第十三話
「ご迷惑おかけしました。」
夕刻近いフリューゲルで、都は向かい合う栄一郎にうやうやしくラッピングした酒壜を差し出した。
「そんなに気を遣わなくていいのに。」栄一郎は苦笑する。
「冴さんから言付かったものだから…それにわたしも、ちゃんとお礼言いたいんです。」
遅くなっちゃったけど、と都は付け加える。体調を整えるのが精一杯で、すぐにテスト期間に突入してしまい、あれから随分時間が経ってしまった。
「笙子先生のフォローのおかげで、冴さんと話しができたから。もちろんすぐに全部のこと賛成じゃないけど…会うのに反対はしないって。それにコギンのことも…」
「よかったね。」
「でも、肝心のリュートが実家に戻っちゃって。」
朝のうちに会ってきたのだと、都は店の奥にそっと目を向ける。
早瀬に教えられたのは廊下の途中にある、普段気にも留めない部屋だった。
少しだけ開いているのに気づいてそっと覗き、思わず「わぁっ!」と声を上げてしまったのは、上半身裸の背中が見えたからだった。
「都?」
思わず壁に張り付いて心臓をなだめる都に、シャツを引っ掛けた竜杜が怪訝な顔を覗かせる。
「そ、その…着替えてると思わなかったから…ごめん…」
「言ってくれれば、いくらでも見せる。」
「そ、それは…まだ…いいっ。」真赤になって俯く。
そんな都の反応を面白そうに眺めながら、竜杜は彼女を部屋に招き入れた。
フェスが椅子の上にふわりと降りる。
「もう少しいたかったんだが、どうにも抜けられない用事ができた。」
立ち襟のシャツのボタンを留めながら、すまない、と謝る。
都は首を振った。
「大丈夫だよ。冴さんもコギンに慣れてきてるし…」
「俺が心配なのは、都がどこかで転んでないか、怪我してないか。」
「そんなに信用ない?」
「心配なだけだ。なるべく早くこっちに来るようにする。コギンのことで何かあれば、父親に遠慮なく言って構わない。」
頷きながら、都は辺りをそっと見回す。
不思議な部屋だった。階段の下を利用した物置部屋なのだろう。窓のない三畳ほどの空間を、むき出しの蛍光灯が照らしていた。壁際にはオフィス仕様のロッカーが二つとフェスの止っているスツールが一つ。そしてロッカーと反対の壁際には、さらに奥へ続く扉。
都の視線に竜杜が気付く。
「扉の向こうは、地下室に続く階段だ。」
「地下…室?」そんなものがあったのかと驚く。
「昔はセラーだったらしいが、今は物置になってる。ついでに言えば、そこに門がある。」
肩越しに振り返り、息を呑む。扉から冷たい空気が流れてきた気がして、思わず肩を竦めた。その耳元に、彼は唇を寄せた。
「俺との関係を絶つのなら、今のうちだ。」
え?と都は相手を見上げる。
「リュートは…それでいいの?それで、大丈夫なの?」
ふっと力が抜けたような笑み。
「大丈夫では…ないな…」
腕を伸ばして都を抱き寄せる。
「だったら…」顔をぎゅっと暖かな胸に押し付けてから、上を向く。
「そういうこと、言わないで。」
漆黒色の瞳が優しく頷く。大きな掌が都の頬を包み込み、顔にかかった髪をそっと避ける。
それ以上の言葉はいらなかった。
どれくらいそうしていたのか、見送るつもりが逆に見送られる時間になってしまった。早瀬に礼を言うのももどかしく、母屋に置いていたカバンを掴むと、都は大慌てでフリューゲルを後にした。
それが今朝の出来事。
「寂しい?」
都の話を聞いていた栄一郎が訊ねる。
「少し。でも…コギンもいるせいかな。物凄く遠いっていう気がしなくて。それに、ようやく距離が判ってきたって言うか…」
「焦ることないよ。都ちゃんと竜杜くんは若いんだから。時間はたっぷりあるし。」
「なんだか年寄りみたいな言い方ですよ。」
「一応、中年なんだけど。」栄一郎は苦笑する。
「それで、一件落着の祝い…って言うほどじゃないけど、迷惑じゃなかったらもらってくれないかな。」
栄一郎はカバンから梱包材にくるまれたものを取り出し都に渡した。
「学生時代に使っていた物だから古いんだけど、メンテナンスに出して大丈夫ってお墨付きはもらってる。」
開けてごらん、と言われて包みを開き、出てきたものに歓声をあげた。
五十ミリレンズを装着したカメラだった。絞りもシャッタースピードも手動の古いものだが、傷も少なく大切に扱われていたことが伺える。
「一眼レフ。いいんですか?」
「デジカメの時代だから使わないしね。それは電子制御もないから、逆に壊れにくいんだって。小さめだから都ちゃんでも使えるかな、って。」
ありがとうございます、と頭を下げる。
「実はここしばらく広角レンズばっかりだったから、少し物足りなくて…凄く楽しみ。」
「それとね、さっき早瀬さんには承諾してもらったんだけど…」栄一郎は続ける。
「今度、チビ竜の絵本を描いてみようと思ってるんだ。」
「それって…」
「コギンとフェスがモデル。もちろんフィクションだし、今の段階では世に出る予定もないんだけど…いいかな?」
「わたしは別に…逆に…凄く楽しみです。」
よかった、と栄一郎は胸をなでおろす。
「だからって言うんじゃないけど、今後必要な時は、いつでもドラゴンシッターするよ。」
「でも…」
「都ちゃん。ぼくが、そうしたいから言ってるんだよ。笙子さんだけが共犯者じゃ口惜しいし…何よりぼくは都ちゃんのことも竜杜くんのことも好きだから。そうだなぁ…」と顎をなでながら思案する。
「おせっかいな親戚のおじさん、程度に思ってくれれば。」
「でも栄一郎さん、おじさんぽくないです。」
「じゃあやっぱりドラゴンシッターだ。」
「それは…栄一郎さんらしいと思います。」
うん、と栄一郎も頷く。
すっかり冷めたカフェオレとミルクティーを二人が飲み終える頃には、秋の空は暖色から寒色へ見事なグラデーションを空に描いていた。
店を出て、栄一郎と別れて歩き出す。
少し離れたところで立ち止まり振り返ると、フリューゲルの漆喰の壁が玄関灯に照らされて、セピア色に浮かび上がっていた。
思いついてコンパクトカメラを引っ張り出し、レンズを向ける。液晶画面に縮小された風景が映し出される。
「いい感じ…」呟いて、すでに昔のように感じる今朝のことを思い出す。
優しくて切なくて嬉しい時間。
そんな気持ちを閉じ込められたらいいのに…そう思いながらそっと指先に力を込めた。
【銀の翼 金の瞳 -アルラの門2- 完】
お付き合いいただきありがとうございます。
最後の流れについては、全部「もうひとつの空」が伏線になっているので、中途半端だなぁと感じた方はそちらを覗いてください。まぁ、自分の文章今時のスタイルじゃないんで、読みにくいかも・・・ですが。
「銀の翼 金の瞳」はひとまず完結しましたが、このまま幕間話「ポートレート -アルラの門2.5-」を続けて更新していく予定です。
11月に入ってからになりますが、そちらもよろしければお付き合いお願いします。




