第31話【本心】
「こころは優しいですからね……。けれど、今さら何をどう言おうとも、人々の間に根付いた観念を変えることは容易じゃありません。そんな苦労を、こころが背負う必要はありません」
(……んん……?)
自分の名前を呼ばれて、意識が覚醒する。
頭が少しボーっとしており、意識が覚醒しても、こころは目を開けることはしなかった。
そのかわり、すぐそばで成されている会話に耳を傾けた。
「あと、先輩。こころはぼくの嫁じゃありませんからね? こころに失礼ですよ」
「何を言うか。こ奴とて満更ではなさそうだぞ? 貴様はそこまで鈍感ではないはずだ」
(―――ッッ!! ば、バレてる……?!)
一応、こころとしては隠していたつもりだった。
それとなくモーションをかけた覚えはあるが、それは霊と2人だけのときのはず。
目を瞑ったままなので顔は見られないが、声から自分の気持ちを指摘しているのが凱であるとわかった。
顔が真っ赤になっていないか、急に心配になった。
「ええ、まあ。小さい頃は、お嫁さんになる、みたいなことをよく言われましたけど……」
(っ……! やっぱり、覚えてたんだ……。けど……)
霊のニュアンスから、それが【あの時】の約束を指しているのではない、と分かった。
どうして、【あの時】以前にも、それこそ、事ある毎に宣言するように言っていたのか。
幼い頃の事とはいえ、ここぞという時だけ言え、とその頃の自分を叱りつけたかった。
「でもそれは子供のころの話です。現在は、今のぼくと10年前のぼくを、重ねて見ているから懐いている、という感じだと思いますけどね。10年も経てば人は変わります。ぼくは、こころの想像通りの人間ではないことを自覚していますから……」
「貴様ぁ……それは違うだろうに……」
(うん……それは違う)
心中で凱に同意する。
時折、懐かしさから霊のことを昔の呼び名で呼んでしまうが、それが【今の気持ち】の全てではない。
(気付いてる? 私、霊くんにだけ敬語を使っているんだよ?)
その理由は、再開したあのとき……まだ霊がレイだと知らなかった、あの屋上での印象が強く残っているから。
あの時、すごく安心したのだ。
入学早々、チーム決めの騒動に巻き込まれ、困惑していた自分を、彼は助けてくれた。
【心器】無しで【心力】を自在に操る偉業を成しながらも、それを誇ることはせず自然体で接して来た彼に、この上ない安心感を抱いたのだ。
「いいか? 貴様はすでに、数々の偉業を……それこそナイトクラスの打倒から【心蝕獣】の殲滅までやって見せているのだぞ? そしてどのケースでも、おまえは嫁を助けている。惚れんほうがおかしい」
まったくもって、凱の言う通りだった。
どんな時でも自然体でいる霊が、とても頼もしかった。尊敬できた。
だから、敬語になっているのだ。
「凱先輩。ぼくは、本当はこころの前に現れるつもりは無かったんですよ」
「何故だ?」
(ッ?! どう、して……?!)
起き上がって問い詰めたい衝動に駆られる。しかし、本心を聞き出すために自制心を総動員し、現状維持に務めた。
「ぼくはFランク。ぼくと一緒にいれば、ぼくと知り合いだと思われれば、それだけでこころに迷惑がかかると思ったからです。だから、姿を見せずに戦おうと思っていました」
そんなこと気にしなくていい。
自分は平気だ。周りの評価なんか気にしない。霊は霊だ。そばに居てくれれば、どんなことだって耐えられる。
今すぐにでも、そう叫んでしまいたい。
霊の真意を、今の気持ちを、こころは聞き出したかった。そのために、眠るフリを続ける。
「でも、いざここに帰ってみたら、こころは【心兵】になろうとしているじゃないですか。
さすがにぼくでも、そばに居ないとって思って、こうして一緒にいるわけですが……」
「だからこそ、気兼ねなくこ奴の隣にいるために真実を……とは思わんのか?」
(真実……? 私が起きる前の話と、関係している……?)
最初から話を聞いていた訳ではないので、流れの変化に付いて行けない。それでも、辛抱強く聞き続ける。
「さっきも言いましたよね? 人々の間に根付いた観念を変えることは容易じゃないと……」
「だから寄り添うことをしない、というのか? こ奴の気持ちはどうなる?」
「……だから、悩むんじゃないですか。こころの気持ちに沿うことをしたい。でも傷付いて欲しくない。
例えこころが、10年前言っていたことが今でも本気なのだとしても、ぼくと一緒に居続ければ必ず迫害されるでしょう」
「では聞こう。10年も経ちながらここに戻り、こ奴を守るお前の気持ちを」
(聞かせて……霊くん。あなたの気持ちを……)
「約束したんですよ。強くなって守るって……。その約束を守ることは、ぼくがFランクと分かっても変わらず接してくれた彼女に対する、ぼくの恩返しなんです」
恩返し……。
期待していた答えと違うことに、胸に針が刺すような痛みが奔った。
いや、今までの話を聞くに、それは自分に対する建前のように思える。
Fランクである霊が、自分に接する周囲への言い訳。その言い訳は、霊自身ではなく、自分のことを心配してのもの。
こころは、それを冷静に推測できた。
当然だ。霊のことを、ずっと見てきたのだから。
「フンッ。まどろっこしい。御神よ、悪いがその理屈は通じんぞ? ようは二人の問題なのだからな。周りの事など気にするな。貴様らは孤独ではない。貴様のチームメンバーを含め、我が探索部も、貴様らの味方なのだ。
いいか、この事を、この事実を、絶対に忘れてくれるなっ」
凱の気配が遠ざかり、ドアを乱暴に開けて出て行く音が聞こえた。
「無茶を言ってくれるなぁ……凱先輩は……」
(なにも、無茶じゃない。私は、一緒になれる事をこんなにも望んでいるのに……)
話しかけるなら、今だ。
思考も回復し、完全に覚醒している。
目を開け、喉から声を出す。
「なにも無茶なことは言ってないと思います」
「えっ」
弾かれた様にこちらを見つめる、霊の驚いた顔。
普段は無自覚に周囲を驚かせている霊の、その珍しい表情が、少し可愛いと思えた。
「こころ……。いつから、起きてたの……」
一方の霊は、2つの懸念から思考を高速回転させていた。
凱との話を、どこからどこまで聞かれたのか。
あるいは、最初から最後までか。
1つ目の懸念。
それはこころの記憶に関すること。
凱との会話では、【過去の自分の死】について直接触れるようなことはしていない。しかし記憶を刺激するには十分なもの。
2つ目の懸念。
これは些事であり、聞かれても気恥ずかしいだけのものだ。
しかし、もろに聞かれたら恥ずかしい会話。こころがどう思っているのか気が気ではなかった。
心の振れ幅がほとんど無い霊とはいえ、こころが関わると容易に振り切れる。
それは霊の強力な【心力】の源であり、同時に【こころの存在】が【致命的な弱点】でもある証拠。
「今さっきです。霊くん、昔私が言ったこと、覚えててくれたんですね。なのに……【あの時】の約束は覚えて無いなんて……惜しいところまで来てるのに……」
「【あの時】って……ここを出て行く直前の? そういえば、前に言ったよね? ぼくがこころに約束したように、こころもぼくに約束したって」
それを思い出すことを宿題にされていたのだが、今に至るまで思い出せず、内容は保留のままだ。
「はぁ……本当に惜しいところまで来てたのに……。私は、あの時こう言ったんです」
『レイくんが戻ってきて、約束を守ってくれたら、わたし、レイくんのお嫁さんになって、一緒に戦ってあげる!』
「あっ……」
「思い出してくれましたか?」
「うん……。そう、だったね……うん。そうだったよ……」
自分が宣言した約束……強くなって守るという約束ばかりが先行していて、それ以外のことがすっぽりと抜け落ちていた。
「私、今でも本気ですからね? 霊くんが約束を守ってくれたように、私も約束を守るつもりでいますらかね?」
「で、でもっ。子供のころの約束を、しかもそんな大切な事を、約束だからって―――」
「大切だからっ! 約束だから守るとか、そう言うんじゃなくて!! 本気だから守るんですっ!!」
霊の言葉を、こころは大きな声を出して遮った。
その声は、あまりにも必死だった。
その必死さが滲み出ていた声によって、霊は出かかっていた言葉を押し込められてしまった。
「私は10年前のレイくんに言っているんじゃないんです。今の霊くんと約束を守るって言っているんです」
上半身を起こし、霊の目を真っすぐに見つめる。
「確かに、私はこの10年間、レイくんはどうしてるだろう、どんなふうになってるだろう、って考えていました。
10年はすごく長かった……だから、記憶が美化されているところもあるでしょう。でも、」
強くなって自分を守ると約束してくれた少年。
その少年は、確かに強くなった。自分が想像していた以上に。
でも……。
「まだ霊くんと再会して1カ月近くしか経ってないけど、それでも私は、10年前の、10年掛けて考えたレイくんじゃなくて、今の霊くんを―――」
常軌を逸するほど強くなった少年は、それに比例して常識外れな行動もする。
肉や野菜を調理せず生で食べたり、訓練とはいえ女子の胸部に打撃を入れたり、嫁入り前の女性を縛りあげたり……。
等々、霊は微妙にデリカシーに欠ける。
それでも―――
「好きになりました」
どれもこれも、目で追っていたから……気になっていたから、気付いたこと。
つまり、彼の事が好きなのだと、好きになったのだと、こころは思った。
そしてその一言を聞いた霊は、目を大きく見開いた。
けれど、それはすぐに苦悶に満ち、絞り出すように言葉を紡いだ。
「でも、でもぼくは……ぼくと一緒にいると……」
「周囲の評判が落ちるよりも、霊くんと一緒にいられない方が、私にとっては……苦痛です」
凱との会話で、霊は自分が関わることで、こころに対する周囲の反応が悪くなることを恐れていたという心情を話していた。
それは、こころにとって本当に苦痛でしかなかった。
周囲の評判が落ちようとも、理解してくれる親友がいると確信しているし、それ以上に霊に距離を置かれるという事の方が、考えただけでも辛かった。
ただでさえ、10年も離れていたのだ。もう、一瞬たりとも彼のそばから離れたくなかった。
「それとも霊くんは、私と一緒だと苦痛ですか?」
「そうじゃないっ。そんな訳が無いっ。けど、こころが中傷されるのが、ぼくにとっては苦痛なんだ……」
「そんな言い訳聞きたくありません」
凱が言っていたように、それは理由にならない。
こころが知りたいのは、聞きたいのは、霊の気持ちだ。
「もう一度聞きます。霊くんは、私と一緒だと苦痛ですか?」
「……そんなこと、ない」
「私の事が嫌いですか?」
「……嫌いじゃ、ない」
見る見るうちに、霊の表情が歪んでいく。
こころと距離を置くために、それが駄目ならせめてこれ以上、近づかせないために、霊は彼女を否定しなければならない。
なのにそれができない。こころを苦しめる事になるというのに、それができない。
何故か?
答えは簡単だ。
否定すれば彼女自身は傷付くと言われたし、そして何より自分がそれをしたくないからだった。
そんな彼の、苦しみにのた打ち回るかのような心情を感じながらも、こころは続ける。
「私の事、どう思ってますか?」
「……ぼく、は……」
喉まで出かかった言葉を、霊は呑み込んだ。
それを、こころが別のやり口で引き出す。
「私をそばに、置いてくれますか?」
「………………うん」
「私と一緒に、居てくれますか?」
「…………うん」
「ずっと一緒に、居てくれますか?」
「……うん」
「それは、霊くんも望んでくれることですか」
「うん」
勝てないな……と、霊は思った。
さっきから、こころの目は自分を捉えて動かない。
こっちはその真剣な目を見るたびに俯いてしまうというのに……。
結局のところ、気圧されているのだ。こころの本気に。
「なら、もう一度だけ。私は霊くんが好きです。霊くんは、どうですか?」
はっきりと好意を伝え、答えを求める。
今度こそ、今度こそ……答えて、応えて……と、震えそうになりながら。
「ぼく、は……ぼくは……」
「…………」
最後の、葛藤。
しかしこころの視線が、その葛藤を押し退けた。
「ぼくは、こころが好きだ……よ……っ?!」
途切れ途切れだった霊の言葉が、完全に絶たれた。
こころがベッドから飛び付いて来たからだ。
霊の首に腕を回し、力の限り抱きしめる。
「よか、った……よかった、です……」
「……うん。ぼくも、良かった……」
言葉にし、抱きしめ返すことで想いを伝える。
求めてくれるなら、それに全力で応えよう。
自分を求めてくれる彼女を傷つける存在がいるなら、全力で守ろう。
霊は改めて誓った。
このとき、こころは霊にとって致命的な弱点になった。
彼女を失う事は、戦う意味も同時に失くし、生存できなくなるのだから。
だが同時に、さらなる力の源泉ともなった。
彼女が存在する限り、霊は彼女を守ろうと際限なく力を引き出せるのだから。
それが良い事なのか悪い事なのか……この時点では、まだ誰にも分からない。
◆ ◆ ■ ◆ ◆
どれくらい、2人は抱き合っていただろうか。
お互いの体温を、鼓動を、確かにここに居るという存在感を、一瞬たりとも逃すまいとするかのように抱き合っていた。
それを、さかのぼること数分前から見ている人物がいた。
(……やれやれ。いつまであの状態なのかね。そこはこう、ベッドにドサッてやって、ギシギシ言わせるところだろう……)
心皇学園の専属保険医、保住建子である。
長い髪を後ろで一つのお団子にして纏めており、長身の身体を常に白衣で覆っているメガネ女性。
男装させたら様になるであろう、クールに笑う麗人は、今や出歯亀根性丸出しで2人を覗き見ていた。
ドアが微妙に開いてたからそろりと覗いてみれば、今まさにっ! な展開。(保住視点)
ここは曲がりなりにも教育者として注意すべきか、生温かい目で見守るべきか。
よし、見守ってやろう。
なんてことを僅か0.195秒で即決し、今にいたるのだが……。
(……長いっ! いつまで抱き合ったままなんだっ!?)
数分間ずっとあのまま。
2人とも何か事を起こすでもなく、ずっとくっ付いたままなのだから、見守ってやろう(覗いてやろう)と思っていた保住は、だんだん焦れていき……。
「おいぃっ! いつまでそのまんまでいるつもりだお前らっ!!」
我知らず突っ込んでしまったのであった。
「お前らもういい年だろ?! その辺の知識あんだろ?! むしろ偏ってるくらいだろ!? デキんだろ!?
なのにずっと抱き合ったままって、お前ら小学生かっ!? っつうか小学生でも無いわっ!!」
「な、何言ってるんですか先生っ!! っていうか、いつから居たんですかっ?!」
「かれこれ数分前。もそろそろ10分が経過するか?」
悪びれずサラッと答えるあたり、保住もいい性格をしていた。
「なっ……の、覗いてたんですかっ?!」
「ふむ。雰囲気が雰囲気だったのでな。注意してやろうかどうか迷っているうちに、時が経ってしまったんだ」
迷っていた時間は1秒にも満たなかったのに、真顔で嘘を口にする。
「それよりなんだ? 純愛、おまえ具合でも悪かったのか?」
「ちょっと倒れたんです。それで、ぼくがここに運んできました」
未だ顔を真っ赤にしているこころの代わりに、霊が答えた。
「倒れた?」
「ええ。昨日の一件で、昂……憤激昂という奴と一戦交えましたから、その時の影響が出たんでしょう」
「ふむ。私も記録を見たから知っているが、確かにおまえクラスの人間とやり合えば、疲労も溜まるか……」
あれだけの騒ぎになって怪我人が出るかと思いきや、第7チームの霊以外に出ることはなかった。
その唯一の怪我人であった霊も、己の【心力】で治癒能力を活性させて治してしまった。
出番がなくてホッとしたが、本来は有り得ないことなので肩透かしを食らった気分だったのを覚えている。
「それより保住先生。怪我人でもいるんですか? 外に人の気配がありますけど?」
「ん? ああ、そうだった。おまえらの事で頭から吹き飛んでたよ」
「だ、ダメじゃないですかっ!! 早く怪我人を運んでくださいっ!!」
霊の指摘に、保住が呑気に答え、こころが慌てる。
とりあえず運ぶ手伝いをするため、医療室の外へ。
念のためこころをベッドに残そうとしたが、彼女はもう大丈夫だから、と手伝ってくれることに。
医療室の外には、壁に寄り掛かって気絶している男子生徒が3人いた。
全員、顔が赤く腫れあがっており、酷い有り様。
鼻血が垂れて制服に付着していて相当酷い暴行を加えられたのが伺える。
「あ、あれ? この人たちは……」
「どっかで見たような顔だね……。ああ、照討くんのときの……」
その男子生徒たちは、いつだったか、準の弁当をたかり、あまつさえ地面に投げ捨てて滅茶苦茶にしたイジメっ子達だった。
「一体、彼らはどうしたんですか?」
「ボコボコにされたのさ。いま話に出て来た、照討準にな」
さっきまで一緒に昼食を摂っていた仲間が、自分達の居ない間に、何を?
甘い雰囲気から一変、俄かに戦慄を覚える2人だった。
●御神霊―――――主人公。Fランクの落ち零れとされているが、膨大な【心力】を有する謎の少年。
●純愛こころ―――霊の美少女幼馴染。数少ない【感応者】。
●保住建子――――閃羽心皇学園の保険医。外科治療専門。ちょっと不良な先生。
●輝角凱―――――戦闘学科の3年生。野生児的でトラブルメーカー。