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エルフの少女に恋した少年は永遠の命を追い求めました  作者: 赤い酒瓶
第二章 青海で聞こえた二重唱
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第二話 人外の集い

 甲板にてミセリアと話していたキャスだったが、彼はとある変化に気が付いた。先ほどまでの爽快な晴天がいつの間にか一変しており、空一面に雲が満ちている。吹きすさぶ風もその強さを増し、どうにもこれから天気が大きく荒れそうな様子だ。

 現に今、空を見上げていたキャスの面に、雨粒が落ちてきた。

「天気が悪くなってきた。中に入ろう」

 彼はミセリアにそう言って、船内に戻ろうとする。

「あれ、本当だ。さっきまで晴れてたのに」

 ミセリアも空模様を確認してから、キャスに従って歩き出した。

 ところが、少しばかり歩いたところで二人は周囲の変化が、その天候ばかりでなかったことを知る。周囲で和やかにしていた他の乗客や船員たちの様子も、なにやら妙なのだ。

 雨が降り出したというのに船内に戻ろうとする乗客も二人の他にはおらず、ではそれ以外の人々がどうしているのかといえば、各々何人かで集まり、遠目にもわかるほど不穏な空気を醸し出している。

「何かあったのかな?」

 ミセリアもその様子に気が付いたようで、周囲の人々に目をやりながら呟いた。

「そうだね……。ちょっと様子を見てくるから、先にステラのところに戻ってて」

 何か問題があったのなら把握しておきたいので、キャスはミセリアにそう言って、一人で集団の一つへ向かう。流石に物騒な空気だったので、ミセリアを伴っていくことはしない。

「うん、そうする」

 ミセリアも素直に船内へと戻っていった。

 揉めている彼らに近寄って聞き耳を立ててみる。流石に目の前の苛立った集団に声をかける気にはならない。

 だが、そうして彼らの声に耳を傾けてみたものの、キャスにはどうにも事態が理解できなかった。彼らの言い合いの内容は、こいつが俺に喧嘩を売ってきやがった、いやこいつが俺を睨みつけてきやがったのが原因だ、などといったしょうもないもので、大の大人がむきになるような事とも思えなかったのだ。事実、周囲の人物には、そんなことで揉めてるんじゃねえ、などといった内容の声をかけている者もいたが、その人物の口調や態度、言葉も乱暴で攻撃的、挑発的なもので、それらの発言もより場の熱を上昇させる要因になっていた。誰もが不自然なほど喧嘩腰になっている。

 それからキャスは別な集団の様子も窺ってみたが、やはり同じく下らない中身の争いに熱くなっているだけだった。

 ただし、争いの中身が下らないだけであって、この場の有様まで「下らない」の一言で切って捨てることはできそうにない。争いは荒々しさを増し、怒声が聞こえだして今にも殴り合いにでもなりそうな雰囲気なのだ。

 そのような光景が船上のあちこちに見受けられ、明らかに不自然であったが、彼は原因に全く見当がつかない。

 雨も激しさを増し、周囲の音も徐々に聞き取り辛くなっていた。

「……戻ろうか?」

 雨に打たれ続けずぶ濡れになったキャスがぽつりと呟く。周囲の音が碌に聞き取れないなかで、自らの声だけは雨音の中でも、はっきりと聞こえた。

 その時、雨音の先にある人々の怒声、その中に混ざり込んだ別種の音の存在に彼はふと気が付く。

 一体何であろうか。耳を澄まし、彼はそれが歌であると知った。いつから聞こえていたのか。こんな状況の中にあっての場違いな存在。キャスは周囲を見渡して歌声の出所を探す。

 そして彼はその発生源を見つけた。それは船の中ほどのその上空から、甲板に足をつけることなく船上の光景を見渡している。曇天を背に純白の翼をはためかせ、己の歌を雨と共に降り注がせている彼女は、しかし人の姿。自身の目にしている光景と、周囲で生じている事態、キャスの認識が正しければ、歌っている女の正体はセイレーンだった。

 当のセイレーンの視線もどうやらキャスの方へと向けられているようで、彼がそちらに気が付いたことも察せられているようだ。

 セイレーンは歌い続け、周囲はすでに口論から乱闘へと争いを進めている。つまり、彼女がその種族固有の魔法を用いて船員たちの意識を誘導し、この事態を引き起こしているということで、キャスからしてみれば自分の乗り合わせた船を襲撃した賊、ということだ。

 彼は腰からその剣を抜き、セイレーンに向けて投擲する。異能を用いてその身体能力を限界まで底上げして、だ。

 剣はぐるぐると縦に回転しながら目標に迫り、このまま進めば相手の頭を割るようにしてその体に食い込む軌道だった。

 しかしながら、相手はセイレーン、そもそもが宙を舞って生きる種族である。距離の開いた位置からの投擲はあっさりと躱され、剣はさらに向こうへと飛んでいってしまう。そして、相手は飛んでいった剣から注意を外し、再びキャスの方に視線を向ける。

 一方、キャスの意識はセイレーンではなく、飛んでいった剣の方に向けられていた。剣の軌道が彼の異能に操られるまま、その意に沿って弧を描くようにして反転し、一度取り逃がした獲物に再度襲い掛かる。相手はそんな彼の様子を、唯一の武器を手放して為す術がなくなったとでも見ているのか、美しい歌を響かせながら悠々と見ているだけだった。背後から迫る危機には気が付いていないのだろうか。

 結果、キャスが投げ放った剣は再度相手の頭部を叩き割ろうとする。ところが、その直前に異変に勘付いたセイレーンが身を捻ってしまい、背後からの一撃はその左翼を切り落とすのみに終わった。

 剣はそのままキャスのもとに戻ってきて、彼はそれを掴み取る。その間、片翼を失った相手は真直ぐに落下して、甲板に叩きつけられていた。雨粒が甲板を叩く音に混じって、鈍い音が鳴る。

 しかし、それでも尚セイレーンは生きているようで、歌の代わりにうめき声をあげている様子が窺えた。

 止めを刺そうと、キャスはそちらへ向けて歩み出す。

 ところが、その距離が半分も縮まらないうちに、今度は彼が見落としていた存在が彼の前に姿を現した。海側で一度何かが飛びあがったのが彼の視界に入り、その正体を彼が悟るよりも先に、それはもう一度海面から飛び出してくる。二度目は再び海中に戻るのではなく、船の上、セイレーンのもとに着地した。

 それを目撃した彼は目を疑わざるを得ない。

 飛び出してきた存在、それはつい最近まで追い求めていた存在の一つ、その肉に不老不死の効能があるとされ、その昔に狩りつくされたとも思われていた種族、人魚だった。見るに、彼より幾らも年上なのであろう、人間でいうところの四十歳ほどの外見で、濡れた黒髪を肌に張りつかせ、黄金色の鉾を両手で持ち、こちらへ構えている。

 キャスも予知の力と身体能力を上げる力、それらを併用して次の敵であろう人魚に身構えた。

 海に暮らすその種族が、陸の上で、もとい船の上でどれだけの戦いができるのか分からないが、決して油断はするまいと意思を固めて距離を詰めようと動き出す。対する相手は、その鉾の先を真直ぐにキャスへと向けてきた。

 直後、自身の予知に移りこんだ敵の攻撃に彼は驚愕する。その一撃は避けるにはあまりにも速く、強力だった。

 その予知から一瞬の間に彼が講じ得る対策はたった一つ。その魔法を受けて尚耐えきってみせるという、もはや策ですらないものだ。

 成功するかどうか、全く見込みのつかないまま、彼は自身の中にある異能とは全く別の力を引き出そうと試みる。

 そして、それは発現した。黒い血管のようなものが彼の体表に浮かび上がり、闇が彼を覆い隠す。

 ちょうどその瞬間、その闇を掃うかの如く人魚の用いた魔法、その手にある鉾の魔道具による魔法によって、天からの雷が彼に落ちた。

 轟音が響き渡る。

 当の人魚はといえばその結果を確認することなく、或いは相手の死という結果を確信していたのか、傍らに蹲るセイレーンを抱え上げて船上から離脱するところだ。

 人魚がセイレーンと共に海中へと逃げ込むべく跳躍する。

 しかしながら、その試みは完璧には成功しない。雷によって掃われた闇の中から黒い狼に似た怪物が現れ、彼の爪がその飛び上がり様、下半身をぎりぎりで捉える。人魚たちは命あるまま海中まで逃げてしまったが、その場には彼女の血と肉、それと鱗が飛び散っていた。

 そして後に残った人狼は再び闇に包まれ、闇が晴れた後には落雷による負傷を抱えたキャスが残る。

 彼は人魚たちが去った方向をじっと見つめており、これ以上、彼女たちが何か仕掛けてこないかと警戒を巡らす。

 相手側の負傷も然ることながら、どの道自分にもこれ以上戦う余力が残っていないために、気にする意味もないと考え、結局、人魚たちは本当に去って行ったようだとキャスは判断することにした。

 気力も体力も限界の彼は、その場に座り込もうとし、途中で力が抜けて倒れ込んでしまう。

 倒れ込んだまま力を抜いて、彼はようやく先ほどの雨が降りやんでいたことに気が付いた。空を見上げると、そこではもう青空が顔を出し始めていて、やはりあれはあの人魚の仕業だったのだなとキャスは考える。セイレーンの声を覆い隠すようにいきなり降り出したのだから、きっとそうなのだろう。伝え聞いた人魚の魔法通りの現象だ。

 空模様とは異なり、辺りの喧騒は相変わらずで、セイレーンによって引き起こされたこの乱闘騒ぎはまだ少しの間続きそうだった。とはいえ、殺し合いにまで進行する前に歌が止んだのだから、大した心配をする必要はないはずだ。

 不意に訪れた戦いをひとまず乗り切ったことを確認したキャスだったが、彼は自らに近寄る足音があることに気が付く。

「大丈夫?」

 足音の主はミセリアだった。彼女はしゃがみ込んでキャスの顔を覗き込み、そう問いかけてくる。普段と違って彼の頭の方が下にあるので、彼にはミセリアの顔がよく見えた。

「うん…………」

「動けそう?」

「なんとか」

「そっか、良かった」

 ミセリアと言葉を交わしていると、キャスの中でとある不安が芽生える。

「見てたの?」

 それにミセリアが首を振る。

「ううん、中にいたらすっごい音が聞こえたから、見に来たの」

 どうやら人狼と化した自身の姿を見られてはいないようだと、彼は安堵の息を吐く。

「ああ、雷が落ちたからね。それより、中の方は何もなかった?」

「別に、普通だったよ。それで結局、何があったの?」

 どうやら、セイレーンの魔法は船内にまでは効果を及ぼしていなかったらしい。ミセリアとステラの方には何も被害がなかったことまで確認し、キャスは今回の騒動において、自分たちに然したる被害を出すことなく乗り切れたことをはっきりと把握した。唯一目立った被害といえば、彼自身の負傷くらいだが、それも直ぐに癒えるだろう。人狼の身体ならば尚更だ。

 一方、当然のことながらミセリアは未だに事態を把握しきれていないようで、キャスに事のあらましを尋ねてきた。彼女からしてみれば、目の前では同行者が負傷した状態で寝転がり、周囲では大人たちがそろって争っているのだから、それは不安だろう。そんなふうにキャスは察しをつけ、簡潔に状況を説明する。

「ちょっと、船を襲いに来た連中がいてね。もう逃げたから大丈夫だよ」

「え……、ああ、うん」

 あまり腑に落ちない様子の反応が返ってきたが、今はこれ以上の説明も億劫であったので、そのまま話を進めてしまう。

「それじゃ、まだ暴れている人たちもいるし、中に入ってなよ」

「キャスは?」

「僕は、…………暫くこうしてるよ。騒ぎが収まるまでは、一応目を離したくないし」

 まだ動くには辛い、と正直に告げるのも心配をかけるようで憚られ、そんなふうに彼は答える。

「だったら、あたしもここにいる」

「いや…………、まあ、いいか」

 何かあったらいけないので、ミセリアをステラの下にやってしまいたかったものの、満足に動けない様子の自分を案じてのことだろうかという考えに至ると、諦めて傍にいさせるしかなくなってしまう。

 それきり、二人は無言で周囲が静まるのを待った。

 どうして自分とミセリアにはセイレーンの魔法の効果が及んでいなかったのか。彼がその疑問に気付くのは、それから少し経ってから。

 彼の周囲には切り落とされた純白の翼と翡翠色の鱗、それから彼自身の剣が無造作に転がっていた。


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