3 二人きりの魔王城
「私は、この聖剣にふさわしい人間になりたいです」
「ほう?」
顔を上げた少女の瞳には、力がこもっていた。しかし、答えはどうもありきたりすぎる。ありきたりなのは悪いことではない。悪いことではないが、気に食わない。
「ふさわしいとは?強さか、それとも高潔な精神か?」
「……全部です」
「ほう!強欲だな」
必要な全てを欲するか。全くもって強欲だ。しかし、気に入った。この小娘には、センスがある。勇者になるセンスだ。
「剣を使えて、魔術も使えて。困っている人は見過ごさず、悪事は咎める。そんな人間になりたいです」
「まさしく勇者だな」
「はい!私は勇者になりたいです!」
少女の目には、輝くほどの決意がみなぎっていた。合格だ、俺の勘は間違っていなかった!運命はまだ魔族を見捨てていなかった。
「実力の伴わない勇者はすなわち愚者と同義だ。小娘。これも何かの縁、冒険者とは何たるかを教えてやろう」
「本当ですか!お願いします!」
「……お前、よく怪しげな老人から壺を買わされたりしていないか?少々心配だが……まあいい、好都合だ。とりあえず、今日やることはない。寝床でよく考えて、覚悟が決まったら、明日の朝五時にここに来い。いいな?」
「はい!お願いします、先生!」
元気よく返事した少女は笑顔だ。しめしめ、この俺の手のひらの上で転がされていることも知らずに。心の中でほくそ笑む。本当は今からモンスター討伐の依頼でも受けさせたいが、先ほどからどうも冷や汗が止まらない。南から、メロンパンを欲する彼女の圧力を感じるのだ。きっと気のせいだが、この小娘によって俺の勘は馬鹿にならないことが証明されたばかりだ。ここは大人しくその勘に従うが吉だろう。
「ところで、お前の名はなんだ?」
「フレイヤです。先生のお名前は?」
「リオンだ。では、フレイヤよ。勇者らしく一日を過ごせよ」
「はいっ」
石像魔の翼を広げ、空へ飛び立つ。時計の針は四を示していた。夕飯時には間に合うか。いつもより少し速度を出して、風を切るように飛んだ。飛行には、他の何にも代えがたい爽快感がある。勇者候補の小娘……いや、フレイヤにも、少なくとも短時間の飛行程度はできるようになってもらわないとな。
空から見下ろした南大陸は、それは酷いありさまだ。王都を見てからは、なおさらそう思うようになってしまった。不毛の大地にぽつんと魔王城が一つ。最盛期とはかけ離れた静けさに、寂しさすら感じる。これから俺は、魔王城を離れることが増えるだろう。彼女はこの大きな魔王城で、一人孤独に耐えなくてはならない。なんと辛いことだろうか。
「メロンっパン、メロンっパンっ!」
「……」
なんというか、心配していた俺が馬鹿だったようだ。匂いでも感じ取ったのか、入り口で待機するという魔王らしからぬ戦法で彼女は待ち構えていた。そのはしゃぎようと言ったらない。
「おおー、いっぱい買ってきてくれたんだな!」
「一つ貰いましたけどね」
「構わないさ。紅茶を出そう。君も飲んでいくよな?」
「はい」
こぽこぽと湯の沸く音だけが響く。魔術だ。魔王たる彼女の魔術は、もはや芸術の域だ。宙に浮く水球の温度は急激に上昇し、蛇のように細長くなったかと思えば、ティーカップに吸い込まれるように注がれた。
「んー、美味しいー。」
「……」
黙々とメロンパンをかじる。ずっしりとしたこのメロンパンは、外側のクッキー生地はサクサクとしていて、内側はふんわりとバターの風味で満たされていた。円形のテーブルをはさんで対面に座る彼女は、それは幸せそうにメロンパンを頬張っていた。紅茶はオレンジの苦みがちょうどよかった。
「ごちそうさま。ああ、美味しかった」
「残りもどうぞ、お好きな時に」
メロンパンを食べ終わった彼女は、じっと俺の顔を見ていた。メロンパンの食べかすでも付いているのだろうか。指で口回りを拭うと、彼女はくすりと笑った。
「シュヴァリオン……もう二人っきりなんだ、昔みたいに話しておくれよ」
「……」
「はい、魔王様命令ー。敬語禁止!」
「……相変わらず強引なやつだ」
幼馴染のこいつは、いつも生意気で強情だった。魔王と幹部という関係性になって、何十年経ったか。時々こうやってせがまれては昔のように言葉を交わすこともあったが、そうかここ最近はめっきりだった。あの事件の後処理で東奔西走だったこともあるか。
「このお茶会も、随分と寂しくなった。四天王もいなくなって……覚えている?アシュちゃん」
「……あのとんでも色欲魔か」
「あの子がいたときが、一番騒がしかったかもね。よくシュヴァリオンの寝床に潜り込んで騒ぎになっていた」
「猫アレルギーが疼いて、とてつもない迷惑だった」
実力はあるが風紀を乱す厄介なやつらを、四天王という不明瞭な役職を与えて飼っていたこともあった。迷惑ばかりかけるやつらだった。そんなやつらを、この魔王はいたく気に入って可愛がっていた。思い出に浸っているのか、彼女は俯いてぽつりと呟いた。どうも小さな声で、このロバの耳には聞き取れなかった。
「……猫アレルギーじゃなかったら、迷惑じゃなかった?」
「ん?」
「いや、なんでもないよ。まあ、私はなんにもないってわかってたからね。」
「嘘つくな。一番騒いでいたのはレヴィアだろう」
レヴィアは苦笑して、右上に視線を泳がせた。こいつの嘘はわかりやすい。母親が採ってきたクリムゾンベリーを一人で全て食べてしまった時だって、口回りを赤く染めながら同じ顔をしていた。
「そうだっけ?」
「そうだ。俺は記憶力だけは良いからな」
レヴィアは万能の天才だった。歩くより先に魔術を使い、十になる前には武芸百般、新たな魔術式の考案など、非の打ち所がなかった。五十年もしないうちに魔王候補となり百年も経たずに魔王となった。そんな彼女に、俺は呪文の暗唱でのみ負けたことが無かった。呪文の詠唱などしなくても魔術を発動できるこいつには、暗唱など必要が無いことを知ってからは、俺がこいつに勝てるところは無くなった。
「勇者探しは順調?」
「……メロンパン探しは上手くいったな」
「あはは、ごめんごめん。」
こいつの治世で、この王国は最盛期を迎えた。版図の広さではない。王国に住む魔族の活気という面において、歴史上もっともすぐれた王国となった。しかし、夢のような時間はそう長くは続かなかった。才能の不足ではない。魔王は、部下に恵まれなかった。そして今、落陽を迎えているというわけだ。自ら滅びを望む程度には、魔王の精神は弱り切っていた。
「……また、メロンパン頼んでもいい?」
「……好きにしろ……」
勇者は未だ見つからない。フレイヤがどの程度育つかによるだろうが、まだ時間はかかるだろう。それがこの魔王にとって良いことか悪いことかはわからなかった。ただひとつ、メロンパンを望む程度には、彼女の決意は揺るいでいるようだった。
「じゃあ、そろそろ寝ようかな」
「そんな時間か」
窓の外は暗い。南大陸は常時薄暗い空に包まれている。今朝は珍しく晴れていたが、この湿気だと明日は雨だろう。短針は九と十の間を指している。
「一緒に寝るかい?」
「アホか。……しっかり寝ろよ」
「うん。おやすみ……」
バタン、と扉を閉めた。
「ふふっ。シュヴァリオン……君は、変わらないね……」




