第1話【遅れて来た新入生】
一人の少年と、一人の少女と、一人の老人。
少年を中心に、両隣にすわる少女と老人。
都市を一望できる時計台に、その三人は並んで座り、夕陽を眺めていた。
『おじいちゃん』
『なんじゃね?』
少年が夕日を眺めながら、老人に話しかける。
『僕の心は、ゴミなんだって。今日の検査で、そう言われた』
なんでもない事のように、少年は告げた。
隣に座る少女が、少年の腕をぎゅっ、と抱いた。
その表情は今にも泣きそうで、少年は少女の頭に手をおいてあやした。
『悔しいなぁ……おじいちゃんと一緒に戦って、守りたかったのになぁ……』
わずか5歳の少年は、この歳で力を渇望していた。
それは、隣に座る少女を守ると、約束したため。
少年にとってこの約束は絶対であり、その約束を守るために検査を受けた。
そしてその検査で、彼はその約束を守れないと知らされた。
『のう、レイよ……』
『なぁに?』
『力が、欲しいかの?』
レイ、と呼ばれた少年が、勢いよく老人の方へ振り向いた。
『その子を守るために、約束を守るために、力が欲しいかの?』
『欲しいよ。でも僕の心はゴミだって言われた』
『じゃが、その子を守りたいのじゃろ?』
『できるの?』
『出来るかどうかではない。やるか、やらないかじゃ。レイは約束を守る気があるかの?』
『ある』
短い言葉。
だが少年は迷いなく答えた。
偽りの無い言葉
飾りの無い言葉。
真っ直ぐな言葉。
老人が渇望する、素直な言葉だった。
『よかろう。儂と一緒に来れば、神さえ殺せる力を、レイ……おまえに教えてやろう』
『っ!』
神さえ殺せる力。
それは少女を守る、これ以上ないほど圧倒的な力。
約束を守るための力。
『儂と一緒に来い。儂のすべての技術を、レイに教えてやろうのぉ』
『行く! 僕は行くよ! おじいちゃん!!』
少年は立ち上がり、熱の籠った声と視線で老人に宣言する。
『レイくん……どこかに行くの? やだよぉ……行っちゃやだぁ……』
だがそんな少年に縋る、小さな手があった。
全体重をかけて逃がすまいと、レイの腕に抱き付き引き止めようとする。
『……ねえ、おじいちゃん。一緒には連れて行けないの?』
『ダメじゃの。儂らは都市の外に行く。危険じゃ』
都市の外。その境界は、都市を囲む巨大で長大な外縁防壁。
その外縁防壁の外は、【外の世界】と呼ばれるほど、人間にとって危険な場所。
世界は人間にとって、とても危険で、死に満ち溢れているのだ。
『そっか……。あ、外に行ってる間に、どうやって守ればいいんだろ?』
『なぁに、心配せんでもええよ。この都市にいる限り、外の世界よりは安全じゃ。
それに、ずっとお別れという訳でもない。そうじゃのぉ……10年ちょっとしたら、またここに戻ってこられるじゃろう。強くなって、またここに戻ってこようのぉ』
強く……。
当然だ。神さえ殺せる力とは、絶対的な強さを意味する。
外の世界に出ても、神さえ殺せる力があれば、生きていける。死に怯えることもない。
『必ず強くなって戻ってくるよ。約束は、ちゃんと守るから』
出発の日。
少年は泣き続ける少女に別れを告げる。
しかし、今生の別れではない。それを強く、固く、約束した。
『ひっ、くっ……約束、だよ……絶対戻って、きてね……』
『うん。絶対。そして、守るよ』
『うん……うん……レイくんが戻ってきて、約束を守ってくれたら、わたし―――』
世界は人に優しくない。
それでも人は世界で生きる。そこでしか生きられないから。
だったら強くなるしかない。
何ものにも負けない、強さ。死に満ちた世界でさえ生きていける強さ。その究極の強さは、神さえ殺せる力。
◆ ◆ ■ ◆ ◆
この世界では、心の強さが、そのまま力の強さになる。
何故そうなるのかは分かっていない。
ただ、心に反応し、それを物理的なエネルギーに換える様々な物質が存在している。
人々は心を力に換える術を【心力】と総称し、【心力】を用いた武器【心器】を開発していた。
なぜそんなものを開発したのか?
簡単なことだ。
敵が、いるからだ。
この世界の食物連鎖の頂点に立ち、人の心を喰らい、さらに血肉をも喰らう化け物。
―――心蝕獣―――
人々が巨大な外縁防壁を築き、その内側という限定された空間でしか生きられない原因だ。
防壁の外は心蝕獣が横行し、人を見つけてはその心を蝕み弱らせ、血肉を漁る。
世界は人に優しくない。
それでも人は、この世界で生きていく。そこでしか生きていけないから。
だから心蝕獣に対抗できる【心器】を開発した。
心の強さを力に換える【心器】を用いて、心を蝕む心蝕獣と戦う。
それが、この世界の人々の、宿命だった。
【ココロストライク】
大防壁都市・閃羽。
人口およそ25万人。
心蝕獣の脅威から人々を守る巨大な外縁防壁に囲まれた、閉鎖された都市。
空は、都市の中心に建つ巨大な時計塔から発せられる、半透明の膜状エネルギーバリアで覆われ、飛行型心蝕獣の侵入を防いでいる。
農業や工業のほぼすべてが都市内で賄われており、それぞれが一定の区画ごとに仕切られている。
その区画の一つに、閃羽心皇学園という学校がある。
閃羽でもっとも名の知れた私立学園。
通称・心皇学園。
対心蝕獣用の兵士【心兵】を育成する戦闘学科や、【心器】の技術を学ぶ心理工学科など、主に【心力】に関係した学科で構成されている。
この学園は7年制であり、15歳から入学が許可され、年数の長さに比例して在校生も多い。
4月……入学式のシーズンも半ばに入った中旬の日の昼休み。
心皇学園の裏庭を、一人の少女が走っていた。
歳の頃は15歳前後……つまり新一年生。腰まで届くような長い黒髪を揺らし、まるで何かから逃げるように走りまわっていた。
「はぁ……どうして、こうなっちゃったのかな……」
辺りに誰もいないことを確認し、少女……純愛こころは、足を止めて一息ついた。
こころは戦闘学科に所属している。
心蝕獣を倒すための訓練と戦術を学ぶ学科だ。
ゆえに、同じクラス内の数人でチームを作り、期末考査などの担当教官から与えられる試験に挑む、という仕組みになっている。
が、こころはこのチーム制が原因で走りまわることになっていた。
「あ、いた!」
「純愛さん! オレと、オレとチームを組んでくれっ!!」
一人が声を上げると、途端に集まるクラスメイト達。
簡単に言えば、こころと同じチームになろうと、クラスメイトの大半が躍起になって追いかけてきているのだ。
だからこころは逃げ回っている。
こころは特殊なタイプの【心器】を使う。同じチームになれれば上位の成績を狙えるほどの。
しかしそんな特殊性を霞ませてしまうほどの美貌を、こころは持っていた。
整った顔立ちに、誰にでも優しい控え目な性格。他人を気遣える優しさを持っているとも言い換えられるだろう。
男子は言わずもがな、女子までも虜にするほど、こころは魅力的な少女だった。
だから、こころ争奪戦が勃発しようとしている。
だから、逃げる。
単純にクラスメイト達の勢いが怖い、ということもあるが、こころを取り合う過程で暴動のような争奪戦が勃発してしまったら、怪我人が現われかねない。そのため、こころは被害が出ないように逃げ回っているのだった。
「ご、ごめんなさい……わたし……」
か細い声で断わりの言葉を紡ぐが、クラスメイト達の方が騒がしいため掻き消されている。
説得は無理と判断したこころは、また逃げるハメに。
校舎の角を曲がり、そのまま直進しようとしたところで、気付く。
この先にも、クラスメイトがいる……。
「ど、どうしよう……」
万事休す。
そう思ったとき、突然こころの体が宙に舞った。
「へぇっ?!」
何か、糸のような細いものが体に絡み付き、こころを引っ張り上げている。
混乱するこころは、辛うじてスカートの裾を抑えることしか出来ない。
しかしすぐに、こころの体はやんわりと着地する。
着地場所は……屋上。
4階建ての校舎の屋上まで、こころは引っ張り上げられていた。
「大丈夫? もうすぐお昼休みが終わるから、時間は稼げると思うけど」
こころを屋上まで、糸のようなもので引っ張り上げた人物が、居た。
学年を示す胸元のワッペンにはこころと同学年であることを示す赤色。しかし知らない男子生徒だった。
入学して半月ほどしか経っていないのだから大半は知らなくて当然だが、それにしても見覚えがなさすぎる。
こころはもの覚えが良い。人の顔も覚えるのに苦労しない。
そのこころの記憶に引っ掛からないほど、件の男子生徒には特徴が無かった。
どこにでもいそうな、ありきたりな黒髪と大人しめの、長くも短くも無い髪型。
背は……低いほうだろう。
身長158cmのこころより、僅かばかり高いくらい。
特筆するほど顔の造詣が整っているわけでもない、悪くない、程度の顔立ち。
ただ……無理矢理特徴を上げるとするなら、一つだけ。それも、気付くかどうか、という程度。
それは、同年代の男子生徒より、落ち着いた雰囲気がある、ということ。
先程までこころを追いかけていた生徒達と比べようもないほど、達観した雰囲気を持っていた。
「あ、あの……ありがとうございます……?」
「どういたしまして?」
若干疑問形でお礼を言ったこころに対し、件の男子生徒も疑問形で返した。
苦笑しながら、だったが。
ちなみに、先程までこころに絡み付いていた糸のようなものは、無くなっていた。いつの間にか。
「ああ、さっき引っ張り上げたのは、これだよ」
自分の体を見回すこころを見て、見当がついたのだろう。
彼は前方に手を翳す。
すると右手を青い光が覆い、その指先から極細の光る糸が伸びた。
「っ!? 【心器】も無しに、【心力】を使えるんですか……?!」
「ん? うん……珍しいかな?」
珍しい、どころの話ではない。
【心力】……心の力は、それを物理エネルギーに変換する【心器】無くして出力することができない。
今、彼がやっていることは、砲弾を、大砲を使わずに腕の力で何十kmも先に飛ばすという、極めて効率の悪いやり方だ。
つまり、普通は効率が悪過ぎて出来ないこと。
それを苦も無くやっているとは、どういうことか。
少なくともこの心皇学園や、閃羽全体にも居ない。聞いたことも無い。
「そっか……珍しいんだ。あ、それより昼休みが終わるよ。ぼくはもう行くね」
こころの驚きを軽く受け流し、腕時計を見てその場を後にする。
「あ、あの! 助けてくれてありがとうございました!!」
今度は疑問形では無い。
はっきりとした口調でお礼を言った。
「どういたしまして。それじゃあまた後で」
「え?」
疑問の声が出るより先に、件の男子生徒は屋上から去っていた。
◆ ◆ ■ ◆ ◆
昼休みは終了。
午後の授業に備えて慌ただしく教室へ戻る生徒達。
さすがにもう、こころとチームを組もうとする輩はいない。
とはいえ、例外はいる。
「こころ」
「あ、守鎖乃くん」
もうすぐ教室、というところで声を掛けられた。
大和守鎖乃。
背は高く、顔の造詣も整っていて好青年に見える。所謂、イケメンに分類されるであろう男子だ。
こころの幼馴染であり、15歳にして心蝕獣と戦えるほどの【心力】を持つ、現役の正規【心兵】だ。その証拠に、本来は校内での携帯が禁止されているはずの【心器】を、特別に持っている。
守鎖乃の【心器】は両刃剣。腰に携帯しているそれは、光に当てれば眩しい白色を持っていた。
「大変だったな。というか、オレとチームを組めば、あんな騒ぎになることもなかったろうに」
「そうなんだけど……」
「篤情教官もいい加減だな。チームくらい自分達で決めろと言って、さっさと出ていく始末だ」
自主的に決めるのは当然だが、優秀な人材を巡って争奪戦になることは間々ある。
そのため担当教官が間に入り、適宜調整していくのだが、こころ達の教官はそこのところは無頓着だった。
まあ、実力は都市のなかでも有数であるため、何かしら目的がある、と噂されているが。
「次の休み時間に、オレの所に来い。そうすれば騒動は起こらないさ」
「う、うん……」
戸惑いがちに応えるこころ。
守鎖乃はすでに、他数名とチームを組んでいる。だがまだ上限に達していない。
こころを迎え入れる準備は整っている。
だが、こころは少々事情があって、守鎖乃のチームに入りたくなかった。
ランク……というものがある。
【心力】の強さを現す指標的なものであり、一番上をSとしてAから順にFまで下がっていく。
守鎖乃はSランクであり、他のメンバーもSランクで固めているため、新入生でトップクラスのチームになるだろうことは容易に想像が付く。
ではこころはというと、彼女もSランクだ。守鎖乃が率いるチームに入ったとしても、決して劣ることはない。
「でも私、友達とチームを組みたいから……」
守鎖乃の誘いに乗り気でないのは、仲の良い友達と組みたいから。
しかし……。
「こころ。この心皇学園では、付き合う友達を選んだ方が良い。そりゃあ、あの二人は良い子達だが、Aランク。こころはSランクだろう? 自分よりランクの低い人間と組めば、命を落としかねない。ここはそういう所だ」
対心蝕獣用の【心兵】を育成する戦闘学科。
実際にその心蝕獣と戦うこともある。その場合はもちろん、正規兵が付き添うが。
だから、同じランクの者同士で組んだ方が良い、と守鎖乃は言っているのだ。
曖昧な答えのまま、こころと守鎖乃は自分達の教室……Aランク以上の人間で占められる1年1組の教室に入った。
そわそわとした視線が、こころに憑き纏う。
もしかしたら守鎖乃と……? そんな声が囁かれていた。
「お~し者共ぉ、席に着けぇ~。授業を始めるぞぉ~」
間延びした声で指示するのは、1組の担当教官。
篤情竹馬。
髪はボッサボサで、いつも眠たそうな顔をしている、本当にこんな人が教官で大丈夫なのかと疑いたくなるような大人だった。
「さ~てと……その様子だとチームは決まってないようだな。申請があるのは数人……大和のところだけか。それも上限に達して無いから、事実上決まってないも同然、ねぇ……。幼稚園児じゃねえんだから、さっさと決めろよ15歳」
欠伸を一つ掻き、心底面倒臭そうに言う篤情教官。
「んじゃあオレが残りの奴ら適当に組ませるか。あ~その前に、みんな、転校生……まだ4月だから新入生か?
まあ、遅れてやってきた新入生でいいか。そいつの紹介を先にやって、それからチームを決める。
お~い、入ってきてくれ~」
篤情教官に呼ばれ、一人の男子生徒が入って来た。
「あ……?」
控えめながらも思わず、こころは声をあげた。
昼休みに、自分を屋上まで引っ張り上げて、助けてくれた生徒だった。
篤情教官が黒板に名前を書く。
『御神霊』
「?!」
霊……レイ……れい。
その瞬間、こころは心臓を鷲掴みにされたかの如く、息が詰まった。
(もしかして……レイくん?)
幼い頃、守鎖乃よりもずっと前に出会っていた少年。
しかし少年は、祖父に連れられ都市の外へ出て行ってしまった。
いつか帰ってくると言っていた。
だから、もしかしたら、あの男子生徒が、レイ?
そう思った。期待した。
「御神霊です。霊と書いて、くしびと読みます。
諸事情により入学が遅れ、本日から就学することになりました。どうぞよろしく」
(……え?)
レイ、ではなく、くしび。
彼は自分の名前を、そう紹介した。
(そっか……レイくんじゃ、ないんだ……)
膨らんだ期待は一瞬で萎み、彼の所為でないと分かっていても失望感を隠せない。
誰にも気付かれないよう溜め息を付くのが、精一杯だった。
事実上の第二作目。
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