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エルフの少女に恋した少年は永遠の命を追い求めました  作者: 赤い酒瓶
第一章 森に染み入る獣の咆哮
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第九話 終わりの訪れ

 真夜中のとある村の外れ、月明かりの下で二つの影が重なり合っている。

 片方の影が持つ剣が、もう片方の胸を貫いていた。

 片方の影が持つ牙が、もう片方の肩に喰らいついていた。

 二つの影が崩れ落ちる。

 影の片方は、黒髪黒目の優男。両の膝をついた姿勢で、その肩についた歯形から血を流し、男が持つにはいささか不似合いな美貌に苦悶の表情を浮かべている。剣は相手に刺さったまま手放してしまっており、鎧の一つも身に着けていない。

 影のもう片方は、全身漆黒の毛に覆われた獣の姿、巷で言われるところの「人狼」という存在だ。こちらは胸を剣に貫かれたまま、地面に倒れ伏している。倒れたきり一切動くことなく、死んでいる様子。どうやらこの黒髪の男性は、見事にこの怪物を討ち取ったようだ。

 事の起こり自体は単純。近隣の村から人狼がこの近辺にいる可能性があるという情報が入ってきたため満月の夜に警戒をしていれば、実際に人狼が現れた。そして、それを迎え撃つために村で飛び抜けて強いこの男が戦って、勝利した。

 彼の実力の高いことは、一人で人狼を倒した事実が証明している。一人で戦ったのは、大勢で戦った場合、弱い者から噛まれて眷属化されることを恐れたからだ。

 他の人々は彼が戦っている間に散り散りに避難させている。最も強い少数が足止めしている間に、そうやって他のものを逃がすのが、この時代における小さな村がとり得る人狼が現れたときの対策であった。彼の勝利は、例外的な快挙である。恐らく村を出て戦うことを職にしていれば、それなりに名を広めていたのであろうと考えられるほどに。

 しかし、彼の心にあるのはこの取り返しのつかない現状に対する混乱だけ、絶望に至るほどには、まだ事態を受け止められていない。

 自身の肩についた狼の噛み跡、徐々にひいていく痛みを実感しながら、彼はそれを呆然と見つめる。何かを考えたところで、何もかも手遅れだ。それが意味するのは、避けようのない変化が彼の身に訪れるということであり、彼の未来がこの瞬間に、全く別のものへと書き換えられてしまったということである。

 要約すれば、人狼に噛まれてしまったから、人狼になる。それだけのことだ。

 だけれどその事実が、心の混乱が収まるにつれて徐々に男へとのしかかり始める。

 自身が今この時も人狼へと変質していることを思いながら、彼は考える。自分が人狼になった後、如何にすべきであろうか。

 少なくとも、自らに始末をつける気は彼にない。

 かといって、事実を伏せて何食わぬ顔で今迄通りの生活に戻ることも難しいだろう。満月の度に行方をくらまし、人間のはずなのに一向に老けない、そんな存在が村に居れば遅かれ早かれ真実に気付かれる。

 もしくは、正直に周囲の人間に自分が人狼になったことを伝えたとする。この場合、今迄通りの生活を送れるだろうか。もし受け入れられれば、一応は今までのような生活になるのだろう、彼一人が老いないという点を含むとしても。だがそんなことにはならないだろうことくらい、彼にも理解できている。人々にとって、人狼という存在、それの持つ眷属を作り出し従える能力はどんな種にとっても脅威だ。彼がどんな人間だったとしても、今の時代にあっては見逃してもらえるとは考えない方がよいだろう。

 肩の痛みが完全に消えた頃、男はそこまで考え至った。そうして自身に残された選択肢を理解する。

 それは、逃げること。このまま両親にも友人たちにも、何一つ事実を告げることなく旅に出て、行方をくらますことだった。そうすれば、彼は親兄弟友人と敵対することなく去ることができる。

 結局それだけが、彼に許された選択肢だった。

 彼は地につけていた両膝を上げ、歩みだす。

 空は白んでおり、彼が人狼化しきるよりも夜明けの方が早かったようだ。

 そうして彼は、村人たちが戻って来る前に独り去って行った。

 それが彼、ジーンの旅の始まりだった。



 それから長い長い時間、数百年以上の年月が経過した時代のとある森、そこにジーンは住んでいた。

 彼が旅をしていた時間は最初の百年にも満たなかっただろうか。彼自身、人狼になってから、とりわけ森に住みついてからというもの、月日の計算は杜撰なものとなっており、どのくらいの年月が過ぎ去ったのか詳しく把握していない。ただとても長い期間を一人で過ごしてきたという認識があるのみだ。

 彼が旅をやめたのは、単に疲れたからと言うほかないだろう。人の世を化物として忍んで渡り歩くことは、彼にとってはとても気の滅入る日々だったのだ。心休まる時のない旅路が、彼をこの森での暮らしに追いやるのにそう時間はかからなかった。

 幸い、人狼として得た力、それまでの旅路で学んだ知識があれば、一人で森で暮らすに不足はなかった。

 そうして彼が森にこもっていくらかすると、どこから話を聞きつけたのか、今度は人狼である彼を狩りに来る輩が現れ始めた。

 彼はそれらを返り討ちにしながら、時折その戦利品を利用しつつ、それでもその森に留まって暮らし続けた。

 そして今、彼はもう人狼となってから何度目になるのか分からない満月の夜を迎え、もうこの森に住んでから何度目になるのか分からない人狼狩りと相対していた。

 相手は見たところ、男女混合の五人組。燃えるような赤毛の男が率いた一団だ。

 それは彼からすれば、今まで何度も見たような、うんざりする光景。真剣な目でこちらを見ており、何の疑問もなく己が欲望のために殺気を放つ略奪者たちの姿。必然、殺すことにためらいを覚えるようなことはない。自分を殺しに来た者だから殺す、彼がこの森で幾度となく繰り返した行為だ。

 一人の少女が弓に矢をつがえ、魔法を付与した矢が放たれた。

 そしてそれは人狼の足元に刺さり、彼を無色の結界の中へ封じ込める。

「よし、いくぞ!」

 その光景を見た赤毛男がそう叫んで、仲間たちとともに走りくる。しかし、彼らがたどり着く前に、この怪物が行動を起こした。

 大きな咆哮を上げるとともに、人狼化に伴って上昇した能力、その上に魔力による身体強化、さらに自身の魔法を用いた強化と、幾重にも強化された驚異的な力をもってして自身を閉じ込める結界を叩き壊す。

 その光景に男たちが目を瞠る中、彼はすぐさま動き出し、敵方の一人である女性の胸を貫いて仕留める。

 赤毛の男がその女性のものと思しき名を叫ぶ中、しかし彼らの決断は速かった。他の男に促された赤毛男は、すぐさま撤退の判断を下す。

 しかしながら、もはや逃げることも困難なほどの実力差が両者にはあった。魔法を放ちながら退いていく彼らだったが、そのうちの一人があっけなく追い縋られる。

 辛くも追撃してきた人狼の一撃を躱す少女、だがしかし、その拍子に転んでしまう。

 その血に突き動かされるまま、人狼の彼がそれに止めを刺さんとしたところで、背後から声がかかる。

「待て!」

 ほぼ同時、背後に攻撃が迫っているのを感じ、振り返りざまに飛んできた剣をはじく。

 振り返った彼の眼には、いましがた戦っていた一団の者とは別の人物の姿が映る。腰に下がる鞘以外、武器も鎧も持たない装いの、ブラウンの目と髪をした男だ。

「間に合った、か……」

 人狼の耳に男がそう呟いているのが聞こえるものの、彼は構うことなく一直線に駆け出していた。満月の夜にこうして変身している以上、目の前に人が現れれば襲わずにはいられない。

 人狼の猛威が男に迫る。男は最初の一撃を見事に捌く。

「いけるか……?」

 初撃をしのいだ男がそう呟くのが彼の耳に入るも、構わず追撃。応じて男も次々に繰り出される攻撃を防いでいく。

 そうして両者攻めきれぬまま、ごく短い時間の後、戦いの終る時が訪れた。

 朝日が顔を出し満月の夜が終わったことで、人狼の本能が治まってゆく。

 彼は目の前の男に攻めかかるのをやめ、様子を見ることにした。人狼の姿は解かない。様子を見るのは、一応この男が自分を殺しに来た者なのかを確かめるためだ。もっとも、この場にいる以上、彼としてはそれ以外にないだろうとは思っているが、あくまでも確認はしておく。継戦の意思を見せれば、即殺すことに躊躇はない。

 しかして、彼の予測は外れていたようだ。男は構えを崩すことなくじっと、動かずこちらの様子を窺っている。

 見つめあうこと暫し、男の方が口を開いた。

「理性が戻ってる、のかな……? だったら、少し話がしたいんだけど」

 出てきた言葉は、そんなものだった。

 それは彼が森に籠ってからの長い時間の中で、初めてのことだ。今までの来客は総じて会うなり武器を構え、襲い掛かってくるような、彼を獣としかとらえていない、あるいは人狼にも人と同じく知性があることを失念しているかのような連中ばかりであって、対話を望むような者は一人として存在しなかったのである。

 人狼の彼はそんな珍客に興味を覚え、ならばその用向きに付き合ってみたいと考える。どの道、相手が戦闘目的で訪れたのでないのなら、彼には殺す理由もないのであるから、そうしたところで不都合もない。

 そう脳内で決定を下したところで彼は、ならば一旦この場は離れようと決める。どのような話になるのかは分からないが、一晩に亘る人狼状態による疲労もあり、この場で人間の姿に戻るのは避けるのが賢明であると判断したからである。

 また、彼がいまだこの場から離れていない先ほどの少女の方を見逃すのは、この目の前の客人への配慮だ。この男とて、さすがに命懸けで守ろうとした相手を目の前で殺されてしまえば、話をするどころではないだろう。彼にとっては、些細な外敵の駆除よりも、今までとは異なる眼前の客の方が重要だった。

 よって、この場では何の反応も返すことなく身を反転させ、四つ足で駆け出す。彼としては、男の方にとってもその用向きが重要なものであるならば、後から追ってくるであろうと考えている。


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