第3話【言えない名前】
『おまえバっカじゃねぇの? 都市の外に出て、生きていけるハズねぇじゃん!』
『っていうか知ってるぜ! あいつFランクなんだってよ! お母さんが言ってた! ゴミ人間だって!』
こころが幼いころ……霊が祖父とともに閃羽を出ていったあと。
心無い言葉で、霊の生存を否定する近所の男の子達がいた。
『そ、そんなこと無いもん! レイくんは帰ってくるって言ったもん!! 約束したもん!!』
必死で否定するこころ。
それは、信じているから。信じたいから。信じ続けたいから。
だが、世間は無情だった。
こころが霊の生還を訴えれば訴えるほど、周囲は否定の言葉を強くする。とくに、霊がFランクである、という要素がネックだった。Fランクと診断された人間の心は弱く、まともな人格を持たない事が多いという。
社会不適応者。お荷物。人間の失敗作。
『違う! 違うもん!! レイくんは強いもん!! 私を守ってくれたもん!!』
やがて時が経ち、こころには二人目の幼馴染や、親友と呼べる友達も出来た。
それでも、霊のことは忘れられない。
口に出す事は無くなっていたが、信じ続けていた。
もう……死んでしまったかもしれない。
そんな思いに囚われることがあっても、信じることをやめず、待ち続けた。
そして、10年。
彼は……こころの前に現われた。
◆ ◆ ■ ◆ ◆
「れ、……レイ、くん……レイ、くんっ……!!」
「ちょっ……こころ? どうしたの? そんな、泣かなくたって……」
自分にしがみ付いて離れないこころを、優しく抱き止めてあやす霊。
「はぁ……こころは変わらないね。泣いてばかりなところとか、さ……」
「だってっ……みん、な、が……レイくんはもう……もう死んじゃって、るって……言うんだもんっ……」
「そりゃあ……まあ、そうだろうね。外の世界は心蝕獣だらけ。ぼくは5歳ですでにFランク……ゴミの烙印を押されてたしさ」
ぽん、とこころの頭に手を置く。
昔も、こころが泣き止まないときはこうしていた。どうやらそれは今も変わらないらしい。嬉しいやら、呆れるやら……でもやっぱり嬉しい想いが強い気がする。
それが霊の、正直な感想だった。
「でも、帰ってきたよ? 約束通り」
「うん……うんっ……」
少し落ち着いて来たのか、こころの震えは治まって来た。
まだ泣いているが、それも直に止まるだろう。
そう思って、気付いた。
クラス中の視線が、自分達に注がれていることに。
「……ほら、こころ。泣いてばかりだから皆が見てる。そろそろ泣き止もうよ?」
「う、うん……ごめんなさい……」
とりあえず、こころを席に座らせる。
その際、こころは霊の袖を掴んで離さなかったが、席が後ろなので特に不自由なく、自身も席に着いた。
「え~っと、御神く~ん……お取り込み中のところ悪いんだけど、説明お願いしてい~い?」
今まで黙って見ていた、同じ第7チームの戯陽朗が、遠慮がちに言う。横には同じく第7チームの針村槍姫も居て、霊に視線をやっていた。
「ああ、えっと。ぼくは10年前まで、この閃羽に居たんだ」
「ふむ? この区域に居た、ではないということだな。つまり、君は都市の外……この閃羽から外の世界へ出ていった、ということかい?」
「うん。針村さんの言う通り、僕は10年前、ぼくの祖父と一緒にこの都市を出ていった。そして世界中を旅してまわったんだ。
ほら、こころ……涙を拭いて」
ハンカチを取り出し、槍姫の問いに答えながら、こころの涙を拭いていく。
「よく無事だったねぇ~~~! 外の世界って、心蝕獣がウヨウヨ居るんでしょ?」
「うん……でも、アリの通る隙間も無いくらいに、ってほど心蝕獣で埋め尽くされている訳じゃないよ? 動物と同じ。奴等にも縄張りがあって、都市に攻めてくるのはエサが足りなくなったときなんだよ」
心蝕獣は度々、人類の住まう都市にやってきて襲ってくる。
人類は籠城戦に持ち込みなんとか撃退するが、そのまま心蝕獣に食い荒らされ滅んでしまう都市も、少なくない。
「それでそれで! こころちんと御神くんはどういう関係?」
「幼馴染……で、いいのかな? 昔はよく一緒に遊んでたんだ」
「ほう……こころの幼馴染は大和だけだと思っていたが……」
槍姫の出した名前に、しばし考え込む霊。
やがて、思い当たった。
「大和……? もしかして、さっきの? ええっと……守鎖乃、とか呼ばれていた人?」
こころが名前を呼んでいたのは覚えている。
しかし、名も名乗らずにいきなり襲われたので、苗字で言われて一瞬誰のことだか分からなかったのだ。
「そうそう!! だってね、こころちんは御神くんのこと、全然話したことなかったんだよ?!
私達、小学校からの付き合いだけど、御神くんのことは全然知らなかったんだから!」
手近にあった椅子を持ってきて座り、興奮したように話しだす朗。
槍姫も近くの適当な椅子に座り、霊との話に交ざっていく。
そんな第7チームの様子を見つめるクラスメイト達。
おもに霊に対し、嫉妬全開の視線を放つ。
が、霊に泣き縋るこころがいるため、雰囲気的に茶々を入れられず、結局黙って睨みつけるしかできなかった。
そんなクラスメイト達の様子を気にすることも無く、第7チームの雑談は続く。
「ぐすっ……そ、それは……レイくんのことを、みんなが死んでるっていうから……」
大分落ち着いたこころも話に参加する。
とはいえ、霊の裾を掴んで離さなかったが。
「っていうかこころちん、なんで御神くんのこと、【レイ】って呼ぶのかな? 確かに字面は【れい】だけどさぁ~~~」
「ああ、それはね……」
「れ、レイくんっ!! 言っちゃだめですっ!!」
泣いていた様子から一転、慌てて霊の口を抑えにかかるこころ。
顔も真っ赤。泣き腫らしていた理由とは、また別の意味で赤かった。
「はいは~い! こころちんは大人しくしていようねぇ~~~!!」
こころの後ろに回り込み、羽交い絞めにする朗。
さすがは【心兵】を育成する機関に入学しただけあり、自身より背の高いこころを易々と捕らえた。
「やっ……! 離して! 朗ちゃんっ?!」
「それでそれで?! どうして御神くんはレイくん、なんて呼ばれてるのかな?」
「言っちゃだめですっ! レイくんっ!」
「けほっ……別に、恥ずかしがる理由じゃないと思うけど……」
苦笑しながら態勢を立て直す霊。
必死に言わないで、と訴えるこころを、微笑ましく見ているようだった。
「幼い頃なら、言えなくて当然だと思うけど……」
「む? つまりはこういうことかい? こころは、キミの名前……くしび、と発音出来なかったという事かい?」
何となくだろう。
槍姫が当たりを付けて霊に聞いた。
瞬間、こころの顔が一層赤味を増す。
「うん。ほら、【くじ引き】ってあるでしょ? 【くじびき】って言えても、【くしび】が言えなくてさ……最初の頃は【ぐじび】だったんだよ」
「きゃぁぁあああ!! どうして言っちゃうんですか!!」
「いや~~~ん!! こころちん可愛い~~~!!」
こころがジタバタと暴れるが、朗に羽交い絞めにされている所為で動けない。
「ほうほう。それで、【レイくん】という訳かい?」
「そう。ぼくのおじいちゃんが、霊は霊とも読むから、レイと呼べばいいって教えてさ……それがすぐに言えたものだから、こころは【レイ】が気に入っちゃって……たぶん、ぼくの本当の名前が【くしび】ってことも忘れちゃってるでしょ?」
「うっ……でも! い、今はちゃんと言えます!! くじびくんって……はっ!?」
言えなかった。【くしび】ではなく【くじび】になっていた。まあそれでも、濁点が一つ減ったが。なんせ昔は、全部濁点……【ぐじび】だったのだから。
「ち、違うんですっ……い、今のは、慌ててたからでっ」
「もう~~~! ホンッとこころちんったら可愛い~~~!!」
「無理しなくていいよ。昔みたいに【レイ】でいいからさ」
「うぅぅ……言えます。言えるんです……でも噛んじゃったんです……」
こころの顔は真っ赤。
俯き、力無く朗の膝の上にぺたんと座る。
「しかし……外の世界には、君のように【心器】なしで【心力】を使える人間がたくさんいるのかい?」
朗と共にこころをなだめながら、槍姫が霊に聞く。
先程の、守鎖乃との戦い。
守鎖乃はナイトクラス。それも、この閃羽に5人しかいないうちの、一人だ。
その守鎖乃を、苦も無く退けた霊。これから心蝕獣との戦い方を学ぼうとする者として、興味がある。
「う~ん……ぼくに戦い方を教えてくれたおじいちゃんや、そのほかの人達は全員できてたけど……それ以外で見たことは無い気がする……。こころが言うには、【心器】も使わずに【心力】を全身に纏えるのは珍しいって話だけれど……」
「珍しいどころの話では無いな。はっきりいって有り得ない。
【心力】は【心器】を通して初めて出力できるもの。銃を使わずに銃弾を飛ばし、銃以上の威力を持たせる。
君が守鎖乃を退けたというのは、そういうことだ」
つまり、そんなこと有り得ないはず、ということ。
「そうなんだ……やっぱり、普通って難しい……」
苦笑し、そしてガクっと項垂れる霊。
「で、でもそんな霊くんはすごいと思います。強いってことじゃないですか」
「おお! こころちん、ちゃんと御神くんの名前言えた! えらいえらい!!」
こころの頭をなでなでする朗。
朗の背がこころより低いため、膝の上に乗せている構図は随分シュールだった。
「ほ、朗ちゃん……子供扱いしないで……」
こころが身をよじって抗議する。
が、つい先程、子供扱いされても仕方の無い失態をやらかしたので強くは言えない。
そうしていると、守鎖乃を生徒指導室に連れて行った担任の篤情教官が戻ってきた。
「お~し者共ぉ~~~、とっとと席に着けぇ~~~」
相変わらず、やる気なさそうな声。
「さてと、チームも決まったんでこれで終わりとしたいんだがな。実はもう一つ決めなきゃならんことがある」
がしがし、と頭を掻いて、手元の資料を見ながら告げる。
「この学園の査定は試験……チームごとに挑んでもらって決めるわけだが。
それに伴い、各チームのリーダーを今日中に決めておけ。連絡はリーダーにするからな。
査定はリーダーの役割が重要になってくる場面もある。よく考えて決めておけよ?」
あとで職員室に報告に来るように、と言って篤情教官は教室を出て行った。
教室が喧騒に包まれる。
もう、こころをチームに引き入れようとする輩はいなかった。
それはそうだろう。
なんせ、都市に5人しかいないナイトクラスの一人、そして心皇学園でただ一人のナイトクラス、大和守鎖乃。
そんな彼を軽くあしらった生徒がこころのチームメンバーなのだ。
多少気にしつつも、あからさまな敵意を向けて来る生徒はいなかった。
「さて。私たちは早速、篤情教官に報告しに行くとしようか」
槍姫が立ち上がり、そんなことを行った。
「え? チームリーダーは誰にするの?」
「決まってるよ~! 御神くん、君しかいないって!!」
「は?!」
寝耳に水とはまさにこのこと。
というか、いつ決まったんだ? という顔でこころに助けを求める霊。
「こ、こころ? これはどういうこと?」
「だって、霊くんは守鎖乃くんを倒したんですよ?」
「いや倒してないから」
守鎖乃の【心技・斬撃波】を掻き消しただけだ。
「だから、霊くんがこの心皇学園で一番強いということになります」
「だから御神くんがリーダー決定!! いや~~~私達って運が良いねぇ~~~」
霊の抗議は華麗にスルー。
こころも朗も、槍姫までもが霊のリーダー就任を決定事項として捉えていた。
「ま、待ってよ……みんなは良いの? Fランクがリーダーなんてなったら、何か言われるんじゃ……」
霊としては、自分がFランクであることに不都合は無い。
だが、Fランクがリーダーになることで、こころ達に危害が及ばないかが心配だ。
「別に構わないさ。それに、私たちがランクに拘るようなら、キミをチームメンバーとして認めない」
「そうそう! それにね、私達、ランクなんて別にどうでもいいって思ってるんだよ?」
「霊くん。槍姫ちゃんのお父さんは、ナイトクラスなんです。Cランクでありながら」
朗、槍姫に続き、こころが教えてくれる。
基本、ランクが高ければクラスも高くなる、というのが通説。
しかし槍姫の父親はその通説を真っ向から否定するような存在だ。
まあ、それを言ったら霊という存在そのものが異常ということになるのだが。
「御神くん、だから私たちはランクに拘らない。努力次第で強くなれることを、私たちは知っている。
いや……これは君の方が実感しているだろうな」
そう締めくくり、槍姫は立ち上がって教室を出た。
篤情教官に、チームリーダーの決定を伝えに行くのだろう。
「槍姫ちゃんは、ランクのことで色々辛い思いをしていますから……」
「だってね! だってね! 槍姫ちゃんはAランクなのに、お父さんはCランクでしょ? だから本当の娘じゃないんじゃないかって、小さい頃は言われてたんだよ!!」
ぷんすか、と怒る朗。
それは、このクラスメイト達全員に怒っているかのようで、殊更に声を大きくしていた。
「ランクは強さに関係ないもん! それは槍姫ちゃんのお父さん……そして御神くんが証明してるもんね!!」
その言葉に、クラスの雰囲気が少しだけ変わった。
相変わらずリーダー決めの話し合いをしているようだが、どこか気まずい雰囲気が流れていた。
そもそも、親が高ランクだと子共も高ランクであることがほとんど。親の【心力】を受け継ぐと考えられている。
だがこころや朗、槍姫は知っている。それが必ずしも当てはまる訳ではないと。
「そうだね……【心力】は、心の強さは、育った環境によって左右される。甘やかされて育てば、逆境に立ち向かえない人間に育つことがほとんどだしね」
そして霊も知っている。実感している。
Fランクという、最低の心を持って生まれた霊は、しかしナイトクラスを軽くあしらう程の【心力】を持つ。
「やっぱり、外の世界は辛いところだったんですか?」
「うん……おじいちゃんが居てくれたから良かったけど、たぶんぼく一人だけだったら死んでたかも。
でもそういう環境で育ったから、一人で世界を回って、一人でこの都市に帰ってこれたんだと思う」
「一人……? あの、霊くん……おじい様は?」
霊は祖父と一緒に都市を出て行った。
それは、見送ったこころが一番よく知っている。
「ああ……2年前に老衰でね。最後は眠る様に死んじゃった。
嘘じゃないよ? 心蝕獣に食べられた訳じゃないから、ちゃんとお墓も作ったし」
「そう……だったんですか。じゃ、じゃあ、霊くんはそのあと、一人で……?」
「うん。2年間はずっと一人で世界を回ってたよ。といっても、閃羽に帰ってくるためだったんだけどね。おじいちゃんも帰れって言ってくれたし。ちょうどヨーロッパのあたりに居たから、帰ってくるのが遅れちゃってさ」
「は~い質問!! 御神くん! 【ようろぱ】ってなに?」
朗が無邪気に聞く。
知らないのも無理は無い。世界は心蝕獣によって分断されており、都市間の交流はあっても、世界的な交流は絶たれている。
心蝕獣の発生は、およそ200年前と文献には記されており、それ以前は、人類が世界の頂点に立ち、大地を自由に行き来していたそうだ。
「えっと、ヨーロッパね。この閃羽がある列島の、ず~っと西にある大陸の地名」
「ふ~ん……全然わかんないや♪」
まあ、実際に行ったこともなければ、今や文献でしか知ることのできない世界の事情だ。
七つの海があるとか、ユーラシア大陸があるとか言っても、一般の人には通じない。
「まあ、とにかくすごく遠い所に居たってこと」
「おお! なるほどなるほど! ヨーロッパはすごく遠い所にあるんだね!!」
納得する朗。
うん、そうだよ、と微笑ましく朗を見る霊。
「もう……朗ちゃんったら……」
適当な納得をする朗と、大してツッコミもしない霊を見て、こころは苦笑するしかなかった。
かくして、1年1組第7チームのリーダーは、御神霊と決まった。
御神霊を筆頭に、純愛こころ、戯陽朗、針村槍姫、の4人。
Fランクが1人に、Sランクが1人、そしてAランクが2人。
「って、ちょっと待って!! ぼく、リーダーになるなんて一言も言ってないよ!?」
すでに後の祭りだったそうな。