優しくなりたいけど
優しくなりたいけど
優しくなんかなれない
私の優しさは嘘だからさ
私は優しくなんかないんだよ
優しさが噴水のように湧いてくるものなら
私の優しさは真っ赤な嘘だ
結局は利己的なもの
自分のためのものなのよ
私は決して優しくなんかないの
私はただのエゴイズム
私の得を君に押し付けてるだけ
だからそんな顔して微笑まないで
消えたくなっちゃうじゃん
私ばかり一方的に君から優しさをもらって
そんなの私だけがお腹いっぱいになっちゃうよ
私のこれは優しさという名のエゴ
決して君の優しさとは違うの
この優しさは身勝手なエゴなのよ
これで自分を満たしてるだけなの
だけど君がそんな顔して微笑むから
これがホントの優しさかもって勘違いしちゃうの
ホントに優しい人になれたって錯覚するの
君が「優しいね」って微笑むから
本当に騙されちゃうわ
だけど君の言葉を信じて良いのならば
この優しさもエゴじゃないのかな
エゴだとしても優しさなのかな
私も優しい人なのだろうか
私も優しい人になれたのだろうか
たとえエゴだとしても優しさは優しさなのかな
この優しさを信じて良いのかな
「その原動力がたとえエゴでも」
「それは優しさだよ」
君は言う
「優しさの押し売りだろうと」
「優しさという名のエゴだろうと」
「他人が笑顔になれば」
「きっとそれは優しさ」
「エゴだろうと優しくしようと思えば優しさ」
「偽善だろうと優しくしようと思えば優しさ」
「たとえエゴイズムだろうと」
「優しくなりたくて優しさの真似事してるならば」
「その人は立派な優しい人」と
君は微笑んだ
綺麗な笑みを
浮かべていた
エゴと優しさは表裏一体なのか。
私は表裏一体だと思いますが、さまざまな意見がありますよね。