第四話
外に出ると、すでに学生が冬休みのせいか、繁華街は賑やかだった。
普段は近所で所用を済ませることが多いので、慣れない人並みに歩みが遅くなる。
ふと、半歩先を歩く竜杜が立ち止まった。
差し出された手の意味がわからず歩みを止める。
「迷子防止。それとも腕組むほうがいいか?」
「こっ、ここで?」意味を理解して、都は思わず辺りを見回した。
「だってこの様子じゃまた転ぶか、ぶつかるか…」
「で、でも…」こんな人の多い場所で手を繋ぐなんて恥ずかしい。
「っていうか、なんでいつも二者選択なの?」
最初に出会った時もそうだったと思い出す。非常事態に直面して動けない都に向かって「おぶるのがいいか、それとも抱き上げるのがいいか?」と聞いたのだ。
「そう言えば、そうだったな。」
よく覚えてたな、と言ってから思いついたように「ああ」と呟く。
「もしかしておぶるほうが…」
「い、いいっ!ちゃんと歩ける!」
けれど結局人の多さに、竜杜のジャケットの裾を掴んで歩く。
目的の店は繁華街を外れたビルの中にあった。
行きたい所がないかと訊ねられて、真っ先に思いついた場所だ。念のためにネットで店がまだあることも、今日はまだ営業していることも確認済みだった。
白木の家具を基調とした明るい店内に入ると、窓際の席に案内される。ぐるりと見回して喫茶店だろうと見当をつけたが、メニューを広げて「なるほど」と竜杜は呟いた。
「紅茶の専門店…か。」
見ればカウンターの後ろには、おびただしい数の茶葉の入った箱が並べられている。
「ごめん。」
「なんで謝る?」
「だってフリューゲルはコーヒーが得意だから…」
「そういえば、都カフェオレか紅茶が多いな。コーヒー苦手だったか?」
「最近は飲めるようになったけど…でもあんまり苦いの苦手かも。」
「それで紅茶?」
そういう訳じゃないけど…と目を伏せる。
「お母さんと時々来てたから。一人になってから、来たくても気後れしちゃって…」だからすごく久しぶりだと言う。
「それにしても…随分種類があるんだな。」
併記された英語をなぞりながら竜杜は感心する。
「香り付けしたフレーバーティーとか、産地別とか。」
そう言いながら都は迷わずアールグレイを、竜杜は勧められたダージリンをそれぞれフードメニューと共に注文する。
カップに手際よくお茶が注がれている間にも、アールグレイ特有の香りが立ち上ってくる。
都はうっとりと香りを堪能し、ほうっと息をついた。それからゆっくりカップに口をつける。
中国系の茶葉に竜眼に似たベルガモットという柑橘系の香りをつけたものが由来の紅茶だが、その香りの強さは店によって異なるのが特徴である。そして由来する茶葉の意外に存在感のある味を堪能すると、無意識に口元がほころんだ。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
「物凄く幸せそうな顔をしてると思って。」
だって、と都は唇を尖らせる。
「久しぶりだし…美味しいんだもん。」
「お気に入りという奴か。」
「最初はお母さんの真似だったけど…今は好きで飲んでる。」
「都のお母さん、紅茶好きだったのか?」
言われて考える。
「どっちかって言ったら…コーヒー。」
二年前に亡くなった都の母親は、風景写真を中心に扱う写真家だった。都が小さい頃は自宅を仕事場にしていたので、よくその辺に大きなマグカップが置き去りにされていたことを覚えている。それもブラック一辺倒。特に仕事が追い込みになればなるほど、質より量だったと思い出す。
「中毒みたいにひたすら飲んでたから、よく冴さんに怒られてた。」そこまで言って気がつく。
「だからコーヒーって言うとお母さんの大雑把なの思い出しちゃうんだ。正直、あんまり美味しくなかったから。」
手にしたカップに目を落とす。
「どうした?」
「今更だけど…どうしてアールグレイだったのかなって。もしかしたら理由なんてないのかもしれないけど…聞いてみればよかった。もっといっぱい、話しすればよかったな、って。」
「そういう後悔も、思い出のうちかもしれないな。」
「もしかして、実感こもってる?」
「それなりに覚えがある。だけど…思い出は後悔だけじゃないだろう。」
都は頷いた。
そんな風に、さりげなく自分の心に寄り添ってくれるのが嬉しい。
「アールグレイも好きだけど、わたしリュートのお母さんのお茶も好き。不思議な香りで…でも凄く落ち着くの。」
「母が聞いたら喜ぶ。都に会いたがってるから。」
「でも、会ってガッカリしないかな。」
「ガッカリする要素があるとも思えないが。それに俺がいいと言えば、母はそれ以上口出ししない。」
ちら、と上目遣いに竜杜を見る。
「いいの?」
「言わせるのか?」
そう言われると聞きたいような、聞くのが怖いような気がする。
うーんと唸って、
「やっぱり、いい。」
くすりと竜杜は笑った。
彼女の逡巡が手に取るように判るのは、以前より表情が豊かになったせいもある。
もちろん箸が転げてもおかしい年頃だから、友達といればもっと笑ったり、怒ったりするのだろう。けれど出会った頃は、何かに耐えるような、そして自分を否定する感情を抱えているのが気になった。それが亡くなった母親に対するの気持ちに由来すると判って、そしてようやく声を上げて泣くことが出来た頃から、少しずつ感情をその場で出すようになった気がする。もちろん保護者の小暮冴が帰国して二人暮しに戻ったことや、竜杜の実家で生まれた、銀竜と呼ばれる小さな竜と暮らし始めたことも影響しているのだろう。
今も彼女はコギンと名づけたその竜のことを、楽しそうに報告する。
そうやって彼女が前を向いている姿を見るのは素直に嬉しいし、笑顔を見れば契約の時、黒き竜に襲われたことが実は夢だったのではないかと思う。けれどどこにいても出会った頃より彼女を強く感じるのは、間違いなく契約が成立している証拠。それは悪夢が現実だったことの証でもある。
焦りがないわけではない。黒き竜をその身に宿した男がいつまた動き出すか、その時にまた彼女を狙うのか、考えは尽きない。
けれどこうして彼女と向かい合ってその声を聞いていると、自分がたおやかな時間の中にいることを実感する。
一族とも任務とも切り離された時間。その時間を失いたくなくて、彼女の命を終わらせたくなくて自分は契約という手段を取った。それが正しい方法だったのかと問われれば、強引だったと認めざるを得ない。何度も思い悩み、契約という枷が彼女の妨げになるのなら、潔く彼女の前から姿を消そうとまで考えた。
だから彼女が自分と別れたくないと言ってくれた時、そしてこの手を捕まえてくれた時、この時間をずっと守りたいと切に思ったのだ。
「聞いてなかったでしょ。」
「聞いてたよ。コギンはまだ子供だ。甘えるのは性格もあるだろうが、さほど心配はいらない。」
そっか、と都はカップに手をかける。
「リュート、時々難しい顔してるんだもん。話聞いてるのか聞いてないのか判らなくて。」
「少し…都に見とれてた。」
「な…」けほっ、と紅茶にむせる。
「なんでっ!」
「都がデート用の格好してきたの、初めてだから。」
「だっていつもは…」
「制服か、撮影しやすい格好か、だな。」
「学校帰りが多いんだもん。」
「そういう格好も似合ってる。」
さりげなく言われても、慣れていない身の上としてはどう返していいか戸惑う。
ありがとう、と口の中でもごもご言うのを、竜杜は優しい笑みで受け止めた。




