1 冒険者ギルドとメロンパン
魔王城。割れた窓の隙間から、燦燦と陽光が降り込む玉座の間にて、我ら二名の魔族は向き合っていた。一方は玉座に座し、もう一方は跪いて。
「シュヴァリオン」
「はっ」
魔王。圧倒的な威圧のオーラ。その少女のような外見とは裏腹に、内に秘めた膨大な魔力が溢れ出ていた。
「勇者は……まだ来ぬか」
「勇者候補と呼ばれる者どもの周辺で、活動が活発化していることを確認しておりますが……いまだ、勇者の姿は見えません」
「そうか……」
物憂げに視線を俺から外した魔王は、はあ、とため息を吐いた。一年前から、彼女はずっとこのような調子だ。かつての強く剛健な彼女の面影はない。魔族を束ね大事業を牽引した魔王の威厳は、もうない。
「シュヴァリオン。私はもう……待ちくたびれてしまった。お前に頼みがある。シュヴァリオンよ、あちらへ赴き、我らを討伐せんとする勇者をこの魔王城へ連れてくるのだ」
「……いいのですか?」
「ああ……もう、いいんだ……」
もう、このような魔王の姿は見ていられない。彼女も、自分とそう変わらない考えを抱いていたのだろう。
立ち上がり、魔王に背を向けて玉座の間を出る。
背の翼を広げ、魔王城を飛び立つ。暗く重い雷雲がゴロゴロと喉を鳴らしていた。
魔王の頼みは断れない。しかし、これで本当によかったのか……。
「シュヴァリオンよ……」
「うわっ!びっくりした……なんですか」
ぐるぐると回り続ける思考に耽っていたところ、突如脳内に彼女の声が響いた。魔王は、魔族を統べるものだ。あらゆる魔族に干渉することができる。遠隔から脳内に語り掛けることは容易だった。
「ついでにメロンパン買ってきておくれ」
「……」
「あれ、聞こえてない?おーい」
メロンパン、メロンパンと呼びかける少女の声を無視して、飛び続ける。あんなことを言った割には、俗物的な欲が残っていそうだ。さもありなん、彼女はまだ、魔族にしては若い。若すぎるほどだった。
東大陸。魔王城のある南大陸から数時間ほど飛んだ先にある、人間の支配する国が栄えている大陸だ。このあたりでいいかと適当な場所に降りると、そこは王国だった。少し先にある街には、大きな王城がそびえていた。魔王城には及ばないが、大きく豪華な王城だ。さぞ力のある王が君臨しているのだろう。
「さて、勇者を探すといっても……どうするか。そういえば、随分と前に冒険者ギルドに登録していたな。」
冒険者ギルドは、ダンジョン攻略やモンスター討伐を行う冒険者を管理、支援する組織だ。人間の戦力調査兼暇つぶしで冒険者となったことがあったが、それなりに楽しかった。情報収集も、口の軽い冒険者がぽろぽろとこぼしてくれたため簡単だった。
「ギルドに行くか」
とはいっても、この街の冒険者ギルドは、どこにあるのかわからない。まずは探すところからだ。ちらちらと辺りを見回しながら歩いていると、香ばしい小麦の匂いが鼻をくすぐった。パン屋だ。透明のガラス越しに見える黄金褐色のパンたちが、俺にあることを思い出させた。
「ああ、メロンパン……あれは、今日中に買ってこいということなのか?きっとそうなんだろうな。しかし、往復するのは面倒だな」
立ち止まり、パン屋を覗いていると、ドンと体の左側から衝撃を受けた。
「うわわっ、ご、ごめんなさいっ!」
「ああ、気にする……な……」
聖剣だ。
ぞわりと全身の神経が沸き立つ感覚が走る。聖剣だ。こいつが腰に差しているこの剣は、聖剣だ。魔族の本能が、警鐘を鳴らしていた。思わず魔力が漏れ出した。すぐに抑えたが、まずい。ばれてしまうと……む?
「すいませんっ」
頭を下げて謝るこの少女は、俺の身体から放出された魔力に気が付いていない様子だった。これは、そういうことか。思わず目が細まる。この聖剣使いは、弱い。幼く、魔力の質も不十分。持ち主と武器の力関係がちぐはぐだ。なるほど。これが、勇者候補というやつか。
「ちょっといいか。」
「は、はい。なんですか……?」
随分と怯えている。精神性も、勇者とは思えないほど未熟だ。これほど人間たちの育成システムは遅れているのか。これほどの才能を、伝説の武器を持ちながら、モンスターを倒す倒さない程度の次元に留まっているとは。これでは魔王を倒すような勇者など出てこないわけだ。メロンパンを持ち帰るという頼みは叶えることができそうだが、勇者を連れていくことは当分できそうにない。彼女の願いをかなえるのは当分先になるやも……いや、それは駄目だ。仕事のできない魔族に、魔王軍としての居場所はない。かくなるうえは……。
「冒険者ギルドは、どこだ?」
世間知らずともとらえられるその発言に、しかし少女は満面の笑みを 浮かべた。
「もしかして、今日の試験を受けられるのですか?」
「試験?いや……」
「実は私も試験を受けに行くところだったのです!一緒に行きましょう!」
そういって少女は、俺を先導するように駆け足で歩き始めた。別に試験を受けるつもりではないが、まあギルドの場所がわかるならいい。彼女の後姿を見ながら、考える。やはりこの方法しかない。
俺が、魔王を倒せるような勇者を育てるしか。
左腕の時計を見る。針は一の時を指していた。魔王は十時には就寝する健康習慣の奴隷だ。その前にメロンパンを届けに行かなければ、不機嫌な声でねちねちと念話されることは目に見えている。
「試験は何時からだ?」
「一時からですよ。お兄さん。大切なことですから、ちゃんと覚えておかないと——」
「一時はもう過ぎてるぞ」
「え」
少女は一瞬石像のように固まった後、きょろきょろと周囲を見回した。大時計を探しているのだろうか。腕時計のついた左腕を差し出すと、彼女は横に回ってきて食い入るようにそれを見た。針が一時を指していることを確認した彼女の顔は真っ青に染まっていた。
「ど、どどど、どどどどどど」
「ど?」
「ど、どうしましょう!?このままじゃ、私たち……」
俺は試験などどうでもいいが、彼女にとっては重要な試験なのだろう。勇者は冒険者でなくてはならないという決まりなどないが、冒険者になった方がなにかと便利なのは確かだ。
「ギルドは遠いのか?」
「反対側です……」
「おい。冒険者を目指す者が、遅刻くらいでそんなにしょぼくれるな。暴れるなよ」
「え、うわわっ」
がっくりと肩を落とす少女。勇者の卵たる人間が、この程度で。ほんの少し湧いてきたいらつきを押さえて、少女の襟首をつかむ。あまり衆目に晒したくはなかったが、俺の翼は魔族らしいというよりは魔術らしい見た目であるから、最悪誤魔化しは効くだろう。
ばさりと石像魔の翼をはためかせ、宙に浮かぶ。空からみれば、わかりやすい。あの白亜の建物がギルドだろう。剣と盾のマークは、過去にも見たことがあった。
「すごい……魔術師さんだったんですね」
「そんなもんだ。ほら、着いたぞ」
ふわりと着地し、きらきらとした視線を送ってくる少女の背を叩いてギルドへ向かわせる。我に返った少女は駆け込むようにギルドへ入っていった。
冒険者ギルドはたくさんの人で賑わっていた。昼だというのに、併設されている酒場も満席だ。いや、昼だからこそか。酒を飲んでいる冒険者だけでなく、食事をとっている冒険者も見られる。
「この冒険者証、まだ使えるか?流石に百年程度しか経っていないし、大丈夫だよな」
受付は三つあった。そのどれもに列ができていた。理由もなく一番右の列に並ぶ。進みは遅い。半分ほどまで進んだところで、ふと隣の列を見ると、先ほどまで隣にいたはずの冒険者が先頭にいた。進みは他二列の方が早いようだった。なるほど、受付嬢の作業速度に差があるのか。そこまで考えが至らなかった。しかし、ここまで来てしまったら、他の列に並ぶ気にはならない。大人しく待つことにした。
「エミリちゃん、今度お食事にでも……」
「次の方どうぞ」
目の前の、筋骨隆々の男がはけて、ようやく俺の番が来た。冒険者証を受付の机に置く。
「これについて聞きたいんだが……」
「これは……ずいぶんと古い冒険者証ですね。どこかで拾われたんですか?」
「いや、俺の所有物だ」
「長命種の方でしたか、失礼しました。更新でよろしいですか?」
頷く。エミリと呼ばれていた水色髪の受付嬢は、俺の冒険者証をもって受付の奥に向かった。
受付嬢はすぐに戻ってきた。特段、仕事が遅いということはなかった。
「はい、こちらが新しい冒険者証となります。ご確認ください」
「問題ない。」
「規約により、一定期間の活動が確認できなかったため降格措置が取られていますが、ご了承ください」
「なるほど?今の俺のランクはいくつなんだ?」
冒険者にはランク制度というものがある。身の丈にあった程度の依頼を受注させるためのシステムだと、俺は解釈している。強力な武器や能力を持った者は、どうも自分の実力を誤認しがちだ。依頼をこなし、基準に達したものが昇格試験を受けることで上のランクへと至ることができる。
「Bランクですね。ただ、昇級試験を受ければAランクへ戻ることは可能です。いかがなされますか?」
「あー……いや、今は依頼を受けるつもりもない。試験は不要だ」
「そ、そうですか」
なるほど。先ほどの少女が言っていた試験というのは、昇級試験の事なのだろう。今日が試験日だったというわけだ。
「それで、本題なのだが……素材の買取はここでできるのか?」
「え、あ、はい。可能でございます」
「そうか。これを買取に出したい」
「こ、これは!」
ポケットから一つ、宝石を取り出す。少々昔に討伐した暴れ馬の額に埋め込まれていた、赤い宝石だ。この国の通貨を持っていないことに、パン屋の前で気が付いた。いくつか物が買える程度の値が付けばいいのだが。
「少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「ああ。」
受付嬢は、先ほどよりも早足で奥へと行った。後ろの冒険者の男が、ちっと舌打ちをした。時間がかかっており苛ついているのだろう。振り返り睨むと、男は目を逸らした。




