3 ネオアメジリア
「いや、違う……」
芽利留は小さく呟き、目を固く閉じ、考える。
ネオアメジリアは、超常能力がある。だが、瞳の色以外は何の変わりも無い。
自分の両手を握ったり開いたりを繰り返す。手が震えてるが、それは動揺のせいである。震え以外は何時もと何ら変わらない。
炎や光線が出たりしないか、自分の手に怯えていた芽利留だか次第に落ち着きを取り戻す。
試しに、恐る恐る目の前の洗顔フォームを掴み、浮かせようと上にそっと投げる。
だが洗顔フォームは浮く事を無く、重力に従いポトリと洗面所のシンクに落ちた。
落ちた洗顔フォームを見て、安堵の笑みが浮かぶ。
――――ワタシは、人間だ――――
――――ネオアメジリアではない―――
現実逃避からの否定だった。洗顔フォームを拾い上げ元の位置に戻そうとするが、 まだ手が震えて上手く戻せない。 思わず強く洗顔フォームを握った時、パァンと洗顔フォームが破裂した。
眼利留の掌に、潰れた洗顔フォームがある。
「えっ……?」
握り潰した? 恐る恐る自分の掌と潰れた洗顔フォームを見詰める。
チューブだけでなく、プラスチックの蓋までが潰れていた。そこまで強く握ったつもりは無かった。そもそも、蓋まで握り潰せる程の握力も無い。本来は。
呆然とする芽利留の背後に祖母が現れ鏡に写り混む。
驚き、反射的に振り向き祖母と顔を合わせた芽利留は慌てて両手で双眸を隠す。
咄嗟の行為だったので手に付着しついた洗顔フォームが顔に付く。潰れた洗顔フォームは床に落ちる。
「あっ……」
自分がネオアメジリアになった事すらまだ受け入れられないのに、祖母に見られたかもしれないという恐怖で混乱する。涙が流れ出すが目を拭わず、ひたすら両手を当て瞳を隠す。
「おばぁ……ちゃ……」
上手く言葉が出ない。声が喉に詰まる。喉が痛い。
俯き、顔を隠しながら芽利留は自分の部屋に向かった。
ドアを激しく閉める。
乱暴に袖で顔を拭く。涙と洗顔フォームでぐちゃぐちゃだか、そんな事気にしてられなかった。
そしてドアを背にしゃがみ込む。どうしたら良いか分からずただ泣くしかできない。
ドアをノックする音がするが無視しかできない。ドアノブを回す音がするが、芽利留が背を凭れてるので開けることが出来ない。暫くするとドアノブを回す音は無くなり、ただ、芽利留の泣き声だけが部屋に響く。
「芽利留……」
か細い祖母の声がした。だが、芽利留は返事をしない。ただ、嗚咽しながら耳を澄ませる。しゃがんだまま顔を伏せ、自分の服を強く強く掴む。
これからどうしたらいいのか、どうなるのか、分からない。自分の眼を祖母に見られたのかすらわからない。
もし見られてたら?通報される?捕まる?捕まったネオアメジリアは?殺される?
嫌な憶測が次々と浮かび上がる。
「芽利留!」
怒鳴る様に名前を呼ばれ、思わず顔を上げる。
祖母は優しく芽利留は滅多に怒鳴られたりしなかった。そもそも怒鳴られる様な事をしなかったが。
「おばあ……ちゃん……」
立ち上がり、ドアノブを掴むと固唾を飲み込み、覚悟を決めドアを開けた。
祖母はドアの前に立っていた。
「おばあちゃん……」
目を合わす。祖母の目が見開くのが分かり、芽利留は目を反らした。
「ごめんなさい……」
何を謝ってるのかは、芽利留自身分からない。ただ、自ら望んではいないにしろ、ネオアメジリアになった事が、唯一の家族の祖母への裏切りの様に感じてしまった。
そしてまた、泣き出す。
そんな芽利留を祖母は優しく抱き締めた。
芽利留は驚いた。
ネオアメジリアとなった自分を祖母は芽利留として接している。
脳裏に、祖母との思いでの映像が浮かんだ。
芽利留がまだ小学一年生だった頃、両親が事件に巻き込まれ死亡した。突然すぎる永遠の別れに大泣きした芽利留を、震えながら静かに涙を流し、抱き締めてくれた祖母。今の様に。まだ幼かった自分と今より少し若い祖母の姿が脳裏に浮かぶ。祖父は既に他界してたので、それから二人で暮らした。 休みの日は水族館に連れていってくれた。参観日に毎回来てくれた。運動会で大声で応援してくるた。中学の卒業式に一緒に泣いてくれた。
大好きな祖母との思い出が走馬灯の様に脳裏に次々浮かぶ。
祖母は芽利留の手を強く握ると、真剣な眼差しを向けて「逃げなさい」と言った。
逃げる――――
ネオアメジリアはこの社会では、生きていけない。
自らネオアメジリアと告げるか、ネオアメジリアである事を隠して過ごすか、逃げるか、捕まるか。
共存はあり得ない。
ネオアメジリアである事を隠したとして隠し通せるか。
いいや、不可能だ。輝く紫の瞳を隠し通すなんて不可能だ。それなら、自らネオアメジリアである事を機関に告げるか。告げた後どうなるか。
殺される、だろう。
ネオアメジリアが生きていくには、逃げるしかないと思った。