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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

サンドリヨン

作者: 緒明トキ




 お金持ちになりたかった。

 こんな生活から抜け出したかった。町中の娘から、ある足のサイズのたった一人が選ばれるのなら、なんとしてでもその靴に足を入れてやる。



 神様は愛を重んじるらしい。愛情深く信心深くそして慎み深くあれ。謙虚に清廉に、そして清貧に。そんなの、満たされているから言えることだ。お金があることがどれほど幸せなことか、お金持ちは気付いていない。神様だって気付いていない。お金がないとこんなに苦しくて追いつめられるんだっていうことを、その身をもって知るべきだ。


 あたしは一日中働いている。朝は夜明け前に目を覚まして家の掃除と食事作りをする。冷たい水を汲んできて、刺すような痛みの中で洗い物をして、凍り付きそうなくらい寒い部屋で食事をとる。薄い服の上から体を抱いても、掌の冷たさが広がるだけだ。青臭くてほとんど味がしないぬるいスープに石みたいに固いパンを浸して食べながら、あたしは考える。


――いつか絶対にお金持ちになるんだ。そして、暖かな上の階でたくさんの食事をゆっくり味わっている奴らを見返してやる。


 くじけそうになるたび、死にたいくらいつらくて泣きそうになるたび、あたしは思い出すのだ。あのくそ婆に不細工な娘たち。神様が間違えてしまったのだとあたしは知っている。家畜には不似合いな待遇、それに相応しいのは誰か、あたしが教えてあげなくては。



 ある日あたしは、噂話を聞いた。

 例の家畜の話によると、先日の舞踏会で硝子の靴を片方落としていった娘を、王子が城を上げて捜しているのだという。その入れ込み様は尋常ではなく、見つけたらすぐに婚礼だと囁かれているのだそうだ。対象は、町中の娘。身分も年齢も問わないという。


 これをチャンスと言わずしてなんと言うのだろう。神様の思し召しだとしか考えられない。あたしは早速その足の検分が行われているという家に偵察に行くことを決めた。


 買い物を済ませて、休憩時間に家を飛び出した。時間を過ぎたら折檻だが、そんなことに構っている暇はない。足を靴に入れて、お金持ちになって、ゆっくり療養すればいいのだ。

 なりふり構ってなどいられないあたしは、がっかりした様子の娘に駆け寄った。


「お嬢様、そのおみ足をどうか、わたくしにも見せてくださいませんか」

「何よ、あなた」


 汚いものでも見るかのような目で見下ろされる。広がった鼻の穴がまるで豚みたいで、とても醜い。あたしはへつらうように熱を込めた目でそれを見上げた。


「先ほど、お城からの靴を履いていらしたでしょう。わたくしのような者には手の届かない名誉でございますわ。一生の思い出として、あの靴を履かれたお嬢様の足を見せて頂きたいのです」

「…まあ、そういうことなら許してあげるわ。手は触れないでね、汚れてしまうから」

「ええ、ええ!勿論でございます!ありがとうございます…」


 こんな家畜の足などに触れたら、あたしの手が汚れてしまう。あたしは頭を下げて、跪くような格好で傲慢に突き出された足を眺めた。

 あたしが仕えている家の、1番目の娘の足よりも少し小さい。大きさを確認して、礼を言ってへつらって、あたしは家へと走った。こうするしかない。靴のサイズを、なるべく正確に計らなくては。



 数日経って、体のあざが増えたのと同時に、例の靴のサイズがわかった。大体の大きさを型にして足を乗せてみたが、あたしの足はどうも大きすぎるようだった。それに、歩きすぎて固くなった足の裏やいびつに歪んだ爪は、正直見るに堪えない。


 足を切らなくては。それも、なるべく早いうちに。


 あたしはすぐに裏通りの薬屋へと走った。強力な血止めが欲しいと頼むと、唯一の自慢だった鮮やかな金の髪をばっさりと切られてしまった。まあいい。お金があれば、もっと綺麗に伸ばすことができるだろう。


 

 家へ戻ると、門の前に高級そうな馬車が止まっていた。エントランスホールがざわついている。嫌な予感がした。

 裏口から入ってのぞき込むと、やはり思った通り、例の硝子の靴が二番目の娘の足を拒んだところだった。早くしなければ。早く。


 あたしはすぐに台所へ飛び込んで、ありったけの包丁を出した。念のため、斧も用意した。幸い娘は七人もいる。二番目もねばっていたようだったし、急げば間に合うだろう。

 以前作った型の上に足を置いて、震える手を振り下ろした。そこからの記憶はあまりない。ただ、叫び出しそうなくらい痛くて、必死にスカートの裾をかみしめていたことは覚えている。最終的に斧を使った。手に力が入らなかったからだ。


 お金持ちになるんだ。それだけがあたしの頭の中をぐるぐるとまわっていた。


 蛙のような薬屋の店主からもらった革袋を広げて、中の深緑色の液体に右足を突っ込んだ。何かに噛み付かれているような鋭い痛みを感じながらも、意識を失わないように膝に爪を立てた。

 ただ立っていることさえ痛くてつらい。血も止まりそうにない。あたしは懺悔する。


 ああ神様、足を切ってまで嘘をつこうとしてごめんなさい。でも、娼婦は毎晩いろんな人に嘘をつく。それも、あたしよりよっぽど沢山。あたしは一つしかつかない。情状酌量だって、有りでしょう。


 すると、まだ袋からじわじわと煙が出ているうちに、汚らしい声で名を呼ばれた。早すぎる。

 あたしはとっさに返事をして、慌てて手についた血を洗い流し、まだ血が止まらない足にぐるぐると布を巻き付けて駆けた。痛い痛い痛い痛い痛い。それでも頭の中ではがんがんと一つのことばかりが巡っていた。あたしは絶対、お金持ちになるんだ。


 ぼさぼさの短髪を振り乱して、がくがくとおかしな走り方でやってきたあたしを見て、靴を持ってきた男は驚いたようだった。あたしは全神経を集中して笑顔を作る。


「お待たせいたしました」


 男の従者らしき青年だけが小さく微笑み返したが、男は引きつった顔で神妙に頷いただけだった。


「あ、あんた…早く足を入れさせていただいて、とっとと部屋に戻んな!」


 ヒステリックに叫んで、婆はあたしの背を突き飛ばした。ちなみに部屋とは折檻部屋のことだ。足の痛みに耐えながらも前へ進み出て、ゆっくりと足を入れる。

 あたしにとっては当然の結果ながら、随分と丸く小さくなったあたしの足は、硝子の靴にぴったりと収まった。見たか家畜ども、これであたしはお金持ちだ!


 喜びを隠さずに顔を上げると、男も家の奴等もみんな引きつった顔であたしを見ていた。正確には、あたしの足を。

 あたしが視線を落とすと、硝子の靴が真っ赤に染まっているのが見えた。あたしはすぐに理由が解った。血止めが不完全だったのだ。高い踵のその靴は、あたしの血をつま先へとどんどん運んで行っている。赤く色を変える靴と反対に、あたしは頭が真っ白になった。まさか、そんな、これっぽっちのことで、あたしはチャンスを逃すのか。


 そのとき。指先が色を失う程強く服を握っていたあたしの手を、あたたかいものが包んだ。咄嗟に顔を上げると、従者の青年が柔らかく微笑んでいた。


「やっと見つけたよ、ぼくの運命のひと」


 沈黙。


 誰だ、こいつは。助けを求めて視線を彷徨わせても、婆も娘たちも、ぽかんと口を開いてこちらを見ているだけだ。全くもって、使えない奴等。

 それを破ったのは意外にも靴を持ってきた男だった。男は、卵のような体に似合わない小さく細い声で、囁くように青年に言った。


「へ、陛下……?」

「何をしているんだい、早く彼女を馬車へ。彼女こそがぼくが捜し続けていた運命の女性だ。城へ行ったらすぐに婚礼の用意をするように」

「しかし陛下、お言葉ですが、この娘はあの晩の女性とは似ても似つかない――」

「ぼくがそうだと言っている」


 ぴしゃりと言って男を黙らせると、青年はあたしに向き直った。よく見ると顔立ちは上品に整っている。陛下ということは、もしや王子だろうか。彼はどこかうっとりとした目であたしを見つめ、両手で包み込んだあたしの右手を撫でながら、熱っぽく言う。


「ずっと捜していたんだよ、ぼくの愛しいひと。舞踏会で会った女に目を曇らせていたことを赦して欲しい。今目が覚めたよ。自分の足を切ってまでぼくに逢いたいと思ってくれるなんて、そこまでぼくを愛してくれているなんて…」


 自分勝手な解釈をつらつらと語っている間にも、だんだんと手を握る力は強くなっていく。まるで逃がすまいとするかのように指を、視線を絡めてくる青年に、あたしの背を冷たい汗が伝っていくのがわかった。


「さあ行こう、帰ったら血が止まる前に婚礼をしなければ。これを見れば、父上も母上もどれだけきみがぼくを愛しているかがわかるはずだよ。楽しみだな。国中の女がぼくに愛されるきみの栄誉を君を羨み、国中の男がきみに愛されているぼくを妬むんだ」


 無理矢理あたしを引っ張って馬車に乗せようとする青年。傾いた体を支えようと踏み出した右足がひどく痛み、あたしは咄嗟にその腕に縋り付いた。目眩がする。吐き気がする。これはきっと、血が足りないというだけではない。


「ああ、痛いかい?痛いよね?ふふ、嬉しいな。きみが痛みを感じて顔を歪める度に、ぼくへの愛を確認するんだ。ぼくは愛なんて目に見えないものは信じないけれど、きみはぼくに目に見える愛を示してくれた。ねえ、もっときみからの愛情を感じたいな。婚礼がおわったらすぐに舞踏会を開こう。勿論その靴を履いてぼくと踊るんだよ。きっときみはすごく痛いだろうな。血も出るだろう。でもぼくは君の愛を見ることができる。よし、やろう」


 なぜこの靴の本当の持ち主が自ら名乗り出ないのか、少しわかったような気がした。まともじゃない。この男は、限りなく自己中心的で利己的、自分がよければ他人の痛みなど歯牙にもかけないのだ。幸せな結婚生活などあるはずもない。


 男は、あたしを無理矢理馬車に押し込んで、城へと向かわせる。隣に腰掛けながらも興奮気味に話し続けるそいつに、あたしは控えめに声をかけた。


「あの、陛下、お話があるの」

「なんだい、ぼくの愛しいひと」

「あたしも愛情にかたちが欲しいの。あなたがお仕事をしている間、寂しいのはいやなの」

「きみが望むのならなんだってあげるよ」

「本当?」

「勿論だよ」


 あたしは、生まれて初めてかもしれないと思うほど自然に、幸せを感じて微笑んでいた。

お金持ちになりたいという夢が叶ったのだ。何だって耐えられると思った。たとえ夫の頭がおかしくても、王や人々に蔑まれても、右足が小さくなっても、お金さえ、あれば。


 こちらを振り返った御者や召使いの男は、きっと愛おしげに微笑み合う二人を目にしたことだろう。あながち間違いではない。ずっと求めていたものが手に入ったのだから。

 あたしはお金と、男は愛の偶像と結ばれた。これがあたしたちの求めた結末なのだから、ハッピーエンドだとしか言いようがない。


 これからあたしが長きにわたって痛みと戦うとしても、男の愛する女のせいで民が苦しんでも、それによって国が滅びても、あたしは、そしておそらくあたしの夫は、口を揃えて言うだろう。

 めでたしめでたし、と。


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