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エルフの少女に恋した少年は永遠の命を追い求めました  作者: 赤い酒瓶
第二章 青海で聞こえた二重唱
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第十六話 最後に少しだけ

 そこへ辿り着いた時に彼女が最初に取った行動は、街に明かりを灯すことだった。中央にある照明塔の天辺に向かい、魔力をもってして発動させるそれは、既にこの町から住人が消え去って久しい現在であっても問題なく機能させることができ、かつてとは違ってしまったこの地の有様を、かつてと同じように照らし出す。

 光によって、マリナ自身もその目をもって辺りを視認できるようになる。水中であれば別段目を使わなくとも周囲の状況を大雑把に把握できる彼女だが、やはり視覚として眼下の懐かしく物悲しい風景を目の当たりにすると、しんみりとした気持ちになってしまう。

 町の遠くでは一人の人間が立ち尽くしている。急に灯された強い明りに驚き、警戒しているのだろう。もしこれで敵が引き返すというのならこちらから出向くつもりだ。

 相手、多分男だろうが、彼は暫くの間、前にも後ろにも歩き出すことなく立ち止まっていたが、やがて再び歩を進め出した。果たしてその方角は、前方、彼女のいる廃墟群だ。こちらが待ち受けているのは承知の上なのだろう。

 町まで辿り着いた男は建物の間を縫うようにして中心部、今マリナがいる塔の方へ向かっている。途中、所々で建物の中を覗いたりしているようで、彼女はその様子を黙って見下ろしながら、彼が自身の下に辿り着くのを待った。

 やがて男が塔の根元付近まで迫ってきたのに合わせ、彼女もまた男のもとまで降りていく。

「どうだったかしら、私たち人魚の町は?」

 男の頭上から、声をかける。そしてその声に反応し、相手がこちらを見上げ、男の顔がマリナに向けられた。それは見覚えのあるもので、船で出会ったあの人物だ。

「大丈夫、そのまま話してくれれば、私にもあなたの声が聞こえるから。それとも、もしかして私の声、聞こえてないかしら」

 先の浜辺の時点で、サニアはこのことに気が付いていたのだろう。多分、彼女の目であれば、見えていたはずだ。一人で十分だなどと言っておきながら、随分無謀な判断をしたものである。否、敢えて自分一人で挑みたかったのかもしれない。翼を切り落とされ、命からがら敗走したという屈辱、恐怖心を払拭しようとしたと考えれば、あり得なくもなさそうだ。

「他には誰も?」

 返ってきたのはそんな問いかけだった。こちらの伏兵でも警戒しているのだろうか。

「いないわ。今生きている人魚は、多分、この世で私だけ」

 これに対してマリナは率直に答え、自分たちの現状を暗に突きつけた。他人事として興味なさ気にするか、罪の意識でも抱くのか、それともまた別の、例えば人魚を依然として獲物と見做しているのが窺える醜悪な態度でも見せるのか。それで人間全体の総意を計れるわけでもないことは承知の上で、それでも彼女は目の前の男がどのような反応を示すのか関心があった。

「そっか………………」

「ええ、あなたたち人間に大きく数を減らされてしまって、その後生き残った人魚たちも少しずつ、代を重ねるごとにまた数を減らして、私が最後の世代。だから、私もここがただの廃墟じゃなく、本当に町だったころの姿は見たことがないの」

 相手の反応の無味乾燥さに、反射的に言葉を重ねてしまう。

「それでもう一度聞くけど、この町を見て、どう思ったのかしら」

 マリナは改めて問うた。

「……さあ。自分でもよく分からないや」

 分からない。得られた答えはそれだけで、相手の表情、声音、態度からも、それ以上、その言葉の裏に秘められた何某かを読み取ることも、彼女にはできなかった。ひょっとしたら、その「分からない」という答えの意味するところは、そのような質問になど答えてやる価値もない、というこちらの嫌味混じりな台詞への返礼かもしれないとも思えてしまう。

「そうなの……」

 そう考えてしまっても尚、マリナの中で怒りというほどの明白な感情が浮かんでくることはなかった。小さく、やりきれない思いが生じただけだ。先の問い掛け、人魚たちが滅んでいったことに関して、当時を生きていないこの若者が何も感じなかったとしても責められるようなことではないと思っていても、本心から割り切ることもできず、やはり自身の奥底に、今を生きている誰かしらに対して、責任くらいは感じてほしい、という思いがあることを自覚せざるを得ない。

「ねえ、どうしてセイレーンと一緒になって船を襲ってたのか、聞いてもいいかな? 分かりきった質問かもしれないけど」

 望ましい返答を得られなかった彼女に対し、今度は相手が尋ねてくる。見当はついているようだが、向こうとしても、やはり自分たちが襲われた理由は確かめたいのだろう。

「理由……。そうね、やっぱり復讐かしら」

 マリナは自身が今日の様に人を襲うようになった切欠、サニアと初めて出会った夜を思い出しながら、答えを手繰り寄せていく。

「いや…………」

 最初、復讐というのが動機だったような気がしたが、言って直ぐにそれが正確ではないことを感じて否定した。自分が人間を狙い、船を沈めていたのは、そんな積極的な理由ではなかったはずだ。

「違うわね。人のことは憎いけど、だからって、好き好んで殺してやろうって気持ちは、そんなにないのかも」

「じゃあ、どうして……」

 そして、月日と共に曖昧になって来ていたその理由を、マリナは改めて答えなおす。

「誘われたから、かしらね。私といたセイレーン、サニアっていうんだけど、彼女に誘われたのよ。ある日、偶然出会って、一緒に人間たちの船を襲わないかって」

 マリナにとって人間を手にかける理由など、それだけのことでしかなく、またそれだけで十分でもあった。或いは全く逆に、独りで年老い、死が訪れるのを待つのみでしかなかったマリナにとって、誰かに声をかけられ誘われるというのは、数多の命と引き換えにして尚、釣合のとれるほど価値あることだったと言えるのかもしれない。

「それなら、そのセイレーンの目的は?」

「……本人は色々言ってたけど、要は楽しいからだと思うわ。私も、自分の力で海や空を操るのは楽しいから、それと同じなんじゃないかしら」

 自身とサニア、それぞれの抱く人間の命を軽んじた動機を、マリナは殊更隠すことなく男に突きつけた。今度こそ、怒りの色でも見せるだろうか。

 ところが、マリナのこの発言にも尚、男の様子は至極平静なものだった。

「それで、今まで上手くやって来れたの?」

 回答に対して、さらに質問を重ねられたのみ。

「長いこと続けてきたけど、一度もなかったわね。……………………それより、怒ったりしないの?」

 先ほどから会話を続けているが、自身の当初の期待に反して男はこれといった感情を覗かせることもなく、ただ平淡に、それこそ態々こんな海の底まで追ってきたのが不思議なくらい、勇むことも身構えることもなくこうして自分と話している。そんな状況に、マリナも思考が噛み合っていないことを理解して、ついに直接問いただす。どうしても、この人間の腹の底を、人間の抱く人魚への感情を知ってみたかった。

「別に、怒る気にはならないよ」

「どうして?」

「だって、特に見知った相手が被害に遭ったわけでもないし…………。っていうのは、幾らなんでも冷たいか。まあ、とにかく、もともと正義感に厚いわけでもないし、その上、この光景を見ちゃうとね……」

 周囲に視線を巡らせながら、男は言う。

 得られた答えは、意外なことにマリナや他の人魚たちの辿ってきた末路を知り、その胸中を理解しようとしたもので、そして答えを告げる相手の様子は至って落ち着いた、静かなもの。

「…………そう」

 同時に、答えを聞いたマリナ自身の心中も、静かなものだった。初めて人間をこの地に招き、もはや無人となって久しいこの光景を見せ、そしてそれを見た相手はこちらの心情を察し、マリナたちがやってきた行為に対し、非難の一言もない。この人間をここに引き入れようと考えたときには、例え一人とはいえどその先祖の行いを突き付け、僅かばかりでも非を感じてくれれば、こちらの胸も少しは軽くなるだろうかと思ったのだが、いざそうなってみれば、なにかとても虚しい気分だ。

「ところで、こうしてこんな所まで追いかけてきたってことは、あの船での戦いの続きが目的ということでいいのよね?」

 なぜこのように虚しさを覚えるのかマリナ自身でもわからなかったが、これ以上問答を続けることに対し彼女は見切りをつけた。人間がこの場所を見てどのような反応を示すのか、それ自体に強い関心があったことは確かだし、何か大事なことのように感じられるのも変わりないが、一方、どのような答えが返ってきたところで、満足いくものなど絶対にありえないことに気が付いたからだ。

 結局、マリナが当初期待していた、自身の中にある人間への感情、自分が人間に何を求めているのか、ただ復讐としての流血か、人魚のように根絶やしにしてやりたいのか、それとももっと別なものであるのか、はっきりさせることは叶わなかった。唯一、ただ自分たちが辿った末路と、その苦しみを伝えるのみでは足りないことだけがはっきりとしたのみ。

「ああ」

 後は、この場でこの男と決着をつけて、サニアの下に向かうだけだ。

「結局、僕をここまで招き入れたのは何だったのかな?」

 問答に付き合ってくれた分、マリナも最後に意図を明かす。

「海の中を追ってくるあなたに気付いたとき、驚いたわ」

 男はじっと耳を傾けている。

「初めは何かが海の底を移動してるってことしか分からなかったけど、確実に私を追ってきているようだったし。だとしたら、それは人間だと思ったの。丁度、獲物を取り逃がしたばかりだしね。そうしたら、自然と、この場所を見せてみようって、見ておいてほしいって、そう思ったの。海の底の世界まで足を踏み入れることのできる人間に、自分たちのしたことの、その傷痕を見せてやりたいって。それで、その人がどんな反応を見せるのか、それが知りたかった……」

 鉾を握る手の力を、少し強めた。

「それじゃあ、お話しもそろそろ終わりにして、始めましょうか」

「……………………………………そうだね」

 塔から放たれる光の下、暫し話し込んでいた二人だったが、それももう終わりの様だ。

 男が剣を引き抜いたのを見届けると、それを戦いの合図としてマリナも動き出した。鉾を握り直し、身を翻して敵の頭上を物陰に向かって移動する。物陰に一旦姿を眩ました後、死角から襲い掛かるつもりだ。

 建物の影を移動し、一度相手方の様子を窺えば、辺りを見回すでもなくただ立ち尽くす男の背中が、こちらを向いていた。

 その背へ向かってマリナは物陰から一気に迫り、一撃を繰り出す。この状況で微動だにせず棒立ちになっていることが気にかかり、その一突きは様子見を兼ねたものだ。流石に、これで決着をつけられるほど甘い勝負にはならないだろう。

 予想通り、鉾の先が相手の背を捉えることはなかった。こちらの動きを完全に把握していたかのように、否、何らかの方法で把握しているのだろう、攻撃は綺麗に躱されてしまう。

 躱した相手が反撃の一太刀を放ち、マリナがそれを防いで、打ち合いとなる。こちらの攻撃は尽く躱され、反ってくる攻撃がこちらに手傷を負わせることもなかった。

「あの魔法は使わないの?」

 攻防の最中、男が問い掛けてくる。

「海の底までは届かないでしょう?」

 どうせ分かって聞いているのだろうと、マリナも隠さずに答えてやった。

 正直なところ、この海の底という場所は別段彼女にとって有利な状況ではない。彼女の魔法が真価を発揮するのはあくまで海面を挟んで海中から地上の敵を狙うときであり、この海底において攻撃としての効力を期待できるものではなく、だからこそ先ほどから不慣れな接近戦を演じているのだ。

 とは言っても、それはあくまで魔法に関しての話。鉾を魔道具としてでなく武器として戦った経験など著しく乏しい彼女であったが、それでも勝算がないなどとは思っていなかった。地に足をつけて戦う相手に対し、こちらが自由に泳ぎ回って攻められるというのもそうだが、重要なのは、そもそもここが海底であるということだ。相手が自身の周りに空気を維持している魔法さえなんとかできれば、それだけで勝つことができる。

 マリナはその魔法を多分、魔道具によるものだろうと踏んでいた。彼はこれ以外にも、船でサニアの翼を切り落とした際の剣の軌道の変化、黒い獣への変身、先ほどの背後からの攻撃を完璧に把握したことや、真っ暗な海底をここまで追跡してきたことなど、いくつも魔法と思しきものを見せているので、単に確率として、これが魔道具によるものと推量しているだけではあるが。とにかく、その魔道具をどうにかするか、相手の魔力が切れるのを待つか、一番現実的な方法として、一瞬でもその魔法を乱してしまうだけでも、勝負を決するのに事足りる。

 だが、魔法を破るのも、鉾をもってして直接的に勝利するのも難しいということを、マリナも既に気づいていた。

「あなたこそ、前に見せた変身をしたらどうなの?」

「…………………………」

 相手は今以上の戦力を温存しているし、現時点においても、こちらの攻撃は防がれるでもなく、完全に見切って回避されている。魔力切れにしても、ここから再び地上へ帰るほどの余力を残している相手がその状態に陥る可能性は低いだろう。正直、手加減されているようだ。

「そっちこそ、前の時みたいに逃げたら? 上に逃げられたら僕は満足に追いかけられないよ?」

 挑発のように告げられたそれは、どのような意図からだろう。

「それはしないわ………………。それだけは……」

 だが、マリナは相手の言葉を否定する。確かに、現実的に考えてこちらが勝てる見込みなどほとんどないことは自覚しているが、例え僅かでも勝利の可能性がある限り、この場所で逃げるつもりはなかった。

 マリナの返答を聞いた男は、僅かに首を左右に振っている。

「名前、聞いておいていいかしら?」

 極めて勝ち目の低い命懸けの戦い、それに臨むという覚悟を新たにして、マリナはここに至って相手の名を問うた。

「キャス。……そっちは?」

「マリナよ」

 そして、戦いは再開される。

 マリナは全力で鉾を振るうが、その切っ先が男を捉える気配は一向になく、徐々に息は上がっていき、一振り一振りが精彩を欠いていく。反対に、男の側には疲労の色など全く窺えず、その身のこなしに変わりはなかった。だが、それでも何故か、剣線だけが心なしか、鈍ってきているような気がする。

 その剣筋の鈍りが弱者への憐みのようにも思え、それが彼女の意地を刺激した。

「遠慮なんていらないのよ?」

 勝負に惑う相手へと、先のお返しのように挑発的な言葉を贈る。

「そっか」

 そっけない返事だけが返ってきて、次の瞬間には、決着の時が訪れた。

 マリナが突きだした鉾、これまで通り躱され空を切ったばかりのそれを、相手が掴み取る。そして、こちらが反応する間もなく得物ごと力強く、海中からその内側へと引き込まれた。

 地面へと落ちた瞬間、男と目が合った気がして、直後に胸を貫いた剣が彼女を地面に縫い付ける。

 これで、自分の生涯も、人魚の歴史も、何もかも終わり。

 痛みと這寄る死の気配を感じながら、マリナは全てを諦めて四肢の力を抜いた。かつて人魚が暮らしたこの場所で、最後の人魚である自分も死ぬのだ。最後まで、人間に対するわだかまりに引きずられるようにして。

 結局、幾ら人間を殺めても自身の無念は少しも軽くならず、最後は返り討ち。けれど、友人と共に海を彷徨った月日はそれまでよりも楽しいものだったし、これで良かったのだろう。

 地に縫い付けられ、最後には自然と自分の生涯を振り返えっていたマリナ。

 そこに、声がかかった。

「ごめん……」

 はっとして、相手の瞳を見やり、そこに込められた意図と感情を彼女は理解する。

「………………………………」

 そして、そこでマリナは初めて、僅かにでも胸が軽くなる感触を覚えることができた。

 だから彼女は視界のかすむ中、そっと手を伸ばす。

 それから、息を引き取った。



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