番外編その1 ケイトの場合2
今日も今日とて『腹ぺこ亭』のドアベルがカランカランと鳴り響きます。
「ああ、ケイトさん! ご無事だったのですね!」
怪我もだいぶ癒え、『腹ぺこ亭』に帰った私の前に、ケイトさんが現れました。
彼女は苦笑して私の唇を指一本で塞ぎます。
「しーっ、私が王宮に出入りしてることはナイショ」
「あ、はい、ごめんなさい……」
「そうしょんぼりしなくてもいいわ。それよりカレンちゃんこそ怪我のわりに元気そうね」
「……元気、に見えますか?」
「……あら、何かあったのね」
ケイトさんはちょっとだけ悲しそうな顔をしました。
「……お話をしましょうか、ラッセル殿下にも女将さんたちにも言いにくいことってあるわよね」
私はケイトさんの申し出をありがたく受け入れ、女将さんに『お見合い斡旋所』の番をお任せし、自室にケイトさんを招くことにしました。
「ここに人を招くのはエリーさんと、ラッセル殿下と、ケイトさんで三人目です!」
「そ、そう……」
ケイトさんはなんとも言えない苦笑いをされました。
「それで、どうしてカレンちゃんそんなに元気がないのかしら?」
「……クラリス様のことをずっと考えてました」
「ああ、あの女狐ね」
「女狐……」
酷い物言いですが、そう言えば、ケイトさんはベンジャミン殿下の部下なのでした。クラリス様のことも色々とご存知なのでしょうし、思うところもあるのでしょう。
「しょうがないわ、あんなことしたんだもの、死罪は当然よ……優しすぎるわね、あなたは」
「……優しい、のでしょうか、私」
「…………」
ケイトさんは沈黙しました。
私の話を黙って聞いてくれるようです。
「……エリーさんという方がいました。私は、その方のことも気に病んだけど……私、優しいのではないと思うんです。ただ、なんだろう。私、罪悪感を拭い去りたいだけなのです」
「……あなたの聖女の力は、あなたにしか使えないもの」
「……はい」
「それでなすべきことはたくさんあるのだろうけれど、なしきれないことだって、あるわ。失敗をいちいち気にしていたら、人は前には進めない。あのね、カレンちゃん、人って失敗するものよ」
「……失敗」
「自分にしか出来ないことだから、失敗は許されない、なんて、そんなの気負いすぎ」
ケイトさんは真っ直ぐな目で私を見ています。
この方とこんなに真面目な話が出来る日がくるなんて、思いもしませんでした。
「大なり小なり、みんなあるのよ、自分にしか出来ないこと。それを聖女だからって背負い込むのは……それは、悲しいことだと思う」
「悲しい……?」
「カレンちゃんが私たちと一本線を引いてるみたいで、悲しい」
「……線」
「あなたには私たちには見えないものが見える。その苦労も功績もあなたのもの。それでも……隣にいることだけはできるのよ。どんなにその人と折り合いがつかない部分があってもね」
「……ケイトさんにも、いるんですか? そういう人」
私の問いに、ケイトさんは苦笑されました。
「……いる」
誰のことなのでしょう。
「いるのよね、そう、いるの。いつも私とは違うものを見ているの、あの人は……。そうね、私、きっといつも悲しいのよ、それが」
「……好きなのですか?」
「……うん。でも、無理。身分が違いすぎる」
ケイトさんの身分。思えばケイトさんがいったいどういう身分の方なのか、私はよく分かっていません。密偵というのはどういうお仕事なのでしょうか。
「私は、私兵だから。一応生まれは貴族だけど、もう、貴族扱いもされないの。必要とあれば、貴族として振る舞うこともあるけどね」
「そう、なのですね」
「一番最悪なのはね、あの人が私のこと愛してなんかいないのに、あの人にとって便利だからって結婚すること」
「便利……だから……」
「そんな目に遭うくらいなら、好きでもない男と結婚した方がマシなの」
「そのために、『お見合い斡旋所』に……」
「うん、で、どうせなら、大好きなお金持ちがいいんだけど……ああ、伯爵の息子は? 結局フリーなんでしょ、あいつ」
ぎくりとしました。
伯爵の息子さんのことは何というか出来るだけ思い出したくありません。
彼の『私への』殺意についてはもはや恐怖の対象ではありません。
殺意には……悲しいことですが、王宮でのあれこれでなんだかもう慣れてしまいました。
ただ、彼が人を殺せる人間であるということが、私には恐ろしい。
父の正妻を殺したと言っていました。あんな嘘をつく理由がない以上、多分本当なのでしょう。
そんな危険な人に私が……少しでも好きだと思った人には関わってほしくありません。
「だ、駄目です」
「どうして? いい人そうじゃない」
「駄目なものは駄目です。あの、えっとですね、ここだけの話ですが、伯爵の息子さんには思い人がいて……」
「ってことは、思い人がいる者同士、傷を舐め合えるじゃない!」
「う、うう……でも、ええっと、ええっと……」
「それともなあに、やっぱりカレンちゃんを殺そうとした男のことなんて紹介できない?」
心が凍り付くのを感じました。
ケイトさんは何を言っているのでしょう。
いいえ、どうしてそんなことを言えるのでしょう。
……言えるはずです。だってこの人は密偵ですもの。
何かを探るのに、この方ほど秀でた方もいないのでしょう。
「……ケイト、さん」
「なんか知らないけど、ラッセル殿下には言いたくないんでしょう? だったら黙っててあげる。あげるから……紹介してよ」
「ぜ、絶対に、駄目です。だ、だいたい、未遂とは言え人殺しだって分かっているのに、紹介してほしいだなんて……ケイトさん、どうかしてます!」
「私がどうかしてないわけないじゃない」
「そ、それは……」
そう、なのでしょうか?
ケイトさんは、変な人です。ちょっと意地が悪くて、『お見合い斡旋所』のお客様としては扱いづらくて、でも、でも、ケイトさんは、ケイトさんは……。
「わ、私は、ケイトさんのこと好きだから、危ない人に近付いてほしくないです!」
「え……?」
ケイトさんはぽかんと口を開けました。