第二話
そんな会話を交わした翌月。すでに冬休みに入った平日に、都は駅で友人と待ち合わせていた。改札から出てくる見慣れた顔に軽く手を振る。
「本当に来たんだ。」
「当たり前じゃん。」奈々が笑顔で応える。
「家にいても手伝いさせられるだけだしね。」うふふ、といずみも笑う。
彼氏に会いたい!とずっと言われていたのだが、竜杜の帰省がちょうどテスト直前だったり日帰りのような行程だったりで適わず、こんな日程になってしまったのだ。
あちこちでクリスマスソングが流れる中、三人は他愛ないおしゃべりをしながら歩く。
こじんまりとした店が並ぶ古い商店街の外れ、住宅地に差し掛かるところで都は足を止めた。
塀が途切れて背の高い鉄の門扉が現れると、その向こうに小さな古い洋館が見える。
二階建ての壁には葉の落ちた蔦が這っていて、それが漆喰壁の模様にも見える。
「雰囲気あるねぇ。フリューゲル…」奈々が表に出されたメニューを覗き込む。
「ドイツ語で翼、っていう意味なんだって。」
「ピアノあったら最高なんだけど。」
「それは…どうかな。」
先に立ってポーチを上り、少し重たい扉を押す。
暖かい室内に足を踏み入れると、無垢材のフローリングを歩く柔らかな感触とコーヒーの香が出迎えてくれる。もう何度も経験しているのに、この店に足を踏み入れるとたまらなく安心する。
「いらっしゃい。」と言う声がして、白いシャツに黒のベストを着た男性が出迎えた。
この店の主、早瀬加津杜である。
短く刈り込んだ髪には白いものが混じっているが、ピンと伸びた背筋が年齢を感じさせない。手入れされた髭の下の温和な笑顔につられて、都も笑顔になる。
「予告どおり、友達連れてきました。」
「先客がいるけどね。」
示すほうを見ると、窓際の円卓で見慣れた顔が「よぉ!」と手を挙げる。
「あー、波多野くんだぁ。」コートを脱ぎながらいずみも手を振る。
「なんでいるの?」
「今朝ランニング途中で竜杜さんに会って、お前ら来るって聞いたから。」
「暇だなぁ。」
早瀬に促されて三人も席に着く。
「息抜き。てかお前らのほうが物好きだよ。冬休み中だぜ。」
「だって都の彼氏、興味あるもん。写真もないっておかしいでしょーよ。」
「ポートレートは苦手だって知ってるでしょ。」
「んなに大袈裟なモンじゃないって言ってるのに。」
「みやちゃん、自分撮りもしないもんねぇ。」
「だったら波多野っちが撮ればいいじゃん。」
「ここの専属カメラマンは木島。オレはリカーハタノ担当なの。」
「大体、撮ってもそんなに面白いものじゃないと思うが?」
頭の上から降ってきた低い声に、一同揃って顔を上げる。
ワイシャツにネクタイ、それに黒いエプロン姿の男が、年季の入ったメニューを手に立っていた。椅子に座って見上げても、背が高いのだと判る。
短めの黒髪と同じ色の印象的な瞳が、さっとテーブルを見回す。
「木島の彼氏の…早瀬竜杜さん。」
すかさず波多野が紹介すると、竜杜は軽く会釈した。
慌てて同じように頭を下げる女子高生二人を見て、一瞬だけ考える。
「清水奈々さんに…こちらが、樋坂いずみさん?」
「はじめましてー。」
「当たりです。」
「聞いていた通りの雰囲気だった。」笑みを向けながら、手際よくグラスを置いてメニューを手渡す。
「あたしらのこと、どういう風に話してるの?」奈々が都に聞いた。
「普通に…学校であったこととか…」
「木島と仲いいってこととか…」と、波多野。
あれ?と都は首をかしげる
「波多野くんがそういうこと話してるってことは…もしかして…」嫌な予感がする。
「都のことも聞いてる。」
「そ、それは…」
「都がうろたえること…って、教室の扉にぶつかった、とか…」と、奈々。
「体育の授業でボール顔面で受けた、とか…」いずみも小首をかしげる。
「うにゃ。その辺は当たり前すぎるから言ってない。」
「波多野くん!それ、全然フォローになってない!」
「全く…」
溜息のような竜杜の言葉に都はぎくりとする。
一度死にかけているせいで、竜杜は彼女が怪我をすることをひどく気にしている。それが波多野の言う「過保護」の所以なのだが、それもあって都はあまり自己申告しないようにしているのだ。けれど…
「逆に器用だ、と言いたいところだな。」
「あ、あのだから…別に好きでぶつかってるんじゃないし…」
「当たり前だ。」
「だ、だからそういう余計なこと言わなくていいっ!波多野くんも変なこと言わないでよ!」
「変なことなんて言ってねーよ。ただ木島、テスト前にあんなことあったからさ、成績大丈夫なのかって聞かれて…」
「せいせき?」
思いもよらない言葉に、都は思わず竜杜を見上げた。
「それは…大丈夫。っていうか、なんで?」
「用心だ。目に見えて状況が悪化したら、また殴られそうだから。」
「もしかしてみやちゃんの保護者さんのこと?」
多分、と都は頷く。
「どういうわけか、いちいち突っかかってくるからな。あの人は。」竜杜は溜息を吐き出す。
そうなの?といずみ。
「どうだろう…でも言い合ってる時、二人とも楽しそう…」
「言葉の使い方間違ってないか?」あからさまに竜杜は嫌な顔をする。
と、早瀬が息子を呼ぶのが聞こえた。
応えて竜杜がテーブルを離れると、奈々が都の肩を突いて耳打ちする。
「都の贅沢もん。」
「ほえ?」
「レベル高いって言いたいんだよね。」
いずみの解説に奈々はこくこく頷く。
「かっこいいじゃん!背も高いし。」
「別に木島の基準は顔じゃないと思うぞ。」
「なんでツーショット写真撮らないの?」
「なんで…って…」
「撮られるの、苦手って公言してるもんな。でもこないだ部活中にシャッター押したら何にも言わなかったぜ。」
「気が付かなかったの!黙って撮るんだもん。」
「意識されたってつまんねーじゃん。」
「それよりハードル高くない?」
え?と一堂の視線がいずみに集まる。
「だって、こんな古いお店やってるおうちなんでしょ?それって、結構大変じゃないの?」
あ、うん、と都は口ごもる。
「冴さんにも同じこと言われた。でも…まだ、そんなとこまで考えてないし…」
「まぁそうなったとしても、大丈夫でしょ。」
「なんで波多野っちがさらーっと言うのよ。」奈々が唇を尖らせる。
「というか…勝手に話進められてる…」
「竜杜さんのご両親は何か言ってるの?」
いずみの問いかけに都は首を振る。
「マスター…早瀬さんは別に…リュートのお母さんは仕事の都合で別の所にいるからまだ会ったことないけど特に反対はないって聞いてる。」
ほらね、と波多野が笑う。
「不安要素、全然ねーじゃん。」
そんな簡単な話じゃない…と言いたいところをぐっと飲み込む。
竜杜の母、エミリアと面識がないのは事実だ。
違う世界に暮らしているから仕方ない話で、けれど契約が成立した直後から「都に会いたい」と言っているらしい。それがいい意味なのか、悪い意味なのか。会って値踏みされたらどうしよう、とか、そもそも一人息子の契約相手が、別の世界の素性もよく判らない女子高生で本当に納得しているのだろうかとか、考え出すと不安は尽きない。
もちろん竜杜と早瀬にそれとなく訊ねるのだが、二人とも「大丈夫だろう」としか言わないのが更に不安を誘う。
竜杜がオーダーを取りに来たので、慌ててメニューに目を落とす。
それからしばらくは店の感想や学校の話題で、休み時間のような賑やかさだった。
やがて目の前に華奢な持ち手のカップが置かれると、漂うコーヒーと紅茶の香りに思わず溜息のような静かな歓声が漏れる。
と、
「単刀直入にお聞きしますけど。」不意に奈々が口を開いた。
自分に向けられた言葉だと気付いて竜杜が首を傾ける。
「杜竜さん、もてるでしょ。」
「いや?」
「っかしいなぁ。女性に興味ない、とか。ドジっ子専門とか。」
「話が見えないんだが…」
「そもそもどこで知り合ったの?」いずみが横から口を挟んだ。
「何も説明して…ないか。」
「だって…」
一番最初は公園だが、それとて尋常でなかったので、どう説明していいか判らない。
「色気のある状況でもなかったからな。」
「と、おっしゃいますと?」
「最初は都が危ないのに絡まれてた所を助けた。その次は都が階段から転げそうになった所を捕まえた。」
「助けてもらったんだ。」はぁ、といずみが溜息をつく。
「図書館でも会った…か。」
「雨降りそうで、傘貸してもらったよね。」
なーんだ、と奈々が吹き出した。
「彼氏っていうか保護者みたい。確かに色気ないよねぇ。」
「でも木島らしいや。」
「確かにー。」
ええっ!と都はテーブルを見回す。
「なんで!どーして!それで納得するの?」
「だって…」「木島…」「だから。」
ねぇ、と三人で顔を見合わせ頷きあう。
「まぁ、仕方ないな。」竜杜も認める。
都はがっくりうなだれる。
「いいじゃん。木島には竜杜さんが合ってるってことでさ。」
「だ、そうだ。」竜杜は都の頭にポンと手を置いた。
と、
「話は一段落したようだね。」笑顔と共に早瀬がケーキ皿をサーブする。
「焼きあがったばかりだから気をつけて。」
「わぁ、チョコレートケーキ!」いずみが胸の前で手を合わせる。
「こっちは定番のチーズケーキ!」
嬉しそうに椅子を前に引く波多野を、都は不思議そうに眺める。
「波多野くん、甘いもの好きだっけ?」
「これは別!」
すかさず言葉を返す波多野に早瀬が笑った。
「大地くんはおじいちゃんと来てた頃から、それが好きだよね。」
ぷぷっ、っと奈々も吹き出す。
「大地くん、だって。」
「っせーな。それだけ常連さんってことだろ。」
いただきまーすの声が合唱した。




