宝飾店 守玉〜太陽が照らす一筋の未来〜
ーーー宝飾店、『守玉』。
小さな佇まいのその店は、少しだけ名の知られた店だった。
白い壁の、二階建ての洋館。なんとなくレトロなカフェに見えなくもないその店こそが『守玉』だ。
一度店のドアを押し開くと、チリンチリンと括り付けられたドアベルが来店を報せに店中に響き渡る。
「ーーーいらっしゃいませ、お客様。本日はどのような『守玉』をお求めでしょう?」
柔らかな声音の持ち主は、白いノリの効いたシャツと黒のパンツ、長く艶やかな黒髪をポニーテールにした若い女性。小粒なのに鮮烈に存在を主張する赤い石の嵌め込まれたシルバーネックレスが印象的な、優しい雰囲気の人だった。
彼女の名前は、守谷佑希。この『守玉』の女主人である。
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珠玉、という言葉がある。優れたもの、美しいものという意味の言葉だ。
『守玉』という店名はその当て字だが、それ故にもうひとつ、大切な意味を持っている。
「私、すごく引っ込み思案で………。いつも、どうしていいのかわからなくて。仕事の先輩にも、いつも怒られてしまうんです……。」
客は、本人の言葉通りおどおどとして落ち着かない様子の人だった。自分に自信がなく、精神的にも大分参っているようで、話しているだけの今でさえ僅かに涙ぐんでいた。
佑希は彼女の話を聞きながら、そっと彼女を観察していた。
佑希の目から見て、彼女はとても疲れているようだった。束ねられた髪はそれでも乱れているし、化粧の上からでもわかるほど濃い隈ができている。頬にも血色が無く、全体的に顔色が悪い。
ティーサービスに出した紅茶とクッキーにもいつまで経っても手を出さない。どうぞ、と声をかけてようやく躊躇いがちに手をつけたほどだ。
それを見届けて、少しの思案の後佑希は席を立った。店の奥の背の高い棚。その中身を吟味し、幾つかの小箱を抱えて席に戻る。
かこん、かこんと軽い音を立てて一つずつテーブルの上に並べられる。小箱の中には、赤みの強いオレンジ色の雫型の石と、それより一回りは大きい同型の 深みのある赤色の石が入っていた。
光を取り込んでより輝きを増す美しいそれらに、泣いていたことも忘れて思わず見入る。ほう、と感嘆の息が洩れた。
「こちらのオレンジの石がカーネリアン、赤い石はサンストーンと言います」
桜色の爪に飾られた指先でそれぞれを示して、それらを小皿に取り分けて、一粒摘まんでは小さく開けられたホールに亜麻色の革紐を通して行く。それから余りの部分を編み込んで、両端にピンク色の不透明な丸玉を飾りに通して結んだ。
左右に紐を引っ張れば輪の大きさが広まる。丸玉の部分を引っ張れば、今度は輪は狭まった。
それを確認して、佑希は完成したばかりのそれを客の前に差し出した。
彼女は「これが……」と訳知り顔でそれを見つめている。
「あの、お幾らですか?」
「お代はまだ頂きません。試してみて、効果があったらまたご来店ください。お代はその時に」
佑希はそれ以上は語らず、語らせもせず、彼女の手首にそれを通してにっこりと笑んだ。
彼女は戸惑って何度か自分の手首と佑希の顔とを見比べていたが、葛藤の末、「わかりました」とか細い声で頷いた。
「その子たちが、貴女の『守玉』となりますように………」
意味深に呟かれた言葉が耳に付く。
彼女は立ち上がり、会釈して店から去って行った。
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彼女ーー由美の勤め先は広告のデザイン会社だ。
スーツ出勤の義務は無く、私服がそのまま普段着になる。ピアスやネックレスを付ける人も少なくないため、由美のブレスレットも職場で浮いたりするようなことはなかった。
いつも通り、由美は今日もデスクを前に頭を悩ませていた。
広告デザイン会社はその名の通り、依頼人の宣伝したいものをより効果的に、印象に残りやすく描き上げ、印刷する。
由美はその下書きの段階でいつも悩むのだ。
アイディアはある。豊富とは言わないがそれなりに創造力のある由美は、発想に困るということは入社以来一度も無かった。
しかし、それが由美の悩みの根源でもあった。
浮かぶアイディアは一つ二つではなく、そのせいでどれが最も見映えするか、目に留まりやすいかと決定案が出せない。デザインが決まっても、今度は配色を決めるのにまた揺らぐのだから、常に選択を強いられる。
今日も由美は配色に満足がいかず、パソコンの液晶画面を睨みつけていた。
今手掛けているのは地元の祭の宣伝ポスターだ。地域貢献の意味も含めて請け負ったらしい。
夜に行われる催し物だから背景は黒に近い濃紺とスタンダードにしたはいいが、そのせいで味気ない印象になっている。だからこそ色彩を入れるために暖色を使うことも考えたが、暖色と一言に言ってもその種類は星の数。使うポイントも絞り込まなければ喧しい絵面になってしまう。
「篠岡さん」
「はっ、はい」
かけられた声に顔を跳ね上げる。
由美を呼んだのは鬼塚といって、由美の先輩ーー指導係だ。
また自分は何かしてしまっただろうか。由美は神妙にして鬼塚の言葉を待った。
握り締めた手元から、しゃらりと石同士のぶつかり合う軽やかな音がした。
「今、先方から連絡があったの。試品の納期を今週末に早めたいそうよ」
「えっ、こ…今週末ですか?」
一気に短縮された納期に由美がギョッとする。
当初の予定では来週末だったものを、残り三日で仕上げろと言うのだから当然の反応だろう。
今回はたまたま既にデザイン案が決定しているから全く無理とは言わないが、配色の決定、試印刷、その後に不備が無ければ新たに印刷したものを依頼人に試品として納品するのだ。間に合わせようと努力することはできても、絶対の保証はできない。
「あら、後は配色だけなのね。これなら大丈夫そうね、先方に伝えておくわ」
「えっ、あ……」
パソコンに目を留めた鬼塚が意外そうに目を開く。
その配色が最難関なのだと言う暇もなく、由美がしのごのとしているうちに、鬼塚は「よろしくね」と自分のデスクへ戻って行った。
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「由美、あのお店にはもう行った?」
「梓」
昼休み、弁当箱を片手に現れた友人に顔を向ける。
梓はあの店を由美に教えた張本人だった。詳しくは聞いていないが、彼女も以前あの店の世話になったらしい。
梓はあの店を『守玉』を紹介してくれる店だと言っていた。
宝石。天然石。パワーストーン。
数々に知られる名称ではなく、『守玉』という言葉を彼女は選び、使う。
その意味と理由を、由美はまだ知らない。
梓は由美の手首に目を留めて、よしよしの悟ったように一人頷く。由美の前の席に座って満足顔だ。
「由美は赤か。いいね、似合ってる」
「そう、かな……私にはちょっと派手じゃない?」
「全然!」
大きく首を振る梓の耳では、動きに合わせて紺色のイヤリングが揺れていた。
いつでも付けているそれが、彼女があの店で紹介された品だそうだ。クリソコーラと言うらしい。
由美と梓は真逆の性格をしている。由美は気を揉みすぎて行動力に乏しく、梓は溌剌として感情に富んでいる。
そんな二人は、紹介された色も真逆だった。
「なんで私が赤なんだろうね。梓の方が似合うのに……」
「えー? でも、大丈夫だよ。それが、由美の紹介された『守玉』なんだから」
あの人の見る目は凄いよ。
そう言って、梓は弁当を箸で突きだした。
(本当、かな……)
こんなもので、本当に何かが変わるの?
不安な目を手首のブレスレットに落とす。昨日受け取った赤い石たちは、今もキラキラと光を反射して輝いていた。
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「どう、しよう……」
定時も過ぎた後、自宅のベッドの上で蹲って由美が悩むのは当然仕事のことだ。
情報保持のためにデータを持ち帰るわけにもいかず、記憶の中の図案と照らし合わせて構想を練るしかない。
それでも何もしないで無意味に時間を消費するなどできるはずもなく、由美は枕元の棚から図鑑を取り出し、パラパラと捲った。
由美が眺めている図鑑は一般的な図鑑とは少し違う。これは色の図鑑なのだ。
ずらりと似たような色が並んでいて、その脇には色の名称が記載されている。しかし、色の違いなどほとんどわからない。
その中の、なんとなく目に付いた色を記憶の中のデザインに当てはめてみるが、どれも悪くないとは思えても満足のいくものにはなり得なかった。
ぺったりと、見開いた図鑑の上に顔を伏せる。その姿勢のまま、腕を持ち上げてブレスレットをみた。
ゆらゆらと雫が左右に揺れる。綺麗だとは思うが、今は溜息しか出なかった。
『守玉』の女主人は、カーネリアンとサンストーンだと言っていた。名前だけなら聞いた覚えもあるが、果たしてこんなもので何の効果があると言うのか。
また、由美の口から溜息が洩れた。
図鑑を押しのけて天井を仰ぐ。何とはなしに伸ばした手の近くでブレスレットが煌めいた。
由美の目が瞠られる。これだと、霊感さえ感じられた。
ほんの一瞬しか見えなかった色。石の色とは違う輝きを放った色。
図鑑に載るどの赤とも違うあの色は、しかしどの赤よりも温かみがあった。
由美の鼓動が早くなる。
由美はもう一度、ブレスレットの嵌った腕を真上に伸ばした。
オレンジと赤が緩やかに揺れる。オレンジの透明度が増している。赤い色が照明灯の光を吸い込んで、赤がかった違う色を放っている。
由美は飛び起きて押し入れの奥から絵の具を取り出した。
感と自分の色彩感覚を頼りに色を混ぜ合わせて、目に焼き付けた色に少しでも近づけようと齧りつく。
あの色以外の赤なんて、考えられなかった。
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二階建ての洋館の出入り口。重みのある焦げ茶色の木扉を押し開けて、チリンチリンとドアベルを鳴らす。
「いらっしゃいませ………あら、お客様は」
一瞬目を丸くした店主が、しかしすぐに目元を和らげて柔らかに微笑んだ。
「お久しぶりです」
「本日はどのようなご用向きで?」
「ーーーお代を、支払いに」
にっこりと笑んで告げられた言葉に、彼女はさらに目尻を和ませた。
「では、その前に守玉の説明を致しましょう」
どうぞ奥へ。勧められるまま、由美はせんしと同じテーブルへと足を向けた。
コースターの上にサービスの紅茶と、その隣にお茶受けのクッキー。
由美はゆっくりとストローを唇で挟み、香りのいいそれを口に含んだ。
佑希はそっと笑みを深める。
「守玉はお役に立ったようですね」
「おかげさまで」
躊躇いなく肯定する彼女にそれはよかったと前置いて、佑希はもう一度守玉の名称と、それぞれの持つ意味を口添えた。
カーネリアン。それは勇気を齎すもの。自分の持てる力を発揮させ、また不幸や失敗を退ける守りの石。
サンストーン。それは光り輝くもの。自らの持てる力をどのようにかして誰かのために生かすか、その道を照らし出す導きの石。
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宝飾店、『守玉』。珠玉を当て字にした名のその店は、それ故にもうひとつ役割を持つ。
守玉、守りの宝玉。
古来より不思議な力を宿している宝石たち。それを必要とする人に、必要とするものを紹介する。
それが『守玉』のもうひとつの役割だ。
白い壁の、二階建ての洋館で、女主人は今日も持ち主を待つ宝石たちを休ませる。
今日も、明日も、明後日も。
宝石たちは、自分たちを必要とする持ち主を待っている。
ーーーチリンチリン。
洋館のドアベルが鳴った。
「ーーーいらっしゃいませ、お客様。本日はどのような『守玉』をお求めでしょう?
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