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7.推しに命令されたい

冷え切った身体でシャワーを終えて出る。

幸いもう六月なので、震えるほどの寒さではなかった。

邪念雑念を振り切れないまま棚からバスタオルを取る。

洗濯カゴに入れられた使用済みタオルはあえて見ないようにした。


大丈夫だろうかこの同居生活。

主に魔王様の貞操的な意味で。


自分の理性が全く信用できないままドライヤーのスイッチを入れる。

なんて手入れし甲斐のない髪だろう。

さっきとは大違いだ。

だけどボサボサのまま魔王様の前に出るなんて言語道断なので、入念に乾かしてゆるくひとつにまとめた。


脱衣所を出るとまだ部屋の電気がついていた。

まだ寝る気分ではなかったのか、ベッドの縁に腰掛けた魔王様と目が合った。


ドキっと心臓が音を立てる。

私のベッドに魔王様が。

現実味は薄いままだけど、動揺しないかといったらそれは完全な別問題だ。


「あ、の、眠れません、か……?

「いや、あかりはどこで寝るのだろうと思って」

「え、そのへんで」


ソファなんて場所を取るものは置いていないし、収納も少ないから客用布団もない。

だけどもう夜も十分暖かい季節だし、丸めたバスタオルを枕にしてお腹に夏用タオルケットでもかけておけば風邪をひくこともあるまい。


そんなことを告げると魔王様が思い切り顔を顰めた。


「馬鹿者。家主が居候に寝床を明け渡してどうする」


叱られてきゅんとする。


そんなの気にせず堂々と休んでくれていいのに。

私は魔王様のために存在しているのに。


傍若無人な振る舞いと無縁の魔族の王は、ちっぽけな人間の健康を気遣ってくれるのだ。


「でも他に布団もないですし」

「ならば床で寝るのなら俺だろう」

「そんなことさせられません」

「何故だ」

「信仰心が篤いからです」


握りこぶしできっぱり答えると、魔王様が理解不能とばかりに眉根を寄せて俯いた。

それから深いため息をついて、王の威厳漂う厳しい表情で私を見た。


「……では信仰対象からの命令だ。ベッドで寝ろ」

「ええ!? そんなのズルいです! 反則です!」


予想外の搦め手に抗議する。

これだから頭の回転の速い人は。

信者の心を弄ぶなんてひどい。

でもそんなとこも好き。


「知ったことか。俺はもう魔王でもなんでもないんだ。変な気遣いはやめろ」

「魔王じゃないと言うのならその命令はなおさら聞けません!」

「魔王じゃなくとも信仰しているのだろう? 聞くのが筋だ」

「そんなの屁理屈です!」

「どっちが」


子供の言い合いのような低次元さだ。

仲裁に入ってくれる大人はここにはいない。


「じゃあ魔王様こそ家主の言うことに従うべきなのでは!?」

「……なるほど、一理ある」


勢いで言った言葉に魔王様が腕を組む。

よし、やった、と説得成功の手応えを感じてホッとした。


「ではこうしよう。二人でベッドを使えばいい」

「…………はい?」

「この大きさなら二人で寝れるだろう」

「へ? いや、それはちょっと、さすがに」

「なに、手出しはせん。追い出されたくはないからな」

「いやそっちの心配はあんまりしてないですけど」


そんなことをする人じゃないということくらいわかっているし、どちらかと言うと魔王様が襲われる心配をするべきだ。


「さすがにそれは嫌なのだな」

「嫌ってわけでもないんですけど、」

「崇拝するくらい慕っているというのなら添い寝に嫌悪感もないだろうと思ったが、そこまでではなかったようだな」


挑発的に魔王様が言う。

なんだこれ、信仰心を試されているのか?


「ならばやはりあかりがベッドで」

「寝ます」

「うん? うむ、最初からそうやって」

「魔王様と一緒のベッドで寝ます」


ならば証明してやろうじゃないか。

都合のいい幻覚だろうと本物だろうと、私は決して魔王様に手を出したりはしない。


「襲わないと誓います。私の信仰は絶対です」


なかば据わった目で答えると、予想外だったのか魔王様がぽかんと口を開けた。


はぁ、どう転んでも可愛いのずるいわ。


「ではもう遅いですし早速寝ましょうか」

「あ、ああ……」


固い決意を胸に言うと、魔王様は困惑したように頷いた。

私が拒否することによってベッドに誘導しようとしたのだろう。

だけど一般人とオタクの思考回路を一緒にしてはいけない。

推しに関することであればどんなに高いハードルでも挑みたくなるのがオタク心理というものだ。


「そうだ魔王様も髪をくくりましょうか。踏んでしまっては申し訳ないですし」

「……そうだな、頼む」


戸惑いながらも魔王様が同意する。

自分が言い出した手前、一緒に寝ることを撤回するのが悔しいのかもしれない。


洗面台まで戻って、少し迷ってピンクのシュシュを取り出した。

シンプルな黒いヘアゴムもあったけれどあえて見ない。


「どうぞ」

「ああ、助かる」


どんな表情をするのか期待を胸にシュシュを渡す。

拒否されたり文句を言われるかと思ったけれど、すんなり受け取られて拍子抜けしてしまった。

私も似たようなのを着けているし、この世界ではこれが標準と思ったのかもしれない。


「あ、やっぱり私やります!」

「いいのか?」


親切心のフリで挙手すると、疑いもなく魔王様がその提案に乗ってくれる。

正直もうちょっと警戒してくれてもいいと思う。

こんな戦闘力皆無の雑魚相手にそんなことする必要もないのだろうけれど。


もちろん私には下心満載だ。

シュシュでざっくりひとつにまとめるのも見たいけれど、それ以上に見たいものがある。


「では頼む」


無防備に後ろを向いた魔王様の髪に触れる。

ドライヤーで乾かした後だというのにしっとり滑らかで、カラスの濡れ羽色の艶やかな黒髪が手に気持ちいい。

絹糸のようにひんやりしなやかな手触りにうっとりしてしまう。

バクバクうるさい心臓を必死に抑えながら、ゆるく髪を編んでいく。


「よし、出来ました」


最後に毛先にシュシュを着けて、一仕事終えた気分で深く息を吐いた。

やり切った満足感がすごい。


「……どういうことだこれは」


三つ編みに気付いた魔王様がムッとした顔をする。

怒られるかとも思ったが、それ以上の文句は出なかった。

やってもらっておいて文句を言うのは良くないと思ったのだろう。


漫画でもそうだった。

部下への命令が十全に果たされなくても、精一杯やったのだとわかれば叱らないのだ。

注意はすれども理不尽な叱責はしない。

理想の上司と言えよう。

今も髪型の注文をしなかった自分が悪いと思っているのだろう。


ホント好き。今のところ一切解釈違いが起きていない。

さすが私の幻覚といったところか。


三つ編みも最高に可愛い。

美人系というより立派な美丈夫なので、少しミスマッチなのがなんとも私のツボをついてくる。


「よく……お似合いです……っふふ」

「……ほう」


微笑ましさを堪えきれず笑いを漏らすと、魔王様が目つきを鋭くした。


「此度の働き、よく覚えておこう」

「ひぇ……」


これはつまり「覚えておけよこのヤロウ」という意味ですね魔王様。

そんな場合ではないのかもしれないけれど、冷笑に近い薄い微笑みに痺れてしまった。


毛布に潜り込む魔王様に続いて、電気を消してからベッドの端っこギリギリに身体を横たえる。

それでも異常なほどの距離の近さに、心臓が破裂しそうだった。


「それは照明を消す道具か。火ではないのだな」


リモコンを枕元に置いた私に魔王様が感心した声で言う。


「電気というものを使っているんです。仕組みについては……すみませんよくわかりません」


説明しようと思ったけれど上手く出来そうになかった。

あちらの世界ではなんでも魔法で成り立っているのだ。小学生レベルの基礎知識からとなると、正確なところはもう覚えていない。


「便利なものだ。魔法なんて必要ないな」


囁きに近い小さな声なのに、不思議とよく通った。

すぐ近くで会話をしている。このバグった距離に頭がやられそうだった。

魔王様は寝そべっていても完璧だ。

枕に頬を押しつぶされていようと、それすら魅力になる。


私、大丈夫だろうか。変な顔になってないかしら。シャワーついでに歯も磨いたけど、口臭くないかな。


「ベッド硬くないですか? 眠れそうですか?」


気になって口許を覆いながら問う。

無駄な足掻きかもしれないけれど、少しでも魔王様に不快な思いをさせたくなかった。


「ああ……普段は睡眠を必要としないが、これが眠気というやつなのだろうな」


まぶたを伏せつつ、少し緩んだ口調でそんなことを言う。


「えっ、魔王様寝ないんですか!?」


そういえば睡眠描写を見たことがない。

物語の進行上、必要ないシーンとしてカットされたのだと思っていた。

一度でいいから寝顔を拝んでみたいと、テンポの良さに定評のある作者様を少し恨んでいたけれど、そもそも寝る必要がなかったとは。


「だが魔力濃度のせいか、異界渡りで疲弊しているのか……あるいは一度死んで命が再構成された際にこの世界に馴染むように作り替えられたか。もう少しで意識の途切れそうな感覚がある……悪い感覚ではないな……」


ゆっくりと目を閉じて、徐々に口調があやふやになっていく。


小さな戸惑いと新発見への喜びと。

そんなものがないまぜになった、どこか穏やかな表情だった。


それを見て胸が温かくなる。いきなり知らない世界に放り出されて、考えなくてはならないことは沢山あるだろうけれど、少しでもこの場所が彼の心休まる場所になれればいい。

そう願った。


と同時にあることに気付いて私にも訪れかけていた眠気が一瞬で霧散した。


え、ちょっと待って、ということは魔王様の寝顔を拝む第一人者となるのでは?


そんなことを考えてにわかに頭が混乱していく。

その間にも魔王様の表情は少しずつ緩んで、ついには寝息が聞こえ始めた。

どうやらよほど疲れていたらしい。


うわー! 魔王様が寝たー!!


頭の中で小さな自分たちが大喝采を上げ始める。

それくらいに大きな感動があった。


だってただ目を閉じているのとは全然違う。

弛緩した表情はどこかあどけなく、完全に油断しきっている状態だ。


やばばばばばなにこれなんだこれどうすればいいのとりあえず写真いや動画かあああ全方位から撮りたいけど動くと魔王様起きちゃうしうわああどうしようどうしようどうしようまず無音カメラのアプリをインストールしてそれからそれから。


敬虔な信者の気持ちなどどこかに吹き飛び、脳内は大忙しだった。


写真と録画はスマホの明かりが睡眠の邪魔になると気付いて断腸の思いで諦めた。

その代わり眠っているのをいいことに至近距離でご尊顔をガン見することにした。


眠れない夜はあんなに長く感じていたはずなのに、その日の夜はあっという間に終わってしまったのだった。

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