第十五話 再起を図って
船上での戦いに敗れて逃げ延びた後、意識を取り戻したサニアへ、マリナは早々にこの地域を離れ、暫くの間大人しくしておくことを提案した。奇襲をかけておきながら取り逃がしてしまった以上、相手側が警戒、対策をとることは勿論、こちらに対して積極的な対処に出るであろうことくらい、マリナにも予想できたからだ。
だが、サニアはこれを聞き入れなかった。
目を覚ました直後から様子を窺ってみるに、サニアに片翼を失ったことによる消沈というものは見受けられなかったが、代わりとして憤怒を抱いているようであり、自身の翼を奪っていった輩をこのまま逃してしまうことをサニアは断固として固辞する。或いはこれまでただの一度も仕損じることなく、思うが儘に人々を襲ってきた彼女のことだ。先の敗北によって思い知った、自身の力の通じない存在、己以上の強者への恐怖を払拭したいという思いが、その怒りの裏にあるのかもしれない。
そんなサニアの反応を見たマリナだが、これに強く異を唱えることはしなかった。それならそれで良いかと、この唯一の友人の暴挙が、妙に腑に落ちてしまったのだ。
それから二人は一先ずの回復を待つ。マリナ自身も尾に浅くはない傷を負ったため、以前の如く十全に泳ぎ回るまでには時間を要するのは明らかであったし、サニアに至っては移動のための器官が片方なくなっているのだ。
最初こそ、もう飛ぶことはできないのではと案じて見ていたマリナだが、その心配を他所にサニアは翌日には片羽だけで、不完全ながらも宙を舞えることを証明してみせた。これによって、ある程度その状態での移動にサニアが慣れたら、取り逃がした人々の下へ向かうことが決まる。
彼らの向かった先はどこかという疑問に関して、二人が特に頭を悩ませることはなかった。船を襲い始める以前の段階で、この辺りを行き交う船が目指す地点なども、大方把握していたからだ。気付かれようもないほどの上空から、そして船体の下、海の中からであれば、難しいことではなかった。
今、マリナはサニアと共に、標的と定めた町を目指して沿岸を移動している最中だ。
地上を大きく跳ねるかの如く進むサニアの姿を、浅瀬を泳ぐマリナが時折海面から確認する。仕方のない事とはいえ、白翼をはためかせ空を悠々と飛んでいた以前のそれに比べてしまうと、当人ならぬ彼女であっても、何か感じるものがあった。
「あら、誰か来たわよ」
急に、サニアが何者かの来訪を告げる。その優れた視力で、行く先に人影でも見つけたのだろう。
「二人組ね。肩慣らしに始末してやろうかしら」
「一人で大丈夫?」
早速戦意を露わにする友人へと、一応、といった程度の気持ちでそう声をかけておく。どのような返答が来るかなど、想像に難くないのだが。
「たかだか二人くらい、問題ないわ。それに……………………いえ、とにかく一人でやらせて」
途中何を悩んだのかは知らないが、やはり一人で戦いたいらしい。それも良いだろう。魔法のみならず、普通に戦っても彼女の腕の立つことは十分承知している。
「分かったわ」
「心配しなくても、翼一つなくしたくらいで、後れを取ったりしないわよ」
「ええ」
それも相手次第ではあるのだろうが。この時間、こんなところで、一体どのような相手であるのか。
「相手の様子はどうかしら?」
「さあね。流石に暗いから、もう少し近寄るまでは…………」
サニアの言葉が、途中で止まる。
「どうかしたの?」
「いいえ、何でもない」
どうにもそんな様子ではなかったが、答えるつもりはないらしい。
「ここまででいいわ。あなたは先に行って、いつもみたいに準備をお願い」
陸側から、サニアの声が上がる。格段に移動速度を落としてしまった彼女に合わせてここまで一緒に来たが、ここからは一旦別行動だ。
「…………あまり、無理しないようにね」
返事の代わりに聞き届けられはしないだろう言葉を残し、マリナは沖側へと進路を変えて目的地を目指した。
泳ぎながらこの後に控えた一仕事のことを考える。船舶程度の規模ならいざ知らず、町という比較にならない大勢の集団を襲うとして、果たしてどうなるか。あの変身魔法の男のように、サニアの魔法が通じないような人物がどの程度存在するかが問題だろう。それさえなければ、数の多さもさして問題にはならないように思える。
丁度、そんな時、海に生きる種族として生まれ持った感覚が何者かを捉えた。それが何かは分からないが、海の外から分け入って来て、それも泳ぐでもなくまるで未だ地の上にいるかのように海底を移動している。向かっている先は偶然であるのか、自分がいる方向だ。
正体は判然としない。だが、移動しながら暫く様子を窺ってみた限り、こちらを追ってきているようだ。
今この時に海の外からやって来て、地表以上に暗い世界の中を目標を定めて移動する存在。考え付く可能性といえば、先ほどサニアが言っていた二人組くらいである。海の底を人間が歩いている場面など、これまで出くわした経験もないが。
ただ、もし本当にそうであるというのなら、如何にするか。明らかに視界の効かないこの状況で海の中の自分の存在を認めて追ってきているというのなら、撒くというのも難しそうだ。
迎え撃つ。そう決めた彼女の脳裏に、一つ考えが浮かび上がる。考え、というよりは場所といったほうが適切であろうか。折角、海の世界に足を踏み入れられる人間という、稀有な存在に巡り合ったのだ。ならば、その人物をあの地に招き入れてみるのも良いだろう。ひょっとしたら、自身が抱える人間たちに対する、恨みと呼ぶにはどこか煮え切らないこの感情を判然とさせることにもつながるかも知れない。
それに、一目だけでも人間という種に対して、自分たち人魚が存在し暮らしを営んでいたその痕跡を、受けた傷痕の大きさを見せつけることには、何らかの意義があるように感じられた。
マリナは進路を僅かに変えて、自分がその昔に暮らした町を目指す。地底を這う何かはその後を確かについてきていた。
泳いで、泳いで、町との距離が近づいていく。