クリスマス支援
今年からぼくはサンタクロースの手伝いを引き受けている。
サンタの仕事は世間一般に認知されているような、夜中そりに乗って枕元にプレゼントを置くというものでもなく、街角で赤いコスチュームを着てケーキを販売するのでもない。
では何をするのかといえば、誰かにプレゼントをしようという気持ちにさせることだ。
さすがにサンタクロースだけでは世界中の人をカバーできず、その手伝いをする者が世界中に存在している。ほとんどの人間が知らないであろう手伝いの存在、関係者たちは単純に支援者と呼んでいる。
ぼくはその東アジア日本支部の支援者をすることになった。
この支援者たちは身体のどこかにスタンプが捺されている。ぼくの場合は右の手の甲だ。
スタンプは関係者にしか見えないはずなのだが、どういう訳かぼくにそれが見えてしまった。同じ会社の総務部で働く吉田さんの手のひらにうっすらと何かが見え始めたのが今年の始め。
見えにくい手のひらのせいか、いつも吉田さんをこっそり見ていたぼくしか気づかないらしく、だれも何も言わないようだった。
最初は痣なのかと思っていたそれはしだいに形がはっきりしてきて、最終的に鮮やかな緑色をしたヒイラギの葉の模様に見えた。
ぼくは手のひらに刺青が、と凝視してしまった。手の甲にファッションタトゥーを入れている人を見たことはあったが、手のひら側に入れている人は見たことが無かったのだ。ぼくの視線の行方に気が付いた吉田さんが驚いた顔で話しかけてきた。逃げる隙もなくぼくはあっさり吉田さんに捕まって事情を教えられた。
普通は見えないものらしいそれを見えてしまうぼくは、サンタクロースの手伝いをする資格がすでに備わっているのだという。吉田さんは紹介で支援者になり、手続きを済ませた後に少しずつ見えるようになったらしい。何の手続きをしないでもヒイラギが見える人は珍しいのだそうだ。折角見えるのだから、支援者をやってみないかと誘われた。もちろん強制ではないので断っても構わないとも言われた
ぼくは甥っ子に毎年クリスマスプレゼントをあげている。だがそれは単なる行事の一環との認識しかなく、特にこれといってクリスマスを楽しみにしているわけではないし、祝うこともない。どちらかというとクリスマスシーズンが近づくにつれて様々なものから目を背けたくなるので、心を強く保つよう心がけていると言えるだろう。独り者にクリスマスシーズンの浮かれた空気は厳しいのだ。だけど吉田さんと会話できることが嬉しくて、つい二つ返事でサンタの手伝いをすることを承諾し、日本支部の新たな支援者となった。
吉田さんは支援者の仕事内容を詳しく教えてくれた。
プレゼントを準備しない人が近くにいると、ヒイラギスタンプが赤くなる。見える範囲にいると点滅を始め、遠ければ遠いほど点滅の間隔はゆっくりに、近づくにつれて間隔は短くなる。ヒイラギスタンプを頼りに目当ての人物を探して指定された言葉を唱え、誰かにプレゼントを贈ろうという気持ちの種を心に植え付けるのだ。
初めは難しいかも、と前置きをした吉田さんの説明を聞いて、なんだ簡単そうじゃないかと安心した
。もっと難しいことをさせられるのかと考えていたのだ。
ぼくの右手にスタンプが捺された翌日、昼休みに入った定食屋で右手がうずいた。あ、じゃなくて右手の甲が赤く点滅した。
点滅を頼りに店内を見渡すと妙に気になる中年のサラリーマンがいた。不自然に見えないよう、コップを持って給水器まで行く。途中そのサラリーマンの近くを通ると、ヒイラギスタンプは激しく点滅した。目に優しくない点滅がまぶしくて、あわてて手の甲を左手で掴んだ。その仕草に恥ずかしさを覚え、手の甲がかゆいんですよという振りをしておく。
さあ、初めての支援活動だ。
ぼくは意識を集中し、サラリーマンへ向けて力ある言葉を紡いだ。
「……メリークリスマス」
今は初秋になったばかりである。日中はまだまだ暑く、私服ならばまだ半そでを着用する人が圧倒的に多い。季節を先取りするファッション系ショップのショーウィンドーは秋物をマネキンに着せているが、店内はまだまだ夏物を売っているのだ。クリスマスツリーのディスプレイなんて見かけるわけがない。そんな暑い初秋の定食屋の中、メリークリスマスという語を口にするのは気が引けてしまい、ぼくは秋になっても見かけるにっくき蚊の鳴くような小声になっていた。
会社に戻って総務部の前を通ると吉田さんとすれ違った。ぼくを見て明るい笑顔になる吉田さんと軽い会釈を交わす。人好きのする笑顔が今は心に痛い。
「もうお手伝いはされました?」
世間話のように話しかけられ、動悸が激しくなった。
「む、難しいですね」
このどきどきは覚えがあった。学生時代、苦手な授業の最中に突然先生から指名されたときに感じた動悸と同じ種類のものだ。先生からの問いにうまく答えられなくて緊張し、動悸が激しくなるのだ。
せっかく話しかけられたのに、ときめくのではなくて先生に当てられたような緊張をするとは我ながらふがいないと思う。
ぼくは定食屋で呪文を唱えたものの、小声だったそれは相手に届かなかった。力が届けば消えるはずのヒイラギマークの点滅は止まらなかったのだった。本物のサンタクロースは直接言葉を聞かせなくても、数キロ離れた場所で力ある言葉を唱えればその気にさせるらしい。しかし、支援者は力のある言葉を相手にしっかりと聞かせなくてはいけない。だというのに、ぼくが発声した言葉は「……ンウィヤン」というメリークリスマスのどこにもかすらないうめき声だった。
見ず知らずの人に「メリークリスマス」と聞こえるように言う行為そのものは決して難しいものではない。不審者と思われたら嫌だな、という類の感情が邪魔をするだけだ。
吉田さんは良い答えを用意できなかったぼくにうなずいてみせた。
「初めはみんなそうですよ。そのうち慣れますから、あせらず気楽にがんばってくださいね。メリークリスマス」
では、と総務室に入って行った。
支援者同士だと単なるあいさつにしかならないそれは、吉田さんとぼくしにか通じないのだと思うと、一気にやる気が出た。秘密の合言葉を持つというのはそれだけ親密になった気がするものだ。正確には二人だけにしか通じないということはなく、全世界の支援者のあいだで交わされる挨拶なのは知っている。けれどもこの界隈の支援者はぼくと吉田さんしかいないらしい。だからこそ吉田さんはぼくが支援者になったことを喜び、いつも気にかけてくれ、メリークリスマスと声をかけてくれる。
やる気に満ちたぼくは誰もいない廊下の片隅で拳を掲げた。明日、もう一度あの定食屋でやってやる。今度こそあのサラリーマンをその気にさせてやるのだ。