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エルフの少女に恋した少年は永遠の命を追い求めました  作者: 赤い酒瓶
第一章 森に染み入る獣の咆哮
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第十二話 期限

 それは満月の一日前、訓練を終えた後の夕暮れ時だった。二人は小屋に帰ってきて、いつかの様に椅子に腰かけ向き合っている。

 修行自体は順調に進んでおり、既にキャスは強化の魔法を用いたジーンとも渡り合うことができるようになっていた。その能力の成長速度は、やはり異常であろう。少なくとも、魔力、魔法においてはこのような成長速度はあり得ない。ステラにもらった銀の短剣も用いれば、あるいはジーンに勝つことも不可能でないほどだ。

 その一方、ここでの暮らしが気楽で楽しいあまり、ずるずると引き伸ばして触れてこなかったが、もう今夜には自分の人狼化について、お互いの結論を出さなければならないだろうとキャスは考えていた。

 ジーンの方はどのように考えているのか分からないが、時折深刻そうな様子で考え込んでいたのをキャスは知っていた。彼としてはお互い良くやれていると感じており、それでもそこまで人狼の血を与えることに迷っているのだろうかと案じている。そうだとすれば、その内容は人狼の血を与え、人狼が増えることによることを危惧するのとは別のものなのだろう。赤の他人を眷属にして従えようとする類の人間でないという信頼くらいあることは彼とて疑っていない。

 しかしそうだとすれば、ジーンは何を悩んでいるのであろうか。キャスには分からない。

 とはいえ、それを考えても仕方がないと、キャスは名残惜しくも、明日の別れに向けた話し合いを始めるため、話を切り出した。

「明日はもう満月だし、今夜には結論を出さないとね」

 少し沈んだ声音で、そう言う。

「………………………………………………」

 ジーンの方はこちらを見ないまま、卓上に視線を落としている。普段であれば何かを言い辛そうにしたり、切り出し辛そうにしたりするのはキャスの側であったが、今回は珍しくジーンの方が黙り込んでしまっている。

 そういえば、最初に自分がここを訪れた日を含めて、面と向かい合った場でジーンが深刻そうにしているのはこれが初めてかもしれないとキャスは気づく。彼の印象では、少なくとも日を追って増えていた一人で考え込んでいる瞬間を除いてだが、ジーンは常に悠々自適というか、そこまで深刻になるようなものを抱えているようには見えず、煩わしい全てを切り捨てて、のんびりと暮らしているような印象だった。

 やはり、この彼の態度は今まで彼が陰で悩んでいたことの表面化したということだろうか。

 いつまでたってもジーンが沈黙したままなので、キャスは更に言葉を続ける。

「僕の答えは変わらないよ」

 まず告げるのは、率直な答え。

「たった一度の機会を得るためでしかないけれど、そのために人間をやめても構わない」

 分の悪い賭けであることは承知している。たった一度だけ、告白の機会を自らに許すために人間をやめて怪物になるというのだ。そして失敗したときの末路は、きっと今のジーンのような孤独な暮らしとなるだろう。負ける確率は高く、かけるものが大きすぎる。普通に考えればやめておくのが利口だ。

 しかし、彼にそんな選択肢はあり得なかった。

「大事なものを諦めたまま、だらだらと目的のない旅の果てに老いて死ぬのはごめんだ。ここで賢いつもりになって、人狼になるのをやめたとしても、どうせ待ってるものはつまらない人生にしかならない。それに、孤独な末路なんて、人狼にならなくてもあり得る話だしね」

 手に入るか分からない価値あるものを諦めて、確実に手に入る不十分な価値に手を伸ばすことはしない、それが彼の答えだった。短く言えば、妥協しない、それだけのこと。

「それが僕の答え。ジーンの方は?」

 自らの言えることは粗方言い切り、いまだ何の反応も示さないジーンに問いかける。

「…………」

 黙ったまま、ジーンが視線を上げる。その眼を見るに、何がしかの決断が下されたようだ。

「人狼の血を与えることに、私も異存はないよ」

 その言葉を聞いても、キャスは喜びはしない。相手の様子を見れば、それだけでないのは明らかであるからだ。

「……ただし、条件がある」

 案の定、ジーンの言葉は続いた。

 いったいどのような条件なのであろうか、キャスには見当がつかない。しかも残り時間のないこの満月直前に出される条件だ。

「条件って、どんな?」

 嫌な予感だけはしており、緊張気味にキャスが尋ねる。

 それに対して、普段にない重々しさをもって、ジーンは答えた。

「人狼の血が、力が欲しいのなら、明日、私と戦ってほしい。戦って、勝ち取ってくれ」

 それがジーンの出した条件であり、答えであった。

「……つまり?」

 明らかに不穏な回答に、キャスが聞き返す。予想外な内容で、正直聞きたくないとすら思ってしまう。

「明日、私を殺して、私の人生を終わらせてほしいってことだよ」

 聞き返すと、今度ははっきりとその意図を告げられた。

「いや……、どうして、そんな答えに?」

 ジーンの答えが予想外なうえに、とても深刻なものであったことから、キャスはそうとしか言えない。心中にはただ動揺だけが広がっており、じっとりと嫌な汗が滲み始める。ジーンの様子、そもそもの言葉の内容から、彼の言ったことが冗談でないことは明白だ。ただ、それでも自身が不意に置かれた状況を理解することを、キャスの心は拒絶したがっている。

 なぜだか先ほどから小屋の中の静けさが、彼の耳には、いやに強調されているように感じられていた。

「どうして、か。……そうだね、確かに、理由も言わずにという訳にはいかないか」

 ジーンがその答えに至った理由を、簡潔に語る。

「単純な話だよ。きっと、今まで永遠の命を得た者のうちの何人もが行き着くところさ。もう充分すぎるほどに生きたから、誰かに見送られて逝きたい、充分に満足のいく最後で終わりたい、それだけの話だね」

 それを聞いて、キャスは何と言ってよいのか分からなくなった。

 安易に止めるべきではないのだろうとは、彼にも理解できる。いくらジーンが自分を殺してくれという旨の話をしているとはいえ、それは自殺志願と一括りにはできない。彼自身人狼となろうとしている身であるから承知しているが、要は殺されるくらいしか終わりようがないのだ。老いず病まずの強靭な肉体、他に死ぬ方法があるとすれば、自殺くらいになるだろうか。だとしても、自分で死ねなどと言えるわけもない。

 そして、そんな彼が見送られて死ぬには、どこの誰とも知れない人狼狩りや魔物が相手では駄目というのもわかる。互いに友人と認めあっている自分であれば、見送る人間としてふさわしいのもわかる、今の時代には、もう彼の知己など他に残っていないのであろうから。

 しかし、だからといって二つ返事で受け入れられるかといえば、当然否である。友人を斬り、その命を絶つなど、たとえそれが相手に望まれたものだとしても、御免蒙りたい。

 ジーンの言いたいことは理解した、理解したがやりたくない。そんな気持ちが、キャスの口を塞いでしまう。

 ジーンの方は逆に、ここまで言ってしまったことで口が軽くなったのか、さらなる言葉で追撃してくる。

「キャス、君がそんなことをしたくないことは十分に理解しているし、君にとっての大きな重荷になることも承知している。ただ、私にとっても、この先もう二度とないかもしれない好機なんだ」

 友を殺したという大きな十字架を背負わせることになるのは理解しているが、それでもやってくれと、そう訴えられてしまう。彼にとっても、退けない話なのだろう。

「私の最後の友人として、どうかこの頼みを引き受けてくれ」

 その一言を告げられて、キャスは断ることができなくなってしまった。



 話が終わって、時間は夜中へ進む。

 キャスは眠りに逃げ込むこともできず、只管に先ほどのやり取りについて考え続けている。 

 結局、彼はあの場ではっきりとした返事はできなかった。

 そして、そんなキャスにジーンは戦いのための場所と時間のみを告げて、話は打ち切られた。

 その後はいつものように食事を終えて、寝床について、今に至る。

 常であれば特訓の疲れからキャスもすぐに眠りに落ちるのだが、この最後の夜だけはそうもいかない、夜明けまでには、覚悟を固めなければならないのだから。

 そう、覚悟を固めるという言葉のとおり、彼の内心では答えは出ている。出ているが、そのまま踏み出せる自信がない。

 さもすると、せめてもっと時間があれば、そんなふうに考えてしまいそうにもなる。もっとも、時間があったとしても、やはりこうやって直前まで悩んでいただろうか。あるいは、覚悟なんてものは、その直前になるまで固まらないものなのかもしれない。とはいえそれは、考えることをやめる理由にはならなかった。

「はぁ…………」

 すぐそこでジーンが寝ているにもかかわらず、つい小さくため息をついてしまう。

 当のジーンの方は、横になってすぐに寝入ってしまっていた。その態度を見れば、彼にとっては明日死ぬことに微塵の抵抗もないことが窺える。むしろここ数日の様子を思い出せば、肩の荷を降ろせたかのような様だ。

 そんな彼を見ていると、明日には殺しあうという事実が嘘のようにも感じられてしまう。

 だが、事実は事実、ジーンは明日の戦いでキャスに殺されるために挑むと決めているし、キャスも明日の戦いでジーンを殺すため、死力を尽くして戦うとは決めている。ただキャスのそれは、本当にそうできるのか自信がないほど、弱々しい決断だ。

 本当にこの決断でよいのか、何度目になるのか分からないそんな問いを自らにする。

 辿り着く答えはやはり変わることはなく、他に道はないことを再確認するのみだ。自身の望みを曲げることは出来ず、相手の望みも曲げられることはない。そして、その二つは相容れる内容だ。妨げとなるのは、彼の心のみ。

 最後まで一睡もできぬまま夜は明け、珍しくいつもより遅い時間になっても目を覚まさないジーンを措いて、彼は一足先に小屋を後にした。


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