第一話
「今日って四月一日じゃないよね。」清水奈々が生徒手帳を取り出した。
「十一月。」
答える木島都を尻目に、樋坂いずみは窓の外を覗き込む。
「槍とか…降ってないよね。」
「降ってない。」
一瞬の沈黙。
「ええー!」
「おめでとー!」
狭いテーブルに乗り出し詰め寄る二人に圧倒されて、都は呆然とする。何か言おうとする前に、更に二人は畳みかける。
「都、男子苦手だったじゃん!」
「みやちゃん、よかったねぇ。」
二人の声がピタリと重なる。
「で、」「どんな人?」
結局それか、と溜息をついた。
寄り道を言い出したのは都だった。
いつもは部活でそれぞれ忙しい上、都が体調を崩していたこともあって、いつものファストフード店で顔を揃えるのは久しぶりだった。もちろんお喋りもしたかったが、何より自分のことを気遣ってくれる友人に、ようやく一段落した事を伝えなければと一大決心したのである。そうして告白した内容に、二人の友人がまんまと驚いたのは前述の通り。
「いやさ、都が話って言うからてっきり一人暮らしするとか、そんなんだと思ったんだよねー。」
クラスの女子で一番背の高い奈々が、ストローを咥えながら「参った、参った」と呟く。
元気いっぱいの陸上部員で性格も社交的。文化部で運動神経今ひとつの都とは体格も含めてまるで正反対だが、その付き合いは高校の入学式当日まで遡る。
「でも考えてみたら、ここんとこ挙動不審だったもんねぇ。」とこちらは縦も横も都より一回り大き目のいずみ。
癖のある髪を両脇ですくってピンで留め、合唱部で伴奏をするときに活躍する綺麗な指をちょこんと頬に添えて小首をかしげている。
見た目と同じ、彼女のふんわりした喋り方が都は好きだ。落ち込んだ時でも優しく包んでくれるのがありがたいが、こうやって鋭いところを突いてくるのもまた彼女らしい。
「なんか動きが活発になったよねって話してたんだよ。それがまさか男ができました宣言とは…」奈々がショートカットの髪をかき上げて、ニヤリと笑う。
「よくも隠してたよねぇ。」
「隠してない。」
都はアイスティーをストローでかき回しながら憮然とする。
ここしばらく切っていない茶色がかった髪は、完全に肩に届いている。肌も白いので、外国か東北の血が入っているのでは?と言われるが、唯一の肉親だった母親亡き今となっては知りようもない。小柄な身長に合わせてプロポーションもどちらかといえば控えめ。加えて部活は文化部ど真ん中の写真部。運動神経が今ひとつなのは仕方ないとして、どういう訳か転んだりぶつかったりすることが多いのが自分でも不思議で仕方ない。
「またやった…」と落ち込むのはいつものこと。
そんな都の気持ちをフォローしてくれるのが、この二人の友人なのだ。だから本当は真っ先に言うべきだった。けれどあまりに非常識かつ怒涛の状況に、今まで言い出せなかったのである。
「ちゃんとお付き合いし始めたの文化祭の頃だし、冴さんが戻って来てから大変だったんだもん。」
あれ?といずみが何かを思い出す。
「もしかしてテスト前に家出したの、その関係?」
都は頷く。
「冴さんに反対されてバトルしてた。」
「そんなにしょーもない相手なの?」
「そうじゃないけど…年が離れてる…とか。」
「いくつさ。」
「二十五。」
おお!と奈々が声を上げる。
「都も十七になったから八歳年上か。」
「三ヶ月だけね。」
「じゃあ実質的に九歳上かぁ。結構な大人じゃん。とすると社会人だよね。」
「仕事は別の所でしてるから、東京にはあんまりいなくて…時々実家に滞在するからその時に。」
「それ、遠恋ってこと?」と、いずみ。
「えと、そう…かな。」
「また厄介な…」
奈々の言葉に都は力なく笑う。
本当は遠距離どころでない。けれど住む世界が違うと言った所で、誰も信じないだろう。
都もそうだった。
そもそも最初の出会いも「普通」ではなかったし、何よりその時の相手に対する印象が良くなかった。
今思えば彼の長く束ねた髪が堅気に見えず、加えて都は女性だけの家に育ち男子が苦手。そして当時は保護者が仕事の都合で単身赴任中だったので、慣れない一人暮らしに緊張していたせいもあった。危ない所を助けてもらったにもかかわらず、どこかぶっきらぼうな相手の態度に「怖い」と感じたのだ。けれど次に助けられた時、改めてその漆黒色の瞳を見て、彼の持つ不思議な雰囲気に惹きつけられた。それに時折口にする意味ありげな言葉も。
その言葉の意味を知るのは数ヵ月後のこと。
出会うきっかけとなった「黒き竜」と呼ばれる古の悪霊に、三度目に襲われた時だった。
それは別の世界からこちらの世界に追放された竜の気で、長い間封印されていたものが復活し、そして都を狙い血を欲したのだ。襲われた都は瀕死の重傷を負い、その命を救うために彼が行ったのが「契約」だった。それは「一族」と呼ばれる人々が、互いを支え共に生きるための婚姻の契約で、本来はその血を引き継ぐ者同士で行われる。それがどういうわけか成立し、そのおかげで都は一命を取り止め、彼…早瀬竜杜がリュート・ハヤセ・ラグレスの名を持つ異世界の血を引く人間であることを知る。
その世界には地上に人が住み、空に竜が住んでいて、地上と空を繋ぐのが「一族」と呼ばれる人々である。彼らは竜を召喚し意思を通わせ、その背に乗って空を翔る特殊技能を持っていて、多くはその能力を活かすために軍に所属しているのだと言う。
そう説明されてもファンタジーが得意でない都には寝耳に水。
もちろん命を助けてもらったことは感謝したが、彼氏いない歴=年齢の身の上に、いきなり婚姻の契約を突きつけられて戸惑ったのは言うまでもない。そんな都の様子に彼も無理な関係を迫ることなく、彼女が望まなければ「一生その前から姿を消す」とまで言ったのだ。
結論を委ねられた都に向こうの世界のこと、そして彼の立場を話してくれたのが早瀬加津杜だった。竜杜の実の父親であり喫茶店フリューゲルの店長、そして「門番」でもある彼は、いつも都を笑顔で迎え時には彼女のもどかしい気持ちを代弁してくれる頼もしい存在である。彼がいなければ、不在がちな竜杜と自分の繋がりなど、アッという間にどこかへ葬り去られていたかもしれない。
「門」というのは向こうとこちらを繋ぐ通路のようなもので、竜を繰る一族の中でもほんの一握りしか使うことを許されていない。長い間封印されていた時代があり、そのため存在自体がすでに伝説化しているのだと言う。
「まぁ、他の人は使う用事もないしね。」と早瀬は苦笑する。
それがどういうものか、いくら説明を聞いても今ひとつ判らない。ただずっと昔から早瀬の一族がそれを守り続け、そのおかげで早瀬加津杜は竜を繰る一族の住人…エミリア・ラグレスと知り合い、やがて結ばれ、竜杜が生まれた。
だから竜杜はラグレスの当主にして門番の後継者。そしてそんな人材は向こうの世界でも他にいない、と言うのが早瀬の説明だった。それに彼はこうも、付け足した。
「世界の違いって言っても、国が違うとか人種が違うとかそんな程度だけどね。」
そう言われても竜に乗って空を飛ぶのは、都の概念から言えば尋常ではない。
そんな都の疑問に応えてくれたのは、竜杜自身だった。
彼の空への思い、竜との繋がりを聞くうちに、その空を見たいと思ったのが自分でも意外だった。それに彼の話を聞いていると、何か見えないものに手を引かれている気がした。それは少し不安で、けれど自分の知らない広い場所へと繋がる魅惑的で不思議な期待感。
小さい頃、母親が仕事で外国に行った折に送ってくれた絵葉書の、知らない文字や鮮やかな切手、少しかすれた消印にワクワクした…そんな他愛ないことを不意に思い起こさせた。
そんな時間を重ね、最終的に辿りついた答えは「彼と別れたくない」と言う気持ち。
「わたし…竜杜さんと契約します。」
そう言って彼の手を捕まえたのが、二ヶ月ほど前のこと。
「お付き合いから、でいいですか?」と遠慮がちに始まった関係だったが、それに真っ向から反対したのが都の保護者の小暮冴だった。
留守がちだった母の役目を埋めるように、小さい頃から都の面倒を見てくれている親戚のような存在で、父親のいない都に寂しい思いをさせないようにと、学校行事に参加してくれたことも度々。母親の仕事が忙しくなった頃からは一緒に暮らしていて、二年前に母の朝子が事故で死んだ後も「今更遠慮したら怒るわよ。」とその関係を続けてくれているのだ。
そんな彼女にしてみれば、自分が単身赴任で不在の間に「男ができました」だけでも納得が行かないのに、異世界だの竜だの契約だの意味不明な要素が絡んで来たのだからたまったものではない。竜杜との交際をキッパリ「賛成できない」と否定したのも当然だろう。
そしてそれを不服とした都が、人生初の家出を強行したのが一ヶ月ほど前のこと。
「みやちゃんが反発するって、珍しいよね。」
「そんなこと…ないけど…」
「そこまで情熱的になるとは…んなにいい男なんだ。その彼氏。」
「だって冴さんが話を聞いてくれないんだもん。すっごく腹が立って…ほん、っとに大変だったんだから!」
拳を力いっぱい握り締める都に、奈々は苦笑する。
「そりゃーね。だってあの時の都、怖かったもん。」
「しかも翌日休んだでしょ。」
「あ、うん。」
「都さ、普段大声で怒んないから、爆発したんじゃないかって心配してたんだよ。」
「ばくはつ?」
「だから、自殺未遂とか…」
はぁ?と思わず身を乗り出す。
「電話もメールも返事なかったし…」
言われて記憶を手繰り寄せる。
「あ、あれは…冴さん対策で電源切ったまんま忘れてて…」
「波多野くんが、みやちゃん疲労でダウンしたって教えてくれたから安心したけど…」
幼馴染でクラスメイト、そして竜杜と都の関係を知る数少ない人物の名前に納得する。
あのとき、根掘り葉掘り聞かれることを覚悟したのに、二人とも何も聞いてこなかったのは第三者のフォローがあったからだったのか。
「今は保護者さん、何て言ってるの?」
「とりあえず、反対しないって。」
でもさ、と奈々がポテトをつまみながら首を傾ける。
「なんで波多野っちなの?明らかに何があったか知ってたんだよねぇ。逆に、そんなにあたしら信用ない?」
「いっぱい信用してるよ。」
「いーや、してない。」
「奈々ちゃんといずみさんがいなかったら、わたし学校行ってないかもしれないもん。ただ…波多野くんは早瀬さん家とご近所さんで、お付き合いする前からリュートのことも知ってたの。それで冴さんが殴り込んだの目撃して、それをわたしに報告して…」
事の真相を確かめるべく都は竜杜の所に飛んで行き、挙句にその場で鉢合わせした冴とのひと悶着の最中に、過呼吸の発作を起こしてしまったのだ。そこまで切羽詰った状況で、話し合いが進んだと言えば進んだのだが…。
「不安をあおった波多野くんにも責任がある、って技かけられたとか…」
都がそれを聞いたのは、ほんの一週間前だった。
「いやー効いたのなんの。自分の体が堅いっての痛感したわ。」時効だと思ったのか、部活の帰り道に波多野大地が笑いながら打ち明けたのだ。
「それ…謝ったほうがいいのかな?」
「うんにゃ。オレも軽率だったのは認めるから、構わねーよ。」
屈託ない、いつもの調子で波多野は手を振った。
保育園時代からの知り合いだが、いつの間にか都が上を見上げなければならない背丈に成長している。見るからに運動部向けのがっしりした体格だが、実は都と同じ写真部で、兼部している柔道部には時々しか出没しないらしい。家が商売をしているためか人当たりもよく、男子が今ひとつ不得手な都も気軽に話すことのできる貴重な人材だ。
「けどさ、木島もすげー惚れられ方だよなぁ。」
「えっ?」
「まぁ竜杜さん本人が自覚してるってーからいいけど、過保護ってか、冴さんといい勝負だよなぁ。」
「そ、そうかな。」
「ま、木島って案外危なっかしいから、そのくらいがいいのかもしんねーけど。」
そう言われて反論できないのが口惜しい。けれど嫌味に聞こえないのは、波多野が都の事をよく知っている安心感も由来するのだろう。
「リュートが心配してくれるのは判るけど…波多野くんにも迷惑かけちゃった。」
「ご近所さん、って…波多野っち、酒屋の息子だよね?」
「りゅーとさん、っていうの?」
都はテーブルに指で「早瀬竜杜」と書いてみせる。
「波多野くん家と同じ商店街だから。向こうは酒屋さんで早瀬さんちは喫茶店。」
「喫茶店、ねぇ。」
「それってもしかして古い建物のお店?」いずみが身体を乗り出した。
「あ、うん。お店は大正時代の洋館。」
「聞いたことある。雰囲気がよくて、ケーキが美味しい店があるって。」
「いずみの目当てはケーキのほうでしょ。彼氏の写真とかないの?」
「ない。」
「情報すくなっ!あー波多野っち隠し撮りとかしてないかなー。」
「してないと思うよ。」
「うわー口惜しい!」
頭を抱えてあからさまにガッカリする友人に、都といずみは顔を見合わせて笑った。
幕間話、始まりました。
なぜに2.5?それは当初書くつもりがまったくなかったから。
事件もなく、文章的にもそんな大量にはなりませんので、気軽にお付き合いもらえたら、と思います。




