第九話
「今日のお弁当、かわいいね。」
昼休みの教室にて、いつものように三人で机を寄せ合っての弁当タイム。
いずみの言葉に奈々も都の弁当を覗き込む。
「うわ。カラフルっていうか、絵が描いてある?」
「作ってもらったお弁当だから。」と、答える都の声はどこかそっけない。
「作ってもらったって、冴さんに?」
今度は返事がない。
そっといずみが奈々に目配せした。
都の口数が少ないのはいつものことだが、ここまで険悪なオーラを漂わせているのは初めてといってもいい。それも今だけでなく今朝からずっと。しかも別のクラスに教科書を借りに行っているのも、都にしては珍しい。
「あ、あのさ、都。具合悪いとかあったら、いつでも言ってね。あたし保健委員だし。」奈々が言った。
都はきょとんとする。
「別に…大丈夫だけど。」
「いつもと雰囲気違うから心配してるんだよ。」
「そぉ?」
「保護者さん帰ってきて、忙しかったんだよね。」いずみがフォローするが都は「別に」とそっけない。
やっぱりおかしい、と奈々といずみは顔を見合わせ頷きあう。
「またカメラ壊した…とか。」
「先週部活出てないし…」
「もしかして…」奈々が恐る恐る尋ねる。
「冴さんと何かあった?」
「わたしが家出しただけ。」ごちそうさまでした、と言って席を立つ。
「ああ、そう」と言いかけて、奈々はぎょっと都を見上げた。
けれど構わず席に戻って荷物をしまうと、都はそのまま教室を出て行く。
その場に残された奈々といずみは、二人で顔を見合わせた。
と、
「ありゃ?」
その場の空気を無視した素っ頓狂な声が降ってきた。丸めた雑誌で肩を叩きながら、波多野がきょろきょろ辺りを見回す。
「今さっきまで、木島、ここにいなかった?」
「あーえーと、いたけど…」
そう言う二人が、妙な表情をしているのに首をかしげる。
「どしたのさ?」
「みやちゃんが…」
「家出したって。」
は?と波多野は目を丸くした。
「ちょいと失礼するよ。昼飯がまだなんだ。」
「都がお世話になっているのに、今朝はすみませんでした。」
ベンチに腰掛けたまま、冴は軽く頭を下げる。
宮原医院の屋上で、翻る洗濯物を背景に笙子と冴は並んで座っている。空は秋晴れで、少し目を遠くに向けると駅前の風景、そして足元には電車の姿が見える絶好のロケーションである。
「吹きさらしですまないね」と笙子は言ったが、話の内容が内容だけに人に聞かれない場所を選んだのだと理解する。
「都ちゃんと早瀬から話を聞いて、なんとなく状況は判った。んで、そっちは仕事大丈夫なのかい?」
傍らに置いた名刺を見ながら、栄一郎の作った弁当をつつく。
「大丈夫…と言いたいところだけど、この状況を何とかしないと仕事も手につきませんから。」
「眠れないなら処方箋出そうか?」
「ご心配には及びません。ただ、戸惑ってるだけです。都ちゃんが時々頑固なのは子供の頃からですけど、それがこういう方向になるとは思っていなかったので…」
「彼氏がクラスメイトだったら、余計な心配はしなかった?」
「相手によります。」
うーん、と笙子は租借しながら眉根を寄せる。
「どうにも、偏見があるような気がするんだよね。」
「偏見も何も、異世界とか言われて納得できません。」
「じゃあ、例えばマダガスカルとかナウルとか、そういう現実味のある国だったらオッケー?」
「それだって現実味があるとは思えませんが?」
笙子はペットボトルのお茶を飲み下す。
一息つくと、苦虫を噛み潰したような顔をしている冴を見て指折り数えた。
「赤道直下の国がだめだとすると、南米か、アジアか…」
「そういう話じゃありません!」
「そうかい?でも竜杜くんは日本人だし、その点、問題ないと思うんだけどなぁ。」
「異世界人が日本人であるわけないでしょう。」
「人種的にはだけど、戸籍的には早瀬の息子なわけだし。」
「余計訳が判らなくなってきた。」
そうかい?と笙子は面白そうに眺める。
「向こうの世界のことは私もよく判らんよ。ラグレスの家がどの程度の地位なのかとか、当主が何をするかなんて。ただ彼は早瀬の息子で、あの家の跡取りでもある。そう考えれば真っ当だと思うんだがね。」
「随分擁護なさるんですね。」
「早瀬とは中学高校と一緒だったから。高三の時も同じ理系クラスで、よくあの家に押しかけて勉強したよ。お母さんって人は小学校の時に病気で亡くなって、親父さんと二人暮し。親父さんてのが元料理人で、作るものが美味しいんだ。それも十四年前に亡くなって…竜杜くんのことも随分可愛がってたけどね。早瀬の奥さんも美人でしっかり者。やっぱり早くに父親を亡くして、二十歳そこそこで家を継いだって聞いてる。」
「彼のお母様って…」
「向こうの人間だよ。っていっても人種の差、程度だけどね」
「そんな人と面識があるんですか?」
冴の驚きをよそに、笙子はこともなげに言う。
「向こうはどうか判らんが、こっちは友達だと思ってる。とにかくそういう人達に育てられたんだ。なまじっかの若いのよりしっかりしてるし、素養もある。」
「だからって、女子高生に手を出していいとは思いません。」
「話して思ったけど、都ちゃんは頭もいいし勘もいい。ただ言葉が少ないのは、どう言っていいのか慣れてないんだろうね。ゆっくり喋るのは考えてるからか…。その上で竜杜くんを選んだなら、信じてあげてもいいんじゃないかな。」
「契約を盾に取るような人間でも?」
「それは事情があったからだろ。竜杜くんは無理矢理関係を迫るようなことはしないよ。それに今はまだ、心配するほど深い仲になっちゃいないだろ。」
「どうして判るんですか?」
「早瀬以上に真面目だし、何より紳士。彼女が成人するまで待て、って言ったら待つんじゃないかなぁ。」
食べ終えた弁当箱をしまうと、うーんと伸びをして腕のストレッチを始める。
「契約の件も、最初竜杜くんは別の道を歩んでも構わないと言ったそうだ。その上で了承したのは都ちゃん自身。」
「信じられません。都ちゃんがあんな…」
だからさ、と笙子は立ち上がる。
「都ちゃんの身に起きたことを否定してるから話が進まないわけだ。都ちゃんが言うことを信用して、その上で検証してみたらどうだい?」
「検証?」
「お宅も現場の人間だろ?考えるより動くほうが得意と見たが。」
「話は一通り聞きました。これ以上、検証することなんて…」
あ!と笙子は思い出して手を打つ。くるりと冴を見ると、嬉しそうに言った。
「カメラ!」
「木島!」
呼び止められて、都は振り返った。
「波多野くん?」
「ちょい、いいか?」
言われて引っ張っていかれたのは部室だった。今日は活動日でないので当然ながら人はいない。
「あー、なんだな。」
「だから何?」煮え切らない波多野の態度に、都は少し苛ついた口調で返す。
意を決したように波多野が顔を上げた。
「家出したってホント?」
都は怪訝な顔をする。
「波多野くんには関係ないでしょ。」
「それって、ひょっとして竜杜さん絡み?」
波多野の家はフリューゲルより四百メートルほど離れた酒屋である。同じ商店街なので早瀬家とはご近所さん。かつ毎朝のランニングルートが被っている、というのは竜杜からも聞いている。それに都の幼馴染でもあり、二人が付き合っていることを知る数少ないうちの一人でもある。それを言いふらさない事には感謝しているが、今この場では彼の言葉に嫌な予感を覚える。
「ひょっとして、冴さんが何かした?」
あー、うん、と口ごもる。
「波多野くん?」
「あ、いや今朝学校来る時、見かけたんだよ。向こうはオレに気づいてなかったみたい…っていうか、周り全然見てなかったから。」
「それ、どこで?」
「早瀬さんちの近く。」
波多野が言い終えるより先に、都は部室を飛び出していた。
「横ちゃん?少し寄り道して戻るわ。報告は後で聞くから。支障がなければ明日でもいいわよ。今日は無理せず帰ってちょうだい。」
冴はぱちんと携帯電話を閉じた。上着のポケットにしまうと部屋を見回す。
綺麗に整えられた都の私室である。高校生になって滅多に入ることはないが、相変わらず物が少ないことに感心しつつベッドの下を覗き込んむ。都が物を隠す定番の場所だ。その証拠に、ダンボールでしつらえたコギンの寝床もある。
「でも違う、か。となると…」
一旦自室に行き、荷物の片付けに使っていた脚立を抱えてくる。クロゼットを開けると脚立によじ登って上の棚を覗き込んだ。
暗くてよく見えない。
もう一度戻り、手にしたマグライトで照らす。一番奥、柱が出っ張って空間が狭くなっているところに、無造作に突っ込んである紙袋が目に留まった。手を伸ばして引っ張り出す。
少し埃が積もっているが、ここに放置されてさほど長い時間は経っていないらしい。ガムテープの封印を遠慮なく剥がすと、中から出てきたのは更にガムテープでぐるぐる巻きにされた新聞紙の塊だった。
力任せに破っていく。
よくも厳重に、というほど巻かれたその一番最後は、プチプチの梱包材だった。丁寧に巻かれたそれを広げ、中から現れたものを前にした冴の手が止まった。
「これ…?」