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8 命を懸けた飲み会

薫との約束の七時までは、まだ時間がある。


俺は一度家に戻り、レポートの作成に着手した。別に〆切が近いわけではない。ただ、なにかしていたかった。


はかどらないのでテレビを見てみると、ニュースでは「ヘケッ、へケッ」と言って飛び跳ねながらヒマワリの種を配って回る不審者の情報を取り上げており、よく分からないが気持ちが沈んだ。


続いて、コンビニ強盗のニュースが始まった。すでに二店舗が被害に遭っており、しかもどちらもここから近い。そんでもって片方は、俺がよくメントスを購入する行きつけの店である。店員さんが美人揃いなのでついついそこで買い物をしてしまうのだ。

犯人は二人組の男。覆面をかぶってスタンガンで店員を脅し、現金を奪い取り逃走。まだ逮捕されていない。幸い、怪我人は出ていないらしい。

俺は再びレポートの作成に取りかかる。


しかし。


「ダメだ。まったくはかどらねぇ……」


パソコンのキーボードを叩く手が止まる。


ミチルのことが頭から離れない。

彼女が気になって仕方ない。

なにか複雑な事情があることは、一目瞭然だった。


俺は万年床に倒れ込み、天井を見上げる。

 

メールしてみようか。

いや、思春期の女の子は複雑なのだ。今はそっとしておこう。


ボーとしていると、いつの間にか睡魔すいまが枕元でスタンバっていた。


俺は、スマホのアラームを、薫との約束の三十分前にセットして、睡魔と仮眠の契約を結んだ。


***


寝過ごした。


スマホを見ると、薫から六十六件の着信があった。


「ごめん! 用事が長びいちゃってさ、今すぐ行くから!」


「うん」


「あ、あの、その、ごめん……ね?」


「うん」


「怒って、ますか?」


「うん」


電話を終えると俺は、死を覚悟して待ち合わせ場所へダッシュ。


薫は、大学敷地内にある時計台のもとで、腕組みをして待っていた。


「お待たせ……本当にごめん! ほんと……」


「大丈夫。たった一時間遅れただけ」


「……」


険悪ムードのまま、俺たちは歩き出した。

俺の1メートルほど前を、薫が歩いている。横に並ぶ勇気がない。後ほどジャンピング土下座で謝罪しようと決めた。


行き先は、バーのような雰囲気の、洒落しゃれた居酒屋だった。あくまで居酒屋なので、小声で喋る必要はないし、酒の値段も普通だし、料理もたくさんのレパートリーが存在する。俺好みの意識低そうな料理もちゃんとある。


俺も薫もとりあえずビールを頼んだ。

料理は薫が適当に頼んだ。彼女は、まるでメニュー表と個人的な因縁でもあるかのように、いつだってメニューをちらりとしか見ない。そして即座に注文の品を決めてしまう。感情を持ち合わせた人間とは思えないほど決断が早い。


テーブル席で、俺と薫は向かい合っている。

 

沈黙。


薫はジッと俺の顔を見つめている。

おそらく俺に正式な謝罪を求めているのだ。とうぜんだ。俺は待ち合わせに一時間も遅刻したのだ。


華麗なジャンピング土下座を披露するため俺が手足のストレッチを始めようとした矢先、薫が言葉を発した。


「五月は、あたしのこと嫌いなの?」


俺は初め、薫の言葉の意味が分からなかった。

しかし、ちょっと考えれば分かることだった。

つまり薫は、「お前の私に対する忠誠心は揺らいでいるのか?」と言っているのだ。


「まさか、嫌いなはずないじゃないですか!」


「ほんとに?」


「ほんとだよ! あはは……」


「そっか」


無表情だった薫が僅かに微笑むかと思ったがまったく微笑まない。薫はまず笑わない。笑ったとしても、せいぜいアルカイックスマイルが関の山だ。


ビールが運ばれてくる。


「それじゃあ、乾杯」


「乾杯」


薫は寡黙かもくな女性だ。

表情も乏しく、笑顔を母胎ぼたいに置き忘れてきたような感じ。

小学生の頃からずっと、彼女の純粋な笑顔を見たことがない。暗黒微笑は多々あるが、声をあげて笑うことはまずない。


一緒に爆笑必至のコメディ映画を観に行ったときなんか、終始笑っているのは俺だけで、薫は「ふん」とか「フフ」とか微かに息を漏らすだけだった。それも、嘲笑うようなかんじで。

かと思えば、観終わったら「すごく面白い映画だったね」とか言いだす。ほんと、よく分からない女性なのである。


そんな彼女も、アルコールが入ると人が変わる。

今の彼女は、見たかんじでは頬がほんのりと赤くなっている程度だが、すでに中ジョッキビール六杯、焼酎お湯割り四杯、ウィスキーストレート三杯、ホッピーと日本酒と梅酒を一杯ずつ――を体内に収めている。


「――ねぇ、聞いてるの?」


薫は、普段の、シベリアで食べる冷麺のように冷たい口調ではなく、ハチミツ入り黒糖ソフトクリームのように甘ったるい声になっている。

テーブルに乗り出すような体勢で、俺の目をじっと見つめている。


シラフの彼女にこんなに見つめられたら、おそらく俺は恐怖で狂ってしまう。

しかしエチルアルコールで悪魔の力を封じ込めている今ならば、恐怖はおろか、それとは真逆の不思議な気持ちすら芽生えてくる。


「聞いてるよ」

俺も緊張が解け、微笑みながら会話をすることができている。

「飲みすぎじゃないか? ちゃんと帰れるの?」


「帰れなかったら五月んち泊めてよ」


「無理だよ。俺んちは薫の家みたいに綺麗じゃないし、布団も一つしかない。俺が畳で寝るっていう方法もあるけど、俺さ、布団じゃないと安眠できないんだ」


「んなもん一緒に寝ればいいでしょうが。頭大丈夫?」


「そんなこと言うから薫は、男から誤解されるんだよ。聞いたぞ。永沢ながさわ先輩に告られたんでしょ? そんで、いつものごとく断ったんでしょ? これで何度め? 男から告られたの」


「んなもん、いちいち数えてないよ」


その、薫に告って撃沈した永沢先輩というのは、かなりの男前である。映画サークルを主催し、アクティブに作品を発表している。

男前かつ活動的な陽キャのだから、とうぜんモテる。

そんな彼をにべもなくフってしまった薫は、女性陣から冷ややかな目で見られたかというとそうではなく、むしろ孤高のクールビューティキャラが一層固まり、人気はウナギ登り――いまやカリスマ的存在と化している。


まぁ、その話を聞いたときは俺も、薫にこっそり拍手を送ったものだ。

なぜならば、永沢先輩はゴダールやフェリーニやヴィスコンティを尊敬していると言っておきながら、撮る映画はことごとくお涙ちょうだいの安っぽい内容だからだ。それでいて、「五月よ、これが映画だ」とか偉そうなことを言う。


あるとき、「なにかアドバイスをくれないか? 素人の意見も参考にしたい」って言われたので素直に感想を言ったら「お前はなにも分かっていない! これだから素人は……」と激怒され、俺はその後映画サークルメンバーから総スカンを食らうハメに……。


そういうワケで、永沢先輩をフった件は、薫、グッジョブ。


そんな普段超クールな薫が、男友達と飲みに行き、アルコールの力で別人のようになったならば……。さて、男はどう思うだろうか?

むろん「俺にだけは甘えてくれるんだ。これは脈ありだぞ!」と思うだろう。

そんなこんなで気をよくした男子諸君は次々と薫に告るわけだが、成功したという話は聞いたことがない。薫は悪魔であり、小悪魔でもあるのだ。


かく言う俺も「あれ? もしかして薫、俺に気があるのか?」と思ったことはある。

しかし俺は知っている。本性を知っている。だから返り討ちにされて散っていった男どもの二の舞にはゼッタイならない。


気を抜いてはならない。

八ツ﨑薫という女性は、とにかく危険なのだ――。

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