第四話 仮眠
お金に余裕のできた分、以前のものより少し上等な宿の一室へ続く扉を開ける。ステラが先に中へ入り、後から入ったキャスが扉を閉める音が背後から聞こえた。
彼女は部屋の奥にあるベッドへ向かい、一緒にいる彼は手前側のベッドの足元に荷物を下ろす。
同じく携えていた荷物を床に置いて、二人でそれぞれのベッドに腰掛け向かい合った。
野宿というのならともかく、こうして室内に二人きりとなるのは、あの森の奥にあった小屋以来だ。単に彼の人狼化を一晩抑えるために過ぎないとはいえ、何か普段とは違う気分になる。ベッドのせいか、或いは、暫くミセリアと三人でいる状況が多くなっていたのが原因かもしれない。お互いに少し硬くなっている雰囲気があった。
一先ず、夜まで寝なければ。
「キャスさんは、夜までどうしてます?」
靴を脱いで横になる準備を整えつつ、相手の予定を尋ねる。
「寝過ごしたらいけないし、起きてるつもりだけど…………、うん、夕方までその辺を歩いてこようかな」
「別に、お疲れでしたら、ここにいて下さっても気にしませんよ?」
こちらが落ち着いて休めるよう気遣っての発言と見抜いて気にしない旨を告げたが、恐らく実際に部屋へと留まられると、中々寝付けないことになるだろうなと自覚があった。ただ、夜明けまで海底を彷徨っていた彼のことを思うと、この場で休んでいって欲しいとも思ってしまう。
「……それじゃあ、ここにいる」
彼が腰の剣を外し、靴を脱いでくつろぐ姿勢を取った。
それを尻目にステラはベッドへ入り込んで早々に眠りに就こうと試みたが、予想通り、変に気を張ってしまって直ぐには眠れそうにない。
片方は横になり、片方は座った状態で時間が過ぎていく。
段々気持ちが解れてくるのが分かったが、まだ眠れそうになかった。
「そういえば、ミセリアの事なのですけど」
少しだけ増した眠気の中で、彼女は先ほど別れた少女のことを話題に出す。
「ああ、ちょっと変わった雰囲気の母親だったね」
「あのまま帰してしまってよかったのでしょうか? 本当は、少し気になってます」
「しょうがないって。あの二人がどんな理由で旅してるのか知らないけど」
「………………それなのですけど、わたし、あの娘に教えてもらったんです」
「え?」
急な暴露によって、驚いた声音が返される。幾許か、悪さをした子供のような気持になった。
「ごめんなさい。自分が別れるまで、キャスさんには秘密にしておいて欲しいって頼まれてしまって。多分、何も知らないままで接してもらいたかったのかと」
自身が感じた相手の意図をありのまま伝える。
「……ってことは、今なら教えてくれるんだよね?」
「はい」
「よかった、仲間外れのままにされなくて」
冗談めかした声音だ。
「それで、どんな秘密?」
「彼女自身は二十年以上前に死んでいて、お母さんの魔法で蘇らされたと言ってました」
率直に告げてはみたが、自分で聞いていても荒唐無稽で俄かには信じ難い内容である。
「…………普通の子供とは思ってなかったけど、死者蘇生? 個人が生まれ持った魔法だっていうなら有り得ない話じゃないけど……」
天井に向けていた視線をちらりと向けると、難しそうな顔をした彼がいた。どうやら、頭から疑われたりせずに済んだらしい。
「厳密には蘇生と違うらしくて、ほとんど生きた人と同じでも、外見的な成長だけは一切ないと言ってました。それと…………わたしがセイレーンに苦戦している時にあの娘が加勢してくれて、相手の剣が胸の真ん中に刺さってしまったのですが、痛み以外は平気そうにしていましたし」
「セイレーン?」
「その……後をつけられていたようで。ごめんなさい」
「別に、僕だってつけられていたのは気が付かなかったし」
「そうではなくて」
キャスの否定の言葉をステラは遮る。
「わたしが一人で倒さなければならなかったのに、あの娘に、普通なら死んでいたはずの怪我をさせてしまったのが不甲斐ないなって……」
また、それを黙って自力で倒したかの如く一度報告してしまったのも、彼から失望されそうで怖かった。
「……そんなに気にしなくても、割って入ったのだってミセリアの意思なんだし、向こうは三十そこらの大人なんだから。先輩が年下の後輩に良いところを見せようとして失敗した、みたいなものだよ、きっと。……とは言っても、やっぱり目の前で誰かがそんなことになったら、落ち込むか」
キャスから気遣いの言葉と、それでも尚落ち込んでしまうことへの理解を示す言葉がかけられる。
天井をじっと見つめながら、その好意を受け取った。
「そう思うことにしてみます。ただ、本当にそんな年齢なんだっていう実感は、未だに無いんですよね」
この言葉にキャスは笑う。
「分かる。結局、振る舞い自体が子供っぽかったからね」
「言いすぎですよ」
擁護しつつも、彼女が不満を抱いた際に見せていた仕草など、正しく子供の様だったなと思い返されてステラも笑った。
傍らのキャスが一息つくのが聞こえる。
「でも、そっか。何となく、二人の旅の理由が分かった気がする。母親にとっても娘にとっても、誰かに知られたら不都合な秘密だもんね」
彼は既に察したようだ。
「ええ。どうしてあげることも出来ませんけど、あんな様子の彼女とあのまま別れてしまったのが、心残りです」
去り際のミセリアが思い返される。
しかしながら、彼女らが抱える秘密に対し、黙っておく意外に何か出来ることがあるとは思えない。
「仕方ないさ。そういうのは本人たちの気の持ちようだから」
「……それだけで済む問題でしょうか?」
珍しく彼の言い分に反感を覚え、それが声音に現れてしまった。何日も一緒に行動していた少女に対し冷たい物言いであるように感じられたのである。秘密が露見した後に待っているものを恐れながらの終わりない放浪生活ならば、彼女らの様子だって自然なことではないだろうか。
「……済むんじゃないかな? ミセリアだって、母親から離れて僕らの下にいる間は楽しそうだったし。あとは母親次第だよ。僕だって人狼っていう秘密を抱えながらこれからも旅をし続ける訳だけど…………………………」
言われてみれば、ミセリアのこともそうだが、キャスにしてみても条件は似たものであるはずなのに閉塞した雰囲気は全くない。のんびりと旅路を楽しんでいる。
「キャスさんは、そういうのに窮屈さを感じたりしないんですか? それと、不安とか」
先ほど何か言い淀んでから黙っている彼に問う。
「僕の場合は見つかっても逃げ切る自信があるし、気持ちの面では………………うん、その……おかげさまで、前よりも、ずっと楽しく過ごさせてもらってるかな……」
こちらまで気恥ずかしくなる答えが返ってきた。自分といて楽しいと言ってもらえるのは、どうやら凄く嬉しいことのようだ。
照れもあって、ステラは彼へ背中を向けるように姿勢を変えた。
「確かに、気の持ちようなのかもしれませんね……」
現金にも先ほどの反感は消え失せ、同意を示す。
「これからも、付いてきてくれるんだよね?」
「はい。一緒に、色んなところを旅してみたいです」
彼の故郷に立ち寄った後の予定はまるで決まっていないが、それはつまり、普通に気ままな冒険者暮らしになるというだけのことだ。寄り道しながら向かっている現在と、何かが変わるとは思えない。
「……うん。故郷より東側は行ったことがないから、僕はそっちに行ってみたいな」
「わたしはどこも新鮮ですから、お任せします」
こうして先々の楽しみについて話し合ってみると、確かに「気の持ちよう」だというのが実感できた気がする。
「時間は沢山あるんだし、いつかは大陸中を回りきれたりして」
短い笑い声が言葉の後に続いた。
「できたら素敵ですよね」
幾らなんでもそのためには自身の時間が足りないことを自覚しながら、彼女は同調する。無限の時間を有する彼とは違い、自分はいつまで冒険者をして、否、彼とともにいられるだろうかなどと、頭の片隅で考えた。
「本当に、出来たらいいなぁ」
それきり、室内は静まり返る。だが、気まずさのない心地良い時間だ。
その心地良さに浸りながら、ステラはいつの間にか眠りに就いていた。
何か肩に触れる感触があって、彼女は目を覚ました。
「あ、おはよう」
ベッド脇からキャスが見下ろしていて、どうやら起こしてくれたようだ。
視線をずらして日差しの様子を確かめれば、夕方らしいことが分かる。
碌に頭が働かない状態なせいで、ステラは理由も分からずに相手の顔をじっと見つめるだけとなってしまった。目の前にいる相手が誰で、ここがどこかも、寝る直前までのことも思い出せるのに、現状をきちんと把握して行動することができない。つまり、寝ぼけている。
顔を見ていると、先ほどまでの夢が思い返された。酷い夢だ。
そこでは依然として変わらない姿の彼がいて、その傍らには随分と齢を重ねてしまった自分の姿があった。いつまでも変わらず接してくれる相手の横で、後どれだけ一緒にいられるだろうとか、彼について行けなくなってしまったらどうしようとか、本当にこんな関係で良かったのだろうかとか、そういうことを考えていたのを覚えている。
何故か、怖くて寂しい気分だった。
彼が訝しげな表情をしながら肩に乗せていた手を引っ込めようとすると、ステラはそれを瞬時に己の手で引き留める。
「大丈夫?」
「……はい」
何が大丈夫なのかも分からないまま、いい加減に返事をした。
「ならいいんだけど、その、そろそろ夜だよ?」
「ええ」
夜だから何なのだろうか。時間をかけて記憶を探ると、満月と人狼のことを思い出す。
ステラは引き留めていた手を離した。
「ああ、ごめんなさい。大分、寝ぼけてしまっていたみたいです」
謝りながら起き上るも、まだ完全には覚醒しきっていないのが自覚できている。
「いや、まだ少しは時間があるから平気だけど……。珍しいね?」
「変な夢を見てしまって」
「夢?」
「言いたくないです」
普段ならばもう少し控えめに断る所を、随分とはっきり突っぱねてしまったな。そんな自己嫌悪が胸中を通り過ぎていく。ただ、彼に置いていかれる夢を見て心細くなっているなんて、恥ずかしさで口にできるはずもない。
「ご、ごめん。不躾に聞いて」
「いえ」
ひょっとしたら、自分は機嫌が悪いのかも。そう思った。
「えと、では、明日の朝までキャスさんにはわたしの結界に閉じ込められてもらいますね」
これ以上の醜態をさらす前にと、急いで本題に移る。
「うん、悪いけど、頼むね」
「お安いご用ですよ………………あなたのためなら」
後半部分を何気なく告げてから、やはりまだ寝ぼけているのだと考えた。
相手の反応がどのようなものなのかは分からない。目には移っても、解釈に困る表情をされてしまっているのだ。
一行に安定しない自身の状態に、もう早いところ彼を結界に閉じ込めなければならないようだと彼女は行動を急ぐ。
「さあ、こちらに立ってください」
背後から両肩に手をかけ、ベッドと些か距離を開けた位置に連れていった。二人とも、ぺたぺたと裸足で床を歩いている。
「それじゃあ、結界を張って、音と…………ついでに光も遮断しておきましょうか」
万が一、誰かが部屋に入ってきたときのためだ。こういう部分は、まともに頭が働いてくれているらしい。
「あまり、見られたい姿でもないしね」
「わたしは嫌いでもないのですが……、では、明日の朝に」
ステラはキャスへ向けて手をかざす。黒い球体が現れ、彼を中に閉じ込めた。球体の端の位置は、丁度彼女の手のひらの所。
一人きりになって、彼女は大きく息を吐きながら結界から手を離した。それからベッドの淵に腰掛ける。
後は、朝まで定期的に結界を補強しなおし続ける作業だ。
振り返れば、随分と素っ気ない一方的な挨拶で締めくくってしまった気がする。相手がどう感じていたか、どう思っているか、心配になってきた。
不快にさせてしまったかもしれない。
日が沈み切り、朝日が昇るその時まで、ステラは結界の前で悩み続けるのだった。




