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5.推しは格好いいところが最高に可愛い

六階まで駆け上がり、そっとドアを開けてまだシャワーの音がしているのを確認する。

さっと脱衣所に入り、着替えセットを置いた。


擦りガラス越しに裸体のシルエットがうすらぼんやり見えて、一生眺めていたくなる。

だけどさすがに完全なる痴女なので、急いで目を逸らして部屋に戻った。


魔王様がいない隙に原作漫画と本誌をクローゼットに押し込む。

いつかきちんと説明したいとは思うけれど、今はまだ目に触れさせないほうがいい気がした。


それから部屋全体をざっとチェックして、軽く掃除機をかけた。

節約生活のおかげで、散らかるほど物がないのが幸いだ。

本当に、我ながら女子力皆無な部屋だと思う。


そこでようやく窓が開きっぱなしなことに気付いてベランダに近付いた。

ふと気になって外に出る。

下を見ても周囲を見回しても、あの強い光に対する野次馬のような人出はなかった。


やっぱり私にしか見えてない幻覚なのかな。

幻覚なんだろうな。


ベランダで少しぼんやりと黄昏てしまう。


ここから聞こえるシャワーの微かな音も、私の脳味噌が都合よく作り出した幻聴なのだろうか。

オタクの妄想力もとうとうここまできてしまったか。


どこか達観した気持ちでそんなことを思う。


ついさっきまでここから飛び降りようとしていた。

だけど今は魔王様のお世話をすることに生き甲斐を見い出している。

死んだはずの、そもそもリアルには存在しないはずの人なのに。


ぽたりと涙が落ちる。

どんな感情からこぼれたものかはもう分からなかった。

そのまま泣き崩れてしまいそうなのをなんとか堪えて、部屋に戻り窓を閉じた。


シャワーの音が止まって、グイっと乱暴に目元を拭う。

続いてドアの開く音が聞こえた。


タオルの使い方くらいは分かるかな。

全部魔法で解決出来てしまうからどうだろう。

それに安物のスウェットで玉のお肌が傷付かないかしら。


頭は自然と切り替わって、魔王様の存在を現実のものとして受け入れている。

自分の情緒が少し心配だったけれど、あまりにもリアルな妄想はもはや現実と大差ない。


「……すまんあかり、髪はどの程度まで拭くのが正解だ」


脱衣所のドアが細く開いて、困ったような声が聞こえる。


「水滴が垂れなくなるまでで大丈夫です……」


可愛い最高と叫んで転げ回りたい気持ちを抑えてソツなく答える。


魔法だと濡れても一瞬で乾かせるんだろうな。

タオルで拭いても拭いても濡れた感じがするから困っちゃったのか。


オロオロする魔王様を想像して顔がにやけるのが止まらない。


うん。私元気だわ。


「服の着方はわかりますか?」

「そっ、それくらいはわかる」


少し大きめの声でドアの向こうに問うと、強がるような口調で返されて床にくずおれる。

萌え殺す気だろうか。


死にそうになりながら完全に崩れた表情をなんとか整える。

なんとか見られる顔になったところで、脱衣所のドアが静かに開いた。


ダークグレーのスウェットを着た魔王様が出てきた。

めちゃくちゃ不本意そうな顔をしている。

原因はすぐに解った。

袖も丈も短くて、いわゆるつんつるてんんというやつだ。


「この世界ではこういう格好が普通なのか……?」

『パシャッ』

「? なんだ今のは」

「え?」


問われて初めて自分がスマホを構えて写真を撮っていることに気付いた。

完全に無意識だった。


悪いことをしてしまった。これじゃ隠し撮りと大差ない。


焦って悪事の証拠である手元をちらりと見る。

画面の中には、不意打ちだというのに完璧にカッコいいお顔の魔王様が、少し不貞腐れた表情で写っていた。


絶対に消さんぞ。


申し訳なさはあっさりと吹き飛び、即座に硬い決意が生まれた。


「なんでもありません」


にこやかな笑顔でさらりと誤魔化す。

風呂だけでも知らない仕組みが沢山あったのだ、謎の四角い板が分からなくても当然とばかりに誤魔化されてくれる。

この画像は家宝にしよう。


それにしても、こうも寸足らずなのは魔王様に原因がある。

元カレも背は高い方だったけれど、どう見ても手足の長さが日本男児の遥かに上をいっていた。

要はものすごくスタイルがいいのだ。

さすが魔王様としか言いようがない。


「ところでお風呂は大丈夫でしたか?」

「ああ、この世界の風呂はすごいのだな!」


ほっかほかの魔王様が、すぐに機嫌を直して感心したように言う。

頬はピンク色に上気してつやつやだ。

どうやら話を逸らすのに成功したらしい。

とりあえず明日仕事帰りにもうちょっとマシなやつを買ってこよう。


「魔法もなしに少し動かすだけで湯が出るのがまずすごい。すぐに水と切り替えられるのもだ。どういう仕組みになっているんだ?」

「すみません専門外なのでわかりません」


私に出来るのは金勘定だけ。

魔王様の期待する知識を持ち合わせない申し訳なさでいっぱいだ。

あとでちゃんと調べておこう。


脳内メモにやるべきことをリストアップしていくのは楽しかった。

魔王様の役に少しでも立ちたい。気分は完全に彼の部下だ。


視線は彼に釘付けだけど、魔王様は気にした様子もない。

多数の部下や取り巻きがいたから慣れているのだろう。

何も言われないのをいいことにガン見しまくれるなんて最高だ。


「仕組みが分からなくても使えるのが特にすごいところだ。風呂だけではない。少し見ただけでもいろいろなものが考えられないくらいに発展している。魔力濃度の薄さが不便だと思ったが、それを補うようなものが沢山あるのだな」


ギミック系が大好きなのは全世界男子に共通しているものらしい。

キラキラした瞳が少年みたいで愛らしい。


楽しそうな顔を見てホッとする。

少しでも気が紛れているなら幸いだ。

戻れない世界に未練を残したままでは可哀想すぎる。


無理に明るく振る舞っているのかもしれないけれど、少しでもこの世界の物が彼の慰めになればいいのにと心から思う。


「そうだ、髪を乾かしましょうか」


ポンと手を打って提案する。

きっとドライヤーも好きなはず。


「拭くだけではダメなのか」

「自然乾燥だと風邪をひいてしまうかも」


それにその艶やかな黒髪が傷んでしまう。

推しにはいつだって完璧でいてもらいたいというのがオタク心理だ。

もちろん完璧じゃなくても愛は揺るがないけれど。


「ちょっと待っててくださいね」


いそいそと洗面台のドライヤーとブラシを取りに行ってすぐに戻る。


「御髪に触れてもよろしいですか?」

「ああ、構わんが……」


私の問いかけに、戸惑ったように魔王様が頷く。


風呂同様使い方を教えてあげるだけでいいのは重々承知だけど、合法的に触れられるチャンスを逃すほど愚かではない。


ローテーブルの前に座ってもらい、そのすぐ後ろにあるベッドに腰掛けスタンバイする。

緊張でブルブル震えそうになる手を必死に押さえつけ、ドライヤーを開始した。


耳元で聞こえる轟音に、魔王様の肩がピクリと小さく跳ねた。

たぶんちょっと戦闘態勢に入りかけた。

いついかなる時も警戒心を緩めない有能ぶりにきゅんとするが、それはそれとしてその動きの可愛さににっこりしてしまう。


背中の中ほどまである黒髪は、とても手触りが良くてうっとりを通り越して発奮状態だ。

ブラシはするすると通り、夢中になってお手入れをしてしまった。

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