第56話【天使の殺戮】
第56話更新です。
読み始める前に一言。
本作の主人公に、触手要素は一切ありません(笑)
普段、霊が指先から出している、青く光る【心力】の糸。
【心器】のように全力を出しても指が壊れることはないが、その代わり、指の数しか糸を出すことができない。指先という概念に支配されるためだ。
【心器】であれば、【心経回路】の本数分操ることができるし、制御補助の役割も果たすため、糸を割いて複数本に増やすこともできる。
そして、糸は数が多ければ多いほど多様性を持ち、より複雑なことができるようになる。
その意味では、例え壊れやすくとも【心器】は必要だった。
だが今、【ガルドブレッド】は破損し、糸刀は手元にない。そして霊自身は、主天使キュリオテスに右腕を千切られ、また左腕は自ら切断した。
それでも……。
「武器がなければ何もできないと思って……調子にのるなよ」
それでも霊は、まだ戦う。戦える。
切断した両腕の断面をキュリオテスに向け、【心力】を集中する。
そして青く光る無数の糸が、腕の切断面から伸び、濁流となってキュリオテスに殺到する。
夥しい量の糸。
明らかに糸刀や【ガルドブレッド】が出力できる本数を超えている。
「っ?!」
これに驚いたのは、他らなぬキュリオテスだ。
完全に戦闘能力を奪ったと思えば、さらに戦力を増やして挑んでくる。
「死ね」
無数の青く光る糸が、何組かに分かれて束ねられる。
優に100組を超える糸の束は、それぞれ形を変え、刀や太刀、カットラス、青龍刀、エストック、ダガー、槍、トライデント、斧、バルディッシュ、ハルバード、鎌、メイス、ハンマー、鉄球、モーニングスター、三節棍、釘バット、メリケンサック、トンファー……等々の武器に形を変える。
果ては農具から日用品に出てくるような物……鍬、熊手、ニッパ、スパナ、ドライバー(プラス&マイナス)、のこぎり、のみ、きり、ハサミ、コンパス、彫刻刀(平刀、三角刀、丸刀、切り出し刀、各種勢揃い)栓抜、釣り針……などにも。
付け加えれば、何を血迷ったか、ヤカンやタライ、フライパンやおろし金など、調理器具を模したものまであった。
とにかく、節操無く、近接で武器として使えそうなものが、糸を使って形成され、砂嵐のような勢いでキュリオテスに襲いかかった。
「おのれ死天使……悔い改めなさいっ」
【神速】のエネルギー弾。それが連射される。
想像を絶するスピードでもって当たるエネルギー弾は、糸で構築された武器に当たって弾け、オレンジ色の粒子を撒き散らす。
それはそのまま、当たった標的を破壊するはずだった……。
破壊するはずだったのに……糸で構築された武器は壊れない。止まらない。迫り来る。
「っ?!」
「調子に乗るなと言った」
キュリオテスは、さらに【神速】のエネルギー弾を連射する。
いくつかは破壊できたが、これまでとは比べ物にならない物量に、キュリオテスは後退を余儀なくされた。
【神速】の弾幕を張りながら、霊と距離を取る。
霊は……追わない。
その代わり、糸で構築した武器が執拗にキュリオテスを襲う。おまけに、強い衝撃を受け過ぎて形態を維持できなかった分も、すぐに再構築して向かわせるものだから、事実上武器の数は減っていなかった。
壊しても壊しても、無限に湧き出る水のごとく。確実に、キュリオテスは追い詰められていった。
「なんだ……アレは……? まるでバケモノじゃないか……」
その光景は、異常。
両腕の切断面から伸びる糸。それを生やし、操る霊。人間とは思えないその姿は、まさしくバケモノだった。
守鎖之は、嫌悪感を隠そうともせず、吐き出すように霊をバケモノと評した。
一方の誠は、霊が今やっていること……それが何なのか知っているから、嫌悪感はなかった。
それよりも、むしろ……。
「やはり……霊くんもその選択をしたか……【親子揃って】……いや、あの子の場合は自らその選択をした」
『君は、もっと自分自身を大切にするべきだ。【一度死んだから】という理由で、死んだことのない生きている者を最優先にすることはない』
ここに来る途中、霊に説いた言葉。
自分をもっと大切に……それとは真逆のことを、霊は何の迷いも無く実行した。
「あの子には、どんな言葉も通じないのか……」
娘を……こころのことを引き合いに出せば、少しは自戒してくれるかと思った。
それは、甘いものであったと、改めて思い知らされた。
「ふざけるな……あんなバケモノが、こころに……こころに……」
「大和、今はこころを連れてここを離脱するのが先決だ。行くぞ!!」
先ほどの行為……霊がこころに口付けをしたことを思い出し、そしてそれが、人間とは思えない姿をしているバケモノであることを強く意識した守鎖之は、わなわなと震え、憎悪の籠もった目で霊を睨みつけていた。
誠としては、娘が目の前で唇を奪われたことに動揺がないわけではなかったが、今は他にするべきことがあるとして、心の片隅に押し込んで次の指示を出すことを優先した。
「こころ! ここを離れるぞ! こころ!!」
「お父、さん……霊くんが……霊くんの、腕が……両腕が……」
キュリオテスの攻撃を受け、こころは右腕を骨折した。
しかし霊の、乱暴で深い口付けの直後、どういう原理かは知らないが、右腕の痛みは引き、骨折も治っていた。
だがさらにその直後、霊は目の前で、残った左腕を自ら切断した。
あまりの出来事に、こころは放心状態となってしまい、その場から動くことが出来ないでいた。
「こころ、これで分かっただろう! あんなバケモノが、おまえに相応しいわけがないんだっ!!」
動かないこころに業を煮やしたのか、守鎖之は彼女の腕を引っ張って立たせ、そして吹き込む。
アレは、人間ではないと。
「霊くんの、腕……腕が……」
「そうだっ! よく見ろっ!! 切断した腕から生えている、あのおぞましい、青く光る無数の糸を!! まるで触手のバケモノだ!! アレが、アイツの正体だっ!!」
こころは、地面に転がる霊の腕を見て放心している。
だが守鎖之は、霊の腕から触手のように生える、無数の糸を見て、霊に幻滅しているのだと思い込んでいた。
「……大和、あれも歴とした技の一つだ」
その守鎖之の思い込みを、図らずも正すのは、今の霊の状態を理解している誠だった。
「バカな……人間があんなこと、できるわけがない!!」
「生身で【心力】を使えるなら出来る。霊くんは本来、指の数しか【心力】の糸を生成できない。指先という概念に支配されるからな。
つまり、指先という概念を失くせば、糸は増やせる。残った左腕を自ら切断したのはそのためだ」
全てを理解しているが故に、誠は霊に嫌悪を抱かない。
冷静に、的確に、戦況を分析・解説していく。
「そのためって……どういうことですか」
「今の霊くんの概念は【筋繊維および神経や血管】。それらを糸の射出源としている、ということだ」
理解できないのも、無理はない。
誠自身、それを理解するのにそれなりの時間を要したのだから。
「人によって違うが、腕の筋繊維……今の霊くんは上腕部から切断しているから、片方で20万~30万本ほどはあろうか。
それに加えて神経や血管、さらには骨筋を加えれば、両腕合わせて100万は超える糸を射出できるようになる」
だから理解できないでいる守鎖之に、誠は根気強く補足を重ねていく。
「【心器】を使うよりも、腕を切断した方が彼は強くなる。【殺神器】があればそんなことをしなくて済むが……」
だが無い物をねだっても仕方ない。
今できる最大のこと。それを霊は実践しているに過ぎない。
それがどんな代償であろうとも、霊はこころを守るため、躊躇なく払う。否、払った。
「意味が分からないっ! 大佐、アンタは何を言ってるんだ! アレはバケモノだっ! 理由をこじつけて現実を直視しないつもりか!!」
「……そうであったならどれほどマシか。とにかく、今の霊くんは【心器】の性能に縛られず、存分に力を発揮できる状態。そう認識すればいい」
とにかく、霊は全力全開。
何を気にすることも無く、ありったけの【心力】をぶつけることができる。
武器の嵐が、キュリオテスに追いつく。
まずキュリオテスの懐に潜り込んだのは、ナイフ。
次いで、栓抜きがキュリオテスの首を捉えた。
そう、栓抜きだ。
その栓抜きが、キュリオテスの首を、人体構造上不可能な角度へ傾けさせ、へし折った。
ガクッと倒れるキュリオテス。だが追撃は止まない。ありとあらゆる武器が、土煙で見えなくなるほどキュリオテスに殺到した。
「……クスクス。まだ倒れないよね?」
土煙の中から、【背中に向かって首が折れた】老司祭が、両の手の平を霊に向けながら走って来る。
「っ?! 首を折られて、まだ動くだと……」
不気味な光景に、誠が思わず呟く。
【心蝕獣】とはいえ、人間の姿をしているのだから、当然首を折られれば死ぬと思っていたのだ。
だが、折った張本人は、そうは思っていなかったようだ。
「……やっぱり【心蝕獣】だね。人間の構造をマネているだけで、生命維持には支障がないんでしょ?」
ニヤァァアアッ……と口の端をあげながら、霊は嬉しそうに言い放つ。
まだ玩具は壊れていない。それが分かって喜ぶ、残酷な子供の笑みそのものだった。
武器の弾幕で【神速】のエネルギー弾を防ぎつつ、キュリオテスに仕掛ける。
キュリオテスは武器を引き付けるのが目的だったのか、限界まで避けることはせず、武器の嵐に呑み込まれる直前で空へ飛んだ。
それから折れた首を両腕で持ち、もとの位置に固定した。
骨の砕けるような音とともに、キュリオテスは人として正常な姿を取り戻した。
「死天使……神に仇成す存在にして、その頂点に立つ者……。我らが神が、あなた方の所為でどれほどの苦悩を抱いているか、理解できないでしょう」
口の端から垂れていた赤い血を拭いながら、キュリオテスは説くように言う。
「神は旧世界を壊し、新たな理の創造に着手することができた……。
ですが、世界を変えてもなお、あなた方のような愚かな人間がいる。新世界創造を阻もうとする。
ですから私は、あなた方を悔い改めさせる。それが、我らが神の望む、【零世界】を実現する唯一の手段なのです
さあ……悔いなさい。改めなさい。悔い改めなさい。
存在していることを。生きていることを。生まれて来たことを」
再び地上に降り、霊に手の平を見せるキュリオテス。
だが、【神速】のエネルギー弾はまだ撃たない。
霊が【神速】を見切っているわけでないことが分かっているからだ。
単純な心理戦。いつ撃たれるのか分からないのは、恐怖を増長させる。それが狙い。
しかし……霊はなんの怯えも見せず、キュリオテスへ向かって静かに歩き出した。
「ふっ……悔い改めないというのなら、これで悔い改めなさいっ!!」
そのすまし顔が気に喰わなかった。ならば、無理矢理にでも変えて見せよう。
手の平を、霊の後方にいる、こころに向けた。
「いかんっ! こころっ!!」
キュリオテスの意図に気付いた誠は、娘を守るため、射線上に躍り出る。
「おまえの相手はぼくだよ」
そんな誠のさらに前に、糸で構築した無数の武器が射線を覆い隠す。
結果、霊自身は無防備になった。
「ふっ……悔い改めなさいっ!!」
それこそが、キュリオテスの意図。
無防備になった霊に、瞬時に【神速】のエネルギー弾を放つ。
エネルギー弾に当たった霊の身体が、宙に浮く。
「っ?! 霊くんっ!!」
悲鳴をあげるこころ。
まともに喰らった。防げるはずの攻撃なのに、自分がこの場を動かないから、足手まといになった。
後悔して、また泣きそうになって……だが、それもすぐに止まる。
宙に浮いた霊は、しかし態勢を崩すことなく地に足を着け、立ちはだかった。
「っ?! 悔い改めなさい!!」
念のため、右手はこころ達に狙いを定めたまま。
左手の方で霊を狙う。
何度も、何度も、何度も、【神速】のエネルギー弾を霊に当てる。
当たる度に、霊の身体は宙に浮く。しかしそれも一瞬で、すぐ地に足を付ける。僅かずつ後退してはいるが、霊の視線は撃たれながらもキュリオテスに固定されたまま。
色を失った、暗く深い闇を連想させる瞳が、絶え間なくキュリオテスを見つめ続ける。
「二人とも、ここから離れるぞ! 我々がここにいては、邪魔になるだけだ!!」
不死身とも思わせる霊の状態は、しかし長く続くはずもない。
誠は我にかえって、こころと守鎖之の二人を引っ張った。
だが―――
「くっ?!」
すぐそばの地面が、爆ぜた。キュリオテスのエネルギー弾だ。
よく見れば、糸で構築した武器の集団のまわりに、オレンジ色に光る粒子が舞い散っている。
おそらく、ほとんどは霊が防いだのだろうが、運悪く防げなかった流れ弾が、こっちにまで来たのだ。それだけ霊のダメージが蓄積しているということで、時期に霊は……完全に倒れるだろう。
もっとも、キュリオテスはそれが狙いで、だから人質を取るような真似をしていた。
「あなたの死は私に届かない。無駄ムダむだです。悔い改めなさい」
「……所詮は【心蝕獣】。人の心を喰らうだけで、それを自分のものとすることができない浪費生物。心を自分で醸成できないから、その程度の発想しか出来ない」
心底、小バカにしたような物言い。
「なんですと?」
「ここには天使が何人いると思ってるの? 準備はできた。もうおまえ、終わりだよ」
そう告げられた途端、キュリオテスの手の平で、エネルギー弾が弾けた。
撃つ瞬間に、手の平に向けて強大な【心力】の弾丸が撃たれたのだ。
「っ?! 先ほどの不遜な人間ですか……なっ?!」
天使でもないのに、自分の能力を阻んだ不遜な人間。
そう思って、撃ってきたであろう方角に目を向けると……戦闘機の翼のような、無機質な翼を背中から生やす、あの人間……照討準が、こちらに2丁拳銃を向けていた。
「狩天使……? いや、狩天使は別の人間だったはず! バカな、狩天使が二人?!」
あのオレンジ色に光る翼は、間違いなく狩天使の証。
だが、それは唯一無二のもので、そしてそれはすでに、キュリオテスが左腕を葬り去った狩天使ダン・バレッタしか持たないはず。
「いいや、一人だよ。彼は新世代の狩天使。おまえの新しい【同列存在】だよ」
キュリオテスの疑問に答えたのは、霊。
すでに顔は真っ青で、今にも倒れそう。
だが表情はすごく楽しそうで、真っ青な顔には不釣り合いなほどの笑みを浮かべていた。
それが堪らなく、キュリオテスを不快にさせる。
早く黙らせなければ。
そう思って【神速】のエネルギー弾を放った……ところで、またも四散する。
なんど繰り返しても、【神速】のエネルギー弾は、キュリオテスが放つ瞬間に阻害されていた。
主天使の【同列存在】、新世代の狩天使によって。
「私の、私の【神速】を、見切っているというのですかっ!!」
「くすくすっ……ちょっと外れてる。彼の力はそんなもんじゃないよ。……答えは教えないけど」
動揺している。あの主天使が。
その隙を見逃すはずもなく、霊は腕の切断面から射出している糸を総動員して、キュリオテスを簀巻き状態にして捕えた。
「くっ! 離しなさい死天使!!」
「くすくすくすっ……離すのはぼくじゃない。そうだよね? ―――昂」
簀巻きにされ、空中へ運ばれるキュリオテス。
その真下の地中から、人影が飛び出す。
「 殴 り 殺 す ぜ ゴ ラ ァ っ ! ! 」
「―――っ?!」
飛びだしてきたのは、昂。
そのガントレットにありったけの【心力】を注ぎ込み、緑色に光る拳をキュリオテスに叩きつけた。
膨大なエネルギーを内包した拳が、余すことなくキュリオテスの頬に叩きこまれる。
霊の強靭な糸で固定されているから、衝撃が逃げようも無いのだ。
いや、それは正しくは無いか。
【殺神器】で増幅された衝撃があまりにつよかったらしく、青く光る糸がブチブチと千切れる音立てたのだから。
それほどに、凄まじい威力だったのだ。昂の拳は。
「がっ……はっ……」
「おまえのその姿に相応しい殺し方って、なんだろうって思ってた。やっと思い付いたよ」
致命傷を受けたキュリオテスに、最早立ち上がる力は無い。
地面に倒れ伏すキュリオテスに対し、霊は嬉々とした声音で宣告。
キュリオテスの拘束を解き、新たな武器を糸で構築する。
「アレは……十字架か? なんという数だ……100以上はあるか?」
誠の言う通り、100を超える青い十字架が、キュリオテスの真上で形成された。
「これで刺し殺す。たくさんの十字架に刺されて殺される司祭。これほど趣のある殺し方、君らじゃ思い付かないでしょ?」
言うが早いか、糸に命令をくだす。
100を超える青い十字架の先端が、次々とキュリオテスに突き刺さる。
頭部は避けているのか、それ以外の部位に、容赦ない十字架の雨を降らせていった。
「ぐふっ!? ぐ、ぼぁっ?!」
すべての十字架がキュリオテスに突き刺さった。
ちょうどそのとき、こちらに向かって飛んでいた準が、霊の隣に降り立った。
「間に合ってよかった……間に合った、のかな?」
霊の両腕を見て、準が表情を険しくした。
「大丈夫だよ、照討くん。それより、昂」
首を振って問題無いとアピールしつつ、霊は最終段階に移る。
主天使の、処刑へと。
「へっへっへっ……いいだろう? オレに、オレにヤらせろよぉ……」
キュリオテスの攻撃をもろに浴びた昂は、全身がボロボロ。
黒の戦闘服はあちこちが破れ、その隙間から見える肌は黒く変色していた。
だがそれ以上に目を覆いたくなるのは、狂気と狂喜を宿した、殺意に満ちた目だ。
足を引き摺りながらキュリオテスに近づき、見下す。
「いいけどね。ということで主天使キュリオテス。神を引き摺りだすために、死んでもらうよ。
なんで閃羽を目指していたのか知らないけど、別に興味無い。ぼくらは君たちを皆殺しにできれば、それで十分だしね」
いや、ここは人間の言葉を話せるキュリオテスから、色々な情報を聞くべきだ。
何故ここにいるのか。
何故【心蝕獣】を統率していたのか。
何故ダンの……現所有者は準だが……狩天使の【殺神器】に目もくれず、閃羽をめざしていたのか。
それらを吐かせてから殺すべきだった。
だが霊でさえも、ロードクラスを殺せることに至上の狂喜を見出しているのだ。重要な情報を吐かせるよりも、殺すことを優先するほどに、霊も興奮している。
【同列存在】を殺すということは、それだけ特別なことだった。
「お、おの、れ……人間、め……」
「くすくす……ねえ、今どんな気持ち? 目的を果たせず殺されるって、どんな気持ち? 今まで喰らってきた人の心で、該当する気持ちってある?」
すごいニヤケ顔だった。
そんなはずはないのに、人体の構造上ありえないのに、口の両端が目尻にまで吊り上がっているように、キュリオテスには見えた。
そして自分を見下す目が、【ヤツ】と重なった。
「死、天使……私を見下す、その目……許さない……熾天使と同じで、私を見下すその目……まるで同じ……おのれぇぇ……あと少しで、辿りついたというのに……さすれば、熾天使をこの手で―――」
「御託はいいんだよゴラァ。さっさと殺させろよ」
遮られた。
昂が、うつ伏せに倒れるキュリオテスの頭を踏みつけたからだ。
それでもなんとか首を動かすキュリオテスは、昂を睨みつけて繰り返し言った。
「力天使……あなたも、悔いなさい。改めなさい。悔い改めなさい。
悔いなさい。改めなさい。悔い改めなさい。
悔いなさい。改めなさい。悔い改めなさい。
悔いなさい。改めなさい。悔い改めな―――」
再び、頭を踏まれる。
だがすぐに、昂の足は退けられた。
そして、退けた足を後方へ上げ―――
「ああ。てめぇら、―――をっ!」
キュリオテスの頭を、蹴り上げた。
千切れて飛ぶ、キュリオテスの生首。
それを見上げながら、昂も霊に負けず劣らずのニヤケ顔で言った。
「―――てめぇらを皆殺しにしたら、いくらでも悔いてやるよ。
あのとき、故郷を滅ぼされるしかなかった、無力なオレ自身をなっ!!」
蹴り上げられたキュリオテスの生首。
その生首が、青く光る糸に絡め取られる。
同時に、首を失くしたキュリオテスの体も、簀巻きにされる。
「これであと―――三体」
呟くと同時に、霊は糸を締め上げ、キュリオテスの首および体を、圧殺。
隙間から血が噴き出し、それが主天使キュリオテスの絶命を告げていた。
◆ ◆ ■ ◆ ◆
「ヒィィィィィハァァァアアアッッッ!!! 殺したぁっ!! 殺したぁっ!!
こ・ろ・し・て・やっ・た……ぜぇぇぇえええっっっ!!」
絶叫。昂の絶叫。狂喜の絶叫。
「ひゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははアハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハアヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャぶわはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははヒィィィひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひっギィヤァーーーハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!」
空間が震えていると錯覚するほどの、バカ笑い。大笑い。
目の焦点が合っていない。
左右の目が別々の方向を向いている。
それでいて痙攣するように激しく揺れている。
昂の野性味を帯びた凛々しい顔立ちなど、このときは完全に失せていた。
「殺せたんだね。御神くん」
「うん。殺せた」
「えへへ……よかった」
準の言葉に、実にあっさりと応える霊。
あの凄絶な殺し方をした後とは思えぬ、爽やかな空気がそこにはあった。
「狂ってる……こいつら、狂ってる。Fランク……こんな、こんな奴らが……」
【心蝕獣】とはいえ、人の姿をしていた者を、ああも惨殺して、それでいて、爽快としている。
守鎖之は確信した。
こいつらは、【心蝕獣】だろうが人間だろうが、殺すときは殺す。躊躇いなく。むしろ喜びさえ見出して。
そしてそんな奴らが……否、奴が、こころの唇を奪ったなどと……。
「霊、くん……」
「あ、こころ……痛みは引いてる? 大丈夫?」
そばに歩み寄って来たこころに、霊はまず自分よりも彼女の安否を優先した。
「霊くんこそ!! 腕……腕が……腕がぁ……」
こころは、霊の両肩を掴み、そしてその胸に額を預けながら泣いた。
大好きな人の、凄惨な姿。泣かずにいられようか。
霊は両腕を失い、どれだけ不自由な生活を強いられるだろうか。
そしてそれ以上に、これから先の【心蝕獣】との戦いを切り抜けられるのだろうか。
様々な不安が、こころの精神を押しつぶし、涙を排出させていた。
「あひゃあひゃあひゃあひゃあひゃ……ヒーッヒッヒッヒッヒッ……お、おい、霊よぉ……アハ、アハハ……これ、テメェのう、でひひひひ……テメェの腕、だよなぁはははははは……」
抑えきれない笑いを漏らしながら、昂が来る。
彼は、その手に霊の左腕を持っていた。
「あ、もう片方の腕もっ!」
そしてこころは、キュリオテスに攻撃されたときに落としてしまった、霊の右腕を思い出し、すぐに取りに行く。
幸い、戦闘による余波で遠くに吹き飛んだということはなく、すぐに見つかった。
「イヒイヒイヒ……クハハハハハ……ど、どうするよぉ、霊ぃ……くっつけるか?」
「そのつもり」
至極簡単に、当たり前とでもいうふうなやり取り。
戻って来たこころは、ちょうどその会話が聞こえて、呆然と聞き返した。
「く、くっつけるって……」
「いいのか霊よぉ……ぷぷっふっ……【居場所がバレちまう】ぜぇ?」
「もうバレてる。さっき、こころの腕を治すのに【起動状態】にしたから」
霊と昂。二人の間でだけ成り立つ会話。
おそらく、霊がこころの唇を奪い、その直後に腕が治ったことと関係しているのは、なんとなくわかったが……。
「そうか、そうかよぉ……うひゃひゃひゃ……じゃあ今使っても同じだよなぁ……ほらよっ」
霊の左腕を無造作に投げる。
その腕を、霊は左腕の切断面から糸を伸ばして絡め取った。
「こころも、ありがとう。腕が残ってたから、大丈夫」
そして右腕の切断面からも糸を伸ばし、絡め取る。
それから、両腕を引き寄せてピッタリとくっつけた。
普通なら、それだけでくっ付くわけがないのだが……。
「ぐっ―――くぅぅぅ……」
「霊くんっ!?」
両腕の接着部から、煙が上がった。
まるで肉を焼くような音。
そして霊は、この一瞬で凄まじい量の汗を掻いた。キュリオテスの攻撃を受けていたときでも、ここまで苦しげな顔はしていなかった。
慌てて霊に駆け寄ったこころだが、霊は立ち上がって汗を拭い、こころに両腕を見せた。
「……大丈夫。もう、繋がったから」
両腕を振り回し、指を動かす。
「ね?」
「……はぁ―――」
途端、こころが崩れるように倒れ、慌てて霊が抱きとめた。
「こころ?! どうしたの?! やっぱりまだ痛い?!」
「違うんです……霊くんの腕が治ったって分かったら……安心しちゃいました……」
そして霊の両腕を……さきほどまで千切れていた部分を、愛おしそうに撫でた……。
◆ ◆ ■ ◆ ◆
霊の腕が接着したのと同時刻。
雨が降りしきる荒野の大地に、一人の少女が立ちつくしていた。
雨で濡れた服は、白と紫を基調とした給仕服……いわゆるメイド服。
首には黒いチョーカーが付けられており、その側面部から鎖が伸びていて、少女の両腕に巻かれている。完全に腕が見えなくなるほどではなく、一種のストライプ模様に見える程度だ。
「っ……」
少女は何かに気付くと、薄っすらと微笑む。
「見つけた……もう、逃がさない……」
一言静かに呟くと、雨の影響なのかそうでないのか、霧が濃くなり、少女の姿が消えた。
そして雨が止み、大地が姿を見せる。
少女の姿はなく、その代わりに夥しい数の死体が……【心蝕獣】の死体があった。
どういう殺され方をしたのか、斬られた跡があったり、潰された跡があったり、皮を剥がれた跡があったり、とにかく一様ではない殺され方をしていた。
不毛の荒野に、赤い栄養物が染み込まれていく。
まるで【心蝕獣】の命を、大地が啜っているようだった……。
どうも獅子舞です(^ ^)
ようやく主天使との決着が付きました。
次回はしばらく、また日常編という名の後処理になるかと思います。
ダン兄さんの閃羽移住。
狩天使となった準のこと。
今回ばかりは大ダメージを負った非常識組。
さて、どう料理しましょうか……(汗
では、またのご来場をお待ちしております<(_ _)>