第12話 俺がお前を守ってやる
麓であっても、その大地は熱気を帯びていた。永遠の活火山とまで呼ばれる、ガロウザ火山。その中にそびえるカンザラ城を、じっと見据える者達がいた。彼らはもちろん、魔物退治を生業とする冒険者たちだ。魔物達の領域の拠点でもあるこの城には、腕に覚えがなければ入ることすら叶わないだろう。
「行くぞ」
一人が言うと、あとの二人は無言で頷いた。歩を進め、大きな扉を開ける。軋んだ音を立てて扉が開いた途端、上から槍の雨が襲ってきた。対人用のトラップだ。先頭に出た男性二人が冷静に槍を打ち払っていく。そのまま一気に駆け抜け、罠を抜ける。
「二人とも、大丈夫か?」
一番若い青年が振り向いた。
「ええ、私は大丈夫ですわ」
「こちらも問題ない」
振り向いた先にいた女性ももう一人の青年も明るく返答する。だが、これだけで危機が去った訳ではない。駆け抜けた先にも、モンスターの群れ。
「いけるか、リュウジ?」
「もちろん」
三つ叉の槍を持った青年が駆け出す。横薙ぎに振るうと、波が押し寄せた。突然の水に、炎を纏った異形の者達はひるむ。その隙に、もう一人の青年は剣を構えた。と、突如雷を帯びる。波にのまれた敵に一閃。凄まじい電流が、瞬く間に怪物どもの息の根を止めた。それでも、モンスターの数はすぐには減らない。だが、彼らの表情には余裕が浮かんでいた。襲い来る者どもを薙ぎ払い、奥へ奥へと進んでいく。
と、彼らの前に何者かが躍り出た。素早い動きで腕を突き出す。青年はかろうじて不意打ちを槍で受け止めた。もう一撃、というところで、相手が後方に跳躍。距離を置いたのは、頭に犬耳の生えた奇妙な少女であった。
「リュウ…ジ」
「アクア!? どうしてここに…?」
リュウジと呼ばれた青年の問いに、アクアは答えなかった。衝撃に体をこわばらせ、耳も尻尾もぴんと立ったまま動かない。そんな彼女を気にせず、リュウジは破顔した。
「良かった……。お前、無事だったんだな」
ふわりと微笑む彼に、アクアはますます震える。リュウジは彼女に優しく近づいた。だが、アクアは彼にどう振る舞えばいいのか分からなかった。一歩、また一歩と後ずさる。アクアはリュウジの差し出された手を、反射的に振り払った。
「おれに、近づくな……」
唇を噛み、精一杯睨み付ける。覚悟を決めた彼女にとって、後に戻ることは許されない。リュウジは振り払われた手を惑わせ、悲しげに彼女を見やる。やがてゆっくりと近づき、彼女を抱きしめた。アクアは腕の中でもがく。が、リュウジはそれでも離さなかった。
「すまない、アクア……。俺があのとき守ってやれなかったばかりに、つらい思いをさせて――」
脳裏によぎるのは分かれたあの日。たまたま村がモンスターに襲われて、半分モンスターであるアクアが疑われて――そして、彼女は忽然と行方をくらませた。リュウジは彼女を守り切れなかったのだ。彼の苦しげな声に、アクアは耳をぴくりと動かす。
「やめろ……おれはもう、人間じゃ、ないんだ……」
アクアはなおも逃れようと身をよじった。リュウジは答えず、ただ抱きしめる腕の力を強めるだけ。アクアに彼の顔は見えない。だが、その肩が、体が、震えているのを感じた。泣いているのだ。顔を見ずともそうだと分かる。アクアはもう何も言えなかった。ふっと体が離れ、目の前に彼の顔が現れる。
「もう思い詰めなくていい。俺がお前を守ってやる。必ずだ」
涙で歪みながらも、屈託のないその笑顔がアクアには眩しかった。
「リュウジ!!」
女性の声で、二人ははっとして現実に引き戻される。青年の背後に、炎に包まれた怪鳥が迫っていた。それは凄まじい勢いで突進してくる。リュウジが振り向こうとしたときには鋭い爪がもう目と鼻の先にあった。と、彼の体がぐい、と引っ張られる。アクアが彼を引き寄せたのだ。すんでのところで突撃を免れる。離れた瞬間を見逃さず、青年が槍を振るった。水流が炎の鳥を包み込む。火の勢いと共に動きが鈍った怪鳥を、リュウジは剣で切りつけた。耳障りな声を上げ、そのモンスターは絶命する。見れば、辺りはかなり静まりかえっていた。モンスターは残っているが、彼らも命が惜しいのだろう、一定の距離を保ったまま近づこうとしない。
「行くなら今のうちだぞ」
低く落ち着き払った声で、槍を持つ男性――コウライは言った。リュウジともう一人の女性、サキも無言でうなずく。好機は逃してはならない。4人は駆け足で暑い城内を進んだ。
リュウジらについて行ったが、アクアは迷っていた。このまま人としてこの城を攻略するか。あるいはモンスターとして彼らをこの手にかけるべきか。愛しい男を殺せるはずがない。しかし人である自分と決別した以上、彼に甘える訳にもいかないのだ。走りながら、アクアの思考はグルグルと渦巻いていく。整理のつかない混沌だ。ただ一つ確かなのは、リュウジを死なせたくない、その気持ちだけだった。
*****
「炎獣隊は奴らの前方を固めろ! 飛べるやつは上方から攪乱しろ! 小鬼とフレイム達は背後からの奇襲だ! レッドドラゴンは――倒されただと!?」
人間達の侵入に、俺は部下達に指示を飛ばしていた。だが、そいつらは今までとは格が違っていた。こちらの布陣をいとも簡単に崩し突破し、凄まじい勢いで俺のいる玉座に迫ってくる。その上圧倒的な実力にこちらの兵の士気が下がっていた。かなり不利な状況だ。俺は思わず歯ぎしりする。なんとしても食い止めなければ。魔王軍四天王の名にかけても、この城を守る義務があるのだから。
と、俺の目の前にある扉が開かれた。片手剣を構えた男。槍を携えた男。杖を持ったローブ姿の女。三人の人間が俺と対峙する。その後ろで、犬耳が揺れていた。そいつはしばらく呆然としていたようだが、俺の姿を認めて嬉しそうに耳を立てた。が、その姿を剣を持った男に遮られる。
「ちっ、人間が……こんなとこまで攻めてきやがって」
俺は憎々しげにつぶやく。誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。だが目の前の人間はそれが聞こえなかったのか、真っ直ぐこちらを見据えてくる。
「お前が、この城の主か?」
剣を持った男が尋ねてきた。が、その問いに答えてやる義理などない。腕に力を収束させ、一気に放つ。火炎流が人間達に襲いかかった。それは奴らを飲み込んだはずだった。が、人間達は火傷一つ負っていない。見れば、剣や槍で一種の防壁を築いていたのだ。やはり、と俺は奥歯を噛んだ。やはり一筋縄ではいかない。
俺は床を蹴った。一気に相手の間合いに踏み込むと、炎の拳をたたき込む。人間に剣で防がれる。が、俺は力だけで押し切った。後ろにいたもう一人を巻き込んで、剣使いを吹っ飛ばす。間を置かず、残った一人に向かって炎撃を放つ。防御の暇がなかったのか、そいつは横っ飛びによけた。離れた瞬間を見逃さず、俺は犬耳の少女を――アクアを自分の後ろに引き寄せた。寸の間、人間達は呆けていたように見えた。
「アクア!?」
「こいつはこっちの“捕虜”だ。なれなれしくしてんじゃねえ」
困惑しているらしい人間どもに向かって、俺はそう言い放つ。アクアにうろちょろされるのは邪魔になる。こいつの安全は魔王様の命だ――という理由よりも、俺はかなり苛ついているのが自分でも分かった。それがどうしてなのかは分からない。もっとも、今はそんなことを考えている暇はないのだが。
「ちっ、いくぞ、リュウジ」
「ああ」
一人が三つ叉の槍を振るう。と、大量の水が押し寄せてきた。炎のモンスターである俺に水は有効だと考えたのだろう。だが。
「なめるなあぁぁ!」
俺は全身を燃えたぎらせ、熱波を放った。それだけで水は飛び散り、蒸気と化す。俺とて水魔法にやられるほどやわではないのだ。それくらいの対処法は持ち合わせている。
「なっ!?」
対して人間達は驚愕に目を見開いていた。有効打を打ち消されたのだ。精神的な衝撃も大きいはず。俺はその期を逃さず、熱を発散したまま火炎流を放った。防御が遅れ、炎に巻かれた隙に距離を詰める。炎を纏った拳を振り上げる。
と、水流が横から飛んできた。
「ちっ……」
俺は舌打ちし、向きを変えて拳を水に向かって振るう。途端、水は熱波に当てられて蒸発した。もうもうと湯気が立ちこめる。だが、刺すような殺気に俺は戦慄した。
「くらえっ!」
体勢を立て直していた人間が、突きを繰り出していたのだ。その剣にはバチバチと雷が伴っている。――避けきれない。そう直感した俺は、せめて軽傷に済ませようと体をねじった。影が横から現れる。肉を切る嫌な音がこだまする。宿っていた魔法が炸裂する。だが、痛みはなかった。
「お前っ……!」
俺は目の前の光景に驚愕していた。いや、俺だけではなかった。誰もが驚いて、硬直している。ただ一人、その人物を除いては。
「悪い、リュウジ……このひとを、フィルバー様を、殺さないで、く、れ……」
アクアは途切れ途切れに言葉を紡いだ。両腕を広げる彼女の背中からは、突き出されていた切っ先が見えていた。――貫かれている。即死ではなかったようだが、致命傷には変わりなかった。
「あ……アク、ア……」
リュウジと呼ばれていた人間の男が、よろよろと後退る。血糊で嫌な音を立てながら、剣が彼女の体から抜ける。ふらりと、アクアは仰向けに倒れる。その周りに、炎とは違う赤が広がった。