6 攻防
暑さで目が覚めた。
意識が現実になじんでいくにつれて、蝉の鳴き声が明瞭になってくる。
本日は、夏休み初日。
太陽光線がカーテンの隙間から差しこみ、俺の体に注がれている。
夏将軍め、本格的に俺を殺しにきているな……。
くそっ、リーサルウェポンの「E - A - K - O - N」があれば貴様ごときイチコロなのだが、あいにく今は故障している。汎用小型兵器「S - E - N -P - U - U - K - I」で戦線を維持するしかない。
俺は扇風機を「強」にして、体に纏わりつく汗を冷やす。ついでに「あー」って声を出して宇宙人の真似をする。
窓を全開にする。しかし入ってくるのはヌルイ風ばかり。
どこからか風鈴の涼やかな音色が聞こえてくる。見上げてみると、二階の部屋の物干しざおから凄まじい数の風鈴がぶら下がっているのが見えた。風鈴をより多く所有することで解脱への道が開けると説く宗教の信者かもしれない。
さて、今日は用事がある。ミチルとの約束だ。
俺はシャワーを浴びた。
普段なら朝浴びることはまずないが、なんせミチルと会うのだ。汗臭いって言われたくない。いい匂いって言われたい。
寝汗を流すだけでなく、シャンプーとリンス、体と顔面の洗浄も完璧だ。
四畳半に戻ってドライヤーで髪を乾かしていると、スマートフォンという職業に就いている我が相棒「黒光り三号」がぶるんと身震いした。
メッセンジャーアプリの「LINK」に、メッセージが着信していた。
俊吾か玲からだろう、なんてたかをくくってアプリを開くと、そこには恐ろしい現実が広がっていた。
八ツ崎薫。
薫からだった。
アイコン画像に設定してある彼女の後姿が、今にも振り返りそうに思えた。
「……」
俺は恐る恐る、メッセージを開く。
――おはよう。あのさ、今日の夜暇? よかったら一緒に飲まない? 五月は貧乏だから、私が奢ってあげる。――
顔文字も絵文字もない質素な文面。これが八ツ崎スタイルだ。
美人な幼馴染からの、飲みの誘い――。
普通の男子なら、この状況をなんとも羨ましいと思うかもしれないが、それは違う。
相手はあの八ツ崎薫なのだ。なにか、なにか裏があるに違いない。
ここで俺はハッとなる。
そうか……! 薫のやつ、俺を酔わせて自白させるつもりなのだ。ミチルを騙していることを!
それをネタに、また俺を脅すつもりなのだ。薫はあきらかに、俺とミチルの関係の糸口をつかんでいる。
小学生時代の悪夢がフラッシュバックする。
薫の捕食者の目が俺を捉える。
きっと薫は「なんでも言うこと聞くチケット」を紛失してしまったのだろう。だから俺は今でもこうして生存を許されているのだ。
薫は今日俺を呼び出し、ミチルについて自白させ、それをネタに再び「なんでも言うこと聞くチケット」の発行を迫るだろう。
ほんと悪魔だ。彼女は悪魔だよ。
ぶーん……!
黒光り三号が、座卓の中心で着信を叫ぶ。
俺は驚いて、ビクッと肩を震わせてしまった。
今度は電話だ……。
相手はやはり薫だ。
LINKメッセージが来てから一分と経過していないのに、立て続けに電話をしてくるとはどういう了見だ?
普通の人なら、そう思うだろう。
でも、これが八ツ崎スタイルである。いつものことなのだ。
彼女の送るLINKはあくまで電話を予告するものであり、直後必ずと言っていいほど電話がかかってくる。
スリーコール以内に出ないと怒るので、普段なら光速で出るのだが、今はどうしても出る気になれなかった。恐怖のせいで。
黒光り三号がダンスをやめる。
俺はホッと一息。
ぶーん……!
「なっ!」
黒光り三号に、再び着信……!
今度こそ俊吾か玲からだろうと無理やり思いこみ、画面を恐る恐る覗き込む。
八ツ崎薫。
「ほあっ!」
恐怖で変な声が出てしまう。
どうしよう……。
出たほうがいいだろうか……?
いやダメだ! 無視を決め込む!
黒光り三号が沈黙する。
さ、さすがにもう終わりだろう……。
俺は座卓に置いてあるメントスを掴み、一粒取り出そうとする。しかし恐怖でパワーコントロールがままならず、四粒はじき出してしまう。
ぶーん……!
「すみませんでした今出ます!」
俺は観念して電話に出る。
「はぁ……はぁ……ご、ごめん、電話出れなくて……。はぁ……はぁ……怒ってる?」
「別に。それより五月、マラソンの練習でもしてたの? 息切れ切れじゃない」
君への恐怖のせいだよ、とはとうぜん言えない。
「LINK見た? 見たよね。既読ついてるし」
「うん……」
「で、来るの? 来ないの?」
「行きます……」
「よし。今日はやけに素直ね。じゃあ、7時に時計台の下にいて」
「ラジャ……」
電話が切れる。
俺は汗でびしゃびしゃだ。
もう一度シャワーを浴びよう。