりの夜も久しぶりだったろうしねえ」
何を言わんとしているのか察しがついて、羞恥の感情から反射的に帽子の頂きを叩いてしまう。他人に手を挙げるというのは、随分と珍しいことだった。
「変なこと言わないで。別に、そういう関係じゃないんだから」
「……叩くことないじゃん」
「叩かれる様な事を言ったの」
帽子を持ち上げて頭の上を摩りながら愚痴る彼女に、容赦なく告げる。キャスとの関係を、周囲から変に勘ぐって欲しくなかった。
「それで、急ぐのなら今から案内して彼を起こしても良いけど、どうなの?」
逸れた話題をもとに戻し、ミセリア側の時間の余裕を問う。
「うん、悪いけど急ぎだね。お母さんに見つかる前に連れてって」
何やらまたしても母親の下から脱走してきたと分かる発言だが、帽子を被りなおして引き締め直された真剣な表情が不穏に感じられる。
「分かった。ついてきて」
一先ず話を聞くため、ステラは踵を返して来た道を戻るが、そもそも現在地自体が宿を出てからそれほど歩いた場所でないため、直ぐについてしまった。
「何だ、直ぐじゃん」
扉を開けると、背後でそんな声がする。
中を進んで行って、二人で泊まっている部屋の前までやってきた。
「ここよ」
「……ベッドが一つじゃありませんように」
戸を開く直前にまたミセリアからのからかいが飛んできて、振り返る。
「あのね」
「冗談だって。ほら、早く入ろう」
こちらを押しのけて、彼女が先に中へ入っていった。
「もう」
キャスの前で同じようなからかいを差し挟んでこないことを祈りながら、ステラも部屋へと帰還を果たす。
出かける前と変わらず、彼は寝ているようだった。
ずかずかと歩み寄ったミセリアが、止める間もなくそれを起こしにかかる。
「起きて。いつまで寝てるの。もうお昼だよ」
その両肩を掴み、激しく揺さぶって声をかけていた。声を張り上げていない代わり、両腕の動かし方に容赦がなくて、あんな起こされ方をしたらさぞかし機嫌が悪くなりそうだと傍から眺めていて思う。
「ほら、可愛い女の子が大事な話を持って、態々来てやったんだから」
自分で自分を可愛いと当たり前のように評するのも彼女ほどの容姿ならおかしくないが、その文句で起きられたら複雑だ。
良く観察すると揺さぶられる彼の目は僅かに開いていて、流石に目を覚ましているらしい。それでもミセリアの声に答えていないのは、ひょっとしたら機嫌の悪さの表れか。
「あっ!」
彼女の頭の上に有った帽子が急に飛ばされて、声が上げられる。どう見てもキャスの異能の仕業で、ミセリアの代わりにステラの頭へとそれが乗せられた。丁度良い大きさだ。
「……おはよう」
キャスは起き上がることすらせず、億劫そうに言葉を捻りだしていた。
「おはようございます。すみません、起こしてしまって。ミセリアがどうしても話したいことがあるみたいで」
帽子をもとの在り処に戻してやりながらステラは答える。あの倒れ込むような就寝から十分な時間を置かずに叩き起こされれば、彼もさぞかし辛いことだろう。
「ああ、だからいるのか」
寝転がったまま、ミセリアへと視線が向けられる。
「おはよう。相変わらず変な魔法使ってるね」
「……うん」
予想外に疲弊気味の様子から気を使ったようで、先ほどよりも声を低めにした対応になっていた。
「ええと、ごめんね。二人にも関わることだったから、急いで伝えなくちゃならなくて。どうしよう。そんなに疲れてるんだったら、ステラにだけ先に教えておくけど……」
「いや、大丈夫。直接聞くよ」
そう言うと、キャスはのろのろと起き上がり、ベッドの上を這って頭の方、壁に接したその場所を背もたれにして話を聞く姿勢としたようだ。未だに疲労の色が濃く、多少無理をしているのが見てとれる。
「それで?」
「ええと、あたしの秘密って、もう話した?」
キャスに促されて話し出そうとしたミセリアが、ステラに確認を求めた。
「うん」
「そっか、それなら早いや。簡単に言うと、あたしの秘密を二人に知られちゃったのが、お母さんにバレちゃった」
帽子を脱ぎ去ってぽすんとベッドに腰掛けながら、説明が始められる。その内容は、ステラとキャスを巻き込む問題の発生を告げるもの。記憶通りならば、彼女は以前の会話で秘密の漏えいを母親に知られたならば、こちらに対して口封じのために動き出しかねないと言っていたはずだ。
「どうして?」
「凄い形相で聞かれたら、その……怖くて喋っちゃったの。ごめんね。服に開いてた穴で気付かれちゃって」
ミセリア自身が黙っておくと言っていた内容が容易く知られた理由を問えば、実に簡単な話のようである。明らかに傷痕を窺わせる服を見られ、問い詰められたらしい。
「まあ、仕方ないかな。それで、お母さんの反応は?」
彼女がここにやって来ていることから大方の予想はつきつつも、ステラは母親がどのような対応に出るつもりなのかと確かめた。
「予想通り、口封じするつもりみたい。あたしに説得できる感じじゃなかったし、殆ど強迫観念みたいだった。今も、こんな街中でどうするつもりなのか知らないけど、二人のことを探してる」
かつてミセリアがした予想が当たったらしい。
誰かが自分の命を狙って探し歩いていると聞かされると、中々に不安な、恐ろしい気持ちだ。実力的に相手が上回っていない可能性だって低くはないし、町中で無茶をすることも考え難いが、それでもそういった理屈とは離れて嫌な話である。
「それで、母親はそうだとして、君の立場は?」
キャスが問うが、こちらに報せに来てくれた以上、害する意思はないものと思えた。それ以上に、思いたくないと言うべきか。
「最低でも、お母さんに見つかって面倒が起きる前に町から逃げて欲しいかな」
「最低でも?」
「出来れば、もう少し高望みさせて欲しいってこと」
高望み。つまり、面倒を避けて事なきを得る以上に、彼女にとって理想的な結果を求めているということ。それが何かは謎であるが、必然的に母親絡みであるとは予想できる。
「あのね。あたしたちが最初に会った町で、あたしはお母さんから黙って離れてきたって言ったでしょ?」
「ええ」
「正直ね、こうやって親子二人だけで移動し続けるのも限界かなって思ってるんだ。本人はあんまり自覚してなさそうだけど、お母さんの様子も少しずつ悪化してる気がするし、そのうち心労で倒れそう」
あの特徴的な隈だけを見ても、この話には説得力があった。
「隠し事を心配し過ぎて、疲れてきてるってこと?」
「結局、気が休まることがないせいだろうね。半分以上は、本人の気にし過ぎが原因だとは思うけど」
キャスの言っていた「気の持ちよう」と似た意見を、ミセリアも持ち合わせているようだ。
「あたしだっていい歳なんだから、一人で気を張らないでくれるといいんだけどね」
「まさか、その問題を僕たちにどうにかしてほしいと?」
「そういうこと」
半ば予期していた返事をもらったのであろうキャスは、目を細めて浅く息を吐き出していた。
「難しそうだね。わたしたちに、何かできるのかな?」
彼女の境遇も、秘密が世間にどのように受け止められるかも、手の付けようのない問題である。
「うん。あんまり簡単なことじゃないから、本当に、高望みになっちゃうんだけどね。偶然知り合っただけの相手に頼まれても困ると思うけど……」
どんな内容なのかは知らないが、厚かましい願いとミセリア自身は思っているらしい。ステラとしては今の所、可能な限り力になってあげたいとは思っているが、果たして具体的には何をしてほしいのであろうか。
「全部一人で背負いこんで旅をしてるから、お母さんもあんなに辛そうになるんだと思うの。何があっても、全然楽しそうじゃないし。娘のあたしのことはあくまで面倒をみなきゃいけない対象で、頼りにしていいとは思ってないみたい」
勿論、母親と共に依頼に赴いていたという以上、表面的な活動に関しては年を取るにつれて実力をつけていった娘に頼る部分は存在しているのだろうが、現在言われているのはもっと精神的な部分についてだろう。その意味で、一人きりで娘を守りながら彷徨い続けることが負担となって当人に圧し掛かっているらしかった。
「で、もしも仲間なんかが出来て、お母さんが頼っても良いと思える人が出来たなら、この状況も少しは変わるかなって」
つまり、ミセリアは自分とキャスに仲間になって、母親を助けてあげて欲しいと言っているのだ。
気の許せる相手と共に行動するようになって、自身の目の前にあるものに対する受け取り方も変わる。何か、キャスと行動を共にする前と後を思い返すと、理解できる気がした。言い換えるならば心の余裕と言ったところで、「気の持ちよう」を改善させたいのなら、確かに的を射た案なのかもしれない。
そして、これを頼んでくるということは、以下にミセリアがこちらを信頼してくれているかの証左でもあって、叶うことなら頷いてやりたかった。
「向こうは僕らを始末するつもりなんだよね。どう考えても無茶な気がするんだけど……」
キャスの発言通り、彼女の願いを聞くのならばそのような心配がある。
「それはあたしが説得して、何とかチャンスを作るから…………例えば、一回くらい依頼に一緒に行って、本当に信用できない人たちなのか確かめて、とか。その間にお母さんの気持ちを変えられないかなって」
「そんな説得が通じるなら、今の段階でいきなり殺意をもって探し回ってるかな」
「娘のあたしが本気でお願いしたら、形だけでもチャンスくらいはくれると思う。実際に考えなおす気はなくても、少しでもこっちの心の整理がつくように」
娘である自分への配慮を計算した申し出だったらしく、どうやら他人はともかく彼女にまで無茶な姿勢になる母親ではないようだ。
「肝心の気持ちを変える作業の方は、何か成功する見込みでも?」
「うん」
肯定の返事と共に、ミセリアの視線がこちらに注がれた。
「おんなじハーフエルフのステラなら、何とかならないかなって。ほら、色々共感できるところがあれば、心も開きやすいでしょ? 幾らあのお母さんでも、そこまで完璧に他人を拒絶してばかりもいられないだろうし」
聞いた限りでは彼女の母親もエルフの里で育ったハーフエルフだったはずなので、確かに苦労的な面でも様々な共感を与えることができるかもしれない。理屈として否定できないが、そうなると試みの成否の大部分がこちらに圧し掛かりそうで、多少の覚悟が要される。
「なるほどね…………」
キャスは悩んでいるのか、あまり気乗りのしていない印象の声音だ。
「やっぱり、いきなり頼むには無理のあるお願いだよね」
ミセリアも同じことを感じたらしい。
「…………………………無理っていうか、まあ、僕が果たせる役割って、あんまりなさそうだから、決定権もないかなって」
二人の視線が向けられ、キャスからはこちらの意思に任せる旨が伝わってくる。
「無理にとは言わないよ。お母さんの方が命を狙ってる以上、そっちにはリスクしかない話だし」
彼女にとっては重要なことだろうが、それでもこちらに強く要求する意思は見せようとしていなかった。それはきっと、本来なら自分たちで解決すべき問題と思っているからだ。
「そうね。でも、何とかしてほしいんでしょ?」
「……うん」
引き受ければ責任の大きい話だが、それでも、友人と呼べる存在が目の前で困っているのだと考えれば、ステラの気持ちは大きく前向きにさせられていった。
「分かった。わたしにできる限りは、何とか頑張ってみるね」
「ありがとう」
告げると、笑みと共に気の早い礼が返ってくる。
「そういうのは、成功した時にしましょ? それに、まずあなたがお母さんを説得してくれないとどうしようもないもの」
それから明日、ミセリアが母親の誘導に成功した場合にギルドで落ち合うことを取り決め、ステラは改めて自分とキャスの食事の調達に出かけるのだった。




