第六話
「そりゃあ、事実かもしれないけど…」厨房を片付ける手を止めて、早瀬は顔を上げた。
「俺が話さなくても、誰かから漏れるだろ。」
「それはそうだけど…竜杜のせいじゃないんだし。」
「当たり前だ。」
早目に店じまいしたフリューゲルの店内で、私服に着替えた竜杜は手際よく床掃除をしながら父親の言葉に応える。店を手伝い始めたのは今年に入ってからだが、裏方の作業はほぼ網羅している。
「そういう真面目なところはエミリアに似たんだねぇ。」
「仕方ないだろう。父さんと母さんの血筋なんだから。と、何だ?」
レジカウンターの下。納品書やファイルの間に違和感のある背表紙を見つけて引っ張り出す。
薄い冊子だった。ざらリとした紙に、ひどく見慣れた文字が並ぶ。けれどそれは自分にとってであり、恐らく他の人が見ても読むことはできない。
「銀竜の生態の比較?何でこんなものがここに?」
「生まれたての銀竜なんて久しぶりだからね。過去の事例と比べたくなって引っ張り出したんだ。」
「店で読んでたのか?」見つかったらどうするんだと、呟く。
「誰もいない時しか読んでないよ。それに、見つかっても他の人には読めないんだし。」
「だから注意するとか、そういう気配り…」
「この世界にだって、たくさんの言語や文字があるんだよ。言い訳はいくらでもできる。」にっこりと早瀬は笑う。
この楽天的な部分が似なかったのは不幸なのか、幸いなのか…。
「トラン・カゥイの記録は客観的で助かるんだ。」
「トラン・カゥイ?」
「古い知り合い。研究仲間とでも言うのかな。もっとも、今どこで何をしているかは知らないけど。」
竜杜は眉を寄せた。
何かを思い出そうと、名前の文字をじっと見つめる。
「どうかしたのか?」
「去年…辞令が出る直前に、マリェナの近くで自称竜の研究者に会った。」
「マリェナ?そんな田舎で何してたんだい?」
広い湿地を有する平原地帯の地名が出てきたので、早瀬は不思議そうな顔をする。
「それは…どうでもいい。」
「あそこの夕景は綺麗だから、大方、銀竜相手に一人でしんみりしてたんだろう。」
「あのな…」
「なんだ図星か。」
「勝手に決めるな。」
「次に行く時は、都ちゃんを誘って行くんだな。」
「そうじゃなくて!彼は自分が父さんの知り合いだと言っていた。」
早瀬は息子が言いたいことに気付く。
「子供に勉強を教えてると言っていた。だけど俺のことも、父さんがラグレスの人間ということも知っていた。」
父親が研究者として「ラグレス」でなく「ハヤセ」の名を語っていたことは承知している。だからその時出会った男が父のことを「カズト・ラグレス」の名で認識していたことに、後から気づいて不思議に思ったのだ。
けれど早瀬には心当たりがあったのだろう。
「その研究者って…三十過ぎの眼鏡の優男かい?」
「そんな感じ。」
「だけど、どうしてお前が僕の息子だと判ったんだ?」
竜杜は出会ったいきさつを説明した。
別れ際に名前を聞いたが、今度会うまでの宿題と言われたことも。
「とりあえずリラントとでもしておきましょう、と言われた。」
「伝説の竜の名前を持ち出したか。そういえば小さい頃、リラントと英雄ガラヴァルの絵本を随分せがまれて読んだな。」
「だから…そういう思い出話はいい。」
「なるほどなぁ。」くすくすと早瀬は笑う。
「トランらしいと言えば、トランらしい。」
「じゃあ、この論文の?」竜杜は細かい文字が詰まった冊子を持ち上げる。
「まず間違いない。そういえば…あっちの出身だと言っていたな。卒業間際で教授と喧嘩でもしたのかな。でも学校の先生か。それもまた似合っていそうだ。」
うんうん、と頷く。
「研究者としてはどうなんだ?」
「優秀だよ。彼の集中力、行動力は半端じゃない。ただ、それゆえに突っ走るところがあって、誤解を招くこともあるんだ。随分前に、僕と共著で南の伝承をまとめたことがある。」
「知ってる。戻ったら探そうと思っていた。」
「彼がいなかったら、まとめ上げることは無理だったかもしれない。トランのおかげで失われる前の伝承を、随分拾い上げることができたから…そういう意味では、封印の手がかりを探す手立てを示してくれるかもしれない。もし知らなくても、話をすれば力になってくれるはずだ。」
「簡単に言ってくれるが、相手はすでに失われた伝承なんだ。」
「そういう難題は研究者の大好物なんだよ。それにトランは古い文字が読める。あちこちの語り部に習っただけあって、範囲は広い。もちろん、一族がかつて使っていた文字も。」
「逆に…そんな人材が放っておかれているのが気になるが…」
だって、と早瀬はにっこり笑う。
「一緒にお茶を飲んだんだろう?だったらトランがどういう人間か判ったはずだ。」
どういう論法だ、と竜杜は軽く額を押さえる。
そんな息子の様子に、早瀬は真面目な表情を向けた。
「僕にしてみたら、聖堂の連中よりはるかに信頼できる友人だ。それに彼は本当の意味で研究者だよ。」
そこまで言って、いつもの優しい表情に戻る。
「必要だと言うなら、僕からトラン宛に一筆書こうか?」
「できれば…」
「それとクッキーが随分残ったから…」
「は?」
突然、場違いな単語が出てきて、竜杜は思わず父親を見る。
「明日、都ちゃんに渡してもらえるかい?」
「ああ、都にね。」
頷きながら、紹介状とクッキーが同列なのかと、そっと溜息をついた。




