第17話【退屈な移動の幸福な時間】
ダナンが都市外への出向を求める申請書を作成し、学園側に提出。
その後、なぜか理事長から呼び出され、霊たちは理事長室に来ていた。
「こうやって直接お話するのは初めてよね? 私が心皇学園の理事長、穏宮静奈です」
小柄な老婦人が、上品な笑みを浮かべて霊たちを迎える。
「1年1組、第7チームリーダー、御神霊です」
「あらあら、やっぱりあなたが弦斎様のお孫さんですか。懐かしいわぁ……若い頃の弦斎様にそっくりなのね」
心なしか頬が赤い気がする。
どうやら御神弦斎にホの字だったようで、霊に弦斎の面影を見たようだ。
ちなみに、このことに気が付いたのは霊のみ。微弱な【心力】で相手の表情に依らず、心情をある程度伺える霊だからこそ僅かな変化に気付いたのだ。
「それに、あなたの父親の弦くんにも似ているわ。3世代に渡ってこれほど似ているなんてねぇ……」
「父……ですか?」
「ええ。弦くんもここの生徒だったのよ? お母様の麗那さんもね」
「……そうだったんですか。それで理事長、ぼく達を呼び出したのは何でですか? 何か不備でも?」
偶然だろうか。
連日親の事を話されて霊は少々、戸惑った。
別に両親のことが嫌いだからではない。そもそも記憶にないのだから好悪の感情など沸くはずもない。
では、どうして戸惑う必要がある?
自分でも理解不能な感情を棚上げするため、霊は穏宮理事長に用件を促した。
が、それに待ったを掛ける人物がいた。
「おいFランク。理事長に対してその言い方はなんだ? 失礼だろうが。やはり所詮は出来損ないか」
先だってこの場にいた、大和守鎖之。
先日、Fランクである霊にナイトクラスと同等の権限を与えることが決まってからは、露骨に敵視してくるようになった。
「私は構わないわ。それに、今のは私が悪かったのだから。御神くんの気持ちも考えるべきだったわねぇ……」
「っ……いえ、お気になさらないでください」
バレていた。
上手く隠したつもりだったが、自分が両親の話を遠ざけているのは、すでに悟られていたようだ。
弦斎もそうだったが、お年寄りに隠し事は難しいようだ。少なからず気に掛けられているのに、何気ないふうを装うから、失念しやすい。
「あなた方を呼んだのには訳があります。聞けばこれから、都市外へ行こうとしているのだとか」
「なに? 確かに先日、大量の【心蝕獣】を殲滅したから数は減っているだろうが、それでもポーンクラス程度はうろついているかもしれない。こころを危険に晒すつもりか?」
初めて聞いた内容に、守鎖之は静かな怒りを燃やして霊を睨みつけた。
あの大量の【心蝕獣】の群れが来て、まだ日が浅い。
まだ残党がいるかもしれないのに、都市の外へ行こうとするのは自殺行為以外の何物でもない。
数が減っているだろうから遭遇する確率は低いが、懸念すべきことだ。
「そんなつもりはないよ。武装していくし、新しい【心器】をダナン先輩が用意してくれたから、もし遭遇したとしても戦える」
ダナンの所属する第8技術班と協約した霊たちは、さっそく【心器】を用意してもらった。
霊の【糸刀】は、【心経回路】をより調整した【糸刀Ver.1.0】。
1000本の糸を射出できるようになったことで攻撃密度が増し、【心経回路】に掛かる負担を分散できるようになった。
先日の群れの襲撃時、ナイトクラスによって破壊されてしまった、こころの【心器】であるシールドビットも、ダナンが用意してくれたおかげで手元に揃っている。
ただし、【感応者】専用の【心器】は調整が【糸刀】並みに難しいうえ、こころの最大操作機数16機すべてに同じ調整を施さねばならず、8機用意するのが精一杯だったが。
それでも一般の【感応者】が扱う機数分を用意できたダナンの腕は優秀だ。
「だとしても、都市外へ行く理由はなんだ? 危険を冒してまで行こうとするのはなぜだ?」
「それはぼくから説明するんだなぁ~」
今まで黙って見ていたダナンが、間に入る様にして立つ。
「知っての通り、閃羽の資源区で採れる素材はどれだけ高度に精錬しても、そこそこのものにしかならないんだなぁ~」
「……まさか、こいつごときの【心器】を作るために、わざわざ危険な都市外へ行くと言うのか? バカバカしい……認められるわけがない」
守鎖之はダナンの謂わんとするところを理解した。
そして思う。
Fランクのために危険を冒すなど、なんと愚鈍な考えか。行くならFランクだけ行けばいい。こころを連れて行かせまいと、守鎖之が霊とダナンを睨みつけた。
しかし―――
「確かに、御神くんの【心器】が強化されれば、それはそのまま閃羽の戦力増強に繋がるでしょう」
守鎖之の放つ怒気もなんのその。
穏宮理事長は変わらず穏やかな笑みを浮かべながら、霊たちの出向に賛成の意を示した。
「なっ……理事長?! 何を言っているんですか?!」
「大和くん。冴澄中尉が提出した御神くんの戦闘データ……あなたも見たでしょう? 現実を受け入れなさい」
「あれは……あれは何かの間違いです! Fランクがたった一人で【心蝕獣】の群れを殲滅するなど!! 第一、オレは見ていない!!」
「君は気絶していたからね」
しれっと痛いところを突く霊。
それは嫌みではなく、事実を述べただけのこと。事実を突き付ければ人は黙るか、もしくは勢いを失う。
話を先に進めるための指摘だったのだが、それを受けた守鎖之は憎悪の籠った視線で霊を睨みつけた。
「なら大和くん。あなたもチームを引き連れて、御神くん達と一緒に行きなさい。もしかしたら、納得できるかもしれませんよ?」
「……いいでしょう。Fランクなどに、こころを任せられませんしね。すぐにオレの第一チームに招集をかけ、準備してきます」
そういって、颯爽と理事長室から出て行く守鎖之。
提案した穏宮理事長は笑顔で見送った。
このとき霊は、『胸の支えが取れた』かのような意識を、この小柄な老婦人から感じた。
表情には出していないが、どうやら守鎖之にウンザリしていた節があるようだ。
そんなことを考えていると、槍姫に肩を叩かれ心配そうな声を掛けられた。
「……なあ御神。大和と一緒で大丈夫だろうか? 協調するつもりなどなさそうだが?」
「大丈夫ですよ、針村さん。なんといっても、御神くんの隣がこの世界で一番安全な場所なのですから」
微笑みを浮かべる穏宮理事長の言は、槍姫はおろか他の人間にも窺い知れなかった。
【世界で一番】という壮大過ぎる例え。
霊本人を名指ししての言葉であったため、こころが一番に聞き返した。
「あ、あの、理事長……それはどういうことですか? 霊くんの隣が、世界で一番安全な場所って……」
「うふふ……そのままの意味ですよ。ねぇ? 御神くん」
「……だと、いいんですが」
答えに窮する……そんな感じを霊から受ける。そしてそれを説明する気が無いようだ。
「……むぅ」
なんだか隠し事をされているようで、こころは少しばかり腹を立てて唸る。
理事長は知っているようだが……答えを聞ける雰囲気ではなかった。
ちょっと唸って腹を立てたのは、霊のことを何も知らないという彼女の焦りと、独占欲と……若さゆえの嫉妬心が原因だった。
◆ ◆ ■ ◆ ◆
いったんダナンと別れた霊たちは、外へ出る門前で集合する形となった。
守鎖之が率いる第1チームも同行することになり、ダナンは予定していたものより大きな移動手段を用意。
それは大型のコンテナトラック。
これなら結構な人数を乗せて移動できるし、かなりの鉱石を持ち帰ることもできる。
コンテナ内から上部へ出ることができ、道中【心蝕獣】に襲われても即応できるよう、第1チームから二人ずつ交代で見張りが出ていた。
ダナンの運転でコンテナトラックは荒野を走る。
すぐ先には森があり、少しだけ開けた道を進めば、やがて旧世代の鉱山が見えてくるはずだ。
その道中、第7チームはというと……見張り役以外の第1チームの生徒に絡まれていた。
「へぇ~。針村さんて、あの針村槍守さんの娘なんだ」
「戯陽さんって、体格に似合わずガトリングガンを使うんだね。勇ましいなぁ」
「……」
「……」
絡まれている、とは言ってもナンパの類であり、殺伐とした雰囲気は無い。
第1チームのメンバー5人は全員が男である。
男女比1:3の第7チームと同行できてラッキー。あわよくばお持ち帰りしたい、という下心が見え見えだった。
もちろん槍姫と朗は気付いているが、いなし方など知る訳も無く、適当に頷いてやり過ごすしかできない。
おまけに……。
「こんな可愛い子たちのリーダーが、Fランクかぁ。そりゃあこの前の大和さんとの【訓練】を見てたけどさ、心の質が最低じゃあ、何されるか分かんないでしょ?」
「爆弾だよな。何考えてるかわかったもんじゃない。ねえ、針村さん、戯陽さん。あいつが何かしでかしたら、すぐにオレらに言ってね? とっちめてやるからさ」
こうやって、すぐに霊をバカにする。
Fランクと言う人間は【心力】が低いものだが、霊は当てはまらない。それは彼らも承知しているようだ。
だが、【心力】云々よりも、その心のありようが、Fランクの最大の問題点である。自ら底辺を望み、最悪の場合は他者をも巻き込む疫病神。どんな邪念を腹の底に抱いているか分からない。
それが、Fランクに対する世間一般の認識だ。
(はぁ……ばかばかしい)
(つまんなぁ~い……)
他人の悪口どころか、自分達のリーダーの悪口を聞かされて話に花が咲くはずもない。辟易していた。
こころはというと……守鎖之が隣に座って独占していた。
第1チームのメンバーは守鎖之がこころ狙いであることを知っているので、リーダーを怒らせないよう槍姫と朗に集中しているのだ。
「入学してから、なかなか二人っきりになれなかったな。真心ちゃんは元気か?」
「……ええ、元気よ」
顔を近づけてくる守鎖之に、こころは顔を背けて目を瞑る。そんな態度をとっても守鎖之は気付かず、さらに顔を寄せてこころに迫っていた。
幼馴染とはいえ、気安い態度で話しかけられるのは嫌いだ。
入学する前は何も思わなかったのだが、ここ最近の……とくに霊に対する態度を見てから、守鎖之に対する嫌悪感が目立ちはじめて来た。
もとから守鎖之は、低ランクの人間を見下す性格だったが、ああも露骨な態度は見せ無かった。おそらくは、霊個人が気に入らないのだろう。その理由も、検討はついている。
だから余計に……守鎖之が恰好悪く感じられた。
「心皇学園は、そろそろ部活の勧誘時期だ。こころはどこに入ろうと思っているんだ?」
「……まだ決めてない」
「なら、オレと一緒のところに入らないか? リサーチ部っていうのがあって、ゲーム感覚で作戦研究をおこなう部活があるんだ。学園の勉強にも役立つし、最新の機器も揃っているらしいんだ」
「……そう」
目的地まで15分ということだったが、こんなに長く感じるものなのかと、表情には出さず溜息を吐く。
(霊くんと一緒に、乗せてもらえば良かったかな。二人乗りできそうだったし……)
しつこい守鎖之に適当な相槌を打ちつつ、ここにはいない霊のことを考える。
トラックのなかに霊の姿は無い。
ではどこにいるかというと、トラックの外……コンテナの上部ではない、文字通り外にいる。
黒いバイクに乗って、トラックに並走していた。
このバイクは、霊が独自に用意したもので、外の世界を旅していたときからずっと乗っていたものらしい。
一般的なバイクよりも大型で、車輪も太い。後ろには積荷を乗せられる荷台が設けられており、都市内の短い距離しか移動しない閃羽では見かけない大掛かりなものだった。
「……槍姫ちゃん、朗ちゃん」
「ん? どうした?」
「なになに? どったの、こころちん?」
そろそろうんざりしてきた二人は、こころに話しかけられてすぐに反応した。
嫌みにならない程度に、言い寄って来た男達から離れてこころのすぐそばへ座る。
「少し、『目を瞑る』ね」
眠る、ではなく、目を瞑る。
それが何を意味するのか、槍姫はすぐに理解した。
「ああ、了解した」
「どうした、こころ? 眠いのか? 肩を貸すぞ?」
「大丈夫よ。ちょっと酔っただけで、肩なら槍姫ちゃんに貸してもらうから」
額面通りの疑問を抱き、図々しい提案をしてきた守鎖之を適当にあしらう。
槍姫の肩に頭を乗せ、静かに目を瞑る。
意識を集中し、トラックの外に張りつかせていたビットの一つを起動させた。
『目を瞑る』とは、仲間以外にビットを知られずに起動させるための隠語だ。自分が【感応者】であると知られたくないときなどに役立つと、霊が教えたのだ。
先日の【ジェネラル・メーカー】の一件で、敵となる者が【心蝕獣】だけではないと知った。特に【感応者】は貴重な人材であり、奴隷商人のような人間たちに狙われやすい。
それを踏まえての隠語、およびその使用方法を教えてもらったのだ。
「……っ」
【感応者】であるこころの【心力】を受け、遠隔操作によって浮遊。
同時に、ビットから外の風景が脳裏に伝わる。トラックに並走する、黒いバイクを駆る霊が見えた。
黒いフルフェイスメットに、黒いライダースーツと、黒尽くしの格好。
これは夜間における【心蝕獣】による襲撃の対策だ。いまのような昼間ならば問題ないが、夜営するともなれば夜闇に紛れた方が発見されにくい……と出発前に霊が教えてくれた。
トラックに並走する霊のもとへビットを飛ばし、声を送る。
「あれ? こころ?」
『ちょっと退屈で……お話しませんか?』
「いいけど……【心力】の無駄遣いになるから、節約のためにもビットをバイクに乗せて」
守鎖之のときとは違い、霊の提案を快く受け入れ、ビットをバイクの後部へ置く。
『気遣いありがとうございます。でも精神力には自信がありますから、大丈夫ですよ?』
「だろうね。けどさ、今は見張りが、ぼくを含めて三人いる。こんな小規模なんだ。警戒はぼくらに任せて、【感応者】はいざという時のために【心力】を温存しておかなきゃ」
こころも霊ほどではないにしろ、一般よりも相当な量の【心力】を有するため、そんなに疲れることは無い。
だがビットを起動させ続けると、【心力】は絶えず消費される。
特に、こころは今日がはじめての、外の世界だ。長期にわたる【心力】の消耗は、自覚しないままに底を尽くこともある。
ビットの浮遊機能を停止するだけでも、かなり負担が減るのだ。
『わかりました。覚えておきますね。……それにしても、霊くんがこんなものを持っているなんて驚きました』
「そう? いくらぼくでも、歩いて回れるほど、世界は狭くは無いよ」
どうにも買いかぶられているな、と苦笑する。
もちろんそんなつもりで言った訳ではないと分かっているが、都市の外を知る身としては、やはり違和感の拭えない質問だった。
逆の立場からすれば、当たり前に出てきてしまう質問なのだが。
「退屈って言ってたけど……何かあった?」
『……馴れ馴れしいんですよね。親しき仲にも礼儀ありって言葉、知らないんでしょうか。それに、霊くんのこと、すぐバカにしますし。こっちは全然楽しくないってこと、分からないみたいなんですよね』
「それは仕方ないよ。事実だし、嫌悪感以上にぼくの存在を懸念してしまうのは、人として正しいよ」
『……まるで霊くんが、何か私たちの不利益になることを企んでいるような言い方なんです』
「それがFランクの人間に対する認識だからね。簡単に行っちゃえば、ぼくらは犯罪者予備軍って思われてるんだよ。犯罪者はFランクがダントツで多いんだよね? そんな奴と同類っていう明確な基準がランクなんだから、嫌われたり、悪口を言われても仕方ないよね」
『霊くんはそんなことしません! いつも私を助けてくれて、守ってくれてるのに……』
「信じてくれるのは嬉しいけど、それを普通の人の前で言っちゃダメだよ? ぼくの所為で、こころが浮いちゃったりするのは辛いからね」
『……むぅ』
その様子から納得してないな、と感じて苦笑い。
辛い、という言葉で優しいこころを無理矢理にでも抑えたのだが、不満やる方ないことだろう。
せっかく退屈凌ぎを求めて話しかけてきたのだし、何より外の世界に出て来たのだ。
【心蝕獣】の危険があるとはいえ、楽しむべきところはある。それを知って欲しくて、霊は話題を変えた。
「それよりこころ、もうすぐ森に入るんだ。都市には無い、珍しい植物とか見れるよ? ほら」
トラックが森のなかに入り、細い道を走る。霊は先行してトラックの前に出て、前方の安全を確認しながらこころに解説していく。
『確かに、見たことのない植物ですね。色んな形があります……。あっ! あの木なんか、葉っぱがトゲトゲしてます! ……葉っぱなんですか?』
「うん、そうだよ。松っていう木で、針葉樹っていう分類なんだ。大抵の都市では、火災防止用に葉の面積が広い木とか、実を付ける広葉樹しか植えないから、珍しいよね」
『実はわかりますが、火災防止用というのは?』
「葉の面積が広ければ、それだけ蒸散量が多くなるよね? 気温も低くなるし、火も燃えにくくなる。摩擦による火事は別にして、ね」
『なるほど……そういうことだったんですね』
はじめて見る、外の世界。
人類の天敵【心蝕獣】が横行すると聞く、人の住めない世界。
だがこころは、霊と一緒に見るこの世界が、とても綺麗で愛おしく思えた。
●御神霊―――――主人公。Fランクの落ち零れとされているが、膨大な【心力】を有する謎の少年。
●純愛こころ―――霊の美少女幼馴染。数少ない【感応者】。
●針村槍姫――――背の高いクールな少女。こころの親友。
●戯陽朗――――いつも元気で明るい少女。こころの親友。
●ダナン・デナン――心理工学科のぽっちゃり系3年生。【心器】に関する技術はなかなかのもの。
●大和守鎖之―――Sランクにして最年少ナイトクラスの少年。こころの幼馴染。
●穏宮静奈――――閃羽心皇学園の理事長。小柄な老婦人。