第8章:危険な探索
秘密結社事件の解決から一週間が経った。修道院には平穏が戻ったかに見えたが、エミリーは新たな問題に直面していた。
教皇特使が去る際に残した言葉——「将来、より重要な任務をお願いすることがある」——が気にかかっていた。自分の能力が教皇庁に知られることで、思わぬ事態に巻き込まれる可能性があった。
しかし、より深刻な問題は別のところにあった。
地下神殿で体験した超自然的な現象以来、エミリーの身体に変化が起きていた。時折、説明のつかない直感や洞察力が働くようになったのだ。それは、まるで古代の叡智が自分の中に流れ込んでいるかのようだった。
ある朝、写本室で作業をしていると、リシャールが心配そうな表情で近づいてきた。
「エミリウス殿、最近お疲れのようですね」
「そうだろうか?」
エミリーは鏡の代わりの磨かれた金属板で自分の顔を確認した。確かに、以前より痩せて見える。
「何か気になることでもあるのですか?」
「実は……」
エミリーは迷ったが、リシャールには正直に話すことにした。
「地下神殿での出来事以来、時々、説明のつかない体験をするようになった」
「どのような体験ですか?」
「まるで、誰かの記憶や知識が突然頭の中に流れ込んでくるような感覚だ。それも、自分が学んだことのない分野の知識が」
リシャールは興味深そうに身を乗り出した。
「それは神からの啓示ではないでしょうか?」
「それとも……」
エミリーは別の可能性を考えていた。
「この身体の元の持ち主の記憶が、何らかの形で残っているのかもしれない」
転生以来、エミリーは自分がこの身体の本来の持ち主について何も知らないことを不思議に思っていた。門前で倒れていたという以外、一切の手がかりがない。
「エミリウス殿が記憶を失っていることについて、ギヨーム医務長——元医務長が何か言っていませんでしたか?」
リシャールが尋ねた。
「そういえば、彼は最初から私の記憶喪失を不自然に思っていたような節があった」
エミリーは思い出した。
「まるで、最初から私が特別な存在であることを知っていたような……」
二人は顔を見合わせた。
「もしかすると、ギヨーム元医務長は、エミリウス殿の正体について何かを知っていたのかもしれません」
リシャールが推測した。
「彼に会いに行ってみませんか?」
ギヨーム元医務長は、現在、修道院から三十キロほど離れた小さな隠修院で懺悔の日々を送っていた。ペトルス院長に許可を得て、エミリーとリシャールは彼を訪ねることにした。
隠修院は、深い森の中にひっそりと建つ小さな建物だった。そこで出迎えたギヨームは、以前とは別人のように痩せ細り、目の奥に深い悲しみをたたえていた。
「エミリウス殿……」
ギヨームは驚いたような表情を見せた。
「なぜ、ここに?」
「あなたに聞きたいことがあります」
エミリーは単刀直入に切り出した。
「私の正体について、最初から何かご存知だったのではないですか?」
ギヨームの表情が曇った。
「何のことでしょうか……」
「私が門前で発見された時の状況について、詳しく教えてください。本当のことを」
しばらくの沈黙の後、ギヨームは重い口を開いた。
「……あなたは、普通の旅人ではありませんでした」
「どういう意味ですか?」
「あなたが倒れていた時、周囲には奇妙な現象が起きていました。まるで、空間が歪んでいるような……そして、あなたの身体からは、この世のものとは思えない光が発せられていました」
エミリーは息を呑んだ。自分の転生の瞬間を、ギヨームは目撃していたのだ。
「私は最初、悪魔の仕業かと思いました」
ギヨームが続けた。
「しかし、あなたの顔には神々しささえ感じられました。それで、とりあえず修道院に運び、様子を見ることにしたのです」
「なぜ、そのことを黙っていたのですか?」
「誰が信じるでしょうか? それに、もしあなたが本当に神の使いならば、自ら正体を明かす時が来るだろうと思ったのです」
エミリーは、ギヨームの判断が正しかったことを認めざるを得なかった。
「しかし、あなたは秘密結社に加わった。それはなぜですか?」
ギヨームの表情が苦痛に歪んだ。
「私は……あなたの正体を利用しようと考えたのです」
「利用?」
「神の使いであるあなたの力を借りて、我々の計画を成功させようと。しかし、それは間違いでした。神の使いは、我々の邪悪な計画を阻止するために遣わされたのでした」
エミリーは複雑な心境だった。ギヨームの行動は確かに間違っていたが、その動機にはある種の論理性があった。
「ところで」
ギヨームが別の話題を切り出した。
「最近、奇妙な夢を見るのです」
「どのような夢ですか?」
「あなたが……エミリウス殿が、まったく違う姿で現れる夢です。長い髪の、美しい女性の姿で」
エミリーは驚愕した。まさか、自分の本来の姿を夢で見ているというのか。
「その女性は、現代の奇妙な衣装を着て、見たこともない道具に囲まれています。そして、古い書物を読みながら、不思議な言葉を唱えています」
それは明らかに、オックスフォードの研究室にいたエミリー・ハートウェルの姿だった。
「その夢を見るようになったのは、いつからですか?」
「地下神殿での出来事の後からです。まるで、あなたの真の記憶が、私の中に流れ込んでいるような……」
エミリーは戦慄した。地下神殿での超自然的な現象は、思った以上に広範囲な影響を与えていたのかもしれない。
隠修院からの帰り道、エミリーとリシャールは黙々と歩いていた。二人とも、ギヨームから聞いた話に衝撃を受けていた。
「エミリウス殿」
リシャールがついに口を開いた。
「もしかして、あなたは本当に……」
「何だ?」
「この世界の人ではないのでしょうか?」
エミリーは立ち止まった。リシャールの洞察力は、思った以上に鋭かった。
「どうしてそう思うのか?」
「あなたの知識は、あまりにも広範囲で正確すぎます。それに、時々、この時代には存在しない概念について語ることがあります」
エミリーは観念した。これ以上、リシャールに嘘をつくことはできなかった。
「リシャール、もし私が本当に異世界から来た存在だったら、君はどう思うだろうか?」
リシャールは長い間考えていたが、やがて微笑んだ。
「それでも、あなたはあなたです。善良で、正義感が強く、人を愛する心を持った方です。出身がどこであろうと、そのことに変わりはありません」
エミリーは胸が熱くなった。リシャールの純粋な友情に、深く感動した。
「ありがとう、リシャール。君のような友人がいて、本当に良かった」
しかし、その時、森の中から突然、数人の武装した男たちが現れた。
「動くな!」
男たちは剣を抜いて、エミリーとリシャールを囲んだ。
「お前がエミリウスか?」
リーダー格の男が尋ねた。
「そうだが、君たちは何者だ?」
「お前を捕らえるよう命じられている」
「誰の命令だ?」
「それは言えない。大人しく来てもらおう」
エミリーは状況を分析した。相手は六人、全員が経験豊富な兵士のようだった。逃げることは不可能に近い。
「リシャールは関係ない」
エミリーは交渉を試みた。
「彼だけは解放してくれ」
「それはできない。お前と一緒にいた者も、証人として連行する」
男たちは縄でエミリーとリシャールを縛り上げ、森の奥へと連れて行った。
一時間ほど歩くと、森の中に隠された小さな砦のような建物が現れた。そこで、エミリーは意外な人物と再会することになった。
「久しぶりですね、エミリウス殿」
現れたのは、あの教皇特使カルディナーレ・ロベルトゥスだった。
「特使様……なぜ、このような真似を?」
「申し訳ありません。しかし、これは教皇猊下の直接の命令なのです」
ロベルトゥスは複雑な表情を見せた。
「あなたの能力について、さらに詳しく調査する必要があるとのことです」
エミリーは嫌な予感がした。教皇庁は、自分を利用しようとしているのかもしれない。
「どのような調査ですか?」
「あなたが本当に神の使いなのか、それとも何らかの異端的な力を使っているのか、確認しなければなりません」
ロベルトゥスの言葉に、エミリーは戦慄した。
これは、事実上の異端審問だった。




