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4.推しは神より尊きもの

「とはいえ俺も人のことは言えんな。身一つで異界渡りをしたらしい。見事に無一文だ」


ボロボロの衣類を改めて見て、魔王様が自嘲気味に笑う。

魔王様の身に着けるものだ、生地や仕立ては良いのだろう。

けれど、勇者のせいでいかんせん綻び過ぎている。これでは古着として売ることさえ出来ない。

私だったら未洗濯の状態での高額買取に応じることも可能だけど。


「すまんがしばらく軒先を貸してもらえるか。厩があれば尚ありがたいが」

「ええと、軒、とか厩とか、そういうものは現代にはあまり無くてですね……」

「そうなのか? とりあえず拠点となる場所を探したいと思ったのだが」


困ったな、と魔王様が眉根にシワを寄せる。

どうやらここにそのまま居るという発想はないらしい。なんて慎ましやかな人だろう。

魔王様なのだ。魔族で一番偉い人なのだ。

もっと傲慢でいてくれたって文句はないのに。


そのシワの間に挟まりたい気持ちをグッと堪えて頭を切り替えて口を開く。


「あのっ、もし魔王様さえ良ければここで暮らしてくだじゃい!」

「……いいのか?」


思い切り噛んだことをスルーしてくれる優しい魔王様が、遠慮がちに聞いてくる。

別世界とはいえ魔族界トップだったお方だというのに、この謙虚さだ。もっと勇者の前で演じていたように横暴なフリで命令してくれたら全力で従っていたというのに。


「もちろんです! だって私は魔王様を尊崇していますので!」


胸を張って応えると、魔王様は奇跡のようなご尊顔をくしゃりと崩した。


「やはりあかりは変わった人間だ」


その飾らない笑みさえ奇跡そのものの尊さなのだけど。


「うわぁぁあああ!!」


あまりの破壊力の高さにとうとう叫び出してうずくまる。

完全に不審者なのは解っているけれどもう耐えられなかった。


「どっ、どうしたあかり」


正直その美声に名前を呼ばれるたびに理性は崩壊しそうだったのだ。むしろよくここまで耐えたと自分を褒めてやりたかった。

困惑したような声音すら胸を締め付ける。


「大丈夫か、何か精神攻撃のようなものを受けているのか!?」

「……いえ、ご心配なく……うっかり自我が崩壊しかけただけで……」

「自我が!?」

「あっ、だめですそれ以上近付かないで!」


胸元を押さえてぜえぜえと息切れする私を心配そうに覗き込んでくる魔王様から必死で目を逸らす。

精神攻撃なんてレベルじゃない。彼の存在そのものが私の生命を脅かすのだ。


「……やはり近付かれるのは恐ろしいか」

「え? いえそれは全然」


私の言葉に素直に距離を取り直す魔王様が、少し悲しそうな顔になる。

えらく可愛いけれど、変な誤解をされたくないので即座に否定した。


「なんというかあまりに神々しいので……信者としてはそう軽々に奇跡を与えられては身が持たないと言いますか……」

「神々しい? 魔族の王相手に異なことを言う」

「でもそれくらいに愛が深いんですよ」


ようやく少し落ち着きを取り戻して姿勢を正す。

魔王様は案の定よくわかっていない顔だ。


推しを崇めるということは信仰と同じ。

それを理解してもらうには膨大な時間を要するだろうから、説明は割愛させていただこう。


「なぜこれほどに慕われているかは理解不能だが。あかりが構わないというのなら、しばらくは厄介になりたい」

「どうぞどうぞ! 狭いところですがお寛ぎください! 私は部屋の隅っこで観葉植物並みに大人しくしているので」

「何を言っている。家主はあかりだろう」


苦笑しながら魔王様が言う。


「わからないことだらけで面倒をかけると思うが、居候として存分にこき使ってくれ」


それから異世界という開放感からか、魔王らしさを取り払って晴れやかに笑う。


「うぐぅっ……」


その笑みは何よりも尊いもので、私は動悸のあまり低く呻くことしか出来なかった。


「えっとじゃあまず、その、服、着替え、あ、その前に、お風呂、お風呂にしましょう」


自分の心臓を鼓舞して、なんとか立ち直り提案してみる。


彼はこの世界のことを何一つ知らないのだ、まずは私が生活基盤を整えてあげなくてはならない。

えっ、なにそれ超楽しい。


「風呂とは人族のする湯浴みの習慣のことか」

「そうです、あっ、もしかして必要ないですか!?」


そういえばあの世界、魔法で結構なんでも出来てしまうのだ。

お風呂なんて魔王様には無用の存在かもしれない。


「いや……今までは確かに魔法頼りだったが、この世界ではそうもいくまいな。なにせ魔力の存在が希薄だ」

「濃度が薄いと仰っていましたね」

「ああ。この部屋だけではないのだろう?」

「だと思います。この世界には魔法自体が存在しないので」

「濃度が薄すぎて魔法技術そのものが発展しなかったのだな」


確かにエネルギー源がないのなら、それを使った技術は発展出来ないだろう。


「洗浄の魔力消費量は微々たるものだがな。この薄さでは、新たな魔力を大気中から生成するのは難しい。今体内に蓄積している魔力を使えば出来ないこともないが、減った分を今後新たに蓄えることも難しそうだ」


少量ずつでも回復せずに減り続ければいずれ枯渇するだろう。

今後どんなことが起こるかもわからないのに、清潔を保つためだけに魔力を削り続けるのは得策ではない。

それならやはり、魔力に頼らない方法で身体を正常に保つ必要があるはずだ。


「すまないが風呂とやらの使い方を教えてもらえるか」

「もちろんです!」


風呂の習慣がなかったのなら使い方が分からないのも当然だ。

知っていたとしてもあの世界とこの世界ではだいぶ違うだろうし、最初から説明する気は満々だったのだけど、殊勝にお願いする魔王様に俄然テンションが上がる。


「どうぞこちらへ」


先行して案内しようにも狭い家だ、大した距離もない。

すぐ後ろをついてくる気配にひどく緊張しながら脱衣所に辿り着いた。


「この籠に脱いだものを入れてください。ここを押すとドアが開きます。それでここを捻ればお湯が出てきます。熱かったらここで温度を調節してください」

「なるほど。上の印で温度が上がるのだな」

「そうです。それから髪を洗うのはこれで、身体を洗うのがこっちです。あのタオルを使ってください。顔はあれです」

「部位によって違うのか。人間は面倒なのだな」


基礎中の基礎の使い方を説明していく。

浴室内に声が反響して、変にドギマギしている私は変態だろうか。

ちゃんと毎日お風呂掃除をしていて良かった。


一通り使い方を教えて、そのたび感心したような反応にほっこりしながら浴室を出る。


「今日はシャワーだけですが、明日以降はちゃんと湯船にお湯溜めておきますね」


もちろん浴槽も狭いのだけど、少しは身体の疲れも癒せるはずだ。

魔王様には出来る限りくつろいでほしい。


「で、身体を拭くタオルはここに置いておきます、ので、」


それから一番新しいバスタオルを出して、ハタと気付く。

着替えがない。


当たり前すぎることに今更気付いて俄かに焦り始める。


「……っとあの、こんな感じで、その、ゆっくり温まってきてくださいね!」

「ああ、助かる」


その言葉と共に脱衣所を退散する。


今から男性用の寝間着を買いに行く余裕はない。

だけど準備がないと言えば風呂を遠慮してしまうだろうし、それどころか汚れた服のままでは迷惑をかけるとか言って出て行かれたら困る。

魔族を統べる王たる彼は、支配者にあるまじき気遣い屋さんなのだ。


大急ぎでクローゼットに噛り付く。

ひっくり返す勢いで何かないかと探すと、新品に近い男物のスウェットの上下が出てきた。

確か新卒時代に付き合っていた元カレが残していったものだ。


私が仕事というか魔王様に夢中になり始めた時期だった。

三次元への情熱が疎かになっていたせいであっさりフラれたのはいい思い出だ。

忙しさにかまけてフラれたけれど、忙しさにかまけて私物を捨てないままにしていて助かった。

古着は分別が面倒なのだ。


防虫剤臭さに顔を顰めながら、それでもないよりはマシと思ってそれに決めた。

さらにシャワー音が聞こえ始めるのを待って財布を握り締める。


さすがに男物の下着はない。

幸いなことに家賃の安さで決めたこのアパートは、一階がコンビニになっている。

ゴキブリが出やすかったり人の出入りでうるさいけれど、この日ばかりはありがたかった。


玄関から飛び出て猛スピードで六階から階段を駆け下りる。

このアパートにはエレベーターなんてハイテクなものはついていない。

なんせ安いから。


荒い呼吸でコンビニに飛び込んで、それから下着コーナーの前に陣取る。

もちろんコンビニなので種類は少ない。

少ないけれど、それは迷わないということとは別だ。


タンクトップは一種類のみだったのですぐに決まった。


パンツの柄もたった二種。

二種なのに私は真剣に五分以上悩んだ。


黒無地ボクサーと水玉トランクス。


魔王様のビジュアルと彼本人の服装に沿った好みから選ぶと、黒無地一択だろう。

信者を自称するならそれを買うべきだ。


だけど果たしてそれでいいのか?


内なる声が問いかける。


今後うちでしばらく暮らしてくれるとしたら、魔王様自らの意思でパンツを買い足すこともあるだろう。そうなった時に選ぶのもきっと黒無地だ。

ということはここで私が黒無地ボクサーを買ってしまったら、意外性とギャップを存分に味わえる水玉トランクスを穿く唯一無二のチャンスをふいにするのではないだろうか。


自問自答に決着が着いて、ガシッと水玉トランクスを掴む。

レジへと向かう私はきっと歴戦の戦士の顔をしていただろう。


男物の下着に、顔馴染みの店員がチラッと私の顔を見る。

照れや後ろめたさとは無縁だった。

ただただこれを着用した魔王様の妄想に悶々としていた。


もちろん着用後の姿を見ることは一切できないことを知っていながら、だ。

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