第一章8 文芸部4
最近では殆ど使われておらず、文芸部が我が物顔で占領していた旧校舎だが、あまりにも美春の奇行が目立つ為、毎日の様に生徒会が見回りに来る。見付かるといつも面倒な事になるので、その度に隠れていたのだが、それを面倒に思った美春が思考を巡らせた結果、部室を移動する事になった。唯、空き教室だと簡単に見付かってしまうので、美春がちょうどいい大きさの掃除道具入れを見付け、そこを改造――と言う名の大掃除――をして部室と呼ぶ事にした。
ちょっと大き目の掃除道具入れの中は意外と部室としてしっかりしていた。小さいがちゃんと窓もついており、太陽の日差しが差し込む。日が沈んでも電気を点ければ問題無い。旧校舎の空き教室にあるもう使わないであろう机と椅子を人数分勝手に持ち込んで少し快適に。元々あったのか小さめの三段ラックも綺麗に掃除し、お菓子のストック場所になっている。その隣には、どこから持ち込んだのかワンドアの冷蔵庫も完備。掃除道具入れにもコンセントはあった様だ。延長コードが付けられており、冷蔵庫のプラグを差し込んでいたり、スマホを充電したり、様々な用途があるらしい。今の時期はまだ暑いからだろう。これまたどこから持ち込んだのか扇風機も回っていた。エアコンは無いが、日差しはそれ程強くなく、建物の造りのお陰か涼しいので夏は扇風機だけで事足りる。逆に冬は寒いのか、隅っこに電気ストーブも置いてあった。
教室の三分の一程しかスペースは無いが、普通の教室よりも快適なのではないかと錯覚してしまう。唯、一つ不便そうなのは、天井が斜めになっている事。入り口から見ると、左側は普通に立てるのだが右に行く程屈まなければならない。結局階段の下にあるスペースなので、こうなってしまうのは避けられないが。
不思議な空間に、真冬は少し心が躍った――まるで秘密基地のようだ。
「こんちはー。お客さん来てるぞ、四季に」
北斗が真冬を連れて部室に入ると、皆から圧を感じた。奥の窓際に皆で立って、こっちをじっと見ている――こんな状況は中々無い。
心音が、高鳴る。
「――何か、まずかった?」
緊張する北斗の後ろから真冬が顔を出した。
その瞬間、四季が気付き、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「真冬ちゃん!」
急いで真冬に駆け寄った。
「お兄ちゃん!!」
小夏は真冬にジェラシーを感じた。まさか、四季があんなに嬉しそうな顔をするとは思っていなかったから。
いち早く察知したのは千秋。
「こなちゃん」
「……分かってますよ」
「西塔妹」
「分かってるってば!」
さっきの事を思い出す。真冬に対して、今はどんな気持ちであっても、いずれは受け入れなければならない。でも、それが出来るだろうか? 散々距離を置いてきた相手に――。
美春が小夏の隣に立って背中を軽く支えると、小夏が震えているのが分かった。
「別に僕は怒っている訳では無い」
小夏は何も言わない。スカートの裾を掴んで口を真一文字に結んでいる。
「君は、下らない噂に流されるようなタマじゃない。心を強く持て」
美春が肩を抱く。その様子を見て、千秋も小夏を抱き締めた。
「こなちゃんの泣き顔は不細工だから見たく無いわ」
「……ちー先輩程じゃないです」
千秋なりの励ましだった。小夏もそれを分かっていて、いつもの様に嫌味を返す。
北斗が三人の様子に気付き、真冬と話す四季の肩をとんとんと叩く。
「ん?」
「何かあったのか?」
北斗が指差す先を見て、首を傾げる。
「さあ?」
「……そっか」
四季を見ながら心の中で「四季は天然だった」と思い出した。
三人の方に向き直ると、千秋と目が合う。反射的に体がビクッと跳ねた。
千秋は北斗の視線に頷いて返す。「大丈夫」と言う様に。北斗は安堵する。笑顔を返した――自分が危惧していた事とは違ったようだ。
「じゃあ、真冬ちゃん! 皆に紹介するね!」
四季が言って真冬が頷き、部員全員に向き直る。美春、千秋、小夏も近付く。
全員が真冬の目の前に立った所で、四季が堂々と声を発した。
「北瀬真冬ちゃんです!」
「……こんにちは」
紹介はされたが、何を言っていいのか分からず、焦った結果出て来たのは無難な挨拶だった。視線を彷徨わせながら、緊張しながら。それでも仲良くなれたら――そう願っていた。
「こんにちは! 俺の名前は方位北斗。四季とそっくりだから間違えないように! 宜しく!!」
最初に返してくれたのは北斗。これが真冬にはとても嬉しかった。頷いて返す。
「こんにちは。良く来てくれたな。文芸部の部長をやっている、東條美春だ。文芸部を気に入ってくれると嬉しい」
美春が部長として堂々と自己紹介する――と同時に手を差し出した。真冬は少し戸惑いつつ、その手を取った。美春は力強く握って返す。
「こんにちは。南雲千秋です。宜しくね」
今度は千秋が眼鏡の位置を直してから微笑む。真冬は更に嬉しくなった。頷いて返す。
最後は小夏だ。全員の視線が集まり、小夏はビクッと肩を震わせた。ちらっと真冬を見てから床に視線を落とす。
「……西塔、小夏」
腕を組みながら無愛想に名前だけを言ったが、それでも小夏としては勇気を振り絞った。
そのたった一言で、四季も美春も千秋も――そして、真冬も嬉しそうに笑った。
「……あんまり嬉しそうにしないでよ」
罰が悪そうに口を尖らせながら――でも、頬は少し赤くなっているので照れているようだ。
「これが、文芸部のメンバーだ!」
美春が両手を広げて堂々と言い放った。
そして、美春が真冬にもう一度手を差し出す――今度は挨拶とは違う意味で。
「君も一緒に文芸部を盛り上げないかい?」
真冬の目がキラキラと輝く――まるで「ここにいてもいい」と言って貰えたみたいで嬉しかった。
視線を下げて、美春の手をじっと見る。だが、さっきは繋げた手を取る事が出来無かった。
「心配はいらない。これから知っていけばいい。僕達もこれから君の事を知っていく。ここにいる人間は噂なんて気にするタマじゃないさ」
真冬は驚いて美春を見上げた。
「後は、君の決断だけだ」
美春は微笑む。その微笑みは優しかった。それから四季を見る。満面の笑みを向けてくれた。四季が信頼している人達なら、きっと――。
真冬は両手でその手を取った。
「北瀬真冬です、宜しくお願いします」
改めて挨拶して、頭を下げた。その目は少し潤んでいた。
「ふっ」
美春が目を閉じ、不敵な笑みを浮かべる。真冬はその声に顔を上げ、不思議に思っていると、美春が叫んだ。
「よっしゃああああああ!!! 野郎どもおおおおおお!!! 宴だあああああああああ!!!」
「「「「おおおおおおおおおおお!!!!!」」」」
四季と北斗は元気に、千秋は小さく、小夏は淡々とそれぞれに声を上げながら拳を突き上げる。目を丸くしているのは真冬。
「うた、げ……?」
美春の張り上げた声を合図に文芸部全員がテキパキと動き始める。四季は机の上を綺麗に整頓し始め、北斗は棚を確認し、千秋は冷蔵庫を確認する。小夏は別の棚から紙コップや紙皿等を用意し始めた。
置いてけぼりをくらう真冬をよそに、美春はどこかのSFにある砲撃を指示する艦長の様な迫力で腕を振り、また声を張り上げる。
「さあ! 準備だ! お菓子のストックはどれだけある!?」
美春に言われて、確認していた北斗が声を出す。
「ファミリーパックのチョコが二種類と、クッキーが三種類……あれ? ポテチもあったと思ったけど……」
「これ?」
机を整頓していた四季が、空になったポテチの袋を持ち上げながら北斗に話しかける。そこは、もちろん部長の席。
「誰だ!! ポテチを勝手に食った奴は!!」
「お前だろ!」
美春の怒号が聞こえたが、空のポテチの袋は部長の席にあったのだから犯人は当然美春。即座に北斗がツッコむ。
「昼時は腹が減る!! 仕方が無い!!」
「開き直るな!」
「ジュースはどうだ!?」
「おいっ! 話を逸らすな!」
北斗を無視して今度は千秋の方を向く。
千秋は冷蔵庫の中のジュース一覧を言っていく。
「オレンジジュースとリンゴジュースにサイダー……あれ? コーラがまだあったと思うんだけど……」
「これ?」
また四季の声。北斗と千秋が同時に振り返り、確認する。四季の手には空になった2Lサイズのコーラの亡骸が――やっぱり、美春の机の上だ。
「誰だ!! コーラを飲んだ奴は!!」
「だから、お前だろ!!」
「まだまだ残暑が厳しいからな!! 喉が渇く!!」
「やっぱり開き直るか!!」
「ある物で準備しろ!!」
「お前が偉そうに言うな!!」
北斗は机の上にあるだけのお菓子を並べながらツッコんだ。千秋も同じようにあるだけのジュースを机の上に移動させる。
「俺、何か買ってこようか?」
机を整頓し終わった四季が挙手をする。
「おお! 気が利くな、西塔! じゃあ――」
「買い出しなら部長が行けよ? ポテチもコーラも部長のせいで無くなったんだからな」
美春の支持を遮り、北斗がファミリーパックの袋を開封しながら睨みを利かせる。
「問題無い!! まだまだお菓子はいっぱいある!!」
「めんどくさがるなよ!!」
文芸部の様子を一人見ながら「ぷっ」と噴き出す。真冬は見ているだけで楽しかった――
「ちょっと」
ぶっきらぼうに声をかけられ、反射的に主を見る。
その声に注目したのは、真冬だけでは無い。四季も美春も千秋も――先程の状況を知らない北斗以外が二人に注目していた。
そんな中、小夏は真冬に紙コップが入った袋を突き出す。
「あんたも手伝いなさいよ――もう、文芸部の一員なんだから」
「……うん」
相変わらずの無愛想ではあったが、真冬は話しかけられたのが嬉しくて、コップを受け取った。
その様子に北斗以外は安堵の笑みを浮かべ、またそれぞれの役割に戻る。
小夏は紙皿を、真冬は紙コップをそれぞれ机の上に人数分用意していた。
せっかく話しかけてくれたのだから、と真冬は勇気を出して小夏に話しかけてみる。
「さいとうって、四季さんと同じ?」
まさか話しかけられるとは思っていなかった小夏はビクッと肩を震わせた。確かに同じ苗字だから気になるだろう。それにしても、知り合ったばかりなのに四季を名前呼びするのは気に入らない。
「そうよ、妹だから」
「ふんっ」とそっぽ向きながらも、またぶっきらぼうに返す。
「そうなんだ」
四季と真冬の距離感が近いのは分かっている。だから、念押しした。
「だからって安心しないでよね! お兄ちゃんのお嫁さんになるのは私なんだから!」
「そうなんだ?」
「そうよ」
こんな事になるなら、今朝四季と一緒に登校するべきだったと後悔していると、横槍が入る。
「それは違うと思うけど」
「ちー先輩聴こえてますよ!」
二人のやり取りがとても楽しそうに見えて、自分もその輪に入りたいと思った。まずは、皆と仲良くならなければ。
「四季さんの妹って事は、一年生?」
「当たり前でしょ」
「私と一緒だ」
「知ってるわよ」
「そうなんだ……」
だが、直ぐにその感情は抑え込まれてしまう。
一年であれば、確実に自分の噂を知っているだろう――仲良くなんて、きっとなれない。
「……知ってて話しかけてあげてるんだから、感謝しなさいよね」
「え?」
噂なんて当てにならない、と思った。隣にいる悪女な筈の女生徒は、噂で聞いていたより、きっとずっと繊細で、大人しくて、今まで自分がしてきた事を後悔した。
『噂で人を判断するのは、違うんじゃないか?』
今なら部長の言葉にも納得がいく。
だが、やっぱり上手く話せなかった。自分の不器用さが嫌になる。もっと兄の様に、優しく自然に話しかけられないものか――
「うん、してる」
自分が思っていた言葉より、ずっと違う言葉が返ってきた。
彼女の方を見ると、とても嬉しそうに笑っていた。これも予想外。
いよいよ対応の仕方が分からない。
「あ、そ……」
顔を真っ赤にしながらそう返すのが精一杯だった。
そんな様子を、四季と美春と千秋が微笑ましく思いながら見守っていた。北斗はそんな三人の顔を見比べながらクエスチョンマークを浮かべていた。
美春は声を張り上げる。
「珍しく文芸部に入った新入部員だ! 歓迎パーティを始めるぞ!!」
美春の言葉にまた全員が声を上げて、楽しいパーティが始まった。