第25話【糸と、拳と、銃弾と】
血の気が、引いた。
『てめぇは連れて帰るぜ?』
突然チーム対抗戦に乱入してきた男の声が、ビットを通して聞こえる。
その声に、その言葉に、こころの血の気が一瞬で引いた。
霊が、昂と呼んだ男。
彼は、一体だれを連れ帰るというのか? 分かっているのに、思考が答えに行きつくのを拒否している。
『抵抗しても無駄だ。【殺神器】を持ってねぇ状態で、オレに勝てるなんて思っちゃいねぇだろぉがゴルァ?』
誰が、誰に勝てない……?
勝てないということは、負けるということ。
負けるということは、この男の言いなりになるしかないということ。
この男は、何を言っていた?
連れて帰ると言っていた。
誰を連れて帰る?
男は、霊と話している。つまり、霊を連れて帰るつもり―――
「っ!! 霊くんっ!!」
「あっ、ちょっと?! こころちん?!」
居ても立ってもいられず、こころは持ち場を離れる。
突然走り出したこころを、護衛役の朗が慌てて追った。
「やだっ……やだよっ……霊くんが、居なくなるなんて……」
嫌な予感が止まらない。
せっかく再会できたのに、また離れ離れになるのか。それだけは絶対に嫌だ。
早く霊のところへ行かないと、もう一生会えない気がする。
このとき、彼女は普段よりも速く走れていた。
いつもは槍姫、朗、こころ、という順で、三人娘のなかでは、こころが一番遅い。
「はぁっ、はぁっ、待ってよ! こころちん!!」
なのに、朗が追いつけないほど……下手をすれば見失ってしまうほどのスピードで走り抜けている。
【心装】による身体能力強化は、朗も行っている。
つまり、今、こころの【心力】は非常に活性化されており、普段の肉体的な能力差を覆しているという証拠に他ならなかった。
第25話【糸と、拳と、銃弾と】
こころが現場に到着したとき、戦いはすでに始まっていた。
霊と、高身長の男……憤激昂。両者ともに【心力】を全身に纏い、周囲の建造物を破壊しながらの戦闘になっていた。
昂は、その両腕に装備したガントレット型【心器】による殴打。
音速を超えているのか、拳を繰り出すたびに空気の爆ぜる高い音が鳴る。そして音速を超えた衝撃波が周囲の道路、建物を削り、修繕不可能なほどの被害を撒き散らしていた。
これは、普通の人の目には映らないほど、とにかく速い。
事実、こころには何が起きているのかよくわかっていない。発砲音にも似た音が断続的に聞こえる以外、理解ができない。
「霊、くん……どこ?」
「こころ、ダメだ! 私たちの手には負えない!!」
「純愛さん、下がって!!」
激戦の渦中に踏み入ろうとするこころを、槍姫と準が止める。
霊に追走させていたビットは、戦いに追いつかず市街地訓練場全体を上空から見降ろすのみ。
あちこちで煙があがり、地面が陥没し、建物が倒壊する、ということしか分からなかった。
「 オ ラ ァ ァ ア ア ッ ! ! 」
そんな雄叫びが聞こえたかと思うと、また建物が倒壊。
5階建てのビルの一角で爆発が起こり、音を立てて崩れて行った。
そして、こころの前に霊が現れる。
「っ! 霊くんっ!!」
「来ちゃダメだっ!!」
強い、拒絶の声。
次の瞬間、昂が霊の前に突然現れ、殴りかかろうとする。
それを、糸刀から糸を射出し、雁字搦めに拘束。
「っ、やった……」
こころは、安堵した。これでもう、あの男は動けない。
やはり霊は強い。負けるなんてありえない。
いつものように悠然と佇み、場を征して自分のところに帰ってきてくれる。
「ハッ! おいおい霊よぉ、たかが千本ちょっとの糸でオレを止められるとでも思ってんのかぁ?」
しかしその安堵は、すぐに塗り潰された。
昂は見下すような眼を霊に向け、獰猛な笑みを浮かべて吠える。
きつく縛られているはずなのに、この余裕。
霊の糸の強力さは、都市外の坑道で守鎖之を糸で簀巻きにしたときに証明されている。
ナイトクラスの力を持つ彼でも、身動きできず地面に倒れるしかなかった。
だが、昂という男はしっかりと立ち、話をする余裕すらある。
「くっ……」
「ましてや、オレに対して拘束なんて手段を取るのは悪手だろぉが。こんなの引き千切るなんざ―――」
霊の青く光る糸が、昂の放つ緑色の【心力】で覆われ、見えなくなる。
そしてブチブチっ、と糸の切れる音が響く。
「 オ レ の 得 意 分 野 だ ゴ ル ァ ア ア ッ ! ! 」
気合一閃。
そんな言葉が浮かび上がるほどの声量とともに、昂は糸のすべてを引き千切った。
「くっ!!」
そのことに怯むことなく、霊はすぐに行動を起こす。
糸刀を昂に向け、再び糸を射出。無数の細い光条が、昂に向かって一直線に飛び出す。
「だから、力技はオレに通用しねぇんだよっ!!」
昂は、拳に【心力】を集中。拳が緑色の光に包まれる。
「ましてこの程度の本数じゃあ、なぁっ!!」
拳を前に突き出す。
同時に、突き出された拳から極太の光が放たれ、霊の糸を散らす。のみならず、その光は離れていた霊にまで到達。
咄嗟に防御するも、一瞬以上踏ん張る事が出来ずに吹っ飛ばされた。
「くぅっ!!」
「霊くんっ!!」
吹っ飛ばされて地面を転がる霊を、こころが受け止める。
だが、地面を転がってなお衝撃が残っていたらしく、受け止めながら自身も尻もちをついてしまった。
慌てて安否を確認する。
「霊くんっ! 大丈夫ですかっ!?」
「んな訳ねぇよ」
受け止めた霊が、消えた。
「……えっ?」
目の前には、足を上げている金髪の男。
「純愛さんっ! 上だっ!!」
「っ!?」
準の声に上を仰ぎみれば、霊が空を舞っていた。
こころが受け止めた直後、瞬時に距離を詰めた昂が、霊を蹴り上げていたのだ。
「そ、んな……」
震えながら、自分の両手を見つめるこころ。
もとから二人の動きを追えていなかったこころが、昂の接近に気付けず、霊を蹴り上げられていたこともわからなかったのは当然だ。
それでも、その腕に抱いていたはずの霊を、守れなかった。愕然とし、呆然となってしまうのも無理ない。
「はっはっはっ! そうこなくっちゃなぁ、霊ぃっ!!」
「っ!?」
我にかえって上を見上げれば、霊は空中で態勢を立て直していた。
全身に青色の【心力】を纏わせ、鋭い視線を昂に向けている。
「来いよ、霊ぃっ! フルボッコにしてやるぜぇ!!」
「っ!!」
纏う【心力】が一層輝いた瞬間、霊の姿が消えた。
同時に、昂も。
直後、あちこちで青と緑、2色の光が発光。
激突しあっているかのように明滅を繰り返し、瞬時に、連続的に、場所を変えながら発光している。
霊と昂……二人の纏う【心力】が激しくぶつかり合っている証拠だ。
だが、しばらくして爆発音。
光ではない、黒い煙と破片が空に飛び散った。
「な、何が起きた?!」
「まずいよっ!! 御神くんの【心器】が爆発したっ!!」
槍姫の疑問に答えたのは、準。
そして焦りの表情を浮かべながら黒い2丁拳銃を構え、発砲。
空中で【心力】の弾丸が兆弾。発光現象は止まり、拳を交えている二人の姿が、空中に現れた。
「……ハッ! おいおいテメェ、まさか【同列存在】かよ?」
嬉しそうな、しかし獰猛な笑みを見せる昂。口の端が大きく吊り上げ、準に言葉を紡ぐ。
「オレ達の戦いに割って入れる……それはテメェが、オレ達と【同列】であることの証に他ならねぇ!! やるじゃねぇか!!」
霊の拳を片方のガントレットで受け止めながら、もう片方で準の弾丸を弾いた格好。
瞬間移動の如き二人の戦いに、準の2丁拳銃が介入した形だった。
圧倒的な動体視力と、先天的な先読みの才能。
これこそ、霊に見出された照討準の力。
その力で、霊と昂の戦いの一部始終を見ていた。
爆発の原因が分かったのも、そのおかげだ。
激しい戦いに、霊は全力を出さざるを得ない。
だがその結果、【糸刀Ver.1.4】は霊の【心力】に耐えられずオーバーヒートを起こし、あっという間に爆発。
ダナンによって改良を重ねられていても、まだまだ霊の全力に応えることができない。それが浮き彫りになった。
「じゃあ……もうちっと、飛ばすぜ?」
そう呟いたあと、昂と霊の二人がまた消えた。
再び、空のあちこちで発光する、2色の光。
「くっ!!」
そして一見、無造作に、あちこちに2丁拳銃を乱射する準。
しかし、発光と同時に兆弾の跡が現れる。
闇雲に撃っている訳ではない。二人の戦いを追うことができ、そして正確に昂だけを撃っていた。
「よ、よし! いいぞ照討!! その調子で、御神の援護を―――」
「だ、ダメだっ!!」
霊の援護が出来ている。
そう思った槍姫の声は、しかし悲鳴に近い準の声に掻き消された。
「このままじゃ、御神くんが殺されるっ!!」
先ほどよりも濃くなった、焦りの表情。
汗をダラダラと流しながら、四方八方に銃を連射する。
「このっ!!」
渾身の一射なのか、2丁拳銃を同時に発砲。
直後、準の視線の先に昂が現れる。
その姿は、両手を使って弾丸を弾いた格好だった。
「く、霊くんはっ?!」
霊の姿が見当たらない。
こころが慌てて周囲を見回すが、その姿は欠片も見えない。
と、後方で何かが落着する音がした。
後ろを振り返ってみれば、霊が倒れていた。
バトルスーツのあちこちが破れ、血に染まった肌が露出。ボロボロに傷付いた霊が、力なく倒れていた。
「霊くんっ!!」
急いで駆け寄り、霊を抱き起こす。
霊に、反応は無い。
顔には夥しい量の殴られた跡が刻まれており、口の端は切れて酷い有り様。
文字通り、虫の息だった。
「霊くん!! しっかり、しっかりしてくださいっ!!」
呼びかけるも、霊は起き上がらない。
その間にも、昂は悠然とした歩みでこちらに向かっている。
「ちんけな【心器】だなぁ。んだよあれは? すぐぶっ壊れちまったじゃねぇか。あれを【殺神器】の代用にするなんて、何を考えてんだ? バカか? それともホームシックで頭イカれちまったかよ?」
罵倒を続けながら、昂は歩みを止めない。
両腕のガントレット型【心器】が一層の輝きを放っているのは、戦意の表れ。
霊をボロボロにしてなお、昂は戦いを止めるつもりが無いのだ。
「……あん?」
そんな昂の前に立ちふさがる、小柄な人影。
「なに通せんぼしてんだ? どけよ。【同列存在】だからって、使ってる【心器】がそれじゃあ、戦いになんねぇよ」
「……御神くんは、渡さない」
立ちふさがったのは、準。
黒い2丁拳銃の銃口を昂に向け、威嚇していた。
「御神くんが居なくなったら、この都市を……孤児院のみんなを守れない……僕がちゃんと戦えるようになるまで、教えてもらわなくちゃいけないんだ……。だから、渡さない」
霊は言った。自分一人だけでは守れない。
だが準が強くなれば、それだけ閃羽の被害を抑えることができる。霊が閃羽を見捨てる確率が低くなる。
準は、自分一人がいくら強くなろうが、閃羽を守り切れると考えてはいなかった。
生来の気弱さもあるが、それ以上に戦い方を知らない。だから霊の助力がどうしても必要。霊のチームで訓練し、霊のように圧倒的な力を身につけるまで、彼を渡す訳にはいかない。
「へぇ……そうかよ。そりゃあ霊に……【同列存在】に教わった方がいいよなぁ……」
緑色のガントレットで顔を覆い、天を仰ぎ見る。
その声には納得の色が含まれていた。
確かに、納得していた。
絶対に、納得していた。
「けど、だから、なんだ?」
ガントレットの覆いを外して表情を晒し、準を睨みつける。
納得したうえで、準の訴えを切った。
「お前が困ろうが、この都市が滅ぼうが、オレには関係ないだろ?」
「なっ……それはそうだけど……」
この昂という男が、何か目的を持っているのはわかる。その目的に霊が必要なのもわかる。
だが、準にも譲れないものがある。
「でも、御神くんは強いから、だから戦い方を―――」
「んなもん知るかよっ!! 都市が滅ぼうが、人が死のうが、オレが神をぶっ殺すのを我慢する理由に」
必死で説得を試みる準の言葉は、激しい怒気を伴った叫びに消された。
「 な ら ね ぇ だ ろ う が よ っ ! ! 」
再び全身に【心力】を纏い、準に襲いかかる。
我慢の限界なのか、昂の表情には先程のような余裕が無い。早く霊を連れ帰って、目的を達成する。
そしか、頭にない。
そしてそれを邪魔する準に、激しい怒りをぶつけようとしていた。
「このっ!」
昂の怒気が、生来の気弱さを刺激し、圧し潰そうとしてくる。
だが逃げるわけにはいかない。逃げれば霊が連れてかれてしまう。そうなれば、誰に教えてもらえばいい? 誰が都市を守ってくれる?
ナイトクラス5人でも抗しきれない、圧倒的な数を誇る【心蝕獣】たちが、また群れをなしてきたらどうする?
霊でなければダメだ。だから連れて行かせはしない。
2丁拳銃をかまえ、昂を迎え撃つ。
「オラァっ!!」
昂の拳が、顔面に迫る。ことは、わかっていた。
だから反応できた。
常人には見えない速さの拳に、一射。
銃弾が昂の拳を弾いた。
が、もう片方の拳が動いていた。
それも読んでいた。読んでいたから、準ももう一方の拳銃を撃つ。
弾いた。
2丁拳銃で、迫る拳を捌く。
ゼロ距離による銃撃で、昂の拳を弾く。弾く。弾く。退ける。
だが、昂は怯まない。銃弾に弾かれながらもすぐに殴りかかる。
「どうしたぁ?! どうしたよぉ?! もっと頑張らねぇと、オレを倒すまえにテメェの【心器】がぶっ壊れちまうぜぇ?!」
その指摘通り、高出力高圧縮の弾丸を撃ち続けた準の拳銃型【心器】は、その銃口を赤熱化させていた。
霊と同様、準も【心力】が強大過ぎるために、【心器】に膨大な負荷をかけていた。
そのためオーバーヒート寸前。
2丁拳銃が文字通りに火を吹くのは、時間の問題だった。
●御神霊―――――主人公。Fランクの落ち零れとされているが、膨大な【心力】を有する謎の少年。
●純愛こころ―――霊の美少女幼馴染。数少ない【感応者】。
●針村槍姫――――背の高いクールな少女。こころの親友。
●戯陽朗――――いつも元気で明るい少女。こころの親友。
●照討準―――――小柄で気弱な男子。孤児院の皆を何よりも大切にしている。
●憤激昂―――――霊を連れ戻しにやってきた男。イケメンだが口が悪い。