第一話 飛んできた帽子
まず初めに、投稿すると宣言した日から約八ヶ月も経ってしまい、申し訳ありません。
そして、投稿していなかった間にブックマークしていただいた十名以上の方々、新たに評価をつけて下さった方々、ありがとうございます。
相変わらず拙い出来ではありますが、第二章もお楽しみいただければ幸いです。
暖かな気温の中で風が穏やかに吹き続けている。絶えず吹き続ける風はともすれば肌寒さを覚えそうなものだが、今日という日が普段よりも天候に恵まれた温暖な日であったため、そのように感じることはなかった。
その清々しく心地良い風に身を晒し全身で堪能しながら、彼は空を見上げる。
吸い込まれるような青空の中で太陽が輝いており、彼と太陽との間を遮るものは何もない。その輝きはとても眩しかった。
真っ白な雲が少しばかり遠くの空を流れていく姿を彼は見つける。そして暫くの間、太陽の日差しの暖かさを感じつつそれらの行く末を眺め、ぼうっとした時間を過ごしていった。普段このようにのんびりと意識を傾けることがないせいか、それとも今日の天候のせいか、彼はその動きを見て、速いな、という感想をぼんやりとした頭の中で抱く。
白雲の位置が大きく移り変わってから、視線を下ろして眼下の光景を視界に収めてみる。空の青を映しこんだ海原が太陽の光を反射し、こちらもまたきらきらと眩い。
彼はそれまで両肘を乗せてもたれかかるようにしていた手すりから体を起こし、今度はそれを背にする格好でもたれかかった。眼前に広がる光景が海原から木製の甲板へと移り変わって、眩しさから解放される。
甲板には他の乗客たちの姿もあって、彼は流れゆく雲の代わりにそれらを眺めた。
そうしているうちに、一人の女の子が彼のもとへ歩いてくる。その背丈は十にも満たない子供のもので、茶色くつばの広い帽子を目深に被っているため、ここからその容姿を窺うことは叶わない。彼がここ数日ほど面倒を見ている少女だった。
少女はその帽子が風に煽られて飛ばないよう、しっかりと左右の端っこを手で握りしめたまま彼の目の前で立ち止まった。それから帽子の角度を浅くして、彼を見上げる。
「それで、様子はどう?」
「うん、少しは落ち着いたみたい。今は部屋で寝てるよ」
彼、キャスの問いに、目の前の帽子の少女、ミセリアが答えた。彼らが話しているのは、彼の仲間、ステラのこと。
彼らは現在、船に乗って次の目的地へと向かっている最中なのだが、ステラが船酔いで参ってしまい、ミセリアが今まで彼女に付き添っていた、というのがこの会話の背景だ。本来ならキャスも一緒についていてもよかったのだが、ステラ自身にそこまで気を使う必要はないと言われてしまったことと、ミセリアにも自分がついているから大丈夫だと言われてしまったために、これまで一人で海上の風景を堪能していた、という訳である。
「まあ、船に乗るのは初めてだって言ってたし、初日ならこんなもの、なのかな?」
そう口にしつつも、自身の時はそのようなことはなかったし、体質的なものだろうかと彼は考えていた。ステラが特別弱かったのか、それとも自分が強かったのか。
「ちょっと弱い方だと思うよ。船から降りるまでずっと酷いままじゃないといいけど……」
目的地に着くまで数日ある。早めに船旅に慣れてくれるに越したことはない。
「そうだね。折角の船旅なんだし……」
折角、こんな快晴に恵まれたというのに、以前船に乗った時のように一人でぼけっとしているのは、キャスにとっても残念なことだ。
そもそもなぜ、彼らが子供連れで船に乗っているのか。それは二人が立ち寄った町での、偶然の出会いに端を発する。
キャスとステラがその町に着いたのは、彼らが船出する数日前だった。それなりに大きな港町だ。
満月の一件からステラと共に行動するようになって数週間、彼の故郷へ向けて歩を進めていた二人だったが、当然そこへの道程について二人の間で決める必要がある。
キャスが故郷へ向かう理由を知らないステラは急ぎの用であるとでも思ったのか、最短の経路で構わないと言ってくれたが、彼はそれに同意しなかった。今更急いで向かうよりも、少し遠回りして色々なところをステラとみて回りたかったのだ。それは新たに気を惹かれ始めた相手との時間を楽しみたかったのか、あるいは彼が故郷で為さんとしていることへの怯懦が今になって芽生え始めたということなのか、彼には分かりかねた。
因みに、キャスは自分が故郷へと向かう理由について、未だにステラには話していない。ステラの方も彼に問うたことはあったが、彼の答えたくなさそうな様子を察したのか、そのうち話してくれれば問題ないという彼女の言葉に、キャスは甘えさせてもらっていた。
それで結局、どのような道を辿って目的地に向かうことになったのかというと、ある意味ではキャスの希望通りに、と言ってよいのか、彼がそれまでの道々の中で見てきた、もしくは話に聞いたものの中からステラが関心を抱いたものに立ち寄るように旅していくこととなったのだ。未だ故郷の外について疎いステラに対する、キャスなりの配慮の意味もそこにはある。
そしてまず二人が向かうことにしたのは、彼らが滞在していた場所からもっとも近場にあったもの、海と船、それと、都会だった。
そんなわけで、現在彼らは港町に到着した、という訳だ。ここから船に乗って、向かう先は以前にキャスが立ち寄ったことのある町だ。
「随分人が多いんですね。いえ、人の数だけならエルフの里とそう違わないのかもしれませんけど、雰囲気が全然違います。何ていうか、せわしなくて……、時間が早く流れているみたい…………」
石畳の敷かれた町中に踏み入って、停泊している船、それらによって運び込まれた品々が並んだ店、煉瓦造りの建物に、それらの間を行きかう住人と旅人、旅行者達、彼らの暮らしぶりを目にしたステラが感想を口にする。その当人の挙動もまた、あっちを向いてこっちを向いてと忙しそうだ。
町中の雑踏を突っ切るようにして、二人で海側へと向かっていく。
前に独りで歩いた時はこの賑わいが煩わしく感じられたこともあったが、一緒に歩く相手ができると、賑やかさも悪くないように思えた。
「これが海ですか……」
曇天の下、人々の間を潜り抜け、水平線まで視界一面に海を見渡せるようになって、二人はその場で立ち止まる。
「天気が良ければ、もっと綺麗なんだけどね。まあ、そのうち見れるよ」
それから暫く、返事もしないまま無言でじっと海に見入っているステラにキャスが付き合う形で、二人は佇んだ。
キャスの言葉に返事が返ってきたのは少しばかり時間が経ってからで、海から目を離したステラが彼の方に向き直って、こう言った。
「明日は、晴れるといいですね」
その表情には僅かながら笑みが浮かんでいて、結構楽しみにしているように見える。
「……そうだね。それじゃ、どこか見たいところでもある?」
そんな彼女の様子に自身がそれ以上の笑みを浮かべてしまいそうになるのを堪えつつ、彼はそう問うた。
「そうですね………………、いえ、直ぐに見るようなものも思いつかないので、先に宿の確保と、それから次の船がいつ出るのか、確認を済ませてしまいませんか? それと……」
ステラが言葉を区切って視線を斜め下に逸らす。彼女のその仕草は、そこから先の内容が彼女にとって言い難いものであることをキャスに告げていた。
思い当たる節もなく、キャスはただ訝しんで言葉の続きを待つ。
「そろそろ手元のお金が心許なくなりそうなので、出来れば冒険者のギルドの方で、船出までの間に済ませられそうなお仕事を探せれば……」
「ああ」
聞いて、キャスも納得の声を上げる。思い返せばあの村を出発してからこれまでの道中、いくつか小さな町に立ち寄る機会はあったものの、特に何か仕事を引き受けたわけでもなかったので、確かにそろそろ資金面で苦しくなってもおかしくない頃だった。
「うん、僕の方もそこまで余裕があるわけじゃないし、確かにこの辺りで少し稼いでおいた方がいいかもね。何か割のいい仕事があれば、次の船を諦めて、その後の船に乗ることにしてもいいし」
実際、彼の懐事情も、船に乗るために支払う金額と、この町での滞在にかかるであろう金額、それらを差し引いてしまうと近々厳しくなってくる計算だ。では何故今の今までそのことを然して気に留めていなかったかというと、彼の今までの一人旅でのやり方、明日明後日には財布が空になろうかという時になってやっと、できるだけ報酬の良い仕事をこなして資金を補充するという暮らし方をしていたころの感覚のままでいたせいだった。身軽で気ままな一人旅でしみついた悪癖だ。
もっとも、あまりにもいい加減であるという自覚はあるため、流石に今後そのようなやり方をする気は彼にもない。
会話の裏でキャスがそんなだらしない過去の自分の存在を隠さんとしていると、ステラの方はステラの方で何かしら思うところがあったようだ。
「よろしいんですか? 何度も伺うようですけど、本当に急がなくて」
この問いは、彼の言った「その後の船に乗ることにしてもいい」というものに対してのものだろう。どうにも、ステラは彼が故郷に帰る理由が急ぎのものであるのではと気遣っているようで、このような問いかけも既に何度かなされている。それに対する彼も、これまで通りの答えを返す。
「大丈夫、そのうち一度帰れれば、問題ないから」
「……はい。それで、先にギルドの方に行ってもいいですか? わたし、まだ実際に利用したことがないので、どういう所なのかよく分かっていないんです」
「いいよ。それっぽい建物をさっき見かけたけど、そんなに遠くないし。それにギルドに行けば、どこかしら良い宿とか、それから船が出る日なんかも多分教えてもらえるし」
ギルドを利用したことがないのなら、まずは登録手続きからか。そんなことを考えつつ返事をして、二人は歩き出そうとした。
瞬間、一人の子供の存在がキャスの目に留まった。
深緑色で丈が足首近くまである、さながら旅人が着るような外套を身にまとっている。それを着ているのが冒険者や旅人であれば何も気に掛けることはなかっただろうが、だからこそ、対象が子供であることがキャスの気にかかった。
それと、その旅人じみた外套と共に在るにはどうにも不似合いな、装飾のついたつばの広い帽子。町に定住して、着飾る余裕のある者が被ってそうなやつだ。しかも本来なら大人の女性の頭にあるべき物だったのか、彼からはどうにもその子供には帽子が大きすぎるように見えた。外套に比べて、帽子の方が真新しいようである。因みに、帽子のせいで顔は見えない。
総じて不釣り合いで妙なその姿が一瞬ばかりキャスの目を留めた。
そしてその一瞬の間に、それは起こる。
一際強い風が吹いた。
子供の帽子が飛ばされる。
帽子はキャスの方へ飛んできて、彼はそれを掴みとった。
掴み取った帽子を手に、子供へと視線を戻す。
とても愛らしい顔立ちをした少女の姿がそこにあった。ブラウンの髪と瞳は彼と同じで、長い髪をおさげにしている。その顔立ちは子供のものとはいえ、彼を惹きつけるにも十分な魅力を有していた。
奇妙な出で立ちの中からそんな中身が出てきたことに不意を突かれて、キャスは動作が止まってしまう。少女もまた、じっと彼の方を見つめ返していた。
「どうかしたんですか?」
立ち止まって動こうとしない彼に気が付いたステラが彼に声をかけ、それによってキャスも行動を再開できた。
「いや、何でもない」
ステラに返事をしてから、手元の帽子を少女に返すべく彼はそちらへ足を動かす。年端もいかない少女に見惚れかけていたなどと悟られていないか、心中で不安になりつつだ。
一方、彼が近寄ってくるのを見て、少女もキャスに向けて歩き出した。
「はい。今度からは気を付けるようにね」
少女の目の前まで来ると、キャスは帽子を少女に差し出しつつ、そう告げる。
「うん、ありがとう」
少女の方は素直に礼を言ってそれを受け取り、頭に被りなおす。再び少女の容姿が彼の視界から隠された。
「この町の子なの?」
少女の外見が先ほど通りの奇妙なものになり、キャスはこうして関わったついでに、その恰好に対する疑問を解消すべく、少女に話しかける。
「ん? どうして?」
少女はキャスのことを再度見上げて、そう問い返した。質問に質問で返されてしまったのは、急にそんなことを尋ねたからだろう。どうでもよいことだが、少女が見上げて尚、彼からはその帽子のつばに邪魔されて、相手の顔は見えなかった。
「いや、旅人みたいな恰好なのに、町の人が被ってそうな帽子をしてたからさ」
「ああ、これ? これはさっき買ったの。あたしはこの町の人じゃないよ」
予想していた答えの一つだったとはいえ、得られた回答によって、彼の中で別な疑問が生じる。
「どうしてこの町に?」
上流階級の家ならまだしも、普通、このような年頃の子供を連れて他所の町まで来ることなど、それほどなさそうなものなのだが。
すると、それに対して意外な答えが少女から告げられる。
「え、偶然通りかかっただけだよ? お母さんと一緒に冒険者やってるの」
一瞬理解に窮してしまい、彼は言葉に詰まってしまう。まさか、このように小さな子供が本当に冒険者として活動しているはずもあるまいし、どういうことだろうか。
「もしかして、信じてないでしょ。本当だよ、ほら」
キャスが黙ってしまったせいで、少女の方にも彼の思っていることが伝わってしまったようである。そう言いながら少女が見せたのは、外套の内側にある幾つもの武器だった。
「…………」
これ以上は気軽に尋ねないほうが良さそうだ。そう彼は結論付けて、その場を立ち去ろうとした。
ちょっとした偶然からの何でもなさそうな出会いだったが、随分妙な子供に出会ったものだ。
ところがその時、今度はこれまで黙っていたステラが少女に声をかけた。
「それ、本当なの? あなた、お母さんは?」
「え……、ええと、その、…………逸れちゃった」
ステラが何を思ってそんなことを聞いたのかキャスには理解できなかったが、少女がその言葉に見上げていた視線を顔ごと逸らしたのが帽子の動きでわかる。しかも、帰ってきた答えからして、もう少しばかりこの少女に関わらざるを得ないようだ。
少女の言を聞いたステラが、キャスの方に視線をよこす。この子の親を探すことに付き合ってもよいか、という意味なのだろう。
それに了承する意味も込めて、キャスの方が少女にそれを申し出る。
「よかったら一緒に探そうか?」
ところが少女はそれに首を振ったようだ。帽子が動く。
「ううん、いいの。どうせもう、この町にはいないし」
「いない?」
「うん、さっき出た船に乗って、次の町に行っちゃったと思う」
その後、キャスとステラが少女から話を聞いた限りでは、どうやら本当にその母親は町を出てしまったようだった。子供連れで冒険者などという仕事をし、あまつさえ逸れた子供を置き去りに自分はさっさと次の目的地に向かうなど、一体どのような母親なのかと彼は思ったが、どうやら一旦二人で船内まで乗り込んだ後、少女が勝手に船を下りてしまったことが原因らしい。しかも、置手紙までしての確信犯だった。
幸いと言ってよいのか、その母親が向かった先というのが二人の向かう先とも同じだったため、少女をその町まで一緒に連れていくということにすんなりと決まる。
お互いの名を名乗り、少女の名がミセリアということを知り、次の船が出るまでの数日を町で過ごし、現在に至る、という訳だ。




