第三話
「納得してもらえたんだろう。」
今日何度目かの溜息をついた都に、竜杜は言った。
彼氏を友人に披露した数日後、クリスマスが終わり慌しく正月へと衣替えしているビルの展望階に都は竜杜と並んでいた。
窓ガラスの向こう、透明な冬晴れの空の下には、隙間なく詰まった東京の街並みが広がり、更にその先には連なる山並みも見ることができる。
ようやく時間ができたからと、竜杜から連絡をもらったのは昨夜だった。
二人きりで出かけるのが久しぶり…以前にデート慣れしてないので何を着ていいか判らず、間際までひどく悩んでしまった。結局、随分前に買ってもらったスカートに上品なニットを合わせる。慣れないアクセサリーの留め具に四苦八苦していると、見かねた冴が出勤時間にもかかわらず手助けしてくれた。
朝からそんな調子なので、余計自分が情けなく思える。
「都が何をやらかすか心配だが、手助けしてくれる友達がいるなら安心できる。」
「それ、ダメ人間って言われてるみたい。」
「言ってない。」
「無理に慰めてくれなくてもいーよ。」
「本当だ。それにうちの両親に限って言えば、都のおかげで連絡を取る頻度が増えた。」
「それ、いいことなの?」
「母は強情なところがあるから、口実がなければ自分から父親に連絡しない。」
「わたし…口実?」
微妙だなぁと思う。
「別居してるのは仕事の都合で、不仲なわけじゃない。それでも十年以上続けば共通の話題が減るのは当然だろう。」
「共通の話題かぁ。」
「感謝してる。それに大地の話じゃ、最近写真部も頑張ってるそうじゃないか。」
「コンテストは先輩に言われて応募したけど…結果はまだ先だし…それに色々やってても結果が伴ってないもん。」
「結果はどうあれ、気持ちが前を向いてれば自分を褒めていい。」
「それもお祖父さんに言われた言葉?」
竜杜の口から時々飛び出す、彼の祖父の教えを思い出す。
早瀬から聞いた話だと、こちらの世界に滞在していたのは僅かな時間だが、早瀬の父…竜杜の祖父はたった一人の孫を随分可愛がっていたらしい。そんなこともあって、亡くなった今でも竜杜は祖父のことを時折口にする。
「俺が生徒に言ってる言葉だ。」
「生徒?」
意味が判らずきょとんとする。
「リュートの仕事って…情報管理…じゃなかったっけ。」
彼の所属する竜隊が特殊な組織だという話は聞いたが、それ以上細かいことはあまり頭に残っていない。ただ、彼が属していたのは主に測量や地図をまとめる部署だったということ。今はその任を離れて、伝承の「黒き竜」の動向を探る命を受けていることは了解している。
「時々、訓練教官みたいなこともしていたから。」
「訓練…って?」
「竜が駆り出されるのは主に儀式とか、祭りが多い。隊列を組んで飛ぶとか、人に危害を与えないようにするとか、そういう基本的なことを教えてた。相性もあるんだろうが、時々どうにも上手く同胞と意志の疎通が出来ないのもいる。飛びたい気持ちがあれば大概できるようになるんだが…落ち込むと相手にもそれが伝わって、よけい上手く行かないことが多い。」
「それで、慰めるんだ。」
「そんなところだ。」
そっか、と都は呟く。
「不満そうだな。」
「そうじゃないけど…飛ぶって、やっぱりよく判らない。」
「そうだな…いずれどこかで都にも空を見せる。」
漆黒色の瞳に真っ直ぐに見据えられて、都はどきりとする。
「きっと気に入る。」
「そういえば…マスターって何してたの?リュートと同じ仕事?」
「隊には属していたが警備の仕事をしてた。もっとも銀竜の研究者としてのほうが名が通ってる。」
そう言われてもカウンターの内でコーヒーを点てている姿しか知らない都には、なんとも想像しがたい。
ふと、竜杜の目が都の胸元に気付く。
「それ…」
「あ、うん。ちゃんとつけてる。」
指先で華奢なチェーンを持ち上げて見せる。
ひと月ほど前、急遽戻ってきた竜杜からプレゼントされたものだ。誕生日はとっくに過ぎていたが、覚えていてくれたことが何より嬉しかった。
「生まれた日を大切にするのは同じだから。」
掌に載るほどの箱を開けると、銀と思しき物でできた小さな花が出てきた。指の爪ほどの大きさで、咲きかけた花の中央に緑色の石が嵌め込まれているネックレスだった。よく見れば細かい細工に溜息がこぼれる。
竜杜が後ろに回って金具を留めてくれるのがくすぐったくて、それに彼の手が身体に触れるとドキドキする。
「大きさもちょうどいい。」
竜杜は満足そうに頷く。
「アクセサリーってあんまりつけないけど…」これくらい控え目なら大丈夫かな、と思う。
「鎖はこちらで調達したが、細工は向こうの職人のものだ。」それで少し時間がかかったのだと言う。
「わざわざ、作ってもらったの?」
「守り石なんて、需要が少ないからその辺じゃ売ってない。」
「守り石?」
鏡を覗き、そういえば嵌め込まれた丸い石の色に見覚えある気がした。
「もしかして、リュートが持ってたネックレスと同じ石?」
「これのことか?」ジーンズのポケットから楕円形の銀のプレート引っ張り出す。
「それ。」
以前黒い竜と対峙した時に、竜杜が都に預けたものだ。あの時は暗くてよく判らなかった上に、竜杜の無事が判ったと同時に返したのでじっくり見る機会はなかった。けれど一瞬、石が緑に光ったのはその目で見ている。
明るい所で改めて見ると、緑の小さな石は奇妙な図形の中央に嵌め込まれていて、それを取り囲むように記号が並んでいる。
「これは竜隊の認識票。所属と名前、それにリラントの瞳が刻まれてる。」
「リラントの瞳?」
「黒い竜と戦った伝説の竜の名前だ。リラントと共に戦った英雄が竜隊の礎を築き、一族をまとめあげた。これはその名残だと言われている。もっとも本物の瞳は聖堂に奉られているから、これはそれを模したもの。素材的に似たようなもの。」
「素材?」
「古い時代の竜の鱗…」
「ええっ!」
「と言われている。化石みたいなものだ。宝石だって言ってみれば化石だろう?」
はぁー、と都は溜息とも返事ともつかないものを吐き出す。
文化も宗教も、育ったバックボーンが違うのは覚悟していたことだ。けれどこちらにいる時は早瀬竜杜として彼自身が日本人であろうとしているので、ひどい違和感もなく接していることが多い。けれどリュート・ラグレスとしての彼の話を聞くと、何をどう理解していいのか、取っ掛かりを探すのにも悩んでしまう。
そんな都の様子を察したのか、竜杜は聞き流せばいいと言う。
「一族が邪念から身を守るための守り石、とだけ覚えていればいい。だから学校に行く時は無理としても…できるだけ身につけていて欲しい。」
「守り石…」そっと胸元に触れる。
「傍にいられない分の…気休めでしかないけどな。」
そう言って、都の頬に軽く唇を触れる。
それがあまりにも自然な動作で、気がつけば違和感なく受けて止めていることに、都はその時戸惑っていた。
最初からそうだった。
出会った時の印象の悪さに反して、彼はいつも都を自然にエスコートしてくれる。そういう文化の中に育ったからと早瀬は言うが、本当にそれだけなのだろうか。自分より年上なのだから、今まで何もないほうが不思議と思うべきだろう。だから奈々が「早瀬さん、もてるでしょ。」と聞いたとき、竜杜が否定したのが意外だった。
「リュートって…本当にもてないの?」
眺望を一回り堪能し、休憩コーナーに並ぶスチールワイヤーの椅子に腰を落ち着けたところで都は切り出した。
「急にどうした?」
「だって…」
「俺が都を騙しているとでも?」
「そ、そうじゃないけど…リュート…女性に慣れてる。」
ああ、と溜息のような声。
「父親の代わりに、母や従姉の付き添いをずっとしてきたから。」
「従姉さん?」
「二つ年上の同業者。ただそれは珍しいほうで、職場は男が多いから女性と知り合う機会はあまりない。それに…」
「それに?」
「まぁ…いずれどこからか話は伝わる、か。」
なんだか言いにくそうな様子に首をかしげる。
「実は男の人が好き…とか?」
「どっからそういう発想が出てくるんだ?」まったく、と軽く息を吐き出す。
「そうじゃなくて、こっちに来る前にいくつか縁談があったんだ。」
へ?と都は目を丸くする。
もちろんそういう話があってもおかしくないだろう。
「お見合い…したの?」
「してない。」
「どうして?」
「ラグレスの名前だけで断られたそうだ。」
意味がわからない。
「一族が保守的って話は…」
「あ、うん。マスターも言ってた。」
「一族は一族同士…というのが多いから、お互いの家の情報はすぐに行き渡る。もちろん契約を行わず普通の結婚をする人もいるから…」
全部が全部そうではないが、家柄を気にする女性は多い。そういう女性は概ね保守的で、そうなるとラグレスの名は不利なのだと言う。
「父は他国の出身ということになってる。」
門があくまで一族の中にあっても極秘事項ゆえ、そういう設定になっているのも当然のこと。
「もちろん、他国に流れた一族がいないわけじゃないからありえない状況ではないんだが…うちは順番が逆だったからどうも評判がよくないらしい。」
「逆?」
ちらりと竜杜は都を見る。
「本来は契約が行われて婚姻と見なされる。今時契約をちゃんと結ぶのは、一族としての体面を保持する古い家柄がほとんどだ。そういう家は親戚もうるさいから、順番どおりに事を運ぶ。」
「親が結婚相手を決める、とか?」
「今は違うが母の若い頃はそうだった。母の父…俺の祖父に当たる人が早くに亡くなって、母は二十歳そこそこでラグレスを継いでいた。だから親戚には婿を迎えるようにとずっと言われ続けていたが、結婚相手として指名された男が気に食わず、家を飛び出した。それでしばらく早瀬の家にいたらしい。笙子先生にも面倒をかけたと聞いてる。」
そう言われても根本的な疑問が残る。
「マスターとリュートのお母さんって、どこで知り合ったの?」
「母の最初の家出先だ。」
「家出?」
「子供だった母が、興味本位で門をくぐったのが最初。辿りついた先がフリューゲルで、その時はお茶を飲んで帰って行ったそうだ。」
はぁと都は、妙な感心をする。
「そのときマスター、いくつだったの?」
「十か十一か…。母は二つ年上だから…」
「じゃあ子供の頃から知り合いだったんだ。」
「その後もお互い忘れなかったと言っているから、何か感じるところはあったんだろう。」
「それで結婚したの?」
「いや。その時は母だけ連れ戻された。ついでに言えば母の中にはすでに俺がいた。」
えっ!と思わず声を上げる。
「じゃあ順番が逆って…。」
「言葉どおりだよ。子供ができて、それから父はあちらに行った。竜を召喚して隊に入ることを認められ、それから正式に母と契約を交わした。周りは心中穏やかじゃなかっただろうな。」
まるで人事のように言う。
「もし成立しなかったら…」
都は無意識に、膝の上に置いた手を握り締める。
「その時は早瀬の家に俺を預けて、門番として育てるつもりだったらしい。それくらい潔い人だよ。それほどの決意があったから、父親も応えたんだと思う。
そういうわけで縁談は全部断られた。親戚連中は諦めがつかない様子だったが両親は何も言わなかったし、そうこうするうちに俺に辞令が下されたから、残る話も立ち消えになった。」
「もしかしてわたし、余計ややこしくしちゃってる?」
大丈夫だろう、と肩を竦める。
「契約はとっくに成立してるんだ。この先何が起きても両親ほどの騒ぎにはならないだろう。」
「なんか投げやり?」
「そうじゃないが、未だに言われるのはこっちなんだ。俺は結果であって、むしろ被害者だっていうのに。」
あんまり嫌そうに言うので、思わず都は笑ってしまった。
「笑い事じゃない。」
「ごめん。」
でもね、と都は竜杜を覗き込む。
「わたしはその結果に感謝しなくちゃいけないんだよね。だってリュートが門番じゃなかったらこっちに来なかったし、出会えてなかったはずだもん。」
「そりゃそうだが…」
「それにお見合いしてたら、わたしの入る余地ないもん。」
「それは…どうだろう?」
「絶対ない!」
「そんな力いっぱい言われてもなぁ…」
「そ、それより…マスターとリュートのお母さんって、どうやって連絡とってるの?」まさか異世界に電話やメールが通じてるとは思わない。
そうだな、と竜杜は一瞬考える。
「まだ少し早いが…」
「方法、あるんだ。」
「向こうに戻る前に教える。」言いつつジーンズのウォッチポケットから、鎖のついたものを引っ張り出し、蓋を開いて日付を確認する。
「懐中…時計?」
滅多に目にすることのない物を前にして、都は目を丸くした。
「腕時計なんて向こうにはないから、こっちのほうが扱い慣れてる。」量販店で買った安物だと説明する。
「そういうもの…なんだ。」
感心しつつ自分は手帳を引っ張り出し、約束の日時を書き込んだ。




