第五話
あはは、と小暮冴は笑った。
「らしいっちゃ、らしいわね。」
「それ、笑うとこじゃない。」都は憮然とする。
「都ちゃんが困った顔してるの、目に浮かぶわ。」冴はにっこり笑った。
いつもより随分早く帰るコールが来たと思ったら、「買出しに付き合いなさい」と指令が来たので最寄駅で落ち合ったところである。
昨夜は飲み会で軽く酔っ払いだった上に、今朝は今朝で「年内最後の打ち合わせ!」と意気込んで出かけて行ったので話をする暇もなかった。事務所から一歩も出ない時はジーンズが多いが、今日はセミオーダーのパンツスーツの上にブランドのコートをラフに引っ掛けた、彼女いわく「よそ行き」の格好である。癖のある髪は自然に肩に流し、いつもどおり装飾品は小さめのピアスに華奢なデザインの眼鏡のみ。都の母と同級生だから四十三のはずだが、ずっと仕事をしているせいか若く見える。そして足元のヒールはいつもより高目。
「さすがにこれで重量物、持つわけに行かないでしょ。」
「荷物持ちはいいけど…時間早い。」
「あたしだってたまには直帰するわよ。それにスタッフにも適当に、って言ってあるから。明日は事務所の掃除するけどね。」
冴は自分以下四人で構成される、インテリア設計事務所の所長である。
「所長って言っても、営業よ。」というのが本人の口癖だが、重役の采配で多少の都合はどうにでもなることを思い出す。
でも、と冴は都を覗き込んだ。
「そう言われて、悪い気はしないんじゃない?」
「そういうの、慣れてないもん。」
「まぁ、相手によっちゃ嫌味になるけど、あそこまでさらっと言えるのは逆に偉いと思うわよ。」
「分析しないでよ。」
「褒めてるんでしょ。今更、反対する気もないんだから。」
うん、と都は頷く。
単身赴任から戻った直後に二人の交際に激怒した時も、今こうして非常識を了解した上で認めているのも、全部自分のことを思ってくれた結果なのだ。だから彼女が竜杜と口喧嘩のような、端から聞いているとテンポのいい軽口の叩き合いをしていても、本気で怒ってないことは判っている。竜杜は納得行かないようだが、むしろ愉しんでいる気配を感じるのは都だけでないはず。
それが冴なのだ。
自分が受け入れたことは愚痴らず、真っ直ぐに進む。それが都が物心ついたときから「さあちゃん」と呼んでいる、頼もしくも大好きな血のつながらない家族なのだ。
「さてと、年末年始用だから…今日だけじゃ無理か。明日は早瀬さんちに行くんだっけ?」
携帯に思いつくまま入力した買い物リストを呼び出し、冴はうーんと考える。
「お昼だけ。早瀬さんのところも大掃除だし、夜には向こうに戻るみたいだから。」
「そういや年明けはお店開くの、ゆっくりよね。」
「マスターも一緒だって。」
「年末だもんね。」
「こっちはね。向こうの暦は違うと思うけど…」
「そりゃ…そうか。じゃあ、生鮮品は明日で…今日の分は調達しないといけないか。都ちゃん、何食べたい?久しぶりに何でもつくったげるわよ。」
「あ、じゃあ、あれ。」
「なによ。」
「土鍋の炊き込みご飯。色んなの入ってる。」
「また渋いものを…」
「だって作り方わかんないんだもん。それに…」
「二人暮しになってから、作ってなかったわね。すぐに休みだから残っても大丈夫か。」
「コギンも最近食べるし。…あ、ちょっと待って。」
都は雑貨屋の店先に駆け寄る。
「なぁによ。」少し遅れて追いついた冴が首をかしげる。
「やっぱりかわいいのばっかだなぁ…」
「写真立て?」
「もうちょっと大人っぽいのが欲しいんだけど…」
「探す場所が悪いのよ。」
そう言って引っ張って行かれたのは、駅ビルの普段立ち寄らないフロアだった。やたらと物が詰まっている陳列棚の間を、冴は勝手知ったる様子ですいすい進んでいく。そして目当ての棚の前まで来ると都を振り返った。
「あ、本当だ。」
「でしょ?」満足そうに頷く。
「でも、普通はこんなとこ来ないよ。」
「写真入れるのだって額縁なんだから…」
「画材屋なんて写真部には縁がないもん。」
そう言いながらも、早速見本を手にとって選び始める。
「誰かにあげるの?」
「うんーリュートのお母さん。」
冴は驚いたように都を見る。
「なんでまた…」
「わたしに…会いたがってるって言うんだけど…すぐには無理だし…それに、いきなり会うよりいいかなって。」
「だって自分の写真、人に見せるの嫌いじゃない。」
「そうだけど…他に方法ないし…奈々ちゃんに言われて…」
三人でフリューゲルに行った日、「なんでツーショット写真撮らないの?」と奈々に言われたことを思い出す。あの時奈々はこうも言ったのだ。
「苦手だって言ってるから苦手なんでしょ。習うより慣れろって言うじゃん。」
「別に…習うことでもないと思うんだけど…」
「とにかく!」
びしっ!と奈々は都に指をつきつけた。
「出し惜しみするなってこと!訓練だと思ってやってみる!」
そういう問題なんだろうか?と思いつつ、ちゃんと反論できなかったことが自分の中でくすぶっていたのだ。
「要するに力技に負けたんだ。」にやりと冴は笑う。
「口惜しいけど…」都は唇をへの字に曲げる。
「それで言い訳、考えついたの?」
首を振る。
「その代わり思い出したの。」
冴は小首をかしげる。都はそんな彼女を見上げ、
「お母さんってさ、写真撮る時ポーズ取れとか言ったことなかったよね。」
「そういや…そうだったわね。知らないうちに撮られてること多かったわね。」
「なんかそれが普通だったから、わざわざポーズ取るのって…どんな顔していいかわかんなくて…そういう写真…好きになれなくて…」
くすりと冴が笑う。
「やっぱ朝子の娘だわ。」
「え?」
「なんでもない。」
随分昔、同じ台詞を彼女の母親から聞いたことを思い出す。
それに赤ん坊の頃から都のことを知っているが、むしろ人と関わるのは苦手な子だった。自分の面倒を見るのは安心して任せることができたが、それが逆に他人を必要としなくなったのかもしれないと気付いたのは随分後になってから。特に中学三年で母親を亡くしてからしばらくは、人と関わることを疎ましく思っていたのではないかと思う。
だから恋人の母親とはいえ、まったく面識のない相手に自分から関わろうとしている姿に驚いたのだ。
そんな冴の驚く様子を別の理由と思ったのか、都は顔を上げて彼女に問いかけた。
「やっぱりいきなり渡したら変?」
全然、と冴は優しく微笑む。
「いいと思うわよ。」
その言葉に、都は小さく頷く。
散々見比べて、金属製のフレームをわざとアンティーク調に仕上げたものに決めた。財布の中身で足りるか心配だったが、冴が割り引き特典のある会員証を渡してくれたのでほっとする。
「都ちゃん、アンティークっぽいとか古いもの好きよね。」
「それ、栄一郎さんにもらったカメラのこと?」
「うちにある食器も。あれ、朝子が実家から持ってきたものだから、そこそこ古いはずよ。」
亡くなった母親の実家…というのが彼女の祖父母の家だったのは都も知っている。都が生まれた頃にはすでに跡形もなくなっていたが、商売を営んでいた名残で古いものが随分あったこと、両親を早くに亡くした朝子が、育ての親であった祖母…都の曾祖母を看取るまでそこに暮らしたことは聞いていた。
「他にもいろいろあったんでしょうけど、親戚が全部処分したって言ってたわね。」
おかげで手元には何も残らなかった、と笑いながら話していたのを思い出す。
「古いものかぁ…意識したことないけど…」
「まぁ子供の時から見てりゃそうなるわね。そういう意味じゃ、フリューゲルなんて店の存在自体がアンティークよね。」
「そういえば、店の二階にも古いものがいっぱいあるって言ってた。」
でしょうね、と冴は苦笑する。
都は画材屋のロゴの入った袋を、大切そうに押し抱く。
「きっと気に入ってもらえるわよ。」
「だと…いいな。」




