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第6章:第二の殺人

 午後の作業時間中、修道院内に異様な緊張感が漂っていた。エミリーは写本室で作業をしながら、秘密結社のメンバーたちの動向を注意深く観察していた。


 アンセルム書記長は表面上は平静を装っていたが、時折、深い思索にふけるような表情を見せていた。ベルナールは頻繁に席を立って、他の修道士と小声で話をしている。そして、ギヨーム医務長は午後になってから姿を見せていなかった。


 リシャールが、不安そうな表情でエミリーに近づいてきた。


「エミリウス殿、何か嫌な予感がします」


「どういうことだ?」


「分からないのですが……修道院の雰囲気が、いつもと違うような気がするんです」


 エミリーも同じことを感じていた。何かが起ころうとしている。それも、恐らく良くないことが。


 その時、写本室の扉が勢いよく開かれた。息を切らした若い修道士が駆け込んできた。


「大変です! 大変なことが起きました!」


 修道士たちが作業の手を止めて、彼を見つめた。


「どうしたのだ?」


 アンセルムが尋ねた。


「トマ兄弟が……トマ兄弟が死んでいるのを発見されました!」


 写本室に衝撃が走った。エミリーは血の気が引くのを感じた。第二の殺人が起きてしまった。


「どこで発見されたのか?」


「聖堂の告解室です。ペトルス院長が発見されました」


 エミリーはリシャールと視線を交わした。二人とも、この死が偶然ではないことを理解していた。


 修道士たちが続々と聖堂に集まった。エミリーも現場に向かい、状況を確認した。


 告解室の小さな空間で、老修道士のトマが椅子に座ったまま死んでいた。一見すると、自然死のようにも見えたが、エミリーの訓練された目は、不審な点を見逃さなかった。


 トマの口の周りに、微かな変色があった。そして、瞳孔が異常に縮小している。これは毒殺の症状だった。


 しかし、公然と毒殺の疑いを指摘するわけにはいかない。再び「神の啓示」を使う必要があった。


「院長様」


 エミリーは群衆の中から進み出た。


「神が再び啓示を与えてくださいました」


 ペトルス院長は、疲れ切った表情でエミリーを見つめた。


「今度は何だ、エミリウス?」


「トマ兄弟の死も、人の手によるものです。マルクスと同じく、邪悪な者たちによって殺害されたのです」


 修道士たちがざわめいた。


「しかし、エミリウス」


 アンセルムが口を挟んだ。


「トマ兄弟には外傷がない。まるで安らかに眠っているようではないか」


「それこそが、犯人の狡猾さを物語っています」


 エミリーは毅然として答えた。


「神が示されたことには、毒草が使われました。この修道院の薬草園で栽培されている植物から抽出された毒です」


 ギヨーム医務長の表情が、微妙に変わった。


「毒草だと? しかし、我々の薬草園にそのような危険な植物は」


「あります」


 エミリーは現代の薬学知識を駆使して答えた。


「トリカブトの根、ベラドンナの実、ジギタリスの葉……適切に調合すれば、致命的な毒となります」


 ギヨームは狼狽した様子だった。


「確かに、それらの植物はありますが……医療目的で少量栽培しているだけです」


「その少量でも、毒として使用するには十分です」


 エミリーはトマの遺体を指差した。


「神の啓示により確認いたしました。彼の口の周りの変色、瞳孔の縮小——これらは全て植物性毒物の症状です」


 修道士たちは恐怖に震えていた。二度目の殺人、しかも今度は毒殺。修道院内に潜む殺人者の存在が、現実のものとして迫ってきた。


 ペトルス院長は深いため息をついた。


「エミリウス、お前の調査を続けてくれ。もはや、お前だけが頼りだ」


 その夜、エミリーは個室でトマの殺害について考えていた。なぜトマが殺されたのか。彼が何を知っていたのか。


 そして、重要な疑問があった。トマは誰と告解室で会っていたのか。告解室は通常、修道士が司祭に罪を告白する場所だった。しかし、この場合は恐らく、誰かが司祭を装ってトマを呼び出したのだろう。


 エミリーは、昨夜の盗み聞きで得た情報を思い出した。秘密結社は今夜、地下神殿に向かう予定だった。トマの殺害は、その計画と関係があるのかもしれない。


 もしかすると、トマは秘密結社の活動について何かを知っていたのかもしれない。そして、それを誰かに告発しようとしたために殺された。


 エミリーは決意した。今夜こそ、全ての真実を明らかにしなければならない。


 深夜、約束の時間になって、ペトルス院長、リシャール、そして数名の信頼できる修道士がエミリーの部屋に集まった。


「準備はいいか、エミリウス?」


 院長が尋ねた。


「はい。神の導きに従って、地下神殿への道を案内いたします」


 一行は、松明を手に図書館に向かった。エミリーは古い記録で確認した地下への入り口を探した。


 図書館の奥の壁際に、古い石の扉があった。普段は重い本棚で隠されているが、それを動かすと扉が現れた。


「ここです」


 エミリーが指差すと、院長が扉を押した。重い石の扉が、きしみながら開いた。


 扉の向こうには、古い石段が地下へと続いていた。ひんやりとした空気と、土の匂いが漂ってきた。


「気をつけて降りてください」


 エミリーが先頭に立って、石段を降り始めた。松明の光が、古い石造りの壁を照らしていた。


 しばらく降りると、広い地下空間に出た。それは確かに古代ローマ時代のミトラ神殿だった。天井には星座のフレスコ画が描かれ、奥には石造りの祭壇があった。


「なんと……」


 院長が息を漏らした。


「これほど保存状態の良い古代神殿がこの地下に」


 しかし、エミリーは別のことに注意を向けていた。地面に新しい足跡があった。最近、誰かがここを訪れている証拠だった。


「院長様、ご覧ください」


 エミリーが祭壇を指差した。そこには、新しい蝋燭の跡があり、古い羊皮紙の断片が散らばっていた。


「誰かが最近ここで何かの儀式を行ったようです」


 リシャールが震え声で言った。


「これが、秘密結社の活動場所だったのですね」


 その時、地下神殿の入り口から足音が聞こえてきた。誰かが降りてくる音だった。


 エミリーたちは身を隠した。松明を消して、闇の中で息を殺した。


 やがて、複数の人影が地下神殿に現れた。松明の光で照らされた顔を見て、エミリーは息を呑んだ。


 アンセルム、ベルナール、ギヨーム、そしてブルーノ——秘密結社の全メンバーが揃っていた。


「予想より早く来たようですね」


 ブルーノが他のメンバーに言った。


「トマの件で、状況が急変しました。今夜のうちに『遺産』を回収しなければなりません」


「しかし、エミリウスの調査で我々の正体が露見する危険性が高まっています」


 ギヨームが心配そうに言った。


「それも計算済みです」


 アンセルムが冷静に答えた。


「今夜、エミリウスと院長を含む調査隊がここにやってくることは分かっています。我々はそれを利用して、彼らを永久に沈黙させるのです」


 エミリーは戦慄した。彼らは最初から、自分たちを罠にはめるつもりだったのだ。


「地下神殿の崩落事故ということにすれば、全て片付きます」


 ブルーノが残酷な笑みを浮かべた。


 ペトルス院長が、怒りに震えながら立ち上がった。


「許さん! 貴様らの悪行、もはや見過ごすことはできない!」


 秘密結社のメンバーたちは、調査隊の存在に気づいて身構えた。


「院長様、ついにおいでになりましたか」


 ブルーノが嘲笑的な口調で言った。


「残念ながら、あなた方の正義感は今夜限りで終わりです」


 地下神殿に緊迫した空気が流れた。秘密結社の四人と、院長の調査隊が対峙している。数的には互角だったが、秘密結社側は明らかに準備を整えていた。


「ブルーノ、お前がこのような悪事に手を染めていたとは……」


 ペトルス院長の声には、深い失望が込められていた。


「悪事だと?」


 ブルーノが反論した。


「我々は真理を追求しているのです。ローマ教会の偽善と欺瞞から、真の知識を救い出そうとしているのです」


「それがマルクスとトマを殺す理由になるのか!」


 エミリーが怒りを込めて叫んだ。


「彼らは何も悪いことをしていない!」


「彼らは我々の秘密を知りすぎました」


 アンセルムが冷静に答えた。


「特にマルクスは、『聖ペトルスの黙示録』の暗号を解読し始めていました。我々の計画が露見する危険性があったのです」


 エミリーは心の中で納得した。マルクスは自分と同じように、暗号の存在に気づいていたのだ。そして、それが彼の命を奪った。


「そして、トマは巡礼者たちから得た情報で、我々の資金調達活動を疑い始めました」


 ギヨームが続けた。


「十字軍のための寄進金を、我々の研究に流用していることを告発しようとしていたのです」


「資金の流用?」


 院長が驚いた。


「まさか、お前たちは聖なる十字軍の資金を盗んでいたのか?」


「盗んだのではありません」


 ベルナールが弁解した。


「より高次の目的のために転用しただけです。古代の叡智を復活させることは、十字軍などより遥かに重要な使命なのです」


 エミリーは彼らの思想の根深さを理解した。これは単純な犯罪ではなく、彼らなりの信念に基づく行動だった。しかし、それが殺人を正当化することはできない。


「お前たちの目的は何だ?」


 院長が尋ねた。


「この地下神殿に何を求めているのか?」


「『ソロモンの遺産』です」


 ブルーノが誇らしげに答えた。


「古代の王ソロモンが遺したとされる、究極の知識と力の源泉です」


 エミリーは古文書学者としての知識を総動員した。ソロモン王にまつわる伝説は数多くあったが、その中でも特に神秘主義者たちが追い求めたのは、『ソロモンの72の悪魔を制御する知識』だった。


「まさか……悪魔召喚術を?」


 エミリーが戦慄して尋ねた。


「悪魔などという低俗な存在ではありません」


 アンセルムが訂正した。


「我々が求めているのは、宇宙の根本原理を理解し、物質世界を思い通りに変化させる力です。錬金術の究極形態と言ってもよいでしょう」


 現代人のエミリーには、彼らが追い求めているものがいかに非現実的かが分かった。しかし、この時代の人々にとって、魔術や錬金術は決して荒唐無稽なものではなかった。


「その力を手に入れて、お前たちは何をするつもりだ?」


 リシャールが震え声で尋ねた。


「腐敗した教会体制を一掃し、真の叡智に基づく新しい世界を築くのです」


 ブルーノの目が狂信的に輝いた。


「民衆を無知の闇に閉じ込めている現在の体制を打倒し、全ての人間が神の知識に直接触れることのできる世界を創造するのです」


 エミリーは彼らの理想の一部には共感できた。確かに、中世の教会は民衆から知識を独占し、権力を維持していた側面があった。しかし、だからといって殺人や盗みが正当化されるわけではない。


「お前たちの理想は理解できる」


 エミリーは慎重に言葉を選んだ。


「しかし、そのために罪なき人々を殺すことは、決して許されない」


「罪なきだと?」


 ギヨームが嘲笑した。


「この腐敗した世界で、真に罪なき者などいません。マルクスもトマも、結局は現体制の一部だったのです」


 エミリーは彼らとの議論に時間を費やしている場合ではないことを理解した。地下神殿の構造を利用して、何とか脱出する方法を考えなければならない。


 しかし、その時、予想外の出来事が起きた。


 地下神殿の奥から、淡い光が漏れ始めたのだ。


 全員が驚いて振り返ると、古代の祭壇が微かに発光していた。エミリーが初めて修道院で体験したような、超自然的な現象が再び起きていた。


「何だ、これは……」


 秘密結社のメンバーたちも困惑していた。


 光は徐々に強くなり、地下神殿全体を包み込んでいく。そして、エミリーには理解できない言語で、何かの声が聞こえ始めた。


 それは、古代ラテン語よりもさらに古い、失われた言語のようだった。しかし不思議なことに、エミリーにはその意味が理解できた。


*「時を超えし者よ、汝の使命を思い出せ。汝は知識の光を闇に輝かせるために遣わされた。偽りの叡智を求む者どもを、真の道に導け」*


 エミリーは震え上がった。この声は、明らかに自分に向けられていた。そして、それは自分の転生が偶然ではなく、何らかの使命を帯びたものであることを示していた。


 光の中で、エミリーの記憶が鮮明に蘇った。オックスフォードの研究室で羊皮紙を読み上げた瞬間。その時に唱えた呪文のような文章は、実際に古代の召喚術だったのだ。


 しかし、召喚されたのは悪魔や精霊ではなく、未来からの知識を持つ魂——つまり、エミリー自身だった。


「お前は何者だ?」


 ブルーノが恐怖に震えながら尋ねた。


「その光は一体……」


「私は神の使いです」


 エミリーは確信を込めて答えた。もはや、嘘や偽りではなかった。何らかの超自然的な力によって、自分はこの時代に送られたのだ。


「そして、あなた方を止めるために遣わされました」


 光はさらに強くなり、地下神殿の壁画が動き出したかのような幻影が現れた。星座の図形が回転し、古代の神々の像が生命を得たように見えた。


 秘密結社のメンバーたちは、この超自然的な現象に完全に圧倒されていた。彼らが追い求めていた古代の力が、実際に目の前で発動していたのだ。


「この力……これこそが我々の求めていたものです」


 アンセルムが興奮して叫んだ。


「エミリウス、あなたこそが『ソロモンの遺産』の真の継承者なのですね」


「違います」


 エミリーは毅然として答えた。


「私は破壊や支配のための力を持っているのではありません。真理と正義のために遣わされたのです」


 光の中で、エミリーは古代の知識が自分の心に流れ込んでくるのを感じた。それは、現代の科学知識とは異なる、しかし同じように真実に基づいた叡智だった。


 そして、その知識によって、地下神殿の真の秘密が明らかになった。


「この神殿に隠されていたのは、宝物や魔術の書ではありません」


 エミリーが説明した。


「ここは古代の賢者たちが、未来の世代に知識を伝えるために作った『時の図書館』だったのです」


 祭壇の下から、古い石板が浮き上がってきた。そこには、様々な時代の文字で叡智の言葉が刻まれていた。


「真の知識は、権力や支配のためにあるのではありません。全ての人が平等に学び、成長するためにあるのです」


 エミリーは石板を手に取った。


「そして、その知識を独占しようとする者は、必ず滅びるのです」


 秘密結社のメンバーたちは、この光景に打ちのめされていた。彼らが追い求めていた古代の力は、実際には彼らの思想とは正反対のものだった。


「我々は……間違っていたのでしょうか」


 ベルナールが茫然として呟いた。


「間違いは誰でも犯します」


 エミリーは優しく答えた。


「重要なのは、それに気づいた時に正しい道を選ぶことです」


 ギヨーム医務長が膝をついた。


「私は……私は何ということをしてしまったのか」


 彼の目に涙が浮かんでいた。


「マルクスとトマを殺し、聖なる資金を盗み……」


「悔い改めることは、決して遅すぎることはありません」


 ペトルス院長が歩み寄った。


「お前たちの罪は重い。しかし、神の慈悲は無限だ」


 アンセルムとベルナールも、次々と膝をついて懺悔を始めた。


 しかし、ブルーノだけは最後まで抵抗していた。


「馬鹿な! これは幻覚だ! 悪魔の仕業に違いない!」


 彼は剣を抜いて、エミリーに向かってきた。


 その瞬間、地下神殿の光がさらに強烈になり、ブルーノの動きが止まった。


「ブルーノ副院長」


 エミリーは悲しみを込めて言った。


「あなたも気づいてください。真の力は、愛と慈悲から生まれるのです」


 光に包まれたブルーノは、しばらく立ち尽くしていたが、やがて剣を落とし、その場に崩れ落ちた。


「私は……私は一体何をしていたのか……」


 彼の声には、深い後悔が込められていた。


 こうして、地下神殿での対決は、エミリーの完全な勝利で終わった。しかし、それは武力による勝利ではなく、真理と慈悲による勝利だった。


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