第7話【思い出す必要のない思い出】
こころに連れられ、霊は医療室に到着した。
ノックをしつつも返事を聞かないうちにこころが霊を連れて中へ。
だが医療室には誰もいない。少し外に出ているだけなのか、書きかけの資料がデスクの上に散乱していた。
ちなみに、心皇学園の医療室は一般の保健室と見た目はさほど変わらない。
当直医のデスクや、具合の悪くなった生徒を休めるためのベッドが4つほど。そのほか身長計や体重計なども2つほど置かれていた。
ただ、【心兵】を養成する機関だけあって、医療設備が病院並みに整っており、奥の方には緊急用の手術室がある。そのため保健室というよりは医療室という方が適当で、保健室という呼ばれ方はされていないのだ。
「いないみたいだね……」
「でも治療はします。霊くんはそこのベッドへ座ってください」
霊をベッドへ促すと、こころは慣れた手つきで医療品棚から道具を引っ張りだした。
「よく物のある場所がわかるね」
「入学早々、朗ちゃんが怪我をしてここへ……その時に先生が出すところを見て覚えていました」
人の顔を覚えるのに苦労しないこころは、こういった記憶力も相当なものだ。
「まずは破片を取りましょう」
そういってピンセットを取りだすこころ。銀ボウルの桶を持って霊の手を取る。
「あ、それなら大丈夫だよ。こうして……」
徐に、手のひらに力を込める霊。
すると手が震えだし、血管が浮き出てきて血が流れ出す。その影響で破片が押し出され、銀ボウルの中に血液とともに落ちていった。
「…………」
「あとは止血すれば大丈夫かな……ん? こころ? どうしたの?」
「……だから、どうして、余計に、血を、流すような、ことを、するんです、か?」
一言一言わざわざ区切り、そのたびに霊に顔を近づけるこころ。
顔は笑っているが、こめかみがひくひくと引き攣っていてとても怖かった。
「え?! こ、こころ? なんか怒ってる?」
「傷を悪化させるつもりですか?」
「いや……だって、破片が中に入っちゃう方が危険でしょ? 目に見えないくらい小さな破片はピンセットで取れないし、それにこれくらいの出血量なら大事ないよ」
霊の言ううとおり、ピンセットで破片をすべて取り除くことは難しい。
それなら多少無理をしてでも押し出した方が早い。
ただし、つまむなりして押し出すのはかえって破片を中に入れてしまう恐れがあるので、普通なら悪手だ。
しかし霊は手のひらの筋肉を使って押し出し、しかも無理矢理血を流したので破片は身体のなかに入りようが無かったので悪手ではなかった。
「でも、なるべく失血しないほうがいいに決まってます」
「大丈夫だよ。これでも血は流し慣れてるしね。外の世界ではこんなの、日常茶飯事」
にこっ、と優しく笑いかける。
霊としては外の世界の事実を交えつつ、心配掛けまいとの気遣いだった。
だが難しい顔をされてしまったので、気遣いは無駄となったようだが。
「とにかく、止血しましょう。手を……」
こころは霊の片手をとり、静かに目をつぶる。
するとこころの手から【心力】が流されるのを、霊は感じた。
「こころ? これってもしかして……【感応心療】?」
「そうです……だから心配しないで、受け入れてくださいね」
【感応心療】―――【心力】を他人に流し、身体を活性化させて傷を治療する方法。
【心力】を電波のようにして使える【感応者】のなかには、他人に【心力】を分け与えることのできる者がいる。
だがこれは【心力】の波長を合わせる必要がある。人によって波長は異なるので、同調という技術が必要になるのだが……これはかなり繊細な作業が必要だ。
それは、相手の気持ちを理解し受け入れる、というくらいに難しい。
ある程度苦楽を共にしたチームメンバー相手なら比較的簡単だが、それでも傷を治療できるほど同調させるのは至難の業。
だがこころは人の気持ちに敏感だ。
そして相手を思いやれる優しい心を持っている。
だから相手と一言二言会話すれば【心力】を分け与えるのに苦労しない程度には、同調できるのである。
「こころのこと、拒む訳ないよ」
それと【感応心療】は【心力】を受け取る側の心理状態も重要だ。
【感応者】がいくら理解しようとしても、拒まれてしまえば同調は不可能。
相互の理解があってはじめて、【心力】の受け渡しが成されるのだ。
やがて霊の手のひらの出血が止まり、傷口も徐々に塞がっていった。
「右手は終わりました。次は左手ですね」
「いや、大丈夫だよ。自分の傷なら、自分の【心力】で治せるからね」
そういうと霊は、左手に【心力】を集中。
青い光が左手を覆い、今こころがやってくれた【感応心療】のように傷が治っていった。
「【心力】で身体を活性化させるということは、治癒能力も活性化させるってことだからね。さすがにこころみたいに、相手に【心力】を渡すことはできないけれど」
「え? でも、さっき守鎖之くんに【心力】を纏わせていましたよね?」
守鎖之を蹴り飛ばし、直後に纏わせたのは霊自身の【心力】。その纏わせた【心力】のおかげで、守鎖之は観客席に激突しても死ななかったのだ。
「あれは纏わせただけ。活性化させるほどではないよ。それにぼくは、大和くんには嫌われてるしね」
「……守鎖之くんは、ランクに拘らなければ良い人なんです。けど……あそこまで酷いなんて思わなかった」
こころが幼いころ、霊がFランクであることを理由に生存を否定していた近所の悪ガキたち。
今の守鎖之と幼少時の忌まわしき記憶が、同じに思えて仕方が無かった。
「でも、私はランクのことなんて気にしません! 霊くんは霊くんです! だって霊くんは私を守ってくれました!」
それは、忌まわしき記憶よりももっと古い記憶。
昔、【心蝕獣】が閃羽に侵入してきたことがあった。運の悪いことに、幼い霊とこころはその場に居合わせ、侵入してきた【心蝕獣】に狙われてしまった。
周りの大人たちが我先にと逃げ出すなか、霊はこころの手を引いて逃げ出し、襲ってきた【心蝕獣】から身を呈して庇ったのだ。
「霊くんは卑しくなんかないです! 弱くなんかないです! だって私がいま生きているのだって、あの時霊くんが――――――痛っ!!」
「こころ?!」
突如、頭を抑えて苦しむこころ。
瞳孔が大きく開き、酸欠しているかのように口を大きく開く。
「あの、時……レイくんは、レイくん……違うの……だって、今こうして生きてる……」
あの時のことを思い出そうとすると、なぜか脳裏に亀裂が奔る。そしてノイズが混じるかのように記憶が消え、その影響なのか激しい頭痛が襲ってくる。
「こころ……思い出さなくていいんだ。それは思い出す必要のない思い出だよ?」
「レイ……くん……」
「僕の目を見て、こころ」
霊がこころの顔を覗き込むようにして視線を合わせる。
黒い瞳に【心力】を集中しているのか、その目は薄っすらと青い光を放っていた
「壊れちゃうからって、おじいちゃんがこころの記憶に封印を掛けたんだ……けど、外れかかってるみたいだね。ごめん……ぼくがそばにいるから思い出しやすくなってるんだよね? 忘れて。忘れるんだこころ」
「レイくん……私……」
「忘れるんだ……【ぼくが殺されたこと】なんて」
精神的な暗示をかけ、その一言で再度封印を掛ける。
一種の催眠術だが、【心力】を併用することでより強力に……それこそ洗脳に近いレベルとなる。
「……ぁ。あれ……霊くん?」
そして強力な封印を掛けられたことで、こころは平静を取り戻した。
「傷の治療は終わったよこころ。わざわざありがとね」
そっと、優しく。
霊は包み込むようにこころを抱きしめる。
意識を取り戻した矢先の、不意打ちの抱擁にこころは顔を赤くして慌てた。
「え、ええ?! あああああ、あの! レイくん?!」
「クスっ……慌てると昔の呼び名になるよね。こころはさ」
ぽんぽん、と優しく背中を叩く霊。
そうされるととても落ち着き、次第にこころも霊を抱きしめ返すことができた。
心臓は変わらず早鐘のように鼓動を繰り返しているが。
「レイくんと……霊くん……どっちがいいですか?」
「いいよどっちでも。こころの呼びやすい名前で呼んで? どっちで呼んでも、ぼくは振り返るし、助けに行くから」
「……はい」
短い間だったような気もするし、長い間だったような気もする。
とにかく二人はそのままでいた……。
いや、いたかったという方が正しいか。
「君たち、保健室でしっぽりするのは定番だがな、せめて人が来ないようにカギを掛けたらどうなんだい?」
ばっ、と離れるこころ。
対して霊は、声を掛けて来た人物がいることを知っていたかのように、冷静に話しかけた。
「しっぽり? って、なんですか?」
「そりゃ決まってる。若い男と女がb―――」
「わぁぁああ!! く、霊くんは知らなくていいことです!! それと私たち、まだそんなことしてません!!」
「ほほう……まだ、か」
「あああああ!! ま、まだというか、なんというか……って、保住先生! いつからそこに!?」
「ちょうど今だ。なんかいい雰囲気だったが、もうすぐここに運ばれてくる生徒がいるから邪魔をさせてもらったよ」
医療室のドアに寄りかかり、人の悪い笑みを浮かべながら入ってくる女性。
保住建子。
保健室で言うところの、保健の先生。この心皇学園・医療室の専属外科医で、負傷した生徒の治療を専門にしている。
長い髪を後ろで一つのお団子にして纏めており、長身の身体を常に白衣で覆っているメガネ女性。
男装させたら様になるであろう、クールに笑う麗人だ。
「おや? 君はさっき大和と決闘していた……」
「はい。御神霊です。怪我の治療をしてもらってました」
「ああ……純愛の【感応心療】か。ちゃんと治ったかい?」
「ええ。手のひらの怪我だったんですが、この通りです」
傷痕が一切残っていない右手を見せる霊。
握ったり開いたりして、問題が無いことを確認している。
「純愛の治療なら安心だな。それでそれで? お礼にしっぽりという訳かい?」
「はぁ……お礼はもちろんですけど……しっぽりって―――」
「だからっ!! 霊くんは知らなくていいんです!! 保住先生も、生徒に何を吹き込むつもりですか!!」
「はっはっはっ。ちょっとした冗談だ。それより、そろそろ来たな」
保住が医療室の中へ入ると、担架が運ばれてきた。
その担架で運ばれているのは、さっきまで霊と戦っていた守鎖之。
すでに目覚めており、霊に蹴られた腹を押さえて苦しんでいた。
「手術の必要はないんだが、大事を取ってここで休ませることになってね」
大和をベッドに移すよう指示し、聴診器を取りだして容態を確認する保住。
霊とこころも保住の後ろに立ち、様子を見守ることにした。が、大和が保住の後ろに立つ霊を見つけ、声を荒げた。
「Fランクっ……おまえ、薬か何か使って【心力】を増大させているな?! そこまでしてこころが欲しいか!?」
【心力】を増大させる薬、というのは実在する。
一種の興奮剤でもあり飛躍的に【心力】を高めるが、体内のホルモンバランスを崩す副作用が強いため、使用や生産は厳しく規制されている。
「騒ぐな大和。御神といったか、ちょいとこれを口に含め」
「んぐっ」
保住は胸ポケットから白く細い紙を取り出し、霊の口に突っ込む。
数秒して口から離し、その紙を見つめる。
唾液から薬物の有無を調べる、簡易検査紙だ。
「薬物反応なし。残念だったな大和。負けたのは実力だ」
「そんな訳があるかっ……オレが、Sランクのオレが! Fランクのゴミに負けるなどっ―――」
「騒ぐなと言っただろバカ者」
大和の腹を軽く押す。霊に蹴られたところだ。当然激痛が走って呻く。
「ぐぅっ!?」
「まったく……男らしくないぞ?」
「く、薬を使うような奴に比べたら……」
「だから、薬物反応なしだと言ってるだろうに……はあ。先に治療だな。ちょうど純愛もいるし、【感応心療】で治してもらった方が早いか。できるか? 純愛」
ため息を吐きつつ、こころに向き直って聞く。
一応こころと守鎖之が幼馴染だということを知っている保住は、それで【感応心療】に必要な同調が比較的容易だろうということで勧めたのだが……こころはあまり乗り気な様子ではなかった。
「条件が……あります」
「条件?」
珍しい、と保住は思った。
無条件で他人に優しさを施すこころが、条件を出してくるのは意外だった。
「守鎖之くん、霊くんに謝って。そしたら、治療してあげる」
「なっ!? 何を言ってるんだこころ……何故オレが謝らなきゃいけないんだっ」
「守鎖之くんこそ、どうして霊くんに突っかかるの? 霊くんは何も悪いことなんかしてないのに……」
「ゴミの分際でおまえに近づき、オレに盾突いた! これ以上にふざけた話があるか?!」
「……」
保住は、本人を前にしてよく言えるな……と呆れた。
が、それ以上にこころの視線が険しくなったことに気が付いた。こりゃ駄目だな、と早々にこころの【感応心療】を諦める。
「もういい。行きましょう、霊くん」
「え? う、うん……」
てっきり【感応心療】を施すものだと思っていた霊は、こころの硬質な声音に一瞬反応が遅れた。
が、手を握られ引っ張られるように歩かされるので、遅れることなくこころに付いてく。
「ま、待てこころ! 【感応心療】はしてくれないのか? オレ達、たった二人きりの幼馴染だろ……」
「……私にとって幼馴染は、守鎖之くんだけじゃないの」
振り返ることも止まることもなく、霊を連れて医療室を去るこころ。
守鎖之はそれを、ただ黙って見送ることしかできない。
「な、ぜ……何故だ、こころ……」
「はぁ……大和、おまえ格好悪すぎだ。もう少し乙女心を理解してやらんと、幼馴染という優位性は役に立たんぞ? それじゃあ振り向いてももらえない」
保住の忠告に無反応の守鎖之。
やれやれ、とまた溜息を吐いて、保住は義務としての治療を準備した。
●御神霊―――――主人公。Fランクの落ち零れとされているが、膨大な【心力】を有する謎の少年。
●純愛こころ―――霊の美少女幼馴染。数少ない【感応者】。
●大和守鎖之―――Sランクにして最年少ナイトクラスの少年。こころの幼馴染。
●保住建子――――閃羽心皇学園の保険医。外科治療専門。ちょっと不良な先生。